北さんと単身移住者1

 もう恋なんてしない。

 誰かに恋することなんてないだろうし、相手から来られても絶対に乗らない。仕事とちっぽけな趣味と、飼っている猫さえいればそれでいい。

 私は一生、結婚なんてしない。

 あの日、私の頭の中が逆転するその時まで、そう信じて疑わなかった。神様は残酷だ。願っていたことを、そのままひっくり返して現実を押しつけてくるのだから。

 けれども、その瞬間に私の中の時間は動き始めた。それはきっと、奇跡のはじまり。

「こんなところに若い女の子がひとりで? 変わりもんやな」

「単身移住者いうらしいで。ほら、リノベーションなんとかって補助金? 町から貰えるんやて」

「仕事行くのも大変やで? 一番奥やんかここ」

「それがな、在宅ワークっちゅうのしとるらしいねん」

「ほー、今時のもんはええなぁ」

 うっせぇジジイ、黙れ。

 新居の鍵の引き渡しに来た大家のおじいさんと、その友人だというジジイにお茶を出しながら、私は震える唇を噛んだ。少しでも口を開いたら暴言を吐いてしまいそうだ。

 大家さんの方はまだいい。優しいし、いい人そうだ。問題はこの友人のジジイの方。単身移住者が珍しいのか、根掘り葉掘り質問を繰り返している。

 茶飲んだらさっさと帰れ、マジで。

 夏の陽射しが眩しく降り注ぐ縁側に座ったまま、ジジイはさらなる質問を繰り返す。

「在宅ワークってので稼げるんか?」

「……まあ、独り身なので。食べていく分には」

「姉ちゃん歳なんぼ?」

「28です」

「そりゃー早うええ人見つけなアカンな!」

 わはは! と大声で笑うジジイを、思わず睨みつけそうになる。結婚ね。するつもりでしたよ、ほんの三ヶ月前までは! 地雷踏みやがったな、このジジイ!

「姉ちゃん、こんな辺鄙なところに来たん、もしかして男に振られたんか?」

「……っ!」

 ジジイの質問を見かねたのか、大家さんが「そういうのセクハラっちゅうんやで」と仲介している。そうです! 男に振られました! 思い出させないでほしい、マジで。こんなところに来てまで、あのクソ男の存在を。

「ええ人紹介したるで?」

「せやからそれもセクハラやて」

「姉ちゃん畑もするんやろ? そや、ゆみえちゃん連れて来たる! 畑のことなら詳しいやろ」

 ジジイが何かを閃いたように、そう提案した。ゆみえ、誰それ。自分の分の野菜を育てるつもりで借りた一軒家。小さな畑付きの物件だったのが決め手だった。まあ、猫を飼えることが最優先だったけど。正直畑に関しては初心者なので、詳しい人を紹介してもらえるのはありがたい。どうやら、女の人のようだし。

「ゆみえちゃんの孫、えらいイケメンやで〜?」

「は……」

 ハ!? と口から飛び出るところだったけれど、は……、で抑えられた自分を褒めたい。まーた男の話。都会にいた頃もそうだった。男の子紹介するよ。いい人いるよ。結婚しないの? 彼氏作れば? うざい。いい加減にしろ。私は一生ひとりで生きていくのだから。

「信ちゃんに会うたら、絶対惚れるからな」

 ニヤニヤと笑うジジイに、愛想笑いを返すことすら出来なかった。完全に顔は引きつっていたと思う。信ちゃん。誰だよ、そいつ。

 ぜーったいに惚れるもんか!

 男なんてみんな同じ。ホイホイ寄ってきて抱いてしまえば、他の女の子のところに行っちゃうんだから。その信ちゃんとやらだって、きっとそう。男はそういう生き物なんだから。

「……今日は、来て下さってありがとうございました」

 さっさと帰れよジジイ。そう念を込めて、口角を引き上げて声をワントーン高くする。言葉に込められた真の意味に気づいていないジジイは、「ほな、またな〜!」と大家さんを連れて帰っていった。

お試しの彼氏になった研磨

『いい加減諦めればいいのに』の続き

※次の長編はここからの派生だけど別物。

 なんでこうなったのか分からない。でもたぶん、きっと、いや絶対に自分のせいだとは思っている。
 天気は快晴。夏休み一日目の部活終わり、『お試しの彼氏』になった幼馴染と並んで帰っていただけのはずだった。暑さが苦手な彼に「ちょっと休も」と声をかけられて、日陰にあるベンチに座った。……だけのはずだった。
 17と書かれたアイスクリームの自販機のボタンを、研磨の手がぽちっと押すのを見つめる。鉄朗と比べてばかりいたけれど、私よりもだいぶ大きな手をしているんだな、なんてぼんやりと思った。
 先程『彼女』とふたりで帰っていた、私の初恋のひとのことを想う。まだ好きなのかなんて、分からない。先日『お試しの彼氏』になった、今隣にいるひとのことはもっと分からない。
 自分の気持ちがなんで分からないのかなんて、もっともっと分からない。だって今、私は少なからずドキドキしているからだ。
「ひと口食べる?」
「……なんで真夏にチョコ系? シャーベットがいい」
「じゃー名前が買えばいいでしょ」
「今日お財布持ってきてないもん。研磨が奢ってよ。口の中カラカラ」
 きっと今日は三十五度超えの気温。暑すぎてとろけてしまいそうになる。ぱたぱたと胸元を扇ぎながら、快晴の空を見上げた。
「そーいう無防備なの、本当やめて」
 聞こえてきた声をの方に、少しだけ顔を傾ける。無理、そーいうの。続けてそう聞こえたあとに、ふにっと唇が柔らかいもので覆われた。
「ね、まだクロのこと好き?」
「……分かんない」
 なんでこうなったのか分からない。でもたぶん、きっと、いや絶対に自分のせいだとは思っている。事実はどうであれ、今私は完全に鉄朗のことを忘れていた。速まる鼓動は、何を表しているのだろう。
「じゃ、おれの勝ち」
 なんて言って微笑まれたらもう、ただの幼馴染ではいられない。『お試しの彼氏』を了承したのだって、たぶん私の気まぐれなんかじゃない。少しでも気持ちが傾いてしまったからだと思う。
 たぶん、今、九十度よりもっと傾いたところ。一八〇度までひっくり返してみせてよ。
 夏が終わる頃には、きっときみの完全勝利になる。

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いい加減諦めればいいのに(研磨)

※研磨→夢主→黒尾

※次の長編はここから派生したけど別物です。

 いいかげんに諦めればいいのに。
 自分でもそう思うくらいだから、他の人から見たらこの恋は余計に報われないものに見えているんだろう。六月の空は、グレーに染まっている。今にも泣き出しそうなその空は、叶わないこの初恋と同じだ。
 体育館から続く渡り廊下。その屋根の下でひとり、意味のない時間を過ごす。待っていたって、一緒に帰れるわけでもなんでもないのに。
「帰んないの?」
 聴き慣れた声に、ふと顔を上げる。そこにいたのは待ち人じゃなくて、もうひとりの幼馴染だった。
「研磨。どしたの? 体育館の方に戻ってきて」
「名前が見えたから来た」
「そっか。うーん、まだ帰んない」
「クロのこと、待っててもしょうがないと思うけど?」
 研磨はそう言って、私の目をじっと見た。この瞳に見つめられると、嘘はつけない。まるで猫に睨まれたかのような、ごまかしがきかないような、そんななのだ。
 彼はきっと、私の報われない初恋をしっている。たぶん、ずっと前から。
「あー……、うん、分かってるよ」
「じゃあ帰ればいいのに」
「そうだね」
 渡り廊下のずっと先、部室棟の方に見慣れた黒髪が見える。隣には私と同じ女子の制服。自分よりもずっと華奢で可愛らしいその子が、今は彼の隣を占領している。
 あー、……だよね。そうだよね。一緒に帰るんだよね。
 幼馴染だから特別だと思っていた。待っていたら一緒に帰れるかもしれないなんて、淡い期待は降り出した雨に打たれて消えていく。開かれた黒色の大きな傘の下には、愛しい彼とその恋人が肩を並べていた。
 期待なんかして、本当ばかみたい。いい加減諦めればいいのに。
「いい加減諦めればいいのに」
 隣からそう聞こえて、はっと顔を上げた。口を開けば溢れそうになる涙を、ぐっと飲み込む。その涙が流れないように、顔を上げたまま研磨の顔を見る。ふっと目が合ったその瞬間、彼の唇が緩く弧を描いた。
「そろそろ、おれにしときなよ」
「……は?」
「は? って……、結構傷つくんだけど」
「こんな時に冗談やめて」
「……だいぶ前から、ずっと本気だけど?」
 そんな真剣な顔しないで。そんな真面目な顔しないで。そんな、恋してる男の子みたいな顔しないで。私ばかだから、すぐ傾いちゃいそうになるよ。
「うーん、どうしよっかな」
 そう答えた声は少し震えていた。雨が本降りになる。傘は持っていない。もう少し雨宿りしてあてもいいかもしれないな。そう思ったのはなぜだろう。
 きっと、私の初恋の終わりまであと少し。

ジュンブラありがとうございました

6/25のジュンブラ来て下さった方、ありがとうございます〜!差し入れやお手紙ありがとうございます。

BOOTHにて通販開始しております!

原稿中ずっとサイト更新サボってたので、そろそろ更新したいです。

お次は研磨と黒尾の幼馴染のお話書いてます〜!他の長編も同時進行でやりたいなとか思っています!

その前に戦利品読むぞ〜!

新刊お知らせ

6月25日 JUNE BRIDEFES2023にて、夢本を発行します!

スペース:東4た63b
うめさんと一緒です!

【新刊】
影山夢本『あまくてにがくて青い』(R-18)

【新刊】
研磨夢本『火星の裏側で抱きしめて』
※R-18無配あり

【新刊】
複数キャラ夢短編集『ユメミルココロ2』(R-18)
サイトには未掲載のものです。こちらはただのえろ本です!

既刊も持ち込みます!
研磨くんのSSペーパーもあります。

お気軽に話しかけて下さい!差し入れもお手紙も大歓迎です〜!

よろしくお願いします!

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天然VS天然(影山)

 今日の天気は雨。午後には本降りになるでしょう。天気予報がそう教えてくれたけれど、私は傘を持っていくことをしなかった。そう、傘をわざと忘れた。

 部活が終わる頃にはザーザー降りどころかどしゃ降りで、体育館から続く渡り廊下にまで降り注いでいた。渡り廊下のトタン屋根が、奇妙な音を立てる。予想通りの空模様に安心すると共に、胸の奥がトクン、トクンと高鳴っていく。ほんのちょっとの勇気が、長い『幼馴染』という関係を変えてしまうかもしれない。

 背筋をぴんと伸ばして、部室の方から歩いてくる飛雄に、私から声をかけた。

「傘忘れた」

「?」

「傘忘れた」

「……?」

「入れてって」

 そこまではっきり言ったところで、ようやく飛雄は理解したようだった。大きな青色の傘を、ばさりと広げてくれる。

「入りづれぇ」

「身長差あるからね」

「いつの間にそんな小さくなったんだ?」

「飛雄が伸びたんだよ」

 いつの間にか、見上げるのも大変なほど身長差が開いてしまった。私に合わせて屈んでくれる飛雄の優しさに、きゅんと胸の奥が疼く。校舎が少しずつ遠のいていって、他の生徒の姿も見えなくなった。そろそろ、勇気を出す時間だ。

「雨すげぇな」

「あのね……、傘、忘れたのわざとだよ」

「は」

「だから、わざと忘れたの」

 火照った身体を、雨はほどよく冷ましてくれる。ちらり、と彼の方を見上げたら、眉間に皺を寄せながら叫ばれた。

「なんでわざわざそんなことすんだよ!?」

 少し予想はしていたけれど、まさかここまでだなんて。幼馴染の天然ぶりに溜息をつきながら、「は!? 分かんないの!?」と返す。すると、「分かんねぇ!」とぶっ飛んだ答えが返ってきた。

 この人、私にどこまで勇気を出させるつもりなんだろう。

「……と、と、とびおと相合傘したかったから」

「?」

「ここまで言っても分かんない!?」

「……?」

 きっと真っ赤になっているだろう顔を隠すこともせず、真っ直ぐに飛雄の方を見る。目は逸らさない。もう覚悟は決めた。それなのに彼は不思議そうな表情をして、私の顔をじっと見ている。

「なに!?」

「……いや、なんか分かんねぇけど、名前小さくて可愛いな」

 はぁ!? はぁあああ!?

 この天然おバカ、いきなり何を言い出すのだろう。たぶん、何も考えていない。パッと思い浮かんだことを言っただけなんだ。私には分かる。だって、幼馴染なのだから。

「はぁ!?」

「なんだよ!?」

「もう知らない! この天然おバカ!」

「おい、誰が天然おバカだ?」

「傘わざと忘れたって言ったらそういうことでしょ!」

「可愛いっつったらそういうことだろ!」「え!?」

「あ!?」

 まさかの飛雄からの発言に、身体が一気に熱くなっていく。上昇する温度と湿度が、私の気持ちを加速させていった。これって、自惚れてもいあの?

「……じゃあさ、せーので言おう?」

 私の方からそう提案すると、彼はまた眉間に皺を寄せてイヤそうな顔をした。なんで。なに、その顔。

「イヤだ」

 そう言いながら私の頬を掴む飛雄の唇が、私の唇に触れた。熱い。飛雄の体温が伝わってきて、彼も同じ気持ちなんだと思い知らされる。こんなこと、どこで覚えてきたの。

 傘はパサリと音を立てて、地面に転がっていった。雨に打たれた私たちが同時に熱を出したのは、その翌日のお話。

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指先に触れた熱(山口)

「忠!これ蛍に返してて!」
 ツッキーが貸したであろう教科書を、名前はやさしく俺に手渡した。直接渡せばいいのに、俺を経由する理由は分かっている。去っていく名前の髪と、夏服の裾が揺れた。
 俺とツッキーと、それから名前。小学校の頃からずっと、俺の横には名前が、そしてその隣にはツッキーがいた。

名前は、ツッキーのことが好きだ。本人に聞いたわけじゃないから、これは俺の臆測。けれどもたぶん100パーセント確実なもので、真実だ。

「いいかげん告ればいいのに」
 外は暗くなっているのに、昼間の熱が残っているかのように空気は蒸し暑い。体育館のそばの水道で水を汲んでいる名前に、そう声をかけたのはなぜだろう。草むらで光るホタルを見かけたせいだろうか。
「私が? 誰に?」
「ツッキーに」
「はぁ?」
「教科書とか、テストの答え合わせとかもさ、俺じゃなくて直接言えばいいと思う」
 名前の手が止まって、ボトルからは水が溢れはじめていた。いまにも雨が降り出しそうな曇った夜空と、上がっていく湿度。ゆらゆらと揺れるホタルの光が眩しい。名前の顔を見たら、その瞳が揺れていることに気がついた。
「えっ? なんで泣いてるの?」
「忠がそんなこと言うから」
「……脈あると思うよ?」
「ううん、私の片想い」
「?」
「今、振られたところ」
 名前の右手が、きゅっと蛇口を締めた。半袖から伸びる白い腕で、ぐいっと涙を拭って去っていく。
 ツッキーに振られた? もしかすると、最低すぎるタイミングで声をかけてしまったのかもしれない。気がついたら、後ろを向いている彼女の腕を掴んでいた。きみに触れたいと思った理由はひとつ。ずっと、名前にもツッキーにも言わなかった自分の想い。ゆらりと、ホタルの光が揺れる。
「待って!」
「……!?」
「名前が勇気出したんだから、俺も言うよ。俺は名前のことが好きだよ。ずっと、昔から」
「!?」
 ぽつり、ぽつりと降りはじめた雨。水道の蛇口からは、ひたひたと音がしている。湿気を纏った風はぬるく、溢れ出した俺の想いを絡め取っていく。名前が、驚いた表情をして口を開いた。
「えっと……、もしかして忠、勘違いしてる?」
「え? さっきツッキーに振られたんでしょ?」
「ふふ、ふふふふ」
「えっ!? 何が面白いの!?」
「私が好きなのは忠だよ」
 忠がそんなこと言うから。ううん、私の片想い。今振られたところ。
 名前の口から出た言葉を反芻し、ようやく意味を理解した。身体が燃えるように熱い。握りしめた腕が白くて細いことも、俺の方が背が高くなったことも、全てが必然のことのように思える。
 つまり、俺たちは。
「両想いなんだね、私たち」
 名前の方が一歩上手のようで、掴んだ腕を辿るようにして繋ぎ直された。指と指が絡む。あー、昔は名前の方が手が大きかったのにな。くっそ、可愛い。
『先帰るから』
 ツッキーからのメッセージが届いた頃には、雨は本降りになっていた。だからもう少しだけ、ふたりきりで雨宿りをして帰ろうと思う。指先に触れた熱は、湿度をさらに上げてしまった。

火星の裏側で抱きしめて16【完結】

火星の裏側で抱きしめてⅢ

 あれから。研磨くんは一ヶ月ほどゆっくり過ごして、九月からKODZUKENの活動を再開することになった。

 休んでいる間に後期で履修する予定だった『仏語2』のレポートを提出して、特別に第二外国語の履修を完了させることが出来た。卒業レポートも終わらせたので、春には卒業確定だ。本人は「休みなのに全然休めなかった……」なんて言っていたけれど。

 研磨くんと私が付き合いはじめたことは、私の友達はもちろん、ルナさんにもあかねちゃんにも、それから研磨くんの友達全員にも知られてしまった。研磨くんはだいぶ照れくさかったみたいで、からかうクロさんにいじられていたっけ。

 あかねちゃんとはバレーボールのコラボ試合を見に行った。セッターって凄いんだなぁ、研磨くんのも見てみたいな。そう言ったら、あかねちゃんがバレーボールの試合をしている研磨くんの動画を見せてくれて、お腹を抱えて笑った。だって、あんなに体力ないって言っていたのに、めちゃくちゃうまいんだもの。

 ルナさんはコヅケン以外のユーチューバーともコラボ動画を始めて、どれも人気を博している。ぜんぶ天才的に面白いから、彼女って本当に凄いなぁって思うんだ。

 それから、私たちの考察動画その2。これも評判が凄かったけれど、研磨くんの「恋愛と仕事は分けたいから」のひと言で第三弾の計画はストップ。私の研磨くんのところでのアルバイトも終了したけれど、問題なんてひとつも無い。だって、これからはいつでも会えるのだから。

「ね、また好きって言って?」

「……言わない」

「私は言うよ? 好き! 好き好き好き好き大好き!」

「分かったから!」

「分かったから何!?」

「……好き」

 あれから火星は遠ざかっていって、肉眼では見えなくなってしまった。けれども私たちは隣にいて、いつでも触れ合うことが出来る。

 ねぇ、研磨くん、好きよ。大好き。

 手と手を握る。皮膚と皮膚が触れ合う。それは、たしかな愛の証。

 手を繋いだまま、ふたり今日も星空を見上げる。さぁ、今日は何の星座が見えるかな。

ーーきみの好きな星は何?

 今日も、きみが好き。

火星の裏側で抱きしめて15

火星の裏側で抱きしめてⅡ

 昼間の熱が残ったままのアスファルトを、靴底で思いきり踏みながら走る。山頂へと続く坂道は急すぎて、何度も止まりそうになった。

 重い、降りてと繰り返し言われながら、ふたり乗りした自転車。ペダルの回転する音。あの頃は涼しい風が吹いていたけれど、今夜は熱帯夜だ。

 研磨くんのことが好きだ。好きで好きでどうしようもない。

 ただそれだけを考えて、坂道を駆け上がった。汗だくになってもいい。髪が乱れてもいい。とにかく今すぐ、研磨くんに会いたかった。会って話をしたかった。

 山頂の駐車場にたどり着いて、遊歩道を進む。きっとこの先にあなたがいる。下を向けば夜景が、上を向けば星空が広がる宇宙空間だ。

「……研磨くん!」

 真っ赤な半袖を着た、少し丸まった背中が目に入る。さらさらの髪が、風に吹かれて揺れた。真夏の夜の匂いがした。

「……本当に来た」

 そう言ってゆるやかに笑う彼の顔は、少し寂しそうにみえる。

 ねぇ、研磨くん。私なんかでいいなら話を聞くから、何でも話してほしいな。ぜんぶ聞かなかったことにするからさ。

 空にはまた、真っ赤な星が光っていた。

 上を向けば星、下を向けば星、ここはきっと宇宙空間。大気圏を飛び越えて、私は火星の裏側までたどり着いた。前を見たら、真っ赤な星のように輝くきみがそこにいる。

「どうしてここが分かったの」

 いつもより少し低い声が、鼓膜に届く。どうしてって言われたって、分かったのだから何とも言いようがない。

「ここしか無いじゃん」

 私がそう答えると、研磨くんは少し下を向いて口を開いた。ぽつり、と聞こえるか聞こえないかの声がきこえる。

「……ごめん、迷惑かけた」

「ううん。私は平気。……でも研磨くんはそうじゃないでしょう?」

 私の質問に、彼は答えようとしない。ただ黙ったまま、今度は上を見ている。真っ赤な星は、先ほどより少し位置が高くなった。黙ったままの研磨くんを見つめながら、私は続けた。

「自分が二人いるってどういう感じか分かる? ……って、前に言ってたよね」

「……覚えてない」

「嘘! 悩んでたんでしょう? ……ね、今の私は『青い星』。だから……。頼りにならないかもしれないけど、話してほしい」

 そう、今の私は『青い星』。『青井星羅』として彼に会いにきたけれど、話を聞いている間は『青い星』になろう。そう思った。

 ふっと目と目が合う。研磨くんは参ったな、といった顔をして、ぽつぽつと話しはじめた。夜の色が濃くなっていく。

「……よくある話だと思う。普段の自分と、配信者としての自分の境界線が分からなくなったって、それだけの話」

 そんな何でもないような顔して、淡々と話す研磨くん。きっと、彼はずっと悩んでいた。私には分かるはずもないけれど。寄り添うことは出来る。

 いま、私に出来ること。それは、私の想いを伝えることだとそう思う。

「ねぇ、研磨くん。私にはどんな研磨くんも『孤爪研磨』くんだよ。コヅケンも、火星の裏側さんも、今のきみも」

 研磨くんはまた黙ってしまったけれど、私の声は止まることを知らない。こんなに本音を喋るのは初めてだ。私の気持ちを、全てを、きみに伝えたいから。

「私は研磨くん自身を見てるよ。どんな研磨くんでもいい。全部ひっくるめて『孤爪研磨』くんだから」

「……なんでそんな自信満々なの」

 なんでって、そんなの決まってる。初めて出会った時からずっと、きみのことを見ていた。だって私は……。

「胸を張って言えるよ! だって、どんな研磨くんのことも好きだから!」

 私の叫び声が、宇宙空間に大きく響く。何かに当たって反響して、強く、大きくこだました。研磨くんの目が見開く。

 そこまで叫んだあとに、はっとした。これ、告白してるようなもんじゃん。

「あっ、えっと! 今の聞かなかったことにして!」

「……無理、もう一回言って」

「むりむりむり! ちょ、キャー! 来ないでえぇ!」

 研磨くんの少しごつごつした手が、私の腕を掴む。初めていっしょに夜空を見上げたときに繋いだ、その温もり。あの時は自覚していなかった。けれども好きだと自覚して、それを伝えてしまった今は、逃げ出したくてしょうがない。

「来ないで! 見ないで! 逃げる!」

「……逃げないで」

「無理! 逃げたい!」

 走ろうとするけれど、研磨くんの腕の力が強くて動けない。無理矢理身体に力を入れたら、身体が斜めに傾いた。

 あ。重力に持っていかれる。

 次の瞬間、目に浮かぶのは天の川。夏の大三角形。それから、真っ赤に光る星。それよりも近く大きく、大好きな人の顔がみえる。

 どうやら私は研磨くん共々転んでしまったらしく、地面に寝転がった状態だ。土のにおいがする。夏の夜の風は、熱帯夜のそれだ。

 ……というより、押し倒されている!?

「最初は面白い子だって思ってた。翔陽とか、ゲームとか、ルナの動画とか。面白い人やものと同じだって」

「な、な、何の話????」

「……でも違った。きみはいつも、俺に新しい感情を連れてくる。他のどれとも、違った」

 何の話をしているの? 私の話?

 奇遇だね、私もそうなんだよ。きみもいつも、私に新しい感情をつれてくるんだ。

 そう言おうとしたその瞬間、ふっと身体に重みを感じた。研磨くんにぎゅっと力強く抱きしめられていると理解した時には、心臓がばくばくして、完全に思考回路が崩壊していた。頭の奥が爆発しちゃいそうになる。ひとり分の重力が、直接私に乗っかってくる。

「ね、これじゃ研磨くん星見えないよ……?」

「見えるし」

「……?」

「きみが、みえる」

 互いの呼吸音がきこえる距離で、そんなことを囁かれたらもう自惚れるしかない。きみの後ろには真っ赤に光る火星が見えて、それが今地球に大接近しているというのに。きみはそれを見ようとはしない。私の目を、じっと見つめている。

「照れるから、一度しか言わない」

「……うん」

「クサいセリフは好きじゃない」

「うん」

「聞いたら忘れて」

「じゃ、研磨くんもさっきの忘れて」

 そう返したら、「それは無理」と小さく囁かれた。研磨くんの声が、直接脳に響く。

「……例え俺が隣の星にいても、必ず見つけ出すよ。だって俺たちもう、火星の裏側にだって飛べるから。きみは『俺』を見てくれた。だから俺も、『きみ』を見つけ出せる。俺たちは離れ離れにはならないよ、絶対」

 長いセリフが似合わなさすぎて、つい笑ってしまいそうになる。けれども私はそれをしない。目の前にいる彼が、とても真剣な瞳をしているから。

「だって」

 そう聞こえたあと、研磨くんの瞳にとらえられた。きらきらと光る彼の瞳に映るのは、他の誰でもない私。研磨くんが、続ける。

「きみは宇宙で一番綺麗な星」

 それは紛れもなく、『孤爪研磨』くんの声だった。きみは地球が綺麗だと言った。それを好意だと受けとめていいのか、あの時はまだ分からなかったんだ。でもね、今なら伝わる。きみの想いが、伝わってくるよ。痛いくらいに。

 自然と溢れた涙は瑠璃色? 私には見えない。けれどもきっときみには見えていて、優しくそれを拭ってくれる。

「……きみとなら宇宙にだって飛んで行けそうだし、火星の裏側にだって触れられそう。現実的じゃないかもしれないけど。例えっていうか。つまり、そういうこと。分かる?」

 そんなの。分かっているに決まってる。でもね、確かな言葉がほしいから、私はそれを言うことをしない。

「……ちゃんと言わないと分かんない」

「……星羅のことが好きだよ」

「名前で呼んでくれた……!」

「だって照れるじゃん、名前で呼ぶの」

「そんな理由で? 本当に!?」

「あー……、火星の裏側に隠れたい気分」

 そこまで言うと、研磨くんはどすん、と体重ぜんぶをかけて顔を隠した。ちらりと見える耳が赤い。名前を呼んでくれなかった理由を知って、おかしくて笑ってしまう。うそ。本当にそんな理由だったなんて。

「……ね、私もそこに行くから、火星の裏側で抱きしめてくれる?」

「じゃあ、こうしよう。ここは宇宙。俺たちは今火星の裏側に着地したところ。目の前には青い地球みたいに綺麗なきみがいる。想像してみて」

「……うん、想像出来た。綺麗かどうかは知らないけど」

 研磨くんが顔を上げる。その頬は真っ赤に染まっていて、まるで本物の火星みたいだ。ふたつの星が触れ合うことは無いけれど、私たちはこうしてくっつくことが出来る。

「好きだよ」

 そう聞こえた瞬間、自然と目を瞑っていた。まぶたの奥には無数の星。唇に降ってきた熱に、溺れてしまいそうになる。

 瞳を開けて見つめ合ったら、もう一度キスをされた。研磨くんの背中に手を回して、重力に身を委ねる。何度かキスを繰り返して、私たちは抱きしめ合った。

ーー例え俺が隣の星にいても、必ず見つけ出すよ。だって俺たちもう、火星の裏側にだって飛べるから。きみは『俺』を見てくれた。だから俺も、『きみ』を見つけ出せる。俺たちは離れ離れにはならないよ、絶対。

ーーきみは宇宙で一番綺麗な星。

 ねぇ、研磨くん。好きだよ。大好きだよ。宇宙で一番大好き。

 恋愛に興味もなかった私が、きみに出会って恋をして、きみも私に恋をした。それは、この星が生まれたことと同じくらいの奇跡。

 ねぇ、このまま火星の裏側でふたりで暮らそうか?

 そう聞いたら、研磨くんは「そろそろ地球に戻る」って笑って答えた。きみはもう大丈夫。大丈夫だよ。

 手と手を握る。触れ合う皮膚は熱くて、溶けてしまいそうになる。

 さぁ、一緒に地球に帰ろう。私はいつでもきみをみているからね。

火星の裏側で抱きしめて14

ーー例え俺が隣の星にいても、必ず見つけ出すよ。だって俺たちもう、火星の裏側にだって飛べるから。きみは『俺』を見てくれた。だから俺も、『きみ』を見つけ出せる。俺たちは離れ離れにはならないよ、絶対。

ーーきみは宇宙で一番綺麗な星。

火星の裏側で抱きしめてⅠ

 急いで服を着替えて、スマホの入ったショルダーバッグを肩にかけた。玄関まで走り、スニーカーに足を突っ込む。

 研磨くん、おうちにいるのかな。いきなり行って迷惑じゃないかな。ひとりになりたいんじゃないかな。

 早く行かなきゃと思う自分と、踏みとどまってしまう情けない自分がいる。自分が二人いるってこんな感じ……、では無さそうだよね。

 思いきって玄関のドアノブに手を掛けたところで、スマホの着信音が鳴った。表示された名前はルナさん。「もしもし」と急いで出ると、大きな声で「なーにボサっとしてんの! 来て!」と叫ばれた。

「今から研磨くんのところに行こうと思って……」

「行動が遅い! 私、今コヅケンちの前」

「!? 会えた!?」

「ううん、いない」

「待ってて! 私も行くから一緒に探そう!」

「それ、私も言おうと思ってた」

 ルナさんに背中を押されて、私は玄関を飛び出した。三、二、一、点火。大気圏を抜けたら宇宙空間。猛暑の中を駆け抜けて、電車に飛び乗った。窓の外にみえる景色たちが、私を見送ってくれる。

 研磨くん、研磨くん、……研磨くん!

 あなたに、会いたい。

 織姫と彦星は会えなかったけどさ、今日は地球から火星が見えるよ。今の私がいちばん好きな星。

 電車を乗り継いで、到着駅からまた走る、走る。照りつける太陽が眩しい。汗だくだし、走ったせいで髪はボサボサだけれど。それでも今、会いたいんだ。

 研磨くんの家に着くと、ルナさんが大きく手を振っているのが見えた。今日は私からルナさんに抱きついて、声をあげて泣いた。ルナさんも泣いていた。

 私たち、良い友達になれるかな。

 ふたりで声をあげて泣いて、落ち着いた頃には日が暮れかけていた。きっと今頃、火星が地球に最接近しているのだろう。

 ルナさんは服の裾で目元を拭うと、ズズっと鼻をすすって、それから口を開いた。

「……星羅は知ってたんだ?」

 その問いに、「……うん」と頷く。ルナさんははー、っと大きく溜息をついて、それから少しだけ黙った。私の指先の赤いネイルが、夕日を浴びてきらきらと光る。

「はー、そっか。負けた気分。……星羅ってさ、コヅケンのこと好きでしょ? ……知ってると思うけどさ、 私も好きだよ、コヅケンのこと」

 ルナさんがそう言う。背筋はぴんと伸びていて、その告白は堂々としていた。研磨くん本人がここにいたら、ルナさんのことを好きになってしまうんじゃないかな。そう思えてしまうくらいに、彼女は素敵なひとだ。

 ルナさんの問いかけに、小さく答える。

「……うん、大好き」

「でもさー、コヅケンが見てるのは私じゃないんだよね」

 ルナさんはまた大きな溜息をついて、それから私の顔を見た。綺麗な顔をしているな、本当に。こんなに素敵な人が私のライバルだなんて、隣に立つ資格もないんじゃないかと思ってしまう。私の声は、ますます小さくなった。

「……でも、ルナさんが一番研磨くんのこと分かってあげられると思う……」

「はぁ!? 本気で言ってんの!?」

 反して、ルナさんの声は大きく、強くなる。堂々としていて立派で、彼女の人格を表しているかのようだ。

「いい!? コヅケンの他の顔を知ってたのは星羅だけなの! 人に弱みを見せないコヅケンがさ、アンタには弱みを見せてたってこと!」

「弱み……、なのかな」

「隠して別名義使うって、そういうことでしょ。私もSNSの鍵アカとか持ってるけどさー。あ、それはリア友としか繋がってないよ? まぁ、今回のはチャンネルとして動かしてたってのが問題なわけなんだけど」

「研磨くん、自分が二人いるってどういう感じか分かる? って言ってた……」

 彼が言っていたことを、なぞるように言葉にする。するとルナさんは少し驚いたような顔をして、こくりと頷いた。

「あー、私には分かるよ。どっちが本物の自分なのか、分からなくなるの」

「私には分からない……」

「だから星羅には別の顔を見せられたのかもね。でもそれだけじゃないと思う」

「それだけじゃないって?」

「……ニブい。自分で考えて」

 頬を膨らませながらそう言うルナさんは、本当に可愛らしい人だ。そんなルナさんにも見せなかった研磨くんの他の顔。それを私だけが知っていた。私だけには見せてくれていた。それって、どういう意味なの? あれは、思わせぶりな態度じゃなかったの?

「配信貼られてたけどさ、『青い星』さんって星羅?」

「……うん」

「はー、完敗だぁ」

「何が?」

「だから自分で考えて」

 ルナさんは呆れ顔でそう言うと、うーん、とひとつ伸びをして立ち上がった。空は藍に染まり、一番星が光っている。一際強く輝いているあれは金星だろうか。

「いま見えてる一番星は金星。宵の明星。いちばん明るい女神星」

「!? 何事!?」

「研磨くんが教えてくれた」

 ふたりで過ごした時間を思い出しながらそう言うと、ルナさんは「は〜、もう! 好きって言って来なよ!」と私の背中を叩いた。痛い。わりとガチで痛い。でもこれは、彼女からのエールなのだろう。

「……うん! 私、研磨くんのことが好き!」

「ちゃんと告るんだよ? ま、そろそろ帰ってくるんじゃない? じゃ、私は帰るから」

「研磨くんに会いに来たんじゃないの!?」

「星羅と話をしに来たんだよ。じゃね。応援してる!」

 ルナさんはそれだけ言うと、手を大きく振って立ち去っていった。研磨くんのおうちの前に、私だけがぽつりと立ちつくす。

 ねぇ、ルナさん。私たちもう良い友達だよね。

『研磨くん、会いたいです。どこにいますか?』

 陽は沈み、夜のブルーが空を包む。低い位置に赤く光る、ひときわ輝いている星。あれが火星だろうか。

 ピロン、とスマホの通知音が鳴って、画面をタップした。ドキドキする胸をおさえ、深呼吸をしてその画面を見つめる。研磨くんからの返信だ。

『うーん、火星の裏側かな』

 それは、何かの暗号だろうか。『火星の裏側』は私たちだけの秘密。ふたりしか知らない場所に、きみは今隠れているの?

『今すぐ飛んでいく』

 それだけを送信して、私は走った。不安しかないのに、どうしてだか気分は高揚している。三、二、一、点火。いま、会いに行くよ。すぐに飛んで行くよ。だから、そこで待っていて。私たちは織姫と彦星じゃない。離ればなれにはならないよ。

 空に見える火星を目指して、ただひたすらに走った。