「忠!これ蛍に返してて!」
ツッキーが貸したであろう教科書を、名前はやさしく俺に手渡した。直接渡せばいいのに、俺を経由する理由は分かっている。去っていく名前の髪と、夏服の裾が揺れた。
俺とツッキーと、それから名前。小学校の頃からずっと、俺の横には名前が、そしてその隣にはツッキーがいた。
名前は、ツッキーのことが好きだ。本人に聞いたわけじゃないから、これは俺の臆測。けれどもたぶん100パーセント確実なもので、真実だ。
「いいかげん告ればいいのに」
外は暗くなっているのに、昼間の熱が残っているかのように空気は蒸し暑い。体育館のそばの水道で水を汲んでいる名前に、そう声をかけたのはなぜだろう。草むらで光るホタルを見かけたせいだろうか。
「私が? 誰に?」
「ツッキーに」
「はぁ?」
「教科書とか、テストの答え合わせとかもさ、俺じゃなくて直接言えばいいと思う」
名前の手が止まって、ボトルからは水が溢れはじめていた。いまにも雨が降り出しそうな曇った夜空と、上がっていく湿度。ゆらゆらと揺れるホタルの光が眩しい。名前の顔を見たら、その瞳が揺れていることに気がついた。
「えっ? なんで泣いてるの?」
「忠がそんなこと言うから」
「……脈あると思うよ?」
「ううん、私の片想い」
「?」
「今、振られたところ」
名前の右手が、きゅっと蛇口を締めた。半袖から伸びる白い腕で、ぐいっと涙を拭って去っていく。
ツッキーに振られた? もしかすると、最低すぎるタイミングで声をかけてしまったのかもしれない。気がついたら、後ろを向いている彼女の腕を掴んでいた。きみに触れたいと思った理由はひとつ。ずっと、名前にもツッキーにも言わなかった自分の想い。ゆらりと、ホタルの光が揺れる。
「待って!」
「……!?」
「名前が勇気出したんだから、俺も言うよ。俺は名前のことが好きだよ。ずっと、昔から」
「!?」
ぽつり、ぽつりと降りはじめた雨。水道の蛇口からは、ひたひたと音がしている。湿気を纏った風はぬるく、溢れ出した俺の想いを絡め取っていく。名前が、驚いた表情をして口を開いた。
「えっと……、もしかして忠、勘違いしてる?」
「え? さっきツッキーに振られたんでしょ?」
「ふふ、ふふふふ」
「えっ!? 何が面白いの!?」
「私が好きなのは忠だよ」
忠がそんなこと言うから。ううん、私の片想い。今振られたところ。
名前の口から出た言葉を反芻し、ようやく意味を理解した。身体が燃えるように熱い。握りしめた腕が白くて細いことも、俺の方が背が高くなったことも、全てが必然のことのように思える。
つまり、俺たちは。
「両想いなんだね、私たち」
名前の方が一歩上手のようで、掴んだ腕を辿るようにして繋ぎ直された。指と指が絡む。あー、昔は名前の方が手が大きかったのにな。くっそ、可愛い。
『先帰るから』
ツッキーからのメッセージが届いた頃には、雨は本降りになっていた。だからもう少しだけ、ふたりきりで雨宿りをして帰ろうと思う。指先に触れた熱は、湿度をさらに上げてしまった。