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初恋の研磨に彼女が出来たらしいので私はこの恋を諦める

 カラン、と鳴ったのは脳の奥か、胸の底か。

 たしかにその瞬間、私の初恋が終わった音がした。

「クラスの子が、研磨のこと気になるから連絡取りたいんだって」

 きっと彼は断る。その自信はどこから来たものだったのだろうか。それはたぶん私が、昔から彼のことをよく知っているからだ。

 めんどくさいとか、そういうのいいとか、または無視を決めるとか。思考の中で完成していた流れが、こうもあっさりと違う方向に行ってしまうものなのかと、自分の浅はかさにうんざりする。

「いいけど」

 届いた言葉を理解するまでに、時間はかからなかった。それなのに次の言葉がなかなか出てこなくて、彼をいらつかせてしまったんじゃないかと思う。「それで? どうすればいいの?」と催促されるくらいには。

 携帯電話を触る手が震えたのは、寒さのせいだろうか。曇天の下、かじかむ指を動かす。冬は苦手だ。

「研磨も彼女出来ちゃうかもね」

 そう言ったら、「そうかもね」なんて返ってきて、最初の言葉を伝えたことを後悔した。どうせ私はただの幼馴染。ずっと研磨のことが好きだった。けれども、彼が私に好意を見せることなんて一度もなかった。諦め時なのかもしれない。

「アドレス送ったから、研磨から連絡とってあげてよ」

「わかった」

 彼が面倒くさがりそうな言い方をあえてする辺り、性格がねじ曲がっていると自分で思う。せめてもの抵抗。それなのに研磨は、私の意思に反した態度をみせる。そういえば、鉄朗が『研磨もわりと普通の男』って言っていたっけ。鉄朗の方が、彼のことをよく分かっているらしい。

 私の十七年間、何だったんだろう。

 カラン。

 あー、そっか。

 私の初恋は、終わったんだ。

「△△くんが名前と連絡取りたいんだって」

「は」

 研磨とあの子が連絡をとり始めて間もなく、私にも浮かれ話が舞い込んだ。諦め時かな、って感じていたところにそういう話が来たものだから、迷わずイエスと答えておいた。

 私も、彼氏出来るのかもな。そういうのもいいのかもしれない。

 デートをしたり、記念品を祝ったり、プレゼントを交換したり。普通の女子高生が、当たり前のようにしていることだもの。憧れはある。いいな。彼氏。

 それからふた月。

 そうしてその憧れは、形となった。

「ちょちょちょ、何してくれてんの」

 物凄い形相の鉄朗がうちに駆け込んできたのは、三年生が卒業したばかりの暖かい日のことだった。おいおい。思春期女子の部屋に勝手に上がり込むんじゃないよ。

「何のこと」

「名前彼氏出来たって!?」

「うん」

「えっと、それで、研磨にも彼女出来たって!?」

「みたいだね」

「てっきり俺はお前らがくっつくとばかり」

 黒尾先輩って、落ち着いてて大人の男って感じだよね。そう言っていた友人に、今の彼の姿を見せてみたい。慌てふためいている鉄朗は、なんだか滑稽だ。

「私だって人並みに恋愛してみたいし。ちゅーとかしてみたいし。早く処女捨てたいし」

「処!? ちょちょちょ、それはいけません」

「いーじゃんそれくらい」

「こらこら、それくらいとか言わない!」

 はー、そうか、とため息をつく鉄朗を横目に、彼氏から届いたメールの返信を打ち込む。好きだよ、なんて送られてきたら、私もって送るしかないよね。恋人同士なんだし。

 まだ自分の気持ちはよく分からないけれど、いやじゃないし楽しいから、好きと言ってもいいのかもしれない。研磨を想っていた頃とは違う感情だけど、恋愛の形はひとつじゃない。これもひとつの恋の形なんだろう。

「用事それだけ?」

 ちょっと冷たかったかなと思うけど、鉄朗の言動はおせっかいでしかない。睨みながらそう言ったら、鉄朗はのそのそと帰って行った。

 私たちがくっつくとばかり思ってたって、何それ。そんなはずないのに。だって研磨は、私のことなんてどうとも思っていないでしょう? そんなの、自分が一番よく分かっている。

 それから、鉄朗が卒業したこともあって、私と研磨が会話する機会はゼロに等しくなっていった。私は彼氏といっしょに過ごすことが多くなったし、研磨が彼女ちゃんと一緒にいる姿も見かけるようになった。

 時々ちくりと胸が痛むけど、知らないふりをした。諦めたんだし、気にしないようにしないと。私にも彼氏がいるんだから。

 春の暖かさは、胸の痛みを和らげてくれるような気がした。初恋が終わったあの日、あの感情は寒さがそうさせたもの。きっとそんなものなんだろう。

「今日俺んち来れる? 誰もいないんだけど」

 そういうことが頭になかったのならば、どれだけ純粋なのだろう。付き合うイコールいずれはそうなるってことが、分からないほど子どもじゃない。その誘いに乗ってついて行ったのは、私にもその気があったから。

 これで完全に、私は彼の女になる。研磨のことが一瞬頭をよぎったけれど、これで忘れられると思った。完全に初恋にさよならできると思った。

 なのに、なんでかなぁ。

 キスまでして、あとちょっと、体に触れられる寸前のところで「ごめん」と拒んでしまったのは。

「なんで」

「別れよう」

「じゃあなんでついて来たの?」

「ごめん……」

 最低だ。

 私は研磨を忘れるために、彼を利用したんだ。こんな女、誰にも愛される資格なんてない。

 春の雨は、やさしくて少しだけ冷たい。研磨みたいだな。こんな時にも初恋の人を思い出して、自分の単純さに呆れてしまう。

 これは、呪いだ。

 初恋という名の、呪い。

 研磨が私に振り向くことなんてないのに、いつまでも執着してしまう、そんな呪いなんだろう。きっと解き放たれる日は訪れない。

 現実はいつも冷たくて、残酷だ。

 傘もささずにたどり着いた自宅の横、研磨の部屋の窓をぼんやりと見つめる。生まれた時からずっと一緒だった。鉄朗が来た日も、ふたりがバレーボールを始めた日も、研磨が私の身長を追い抜いた日も、ぜんぶ覚えている。

 好きなのに、こんなに好きなのに。叶うことのない初恋。

 笑ってしまう。

 なんで好きになったのかなぁ。

「体は大丈夫?」

「うん。今日は嬉しかった。ありがとう」

 低気圧と歪んだ思考回路は、人の気配を察する能力をも奪う。研磨の家の玄関先に現れたのは、ふたつの影だった。見たくないのに、体が動かない。

 それは一番見たくないシーンだった。研磨とあの子が、ふたりきりでいるところなんて、今の私には残酷すぎる。

 嬉しかったって、なにが?

 ふたりきりで何をしていたの?

 こんなところを見てしまったら、もう幼馴染でもいられない。

「またね」

 私がいることに気がついたのか、あの子がそそくさと帰っていく。すれ違った瞬間、研磨の家の香りが漂った気がした。

 私、今どんな表情をしている? 分からない。分からないけれど、研磨の姿を見ていたかった。

 この醜い感情を、どうにかしてよ。

 これ以上、いやな女になんてなりたくないよ。

 真っ白な初恋が、真っ黒に染まっていく気がした。

「なんで泣いてんの?」

 彼に話しかけられているのだと気がつくまでに、数秒。春の雨は音も立てずに、ゆるやかに降り注ぐ。やさしくて少しつめたい、あなたみたいな雨だ。

「え……?」

「名前、泣いてるけど」

「あ……、え、嘘……」

 泣くつもりなんてなかったのに、どうして泣いているんだろう。泣いてることを自覚したら、ぼろぼろと溢れてとまらなかった。

「か、か、彼氏と別れた……」

「!? なんで!?」

「……忘れられない初恋が、……あるから」

「ちょ、名前、濡れるしとりあえず中入ろう」

「やだよ」

「入りなよ」

 研磨の手が、私の腕をぐぐっと掴む。いつの間に、こんなに力が強くなったんだろう。昔は私の方が強かったのにさ。呆れるほどに、彼のことを男の子として意識してしまう。

 でもきみは、あの子なんでしょう?

 嫉妬してしまう自分がいやになる。それでもまだ、狂おしいほどにきみのことが好きだ。

「う〜、だってさっきまで研磨あの子と部屋でえっちなことしてたんでしょ? そんな空間入りたくない!」

「は!?」

「研磨のことが好きで好きでしょうがないよ〜! もうやだ! これ以上嫉妬させないで!」

 流れを堰きとめていた川のように、溢れた想いはとまらなかった。この気持ちを伝えてしまったら、元には戻れない。ただの幼馴染ではいられない。分かっているはずなのに、自然と想いは言葉に変わる。

 こんなふうに、子どものように泣きじゃくったのはいつぶりだろうか。ばかだなぁ、本当に。

「してない!」

「……え?」

 私の腕を掴んでいた研磨の力が、もっと強くなる。彼は視線をすこしそらして、けれども時折私の顔を見ながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

「え、えっちなこととか、してないし……。ていうか、今別れたところ。別れ話しに来て、向こうが体調崩して、ちょっと休んでもらっただけ」「だって……、ありがとうって……」

「話聞いてくれてありがとうってことでしょ」

「は……? でも、なんで別れ……」

 そこまで聞いたところで、研磨はにっと笑って、「忘れられない初恋があるから」とつぶやいた。あー、私の好きな、大好きな研磨の笑顔だ。

「中で話そう」

「待って、待って待って!」

「待たない」

 手をぎゅっと握られて、研磨の部屋に連行される。久々に入った部屋は懐かしい匂いがして、ここにあの子を入れたんだと思うとまた胸の奥がきゅっと締めつけられた。まだ嫉妬しているなんて、本当にどうにかしてる。

「部屋には入れてないから」

「そう……なの?」

「名前は?」

「え?」

「名前は、あいつとどこまでしたの?」

 あいつ、と言われて一瞬誰のことだか分からなかった自分が、本当にばかで単純で相手に申し訳なくなる。私なんかと別れて正解だよ。自分勝手すぎるけど、さっさといい子を見つけて幸せになってほしい。

「な、なにもしてないよ……」

「キスは?」

「……ごめん、それはした」

「じゃ、消毒ね」

 研磨の声と同時に唇を塞がれて、何が起こっているのか分からなくなる。胸の奥が不規則な音を立ててうるさい。身体が心臓になってしまったみたいだ。

 なんで。

 なんで今、研磨が私にキスしてるの?

「なんで私たちキスしてるの?」

「分かんないの?」

「わ、分かんない」

「じゃ、分かるまでする」

 ちゅ、ちゅ、っと何度もキスを繰り返されて、頭が真っ白になる。わけが分からない。こんな甘いキスしらない。爆発しちゃいそう。

 ぷはっと息継ぎした瞬間に、「おれの初恋はナマエだよ」なんて聞こえてきて、そこで初めて今置かれている状況を理解した。思考が追いつかない。私には、ただの一度もそんな感情抱いていないと思っていたのに。

「もっとちゃんと言わないと分かんない……」

「好きだよ、ずっと」

「じゃあなんで彼女作ったの」

「ばかだから。でも名前もばかだから、ホイホイ他の男の部屋についてかないで。焦った」

「知ってたの?」

「おれ、だいぶ嫉妬深いよ?」

 研磨もわりと普通の男。鉄朗がそう言っていたことを思い出す。

 それって、私に対してってことなの? 自惚れていいの?

 こんなの、現実だと思えるわけがない。

「……私ね、処女捨てたいって思ってたんだ」 「!?」

「でも無理だった」

「そんな簡単に捨てちゃだめだよ」

「よかった、研磨のためにとっておいて」

「……やめて、そんなこと言われたら襲いたくなるから」

「いいよ?」

「は!?」

「研磨ならいいよ」

 キスのせいで密着したままの身体があつい。沸騰してしまいそうだ。雨に濡れたせいで服と服がひっついて、でもそれすらもすぐかわいちゃいそうなくらい熱くって。部屋の中は湿気で溢れていて。私たちの視線は、自然と重なった。唇と唇が近づく。あ、もう一回キスをするのかな。

 階段を猛ダッシュで駆け上がる音が聞こえてきたのは、その時だった。この足音は、……あいつだ。私たちを見守ってくれていた、もうひとりの幼馴染の存在を思い出す。

「研磨! 名前! どうなった!?」

 パン! と扉が開いて、思わずひっついていた身体が飛び跳ねてしまう。

「鉄朗……、いま、めっちゃいいとこ」

「なんでクロが出てくるの……」

 どうやら鉄朗は、玄関前でもだもだしていた私たちを見かけて、どうなったのか気になってしょうがなかったらしい。私がなかなか出てこないので痺れを切らして突撃した、というところだ。なんてタイミング。タイミングはアレだけど、泣いて喜んでくれたから良しとしよう。

「研磨が私のことめちゃくちゃ好き愛してる抱きつぶしたいって!」

「そんなこと言ってない……」

「へー、あの研磨くんがねぇ」

 初恋は実らない。

 こんな言葉を口にしたのは誰だったっけ。そんなのは信じない。これからはもう、素直に気持ちを伝えることが出来るから。

 あの日音を立てたのは、脳の奥か、胸の底か。分からないけれど、初恋が終わったというのは大きな勘違い。この初恋はきっと終わることを知らない。だいじな、私の初恋。いや、私たちの初恋だ。

 カラン。

 今日も私の身体は、彼に焦がれて不思議な音を立てる。

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更新再開しました

お久しぶりです!ずっと更新出来ておらずごめんなさい〜!

まだ体調優れないですが、少しずつ更新していけたらなと思います!

折角サイトがあるので、サイトのみ公開のお話とかも増やしたいのですが……!

それよりも皆様映画は観ましたか!? 私は初日におかわりしました〜!

私は研磨くん推しなのでもうしばらく彼のことしか考えられません……。すみません、しばらく新作も研磨くんだらけになると思います!

そして私事ですが、実は6月に出産を控えておりまして!

生まれたらまたサイト放置になりそうなので、今のうちに書き溜めておきたいところです!

そんなこんなでスローペースですが、今後もよろしくお願いします!

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わたしは彼のとくべつ【研磨】

「お、お、お疲れ様!」

 冷めることのない体育館の熱気に、今が冬だということを忘れてしまいそうになる。このあと外に出たら、ぼんやりとした頭がすっきりしてちょうどいいのかもしれない。その中でも確かに高揚感はあって、胸の高鳴りをひとことでは言い表せない苛立ちに包まれていた。

「来てくれたんだ」

「うん」

 きっと研磨くんにとって、彼女である私が応援席にいるかいないかなんて関係なくて、来ているのかすら把握されてなくて、そんなことは承知でこの場に来た。不思議と寂しい気持ちはない。あんな研磨くんを見るのは初めてだった。そうさせる相手が私じゃないことも、悔しくないし嫉妬もしない。

 けれども、試合のあとはなぜだか涙がとまらなかった。

「泣いたの?」

「ん、感動した」

 研磨くんが一歩近づいて、私の頬に触れる。少しひりひりする目尻をなぞられたものだから、「ひゃ」と変な声が出た。

 だって、チームメイトの皆さんがそこにいるし、知らない生徒たちもうろうろしているというのに。こんなところで。やさしく触れてくれるなんて。

「研磨さん彼女さんっすか?」

 後輩くんの言葉に、一瞬にして周りがざわついたのが分かった。研磨くんははいともいいえとも言わずに、数回まばたきをして、それからふっと笑った。

 キャー! と聞こえる女の子たちの悲鳴と、ひょうひょうとしている研磨くんの温度差が本当にずるい。彼のぬくもりを独占しているのが自分だけだという事実に、気絶してしまいそうになる。

「えっ、彼女!? いたの!?」

「可愛いじゃん」

「普通じゃね?」

「普通すぎてびっくり」

 応援に来ていた他の生徒たちの視線が、一気に私の方へと集まる。そんなにジロジロと見ないでほしい。だってさっきまで私たち、付き合っていることすら誰にも言っていなかったのに。けれども研磨くんはそんなことは気にもせずに、「目、赤い」と言って私の頭をぽんぽんと撫でた。

「見られてるよ」

「いいよ、そんなの」

「観に来てよかったの?」

「うん」

「……わたし、面白い女じゃないけどいいの?」

「そんなこと気にしてたの?」

 研磨くんをあんなふうにさせられるのが、私じゃないってこと、気にしていないつもりだった。嘘、たぶん本当は気にしていたし、バレーボールにすら嫉妬していた。でも今、もしかしたら彼をこんなふうに甘くさせられるのは私だけなんじゃないのかって、その可能性に気づいてのぼせてしまいそうになる。

「先帰るでしょ? じゃ、また明日」

「明日?」

「明日はオフだし」

 こちらの都合も聞かずに、デートの約束を取りつけてくる研磨くんが愛おしくてしょうがない。ぽかんとしているチームメイトたちと、騒いでいる生徒たちと、何やら叫んでいる山本くんの声と。そのざわめきの中で、研磨くんはふっと笑って私に背を向けた。……その顔ずるすぎる。

「研磨の彼女ちゃん? へー」

「ひゃ」

 先程まで嫉妬対象のひとりだった黒尾先輩の声が届いて、緊張のあまり体がよろめいてしまう。たぶん私より彼のことを知っている先輩が、「研磨のことよろしくね」とやさしく笑って、その場はまたざわめきに包まれた。

 明日はデートだ。何の話をしよう。きっと今日の話じゃなくって、なんでもない普通の話をするんだろうな。そして私にだけ見せる顔を眺めて、優越感に浸るんだろう。贅沢な権利を噛み締めながら、お辞儀をして帰路についた。

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よるのまんなか【宮侑】

 午後五時、窓の向こうのオレンジが、夜に混ざって溶けていくみたいだ。それをぼんやりと見つめながら、今訪れた状況にとてもぼんやりとはしていられないと気がついてしまう。頭の中を整理したい。

 どうしよう。侑の家で宅飲みをすることになった。ふたりきりで。

『ごめん! バイト入ってもうた!』

『ごめん! 残業になってもうた!』

 スマートフォンに表示された友人二人からのメッセージ。それを見た時は、今日の飲みは無しかぁ、と落胆したものだった。侑……、片想いをしている彼も来るはずだったからだ。しかしその数分後、侑から届いた個人メッセージにより、私の気持ちは大きく揺さぶられることとなる。

『ふたりで飲もか?』

 それが届いた時の私の動揺っぷりは、側から人が見ていたならば指を指して笑われていただろう。一周回ってぼんやりと空を眺めてしまうくらいに、私の感情はかき乱された。本当、どうすればいいの。

 まあ、私と侑の仲だし? 高校からの腐れ縁みたいなもんだし? ふたりきりでも間違いは起こらない。それでも万が一に備えてお気に入りの下着を身につけてしまう辺り、大変ばかばかしいと思う。さらに買ったばかりのワンピースに袖を通した辺りにはもう、その滑稽さに自分で笑ってしまったほどだ。……何もないだろうけど。

『これから行きます』

 やたらとよそよそしい文章を送りつけて、玄関に鍵をかける。ガチャリと回ったキーの音は、私の恋心を解放させていくようだった。

 午後五時。窓の向こう、弧を描いた飛行機雲がオレンジと青の境界線をぼやけさせる。柄にもなく空を見つめてしまう辺り、自分は大変動揺しているようだ。頭の中を整理したい。

 どないしよ。俺の家に名前が来る。

『ごめん! バイト入ってもうた!』

『ごめん! 残業になってもうた!』

 スマートフォンに連続して届いた友人二人からのメッセージ。それを見た時は、名前との飲みが無しになったのかと落胆した。自分が名前にずっと片想いをしているからだ。けれどもここで諦めたら男は廃る。なんや、ふたりきりで飲めばええやん。そう思いついた時は天才かと思った。誘うのは緊張したけれど、後悔無し。だってこれは、チャンスなのかもしれないのだから。

『ふたりで飲もか』のメッセージに『OK』と返事が来た時の動揺っぷりは、なかなか酷かったと思う。兄弟が見ていたならば、指を指して笑われていたに違いない。一周回って空を見つめてしまうくらい、情緒がかき乱されていた。ほんま、どないしよ。

 まあ、俺と名前の仲やし? 高校からの腐れ縁みたいなもんやし? ふたりきりでも間違いは起こらない。それでも万が一に備えて男のエチケットを買ってきたり、変な毛が床に落ちていないか念入りにチェックした。さらに風呂掃除まで始めた辺りには、あまりの滑稽さに自分で笑ってしまったほどだ。……何もあらへんやろ。

『これから行きます』

 どこかぎこちないメッセージが届いた頃には、心ここにあらず状態。何もあらへん! そう思った自分だったけれど、何もない状態を保つことはかなりの苦行であることを、この後知ることとなる。

 乾杯、の声が重なる。グラスの向こうに見えるアルコール9%のロング缶を見つめながら、最初のひと口を豪快に飲み込んだ。度数の高いお酒を選んだのは、緊張を紛らわせるためだ。

 ……どうしよう、侑の部屋にふたりきりだ。想像以上に小綺麗でシンプルな、侑らしくないワンルーム。その隅に置かれたベッドの存在が気になってしょうがない。いや、何もない! 何もないから!

「名前って酒強いんやな」

「えっ!? そうかな!?」

「それ度数高いやん」

「あはは! これ、飲みやすくて軽く酔えちゃうから好きなんだよね」

 もっと可愛らしいお酒を選ぶべきだったのだろうか。度数の高いそれをぐびぐびと飲みながら、いや、今さら女の子らしくしたって、と開き直っている自分がいた。彼にとって私が恋愛対象じゃないなんてことは、とうに分かっている。ただの友達だからこそ、こんなふうに二人きりで宅飲み出来るんだろうし。

「侑は彼女とかいないの?」

 9%のアルコールは、気分をほどよく上昇させる。変な質問をした、と気づいた時には、しかめ面をした侑がこちらを見ていた。

「俺に彼女おらへんの知って聞いたな?」

「いやいや、あの宮侑選手だからいい子のひとりやふたりいるでしょ?」

「ええ子……、か」

「いるの!?」

「まぁ、おるっちゃおるな」

「そうなんだ……」

 彼女はいないけれどいい子はいるって、交際寸前とかそういう感じなのだろうか。そっか。そうなんだ。

 分かっちゃいたけれど、直接本人の口から聞くとこうもキツいものだとは思っていなかった。ロング缶をぐびぐびと飲み干し、次の缶をプシュっと開ける。次第に歪みはじめる視界と、連勤明けの体にしみるアルコール成分。眠気を口実に、隣に座る侑の肩に体重を預けた。

 このまま、襲われてもいいのに。そんなことを思いながら。

 ど、ど、どないしよ! ほんまどないしよ!

 えっと、今置かれている状況を理解したい。……名前が俺の肩にもたれかかって寝とる!

 乾杯をした直後は普通だった。けれども俺が『ええ子がおる』と伝えた頃から名前のピッチが速まりはじめ、いきなり体重をかけられたと思ったらすやすやと寝息を立てて眠っていたのだ。

 アカン、こんなの興奮せん男おらへんやろ。好きな子に肩もたれかかられて、可愛い顔して無防備に寝顔を見せられて。正直今すぐ襲いたくてしょうがない。

「名前」

 小声でそっとその名を呼んでみる。すると名前は「う〜ん……」と可愛い声をこぼして、もっと俺の方に体重をかけた。やばい、ほんま今すぐに襲いそうや。

 そもそも、名前は俺に気がないと思う。ここで襲ってしまえば、友人の宮選手に襲われましたとか言って週刊誌のネタにされかねない。まぁ、名前はマスコミにネタ売ったりはしないだろうけど。

「……好きやで」

 聞こえていないのをいいことに、そんなことをつい呟いてしまう。あー、俺ほんまチキンすぎやろ。アカンわ。ダサすぎやで。シラフの時に言えや。

 手、握ってもええやろか。

 俺の膝に置かれた小さな手を握る勇気すらなく、ただこの状況に悶えるのだった。

「……好きやで」

 ぼんやりと濁った意識の中で、愛しい声が低く響く。あれ、今何してるんだっけ。眠ってた? 今聞こえたの侑の声……? そっか、侑のおうちで二人で宅飲みしてたんだ。

 ん……?

 好きやで……!?

 え、ちょっと待って! 待って待って!

 侑にはいい子がいて、私なんか眼中にない。完全に私の片想い。フラれる目前。そんな状況だったはずだ。けれども今、その彼から『好きやで』とこぼされた気がする。はて、酔って耳までおかしくなってしまったのだろうか。

「……好きや」

 もう一度小さく聞こえて、完全に酔いがどこかに飛んでいってしまう。え!? 何これ!? 今の私に言ったよね!?

 これは、チャンスなのかもしれない。侑の服の裾を、震えた手でそっと握った。

 どうか、このまま襲ってくれ。

「……好きや」

 一度溢れた想いは、二度目の言葉となって宙を泳いだ。アホやろ俺。酔って相手が寝ているタイミングでしか言えないなんて、情けないにも程がある。けれども一度言葉にしてしまえば、アホみたいに何度でも伝えたくなってしまう自分がここにいた。言葉にしなければ、このまま襲ってしまいそうで怖かった。あー、アカン。ほんま襲いそうや。

 このまま名前をベッドに寝かせて、俺は違う場所にいた方がいいんじゃないか。そんなことをぐるぐると考える。しかし次の瞬間、服を掴まれた感触に理性というものはどこかに消えてしまった。と、思う。ぎゅ。寝ているはずの名前の手に、力が込められている。

 お、起きてへんよな? ベッドに移そかな?

 そう思って少し体をよじったら、もう一度ぎゅっと服を握られる感触と、伝わる体温。もう、どうにかなってしまいそうだ。

「名前、だいぶ酔ったやろ? 寝よか?」

 絞り出した声は震えていたかもしれない。糸一本で繋がれているかいないかの理性は、完全に消えてしまいそうだ。

「酔って、ない、よ?」

 ぱちりと開いた目に、視線を絡めとられる。酔ってへん。……酔ってへん。つまり、さっきの告白、聞いとった?

「襲ってもいいよ」

 なんてぎゅっと抱きしめられたらもう、選択肢はひとつしか存在しない。彼女の体を抱き寄せて、両腕にぎゅっと力を込める。

 あーもう、こんなん襲うしかないやろ。

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体育祭の救護テントで救護してきた国見英にまんまと惚れる

 応援歌とともに、生徒たちの叫び声が聞こえてくる。この暑い中、よくもここまで熱くなれるものだ。こんな時は涼しい場所で休むのが正解。言い直そう。救護テントの簡易ベッドに座って、小さい扇風機回しながらサボっているのが正解。そういうもんでしょ?
「苗字?」
 げ、誰か来た。今私は、体調不良で休んでいることになっている。そんな嘘を養護教諭は見抜いているようで、私にひとつの任務を命じてきやがった。誰か来たら手当てしてあげてね、と。
 だから誰も来ないことを祈っていたのだけど、どうやら思っていたよりもこの場所は忙しいらしい。しかし、テントの中に入ってきた人物を見て、私はホッとした。たぶん彼はサボり仲間だからだ。
「なんだ、国見か」
「先生は?」
「怪我人出たとかで、保健係と一緒に行った。苗字さんヨロシク、とか係でもないのに頼まれたんだけど」
 私がそこまで言うと、国見は「何それ、笑える」と小さく笑って、パイプ椅子に腰掛けた。気だるそうにグラウンドを見つめる国見の、長い睫毛が頬に影をおとす。睫毛長いな、こいつ。羨ましい。
「国見もサボリ?」
「休んでるだけ」
「そういうのサボリっていうんだよ。ま、国見もやる気なさそうだもんね」
「こんな暑さで動いてたら体力持たないでしょ」
「体力残すつもりなんだ」
 今度は私が「何それ、笑える」と続ける。国見の座ったパイプ椅子が、ギシリと音を立ててこちらを向いた。目と目が合う。こいつ、イケメンなんだよなぁ。
「……及川さんが」
「?」
「部活対抗リレーよろしくって言うから」
 え、走るつもりだったの? こんなにやる気なさそうなのに? 応援もせずに、救護室にサボりに来てる国見が? リレー? 何それ、本当笑える。
「……へぇ! へぇ〜! 真面目〜!」
 けたけたと笑うことしか出来ないサボり女に背を向けて、国見は何やら段ボールを漁りはじめた。先生しか触らないその箱の中から、何かが取り出される。次の瞬間、青色のパウチドリンクが宙を舞った。そしてそれはコンマ数秒ののち、私の膝の上にぽすりと着地する。
「わ」
 BGMとして流れているのは、スポーツドリンクのCMソングだ。「……あげる」とひと言つぶやいた国見は、席を立ってハチマキを巻き直している。
 え? 何これ? 救護用のスポドリゼリー? くれたの? 私に?
「へ!? ……なんで」
「クラスリレー、速かったじゃん」
「見てたの!?」
「本当はきついんでしょ。頑張りすぎ。それ飲んで寝て」
「……あ、ありがと」
「じゃ」
 何で分かったのだろう。先程のクラスリレーで全力出しすぎてバテたなんて、私のキャラじゃ言い出せるはずもないのに。見てくれていた人がいる。そう思うと、胸の奥がなんだかこそばゆい。
 青いパウチドリンクの蓋を開けて、ちゅーちゅーとそれを吸い込む。なんだか甘くてすっぱくて、夏の終わりの味がした。
『次は部活対抗リレーです』
 届いた放送の声に顔を上げると、アンカーの印がついた国見の姿がみえた。さっきまでここにいたのだから、急いで集合したのだろう。
 あいつ、もしかして私を心配して来てくれた? わざわざ? なんで?
 ピストル音が鳴り響き、選手たちが走り始める。三位でアンカーに渡ったバレー部のバトンが、ぐんぐんと他の部を追い越していった。
 はっや……!
 一位で切られたゴールテープ。国見の手で作られたVサインが、真っ直ぐ救護テントへと向けられる。
 かっこ良……!
 ばーか。こんなの、惚れるに決まってるじゃん。

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天然VS天然(影山)

 今日の天気は雨。午後には本降りになるでしょう。天気予報がそう教えてくれたけれど、私は傘を持っていくことをしなかった。そう、傘をわざと忘れた。

 部活が終わる頃にはザーザー降りどころかどしゃ降りで、体育館から続く渡り廊下にまで降り注いでいた。渡り廊下のトタン屋根が、奇妙な音を立てる。予想通りの空模様に安心すると共に、胸の奥がトクン、トクンと高鳴っていく。ほんのちょっとの勇気が、長い『幼馴染』という関係を変えてしまうかもしれない。

 背筋をぴんと伸ばして、部室の方から歩いてくる飛雄に、私から声をかけた。

「傘忘れた」

「?」

「傘忘れた」

「……?」

「入れてって」

 そこまではっきり言ったところで、ようやく飛雄は理解したようだった。大きな青色の傘を、ばさりと広げてくれる。

「入りづれぇ」

「身長差あるからね」

「いつの間にそんな小さくなったんだ?」

「飛雄が伸びたんだよ」

 いつの間にか、見上げるのも大変なほど身長差が開いてしまった。私に合わせて屈んでくれる飛雄の優しさに、きゅんと胸の奥が疼く。校舎が少しずつ遠のいていって、他の生徒の姿も見えなくなった。そろそろ、勇気を出す時間だ。

「雨すげぇな」

「あのね……、傘、忘れたのわざとだよ」

「は」

「だから、わざと忘れたの」

 火照った身体を、雨はほどよく冷ましてくれる。ちらり、と彼の方を見上げたら、眉間に皺を寄せながら叫ばれた。

「なんでわざわざそんなことすんだよ!?」

 少し予想はしていたけれど、まさかここまでだなんて。幼馴染の天然ぶりに溜息をつきながら、「は!? 分かんないの!?」と返す。すると、「分かんねぇ!」とぶっ飛んだ答えが返ってきた。

 この人、私にどこまで勇気を出させるつもりなんだろう。

「……と、と、とびおと相合傘したかったから」

「?」

「ここまで言っても分かんない!?」

「……?」

 きっと真っ赤になっているだろう顔を隠すこともせず、真っ直ぐに飛雄の方を見る。目は逸らさない。もう覚悟は決めた。それなのに彼は不思議そうな表情をして、私の顔をじっと見ている。

「なに!?」

「……いや、なんか分かんねぇけど、名前小さくて可愛いな」

 はぁ!? はぁあああ!?

 この天然おバカ、いきなり何を言い出すのだろう。たぶん、何も考えていない。パッと思い浮かんだことを言っただけなんだ。私には分かる。だって、幼馴染なのだから。

「はぁ!?」

「なんだよ!?」

「もう知らない! この天然おバカ!」

「おい、誰が天然おバカだ?」

「傘わざと忘れたって言ったらそういうことでしょ!」

「可愛いっつったらそういうことだろ!」「え!?」

「あ!?」

 まさかの飛雄からの発言に、身体が一気に熱くなっていく。上昇する温度と湿度が、私の気持ちを加速させていった。これって、自惚れてもいあの?

「……じゃあさ、せーので言おう?」

 私の方からそう提案すると、彼はまた眉間に皺を寄せてイヤそうな顔をした。なんで。なに、その顔。

「イヤだ」

 そう言いながら私の頬を掴む飛雄の唇が、私の唇に触れた。熱い。飛雄の体温が伝わってきて、彼も同じ気持ちなんだと思い知らされる。こんなこと、どこで覚えてきたの。

 傘はパサリと音を立てて、地面に転がっていった。雨に打たれた私たちが同時に熱を出したのは、その翌日のお話。

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妊娠したと嘘をついてみたら(佐久早)

 世の中には嘘をついていい日が存在するらしいと、そのくらいの知識は私にもあった。けれどもその知識が彼にもあるものだとは、到底思えなかった。だって彼は、冗談で笑いをとるような性格 じゃないのだから。
 だからこそ、私は嘘をつくことを決めた。彼ならきっと嘘だとは気がつかない。私たちのこの微妙な関係に終止符を打つのか、逆に改善されるのか。賭けてみるしかなかった。

 聖臣くんと付き合いはじめて二年が経つ。彼は淡白な方だとは思うけれど、それでも私を甘やかしてくれるし、私だけは特別だと信じていた。けれども倦怠期というものは訪れるもので、今がまさにそれだ。元々そっけない彼が、最近さらにそっけないような気がする。近ごろの私は、彼が本当に自分のことが好きなのか疑うようになっていた。
 窓の外に舞う桜の花びらを見て、ふう、と溜息をつく。ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいる聖臣くんの方をちらりと見て、「あのね」と第一声を発した。
 どきどきした。どういう返事をされるのか、怖くてしょうがなかった。けれども私は嘘をつく。この行き場のない不安を、打ち消すために。
「何」
「あの、えっと……」
「……」
 コーヒーを飲む彼の喉仏が、こくりと揺れる。じっと見つめられたので目をそらして、言葉を吐き出した。
「に、に、……妊娠したみたい」
 カレンダーの日付は四月一日。前の生理からちょうどひと月経つ頃なので、巧妙すぎる嘘だ。彼は本当に私との将来を考えてくれているのだろうか。ちゃんと好きでいてくれているのだろうか。ドキドキしながら顔を上げると、表情を変えずに無言で私を見つめている聖臣くんと目が合った。彼は何も言わない。
 沈黙がその場を支配する。私のことなんてもう好きじゃないのかもな、なんて、頭の半分を埋めていた『不安』が、大きく強く広がっていく。沈黙を打ち消したのは彼の言葉でも私の言葉でもなく、自分の目から流れる涙だった。
 ぐすっ、と鼻をすする音が、先程まで静かだった空間を包んでいく。もうやだ、逃げたい。こんな嘘までついてばかみたい。
 彼の声が聞こえたのは、その時だった。
「何で泣いてんの」
「ごっ、ごめんなさ…っ…」
 ああ、もう、振られるの確定だな。そう思った次の瞬間、立ち上がった聖臣くんが私の方に向かってくるのが分かった。いやだ。振られたくない。そう思った次の瞬間、温もりが私の身体を包んだ。抱きしめられている、と意識する前に唇に降ってくる熱。
「ごめん」
 そう囁かれて、もう一度強くキスをされた。
 あれ? 私振られるんじゃないの? なんでキスされているの?
 今の状況が飲み込めなくて、キスに上手く応えることも出来ない。
「嘘つかせるほど不安にさせてごめん」
「!?」
「もう分かるでしょ」
 さらに強くぎゅっと抱きしめられて、またキスを繰り返される。あー、聖臣くん。嘘だって分かってたんだなぁ。聖臣くんの方が、私のこと理解しているみたいだ。
「言わないと分かんない」
 ねだるように目線を上げて彼の方を見たら、照れくさそうな顔で約束の言葉を囁かれた。私の姓が変わるのは、その少し後のお話。

影山と非常階段でイチャイチャする

 ぽつり、と鼻の頭に何かが降ってきた。白く光っているそれは冷たく、皮膚に触れるとじわりと溶けていった。

「雪降りはじめたね」

「そっすね」

放課後の、部活が始まる前のちょっとした時間。この日ゴミ捨て当番の影山くんのあとについて、私も渡り廊下を進んでいく。私は当番じゃないけれど、この貴重な時間を無駄にしたくなかった。そう、私たちは恋人同士なのだから。

 ゴミ置き場にたどり着くと、影山くんはゴミの入った袋を指定の場所に置いた。それからポケットに入っていたアルコールジェルで手を消毒して、「ん」と手を差し出してくる。私が手を握ると、「苗字さん、手冷てぇ」と言いながらぎゅっと握り返された。

「影山くんだって」

「苗字さん氷みたいだな」

「そんなに? ……あ」

 ふたりで話しながら教室へと向かっていると、校舎の裏でイチャイチャしているカップルを見かけた。男子生徒が女子生徒を抱きしめて、今にもキスしそうな雰囲気だ。なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして、自然とうつむいてしまう。

「……苗字さん、こっち」

 はたして影山くんは今の光景を見たのか見ていないのか。たぶん、前者なのだろう。腕をぐいっと引っ張られて、彼の後を追う。たどり着いたのは誰もいない非常階段で、コンクリートの上には雪が少しずつ積もりはじめていた。

「ん」

 そう言って腕をひろげて、抱きつかれる用意をしている影山くん。驚いて動けずにいると、影山くんの方からぎゅっと抱きしめてきた。見上げると、いつもは高い位置にある彼の顔が少し降りていて、鼻と鼻がぶつかった。触れ合った鼻先が冷たいな、なんて思っていたら、今度は唇に触れる熱。じんわりとあたたかさが広がって、雪のように溶け合ってしまいそうだ。

 キス。意外と好きなんだよね、このひと。

「〜っ、ひゃあっ!?」

 次の瞬間、冷たさを感じたのは私の背中だった。制服の隙間から入ってきた彼の手が、すりふりと皮膚を撫でている。少しずつ上昇してきた手が身につけているものに触れた瞬間、「だめっ!」と彼の手を引きずり出していた。

「……なんで」

「ここ、学校」

「だめっすか」

「だめです」

「苗字さん」

「なに」

「触りてぇ」

 お願いします、そんな顔で見つめられたから、「一分間だけだよ」なんて甘い返事をしてしまった。ああもう。断れないんだなぁ。

「あざす」

「影山くんってむっつりだよね」

「……」

「否定はしないんだ」

「そんなもんだろ、男なんて」

「はい、一分経った!」

「早ぇ……」

 服を正して、何事もなかったような顔をして非常階段を降りていく。先程の場所にいたカップルはもういなくなっていて、私たちの頭には真っ白な雪が積もっていた。

「苗字さん、木曜日」

「?」

「部活休みなんで」

「うん?」

「苗字さんのこと、もっと触っていいっすか」

「〜っ!」

 ねぇ、影山くん。あなたって本当にずるいよね。ずるすぎる。この日から降り続いた雪が積もる頃、私は影山くんの手によって色々と暴かれてしまうのだった。

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ご挨拶

こんにちは!この度夢小説サイトを開設するに至りました。その昔古の夢小説サイトにお世話になっていたものの、すっかりご無沙汰になっていた夢小説の世界。見事に舞い戻り、こうして初めて自分のサイトを持つことになりました。仕事でサイト作成をしていたことがこんなところで役に立つとは……!無駄なものなんてないのだとつくづく思わされます。同人歴は8年目に入りましたが、夢書きとしてはまだまだヒヨッコです。夢をモリモリ詰め込んで創作していきたいなと思っています!拙作を楽しんでいただければ幸いです。

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農家の北さん17

 すき、だいすき、あいしてる。

 抱きしめられたい、キスをしたい、抱き合っていたい。

 それが分かった今、素直にそれを伝えられる。そのことが単純に、とても嬉しい。嬉しくってしょうがない。

 ねぇ、信介さん。これからはずっと一緒にいようね。好きだよ。大好きだよ。

 なんて伝えたら、信介さんは照れて真っ赤になってしまった。この人、赤くなるんだ。可愛すぎでしょう。

 ねぇ、今度は私から抱きついてもいいかな。あなたはどんな顔をするのかな。そういうのも、いいな。

 そんなことを思いながら、ふたり笑い合った。

 それから数ヶ月が経った。

 青々とした海に面した白いチャペルには、讃美歌が響いている。足元に伸びたドレスの裾が眩しい。これを自分が着る日が来るだなんて、今この瞬間でも信じられないのだけれど。

 今、私はウェディングロードを、父親と手を組んで歩いている。白くたなびくプリンセスラインと、飾られた花たちから漂う香り。参列している人たちの顔。

 父親の手から、信介さんの手へとバトンタッチされて、私は彼の方に進んでいく。緊張で固まっていた顔を上げると、タキシードを着た信介さんが私の顔を見つめていた。それは、大好きなひとの、やさしい笑顔。

 信介さんが手を差し出して、私が手をとる。誓いの言葉を交わして、指輪を交換して。海をバックに交わす誓いのキスは、これまででいちばん優しいキスだった。真冬だというのに空は晴れていて、降り注ぐ陽があたたかい。鳴り響く讃美歌と、たくさんの笑顔たち。

 沢山の人々に見守られながら、私はこの人のお嫁さんになる。

 ねぇ、信介さん。出会ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。猛アタックしてくれてありがとう。これからどうぞよろしくお願いします。

 彼が笑って、私も笑って、みんなが笑う。手を取り合った先には、明るい未来が笑っているような気がした。

【了】

農家の北さん16

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農家の北さん15

 約束の日、私は朝早くからおにぎり宮さんの前にいた。到着すると既に◇◇先輩と宮さんはお店の前にいて、朝ごはんにと出来たてのおにぎりを渡してくれた。

 今日はお店はお休みらしいので、わざわざ私たちのために朝からご飯を炊いてくれたのだろう。これ、北さんのお米なんだよなぁ。そう思うと、胸の奥がきゅんと痛んだ。

 それから私たちは、宮さんの車を停めている駐車場へと移動して、本日の目的地へと出発した。私は後部座席で、先輩は助手席。先輩と宮さんが何やらいい感じで話していたので、先輩もやるじゃん、なんて思う。

 いいなぁ。付き合う前って楽しいんだよね。いや、付き合ってからも振り回されっぱなしだったけど、楽しかった。

 ああ、私、楽しかったんだなぁ。

 窓の外を見ていると、北さんとのドライブを思い出して胸の奥がせつなくなる。あの日海で告白されて、キスされたんだっけ。ドキドキして、どこかに飛んでいってしまいそうだなんて思ったな。

 いきなり抱きしめられたり、キスされたり、お酒飲まされて襲われたり。本当、心を乱されてばかりだったけれど。

 会いたいな。元気かなぁ。私のこと、思い出してくれてるのかな。……寂しいなぁ。

 そんなことを考えていると、外の景色が見慣れたそれになっていくことに気がついた。県道△□号線。あれ、この道って……。

「宮さん、この道……」

「あはは、分かってもうた?」

「~っ!」

 先輩が、後部座席の方を振り返りながら言う。

「〇〇ちゃんさ、もう自分の気持ち分かってるんじゃない?」

「……」

「今日、稲刈りの手伝いだから。頑張って。ね?」

「はい……」

 そう、たぶん私は自分の気持ちをもう分かっている。会ってしまえば、きっと確信に変わってしまうその気持ち。確かな答えがほしかった。絶対そうだって言いきれなかった。でも、この道を進んでいるだけで、その答えが絶対的なものへと変化していく。

 宮さんがハンドルを右に切る。初めて先輩と訪れたのは、夏のはじまりの日。青々としていた田園風景は実りの秋へと変わっている。初々しかった私のほのかな甘いきもちが、少しずつ実を結んでいったように。この景色も変わっている。

 田園風景の中を進んでいくと、たわわに実った稲穂の中で、大きく手を振るその人がみえた。

 ああ、もう。泣いちゃいそう。

「治、ミョウジさん、〇〇ちゃん!」

 宮さんが車の窓を開けると、届いてくるやさしい声。それが鼓膜に届いて、私の視界はぐにゃりと歪んだ。

 宮さんの車が、田んぼに横付けするようにして停まる。ふたりが車を降りたので、私もそうした。北さんの顔が、視界に飛び込んでくる。

 ああ、あなたの顔、ちゃんと見ていたいのに。なんで、どうして。涙がとまらないんだろう。

「〇〇ちゃん!? なんで泣いとるん!?」

「きたさ…っ…、えっぐ、ひっく」

「〇〇ちゃん!?」

「会いたかっ、会いたかったです…っ…」

 気がついたらそう言って、北さんに抱きついていた。

 ほら、想像通りだった。

 会ってしまえば確信に変わってしまったこの気持ち。はじめはつぼみだった私の小さな恋心。今は大きな愛となって、私の身体を包みこんでいる。

 わたし、このひとのことが、好き。大好き。世界で一番好き。

「きたさん…っ…、すき、すきです、だいすきです…っ…!」

「ん、知っとるよ」

「……!?」

「〇〇ちゃん俺のこと好きやて、分かっとったよ」

「ひえぇ……!?」

「だって〇〇ちゃん、好きでもない男に抱かれへんやろ?」

「うう……」

「なぁ、〇〇ちゃん」

「はい」

「俺のお嫁さんになって?」

「!?」

 さすがに少し驚いてしまったけれど、「……はい」と答えると、北さんは「よっしゃ!」と言って私を抱きしめた。田んぼの真ん中でぎゅうっと抱き寄せられて、唇にちゅっとキスをおとされる。

「~!?」

 ぱちぱちと拍手が聞こえてきて、宮さんと先輩がいたことを思い出す。ああ、もう。この人本当に。そういう人なんだなぁ。

「北さんが恋愛になるとこんなに積極的なんて、俺知りませんでしたわ」

 なぜか照れた様子でそう言う宮さんに、北さんが返す。

「治はもうちょっと積極的にならなアカンな」

「!?」

「ま、頑張り? 応援しとるよ」

 並んで立っている宮さんと先輩を見て、北さんがにやりと笑う。や、やっぱりこのふたり、そうですよね。いい感じですよね!?

 なんて思いながらも、人の恋愛を応援している余裕なんて今の私にはない。

 だって今、私、プロポーズされたんだから。

「〇〇ちゃん、ありがとうな」

「はい……」

「〇〇ちゃん、大好きやで」

 そう言って北さんは、また私の唇にキスをおとした。ぎゅっと抱きしめられて、私の身体がふわっと宙に浮く。そのままぐるぐると身体が回って、三六〇度田園風景が視界にうつる。そうしてまたぎゅっと抱きしめられたので、私もぎっと抱きしめ返した。

 そのあと私はドキドキしぱなっしだったけど、北さんはなに食わぬ顔で稲刈り作業をはじめた。そのうち北さんのご両親やおばあさん、親戚の方々なんかが登場して、いきなり婚約者として紹介をされて。わたわたしている間に、日が暮れる時間になっていた。

「じゃ、治、ミョウジさん、ありがとう。またな」

「あれ? 私は?」

「〇〇ちゃんは今日泊まっていくもんな?」

「ひええぇ!?」

 なんて驚いていたら、先輩に「よかったじゃん。ラブラブ出来るね」なんて言われて固まってしまった。

 はっ、ここで私がお泊まりしたら、先輩と宮さんふたりっきりになるんじゃ!? なんて気がついてしまって、北さんの誘いに乗ることにする。

 宮さんと先輩に手を振って、私たちは北さんのおうちへと帰った。

 北さんのおうちへとたどり着くと、すぐにキスが降ってきた。玄関先で汗だくのまま、土だらけになった格好のままで、深く深く口づけられる。私ももっとくっついていたくて、ぎゅううぅっと北さんに抱きついた。

「〇〇ちゃん、お風呂一緒に入ろか?」

「ひぇ!?」

「今度は一緒に入ろって言うたよな?」

「い、言いました、けど…っ…」

「じゃ、入ろ」

 そう言って私の服の中に手を入れてくる北さん。それだけで頭がくらくらしてくる。

「きたさ…ん…っ」

「〇〇ちゃんも北になるんやから、信介って呼んで?」

「しん、すけ、さん……?」

「さん付けも敬語も、そのうちやめてや?」

「はいぃ……」

 汗をたくさんかいたので、早くお風呂に入りたくてしょうがない。それよりも、早く信介さんに触れたくて、触れられたくてどうしようもなかった。

 お風呂が沸いたお知らせ音と同時に、私たちは浴室に向かった。ドキドキが凄かったけれど、それよりも触れられたい欲の方が強かった。  胸の奥は今日もまた、爆速で音を奏でていた。