ーー例え俺が隣の星にいても、必ず見つけ出すよ。だって俺たちもう、火星の裏側にだって飛べるから。きみは『俺』を見てくれた。だから俺も、『きみ』を見つけ出せる。俺たちは離れ離れにはならないよ、絶対。
ーーきみは宇宙で一番綺麗な星。
火星の裏側で抱きしめてⅠ
急いで服を着替えて、スマホの入ったショルダーバッグを肩にかけた。玄関まで走り、スニーカーに足を突っ込む。
研磨くん、おうちにいるのかな。いきなり行って迷惑じゃないかな。ひとりになりたいんじゃないかな。
早く行かなきゃと思う自分と、踏みとどまってしまう情けない自分がいる。自分が二人いるってこんな感じ……、では無さそうだよね。
思いきって玄関のドアノブに手を掛けたところで、スマホの着信音が鳴った。表示された名前はルナさん。「もしもし」と急いで出ると、大きな声で「なーにボサっとしてんの! 来て!」と叫ばれた。
「今から研磨くんのところに行こうと思って……」
「行動が遅い! 私、今コヅケンちの前」
「!? 会えた!?」
「ううん、いない」
「待ってて! 私も行くから一緒に探そう!」
「それ、私も言おうと思ってた」
ルナさんに背中を押されて、私は玄関を飛び出した。三、二、一、点火。大気圏を抜けたら宇宙空間。猛暑の中を駆け抜けて、電車に飛び乗った。窓の外にみえる景色たちが、私を見送ってくれる。
研磨くん、研磨くん、……研磨くん!
あなたに、会いたい。
織姫と彦星は会えなかったけどさ、今日は地球から火星が見えるよ。今の私がいちばん好きな星。
電車を乗り継いで、到着駅からまた走る、走る。照りつける太陽が眩しい。汗だくだし、走ったせいで髪はボサボサだけれど。それでも今、会いたいんだ。
研磨くんの家に着くと、ルナさんが大きく手を振っているのが見えた。今日は私からルナさんに抱きついて、声をあげて泣いた。ルナさんも泣いていた。
私たち、良い友達になれるかな。
◇
ふたりで声をあげて泣いて、落ち着いた頃には日が暮れかけていた。きっと今頃、火星が地球に最接近しているのだろう。
ルナさんは服の裾で目元を拭うと、ズズっと鼻をすすって、それから口を開いた。
「……星羅は知ってたんだ?」
その問いに、「……うん」と頷く。ルナさんははー、っと大きく溜息をついて、それから少しだけ黙った。私の指先の赤いネイルが、夕日を浴びてきらきらと光る。
「はー、そっか。負けた気分。……星羅ってさ、コヅケンのこと好きでしょ? ……知ってると思うけどさ、 私も好きだよ、コヅケンのこと」
ルナさんがそう言う。背筋はぴんと伸びていて、その告白は堂々としていた。研磨くん本人がここにいたら、ルナさんのことを好きになってしまうんじゃないかな。そう思えてしまうくらいに、彼女は素敵なひとだ。
ルナさんの問いかけに、小さく答える。
「……うん、大好き」
「でもさー、コヅケンが見てるのは私じゃないんだよね」
ルナさんはまた大きな溜息をついて、それから私の顔を見た。綺麗な顔をしているな、本当に。こんなに素敵な人が私のライバルだなんて、隣に立つ資格もないんじゃないかと思ってしまう。私の声は、ますます小さくなった。
「……でも、ルナさんが一番研磨くんのこと分かってあげられると思う……」
「はぁ!? 本気で言ってんの!?」
反して、ルナさんの声は大きく、強くなる。堂々としていて立派で、彼女の人格を表しているかのようだ。
「いい!? コヅケンの他の顔を知ってたのは星羅だけなの! 人に弱みを見せないコヅケンがさ、アンタには弱みを見せてたってこと!」
「弱み……、なのかな」
「隠して別名義使うって、そういうことでしょ。私もSNSの鍵アカとか持ってるけどさー。あ、それはリア友としか繋がってないよ? まぁ、今回のはチャンネルとして動かしてたってのが問題なわけなんだけど」
「研磨くん、自分が二人いるってどういう感じか分かる? って言ってた……」
彼が言っていたことを、なぞるように言葉にする。するとルナさんは少し驚いたような顔をして、こくりと頷いた。
「あー、私には分かるよ。どっちが本物の自分なのか、分からなくなるの」
「私には分からない……」
「だから星羅には別の顔を見せられたのかもね。でもそれだけじゃないと思う」
「それだけじゃないって?」
「……ニブい。自分で考えて」
頬を膨らませながらそう言うルナさんは、本当に可愛らしい人だ。そんなルナさんにも見せなかった研磨くんの他の顔。それを私だけが知っていた。私だけには見せてくれていた。それって、どういう意味なの? あれは、思わせぶりな態度じゃなかったの?
「配信貼られてたけどさ、『青い星』さんって星羅?」
「……うん」
「はー、完敗だぁ」
「何が?」
「だから自分で考えて」
ルナさんは呆れ顔でそう言うと、うーん、とひとつ伸びをして立ち上がった。空は藍に染まり、一番星が光っている。一際強く輝いているあれは金星だろうか。
「いま見えてる一番星は金星。宵の明星。いちばん明るい女神星」
「!? 何事!?」
「研磨くんが教えてくれた」
ふたりで過ごした時間を思い出しながらそう言うと、ルナさんは「は〜、もう! 好きって言って来なよ!」と私の背中を叩いた。痛い。わりとガチで痛い。でもこれは、彼女からのエールなのだろう。
「……うん! 私、研磨くんのことが好き!」
「ちゃんと告るんだよ? ま、そろそろ帰ってくるんじゃない? じゃ、私は帰るから」
「研磨くんに会いに来たんじゃないの!?」
「星羅と話をしに来たんだよ。じゃね。応援してる!」
ルナさんはそれだけ言うと、手を大きく振って立ち去っていった。研磨くんのおうちの前に、私だけがぽつりと立ちつくす。
ねぇ、ルナさん。私たちもう良い友達だよね。
『研磨くん、会いたいです。どこにいますか?』
陽は沈み、夜のブルーが空を包む。低い位置に赤く光る、ひときわ輝いている星。あれが火星だろうか。
ピロン、とスマホの通知音が鳴って、画面をタップした。ドキドキする胸をおさえ、深呼吸をしてその画面を見つめる。研磨くんからの返信だ。
『うーん、火星の裏側かな』
それは、何かの暗号だろうか。『火星の裏側』は私たちだけの秘密。ふたりしか知らない場所に、きみは今隠れているの?
『今すぐ飛んでいく』
それだけを送信して、私は走った。不安しかないのに、どうしてだか気分は高揚している。三、二、一、点火。いま、会いに行くよ。すぐに飛んで行くよ。だから、そこで待っていて。私たちは織姫と彦星じゃない。離ればなれにはならないよ。
空に見える火星を目指して、ただひたすらに走った。