もう恋なんてしない。
誰かに恋することなんてないだろうし、相手から来られても絶対に乗らない。仕事とちっぽけな趣味と、飼っている猫さえいればそれでいい。
私は一生、結婚なんてしない。
あの日、私の頭の中が逆転するその時まで、そう信じて疑わなかった。神様は残酷だ。願っていたことを、そのままひっくり返して現実を押しつけてくるのだから。
けれども、その瞬間に私の中の時間は動き始めた。それはきっと、奇跡のはじまり。
◇
「こんなところに若い女の子がひとりで? 変わりもんやな」
「単身移住者いうらしいで。ほら、リノベーションなんとかって補助金? 町から貰えるんやて」
「仕事行くのも大変やで? 一番奥やんかここ」
「それがな、在宅ワークっちゅうのしとるらしいねん」
「ほー、今時のもんはええなぁ」
うっせぇジジイ、黙れ。
新居の鍵の引き渡しに来た大家のおじいさんと、その友人だというジジイにお茶を出しながら、私は震える唇を噛んだ。少しでも口を開いたら暴言を吐いてしまいそうだ。
大家さんの方はまだいい。優しいし、いい人そうだ。問題はこの友人のジジイの方。単身移住者が珍しいのか、根掘り葉掘り質問を繰り返している。
茶飲んだらさっさと帰れ、マジで。
夏の陽射しが眩しく降り注ぐ縁側に座ったまま、ジジイはさらなる質問を繰り返す。
「在宅ワークってので稼げるんか?」
「……まあ、独り身なので。食べていく分には」
「姉ちゃん歳なんぼ?」
「28です」
「そりゃー早うええ人見つけなアカンな!」
わはは! と大声で笑うジジイを、思わず睨みつけそうになる。結婚ね。するつもりでしたよ、ほんの三ヶ月前までは! 地雷踏みやがったな、このジジイ!
「姉ちゃん、こんな辺鄙なところに来たん、もしかして男に振られたんか?」
「……っ!」
ジジイの質問を見かねたのか、大家さんが「そういうのセクハラっちゅうんやで」と仲介している。そうです! 男に振られました! 思い出させないでほしい、マジで。こんなところに来てまで、あのクソ男の存在を。
「ええ人紹介したるで?」
「せやからそれもセクハラやて」
「姉ちゃん畑もするんやろ? そや、ゆみえちゃん連れて来たる! 畑のことなら詳しいやろ」
ジジイが何かを閃いたように、そう提案した。ゆみえ、誰それ。自分の分の野菜を育てるつもりで借りた一軒家。小さな畑付きの物件だったのが決め手だった。まあ、猫を飼えることが最優先だったけど。正直畑に関しては初心者なので、詳しい人を紹介してもらえるのはありがたい。どうやら、女の人のようだし。
「ゆみえちゃんの孫、えらいイケメンやで〜?」
「は……」
ハ!? と口から飛び出るところだったけれど、は……、で抑えられた自分を褒めたい。まーた男の話。都会にいた頃もそうだった。男の子紹介するよ。いい人いるよ。結婚しないの? 彼氏作れば? うざい。いい加減にしろ。私は一生ひとりで生きていくのだから。
「信ちゃんに会うたら、絶対惚れるからな」
ニヤニヤと笑うジジイに、愛想笑いを返すことすら出来なかった。完全に顔は引きつっていたと思う。信ちゃん。誰だよ、そいつ。
ぜーったいに惚れるもんか!
男なんてみんな同じ。ホイホイ寄ってきて抱いてしまえば、他の女の子のところに行っちゃうんだから。その信ちゃんとやらだって、きっとそう。男はそういう生き物なんだから。
「……今日は、来て下さってありがとうございました」
さっさと帰れよジジイ。そう念を込めて、口角を引き上げて声をワントーン高くする。言葉に込められた真の意味に気づいていないジジイは、「ほな、またな〜!」と大家さんを連れて帰っていった。