目眩からの突発性難聴。よくあることらしいけど、両耳同時に発症するのは珍しい事例だと聞かされた。気がついた時には病院にいて、左側は全く聴こえない状態。片耳だけだと普通に過ごせるらしいけれど、私の右耳はこれまでの半分の聴力になってしまっていた。
自分の声が、違う人物のそれに聞こえる。音量が大きいかどうかが分からない。それは、音楽の道を志す若者には残酷すぎる出来事だった。
ロックで世界を救いたい。歌があればどうにでもなる。この世なんて終わっちゃえばいいって絶望している人たちに、生きる喜びを伝えたい。音楽を通して。そんな夢は一転して、終わっちゃえばいいのに側の人間になってしまった。
音なんてもういらないから、どうか世界よ終わってくれ。
「目、覚めた?」
開いた瞳の向こう、最初に目に飛び込んできたのは研磨くんの顔で、その次が見慣れない天井だった。体がふわふわ浮いているみたいだ。どうやら私は、布団の上に寝かされているらしい。
「ごめん、着替えさせた」
「ここ、どこ?」
「近くの旅館」
さざなみの音がきこえる。いや、エアコンの音かもしれない。分からない。こんな時でも体はしっかり汗をかいていて、まだ生きているんだなと実感した。
「よくあるの? 今日みたいなの」
「一年ぶりくらい」
「薬とか持ってる?」
「そんなのないよ。あったら使ってる。……この耳、こうなったのちょうど一年前なんだ」
なんでそんなことを語ったのかは分からない。親友以外には、特にそんな話もしなかった。みんな聞いてこないし、話したくもない。それなのに、これまでの出来事をべらべら喋ってしまうのはただ甘えたいだけ。情けない。彼の優しさに、縋ってるだけなのに。
「……だからもう、私に構わないで。もうこの世界なんて終わっちゃえばいいなんて思ってるんだから」
「それはイヤ」
「どうして? 研磨くんには関係ない!」
「関係ある! だからずっと構うしイヤでもその世界を終わらせないから!」
エアコンがブォンと音を立てる。カーテンが閉まっているせいで、外の天気すらも分からない。右耳にしっかりとはめられた補聴器が、彼の息づかいをとらえた。生きている人間の呼吸音だ。
「なんでそんなに私に構うの!?」
もうやめてほしい。おしまいにさせてほしい。この世界になんの期待もしていないし、生きる意味も分からない。けれども自分で命を断つなんて勇気はないから、その行方をこの世界に委ねることにしたけれど。どうやらこの星はしぶといみたいだ。なんて思考の中に、研磨くんの声が飛び込んでくる。
「なんでって、……好きだから!」
それと同時に触れた体温。抱きしめられていると把握するまでに数秒。触れ合った胸板から、彼の鼓動が聴こえる。どくどくと鳴る速い音は、今の言葉が嘘じゃないと知らせる合図だ。
「! 研磨くんには私の気持ちなんて分からないよ!」
「分からないと思う! おれはおれでしかないから。でも、寄り添いたいとは思うよ」
「……例えば今大洪水が起きたとして、船で逃げられますよって言われても、私は乗らないであなたを見送る」
なんて例え話を、抱きしめられながら言うなんて色気がなさすぎる。こんなの、断っているようなもの。なのに研磨くんはまっすぐにこちらを見つめて、あの猫みたいな目で私をとらえて離さない。心が揺らいでしまいそうになるからやめてほしいのに。
「そうしたらおれも乗らない」
「どうして?」
「言ったでしょ? 好きだから」
「なんでこんな人間のことが好きなの?」
「そんなの理屈で説明できる?」
「これでもまだ、世界なんて終わっちゃえばいいって思ってるよ?」
私も大概バカだけど、彼も同じ分類なのかもしれない。こんなに逃げているのに、まだ追いかけてくるなんて。女の子の扱い慣れてなさすぎ。モテないよ?
「……明日世界が終わるとしても、おれはそばにいるから」
前言撤回。そんなことを言われたら気持ちが揺らいでしまってどうしようもない。この世界にほんのちょっと期待してしまいそうな程度には、心がぐらつくから。
「好きだよ」
ぎゅっと目を瞑ってしまったら最後。もしかしてこれがこの世の終わりなんじゃないかなんて、変な思考に陥ってしまう。きつく抱きしめられて、食べれるかのように唇に噛みつかれた。ちゅ、ちゅ、とキスをされて、息の仕方が分からなくて溺れちゃいそうになる。角度を変えて二度、三度。長いよ、何回するの。そう思った頃に、突然ぷはっと離された。
「う〜、やだ、認めたくない」
「何を?」
「たぶん私、研磨くんのことが好きなんだと思う」
「認めてよ」
「やだよ、認めたら戻れないじゃん」
「じゃあ、いっしょに戻れなくなろう?」
頷いてしまったから本当にバカだ。頭の中で音楽が回り続けている。これでもまだ、世界の終わりに聴くならきみといっしょに、こんな音楽を聴きたいななんて思っちゃうから呆れてしまう。
そうだね、タイトルはこうしよう。
ワールドエンドの恋人。
◇
肌と肌が触れ合って、びりびりとした痛みが下半身に駆け巡る。お互いに裸だから、体温が直に伝わってくるし鼓動の速さが半端ないのも丸わかり。これほどに生を感じるのは初めてだ。
研磨くんは私の上で体を揺らしながら、こんな表情もするんだな、って顔をみせた。見すぎて「あんま見ないで」なんて言われたけど、そっちはじっと見てくるからずるすぎる。
「ん、はぁ…っ…、」
「大丈夫?」
「すごく痛い」
「ごめん」
「ていうかちゃんと用意してたしする気満々だったんじゃないの?」
「襲わないとか無理でしょ」
結局そのまま、朝まで何度も抱き合ってしまったのは親友にも言えない秘密の出来事だ。体の痛みは生きている証。知らないうちにレイトチェックアウトにしていてくれていたらしく、だいぶ寝て、それからまたたくさん触れ合った。
「もう、明日世界が終わっても後悔しないかも」
「まだ言う? これからもっとたくさん新しいものが増えていくんだと思うよ」
「ね、私、曲作りたい。浮かんできたんだ。出来たら一番に聴いてくれる?」
「もちろん」
そうきみが笑うから、頑張ってみることにしたよ。それでもさ、幸せすぎるからこのまま世界が終わっても後悔しないなんて言ったら、きみはそんなこと言わないでって頬を膨らませるのかな。嘘だよ。頑張ってみることにしたから。
きみは、私の世界で最初で最後の恋人。