火星の裏側で抱きしめて15

火星の裏側で抱きしめてⅡ

 昼間の熱が残ったままのアスファルトを、靴底で思いきり踏みながら走る。山頂へと続く坂道は急すぎて、何度も止まりそうになった。

 重い、降りてと繰り返し言われながら、ふたり乗りした自転車。ペダルの回転する音。あの頃は涼しい風が吹いていたけれど、今夜は熱帯夜だ。

 研磨くんのことが好きだ。好きで好きでどうしようもない。

 ただそれだけを考えて、坂道を駆け上がった。汗だくになってもいい。髪が乱れてもいい。とにかく今すぐ、研磨くんに会いたかった。会って話をしたかった。

 山頂の駐車場にたどり着いて、遊歩道を進む。きっとこの先にあなたがいる。下を向けば夜景が、上を向けば星空が広がる宇宙空間だ。

「……研磨くん!」

 真っ赤な半袖を着た、少し丸まった背中が目に入る。さらさらの髪が、風に吹かれて揺れた。真夏の夜の匂いがした。

「……本当に来た」

 そう言ってゆるやかに笑う彼の顔は、少し寂しそうにみえる。

 ねぇ、研磨くん。私なんかでいいなら話を聞くから、何でも話してほしいな。ぜんぶ聞かなかったことにするからさ。

 空にはまた、真っ赤な星が光っていた。

 上を向けば星、下を向けば星、ここはきっと宇宙空間。大気圏を飛び越えて、私は火星の裏側までたどり着いた。前を見たら、真っ赤な星のように輝くきみがそこにいる。

「どうしてここが分かったの」

 いつもより少し低い声が、鼓膜に届く。どうしてって言われたって、分かったのだから何とも言いようがない。

「ここしか無いじゃん」

 私がそう答えると、研磨くんは少し下を向いて口を開いた。ぽつり、と聞こえるか聞こえないかの声がきこえる。

「……ごめん、迷惑かけた」

「ううん。私は平気。……でも研磨くんはそうじゃないでしょう?」

 私の質問に、彼は答えようとしない。ただ黙ったまま、今度は上を見ている。真っ赤な星は、先ほどより少し位置が高くなった。黙ったままの研磨くんを見つめながら、私は続けた。

「自分が二人いるってどういう感じか分かる? ……って、前に言ってたよね」

「……覚えてない」

「嘘! 悩んでたんでしょう? ……ね、今の私は『青い星』。だから……。頼りにならないかもしれないけど、話してほしい」

 そう、今の私は『青い星』。『青井星羅』として彼に会いにきたけれど、話を聞いている間は『青い星』になろう。そう思った。

 ふっと目と目が合う。研磨くんは参ったな、といった顔をして、ぽつぽつと話しはじめた。夜の色が濃くなっていく。

「……よくある話だと思う。普段の自分と、配信者としての自分の境界線が分からなくなったって、それだけの話」

 そんな何でもないような顔して、淡々と話す研磨くん。きっと、彼はずっと悩んでいた。私には分かるはずもないけれど。寄り添うことは出来る。

 いま、私に出来ること。それは、私の想いを伝えることだとそう思う。

「ねぇ、研磨くん。私にはどんな研磨くんも『孤爪研磨』くんだよ。コヅケンも、火星の裏側さんも、今のきみも」

 研磨くんはまた黙ってしまったけれど、私の声は止まることを知らない。こんなに本音を喋るのは初めてだ。私の気持ちを、全てを、きみに伝えたいから。

「私は研磨くん自身を見てるよ。どんな研磨くんでもいい。全部ひっくるめて『孤爪研磨』くんだから」

「……なんでそんな自信満々なの」

 なんでって、そんなの決まってる。初めて出会った時からずっと、きみのことを見ていた。だって私は……。

「胸を張って言えるよ! だって、どんな研磨くんのことも好きだから!」

 私の叫び声が、宇宙空間に大きく響く。何かに当たって反響して、強く、大きくこだました。研磨くんの目が見開く。

 そこまで叫んだあとに、はっとした。これ、告白してるようなもんじゃん。

「あっ、えっと! 今の聞かなかったことにして!」

「……無理、もう一回言って」

「むりむりむり! ちょ、キャー! 来ないでえぇ!」

 研磨くんの少しごつごつした手が、私の腕を掴む。初めていっしょに夜空を見上げたときに繋いだ、その温もり。あの時は自覚していなかった。けれども好きだと自覚して、それを伝えてしまった今は、逃げ出したくてしょうがない。

「来ないで! 見ないで! 逃げる!」

「……逃げないで」

「無理! 逃げたい!」

 走ろうとするけれど、研磨くんの腕の力が強くて動けない。無理矢理身体に力を入れたら、身体が斜めに傾いた。

 あ。重力に持っていかれる。

 次の瞬間、目に浮かぶのは天の川。夏の大三角形。それから、真っ赤に光る星。それよりも近く大きく、大好きな人の顔がみえる。

 どうやら私は研磨くん共々転んでしまったらしく、地面に寝転がった状態だ。土のにおいがする。夏の夜の風は、熱帯夜のそれだ。

 ……というより、押し倒されている!?

「最初は面白い子だって思ってた。翔陽とか、ゲームとか、ルナの動画とか。面白い人やものと同じだって」

「な、な、何の話????」

「……でも違った。きみはいつも、俺に新しい感情を連れてくる。他のどれとも、違った」

 何の話をしているの? 私の話?

 奇遇だね、私もそうなんだよ。きみもいつも、私に新しい感情をつれてくるんだ。

 そう言おうとしたその瞬間、ふっと身体に重みを感じた。研磨くんにぎゅっと力強く抱きしめられていると理解した時には、心臓がばくばくして、完全に思考回路が崩壊していた。頭の奥が爆発しちゃいそうになる。ひとり分の重力が、直接私に乗っかってくる。

「ね、これじゃ研磨くん星見えないよ……?」

「見えるし」

「……?」

「きみが、みえる」

 互いの呼吸音がきこえる距離で、そんなことを囁かれたらもう自惚れるしかない。きみの後ろには真っ赤に光る火星が見えて、それが今地球に大接近しているというのに。きみはそれを見ようとはしない。私の目を、じっと見つめている。

「照れるから、一度しか言わない」

「……うん」

「クサいセリフは好きじゃない」

「うん」

「聞いたら忘れて」

「じゃ、研磨くんもさっきの忘れて」

 そう返したら、「それは無理」と小さく囁かれた。研磨くんの声が、直接脳に響く。

「……例え俺が隣の星にいても、必ず見つけ出すよ。だって俺たちもう、火星の裏側にだって飛べるから。きみは『俺』を見てくれた。だから俺も、『きみ』を見つけ出せる。俺たちは離れ離れにはならないよ、絶対」

 長いセリフが似合わなさすぎて、つい笑ってしまいそうになる。けれども私はそれをしない。目の前にいる彼が、とても真剣な瞳をしているから。

「だって」

 そう聞こえたあと、研磨くんの瞳にとらえられた。きらきらと光る彼の瞳に映るのは、他の誰でもない私。研磨くんが、続ける。

「きみは宇宙で一番綺麗な星」

 それは紛れもなく、『孤爪研磨』くんの声だった。きみは地球が綺麗だと言った。それを好意だと受けとめていいのか、あの時はまだ分からなかったんだ。でもね、今なら伝わる。きみの想いが、伝わってくるよ。痛いくらいに。

 自然と溢れた涙は瑠璃色? 私には見えない。けれどもきっときみには見えていて、優しくそれを拭ってくれる。

「……きみとなら宇宙にだって飛んで行けそうだし、火星の裏側にだって触れられそう。現実的じゃないかもしれないけど。例えっていうか。つまり、そういうこと。分かる?」

 そんなの。分かっているに決まってる。でもね、確かな言葉がほしいから、私はそれを言うことをしない。

「……ちゃんと言わないと分かんない」

「……星羅のことが好きだよ」

「名前で呼んでくれた……!」

「だって照れるじゃん、名前で呼ぶの」

「そんな理由で? 本当に!?」

「あー……、火星の裏側に隠れたい気分」

 そこまで言うと、研磨くんはどすん、と体重ぜんぶをかけて顔を隠した。ちらりと見える耳が赤い。名前を呼んでくれなかった理由を知って、おかしくて笑ってしまう。うそ。本当にそんな理由だったなんて。

「……ね、私もそこに行くから、火星の裏側で抱きしめてくれる?」

「じゃあ、こうしよう。ここは宇宙。俺たちは今火星の裏側に着地したところ。目の前には青い地球みたいに綺麗なきみがいる。想像してみて」

「……うん、想像出来た。綺麗かどうかは知らないけど」

 研磨くんが顔を上げる。その頬は真っ赤に染まっていて、まるで本物の火星みたいだ。ふたつの星が触れ合うことは無いけれど、私たちはこうしてくっつくことが出来る。

「好きだよ」

 そう聞こえた瞬間、自然と目を瞑っていた。まぶたの奥には無数の星。唇に降ってきた熱に、溺れてしまいそうになる。

 瞳を開けて見つめ合ったら、もう一度キスをされた。研磨くんの背中に手を回して、重力に身を委ねる。何度かキスを繰り返して、私たちは抱きしめ合った。

ーー例え俺が隣の星にいても、必ず見つけ出すよ。だって俺たちもう、火星の裏側にだって飛べるから。きみは『俺』を見てくれた。だから俺も、『きみ』を見つけ出せる。俺たちは離れ離れにはならないよ、絶対。

ーーきみは宇宙で一番綺麗な星。

 ねぇ、研磨くん。好きだよ。大好きだよ。宇宙で一番大好き。

 恋愛に興味もなかった私が、きみに出会って恋をして、きみも私に恋をした。それは、この星が生まれたことと同じくらいの奇跡。

 ねぇ、このまま火星の裏側でふたりで暮らそうか?

 そう聞いたら、研磨くんは「そろそろ地球に戻る」って笑って答えた。きみはもう大丈夫。大丈夫だよ。

 手と手を握る。触れ合う皮膚は熱くて、溶けてしまいそうになる。

 さぁ、一緒に地球に帰ろう。私はいつでもきみをみているからね。