火星の裏側で抱きしめてⅡ
昼間の熱が残ったままのアスファルトを、靴底で思いきり踏みながら走る。山頂へと続く坂道は急すぎて、何度も止まりそうになった。
重い、降りてと繰り返し言われながら、ふたり乗りした自転車。ペダルの回転する音。あの頃は涼しい風が吹いていたけれど、今夜は熱帯夜だ。
研磨くんのことが好きだ。好きで好きでどうしようもない。
ただそれだけを考えて、坂道を駆け上がった。汗だくになってもいい。髪が乱れてもいい。とにかく今すぐ、研磨くんに会いたかった。会って話をしたかった。
山頂の駐車場にたどり着いて、遊歩道を進む。きっとこの先にあなたがいる。下を向けば夜景が、上を向けば星空が広がる宇宙空間だ。
「……研磨くん!」
真っ赤な半袖を着た、少し丸まった背中が目に入る。さらさらの髪が、風に吹かれて揺れた。真夏の夜の匂いがした。
「……本当に来た」
そう言ってゆるやかに笑う彼の顔は、少し寂しそうにみえる。
ねぇ、研磨くん。私なんかでいいなら話を聞くから、何でも話してほしいな。ぜんぶ聞かなかったことにするからさ。
空にはまた、真っ赤な星が光っていた。
◇
上を向けば星、下を向けば星、ここはきっと宇宙空間。大気圏を飛び越えて、私は火星の裏側までたどり着いた。前を見たら、真っ赤な星のように輝くきみがそこにいる。
「どうしてここが分かったの」
いつもより少し低い声が、鼓膜に届く。どうしてって言われたって、分かったのだから何とも言いようがない。
「ここしか無いじゃん」
私がそう答えると、研磨くんは少し下を向いて口を開いた。ぽつり、と聞こえるか聞こえないかの声がきこえる。
「……ごめん、迷惑かけた」
「ううん。私は平気。……でも研磨くんはそうじゃないでしょう?」
私の質問に、彼は答えようとしない。ただ黙ったまま、今度は上を見ている。真っ赤な星は、先ほどより少し位置が高くなった。黙ったままの研磨くんを見つめながら、私は続けた。
「自分が二人いるってどういう感じか分かる? ……って、前に言ってたよね」
「……覚えてない」
「嘘! 悩んでたんでしょう? ……ね、今の私は『青い星』。だから……。頼りにならないかもしれないけど、話してほしい」
そう、今の私は『青い星』。『青井星羅』として彼に会いにきたけれど、話を聞いている間は『青い星』になろう。そう思った。
ふっと目と目が合う。研磨くんは参ったな、といった顔をして、ぽつぽつと話しはじめた。夜の色が濃くなっていく。
「……よくある話だと思う。普段の自分と、配信者としての自分の境界線が分からなくなったって、それだけの話」
そんな何でもないような顔して、淡々と話す研磨くん。きっと、彼はずっと悩んでいた。私には分かるはずもないけれど。寄り添うことは出来る。
いま、私に出来ること。それは、私の想いを伝えることだとそう思う。
「ねぇ、研磨くん。私にはどんな研磨くんも『孤爪研磨』くんだよ。コヅケンも、火星の裏側さんも、今のきみも」
研磨くんはまた黙ってしまったけれど、私の声は止まることを知らない。こんなに本音を喋るのは初めてだ。私の気持ちを、全てを、きみに伝えたいから。
「私は研磨くん自身を見てるよ。どんな研磨くんでもいい。全部ひっくるめて『孤爪研磨』くんだから」
「……なんでそんな自信満々なの」
なんでって、そんなの決まってる。初めて出会った時からずっと、きみのことを見ていた。だって私は……。
「胸を張って言えるよ! だって、どんな研磨くんのことも好きだから!」
私の叫び声が、宇宙空間に大きく響く。何かに当たって反響して、強く、大きくこだました。研磨くんの目が見開く。
そこまで叫んだあとに、はっとした。これ、告白してるようなもんじゃん。
「あっ、えっと! 今の聞かなかったことにして!」
「……無理、もう一回言って」
「むりむりむり! ちょ、キャー! 来ないでえぇ!」
研磨くんの少しごつごつした手が、私の腕を掴む。初めていっしょに夜空を見上げたときに繋いだ、その温もり。あの時は自覚していなかった。けれども好きだと自覚して、それを伝えてしまった今は、逃げ出したくてしょうがない。
「来ないで! 見ないで! 逃げる!」
「……逃げないで」
「無理! 逃げたい!」
走ろうとするけれど、研磨くんの腕の力が強くて動けない。無理矢理身体に力を入れたら、身体が斜めに傾いた。
あ。重力に持っていかれる。
次の瞬間、目に浮かぶのは天の川。夏の大三角形。それから、真っ赤に光る星。それよりも近く大きく、大好きな人の顔がみえる。
どうやら私は研磨くん共々転んでしまったらしく、地面に寝転がった状態だ。土のにおいがする。夏の夜の風は、熱帯夜のそれだ。
……というより、押し倒されている!?
「最初は面白い子だって思ってた。翔陽とか、ゲームとか、ルナの動画とか。面白い人やものと同じだって」
「な、な、何の話????」
「……でも違った。きみはいつも、俺に新しい感情を連れてくる。他のどれとも、違った」
何の話をしているの? 私の話?
奇遇だね、私もそうなんだよ。きみもいつも、私に新しい感情をつれてくるんだ。
そう言おうとしたその瞬間、ふっと身体に重みを感じた。研磨くんにぎゅっと力強く抱きしめられていると理解した時には、心臓がばくばくして、完全に思考回路が崩壊していた。頭の奥が爆発しちゃいそうになる。ひとり分の重力が、直接私に乗っかってくる。
「ね、これじゃ研磨くん星見えないよ……?」
「見えるし」
「……?」
「きみが、みえる」
互いの呼吸音がきこえる距離で、そんなことを囁かれたらもう自惚れるしかない。きみの後ろには真っ赤に光る火星が見えて、それが今地球に大接近しているというのに。きみはそれを見ようとはしない。私の目を、じっと見つめている。
「照れるから、一度しか言わない」
「……うん」
「クサいセリフは好きじゃない」
「うん」
「聞いたら忘れて」
「じゃ、研磨くんもさっきの忘れて」
そう返したら、「それは無理」と小さく囁かれた。研磨くんの声が、直接脳に響く。
「……例え俺が隣の星にいても、必ず見つけ出すよ。だって俺たちもう、火星の裏側にだって飛べるから。きみは『俺』を見てくれた。だから俺も、『きみ』を見つけ出せる。俺たちは離れ離れにはならないよ、絶対」
長いセリフが似合わなさすぎて、つい笑ってしまいそうになる。けれども私はそれをしない。目の前にいる彼が、とても真剣な瞳をしているから。
「だって」
そう聞こえたあと、研磨くんの瞳にとらえられた。きらきらと光る彼の瞳に映るのは、他の誰でもない私。研磨くんが、続ける。
「きみは宇宙で一番綺麗な星」
それは紛れもなく、『孤爪研磨』くんの声だった。きみは地球が綺麗だと言った。それを好意だと受けとめていいのか、あの時はまだ分からなかったんだ。でもね、今なら伝わる。きみの想いが、伝わってくるよ。痛いくらいに。
自然と溢れた涙は瑠璃色? 私には見えない。けれどもきっときみには見えていて、優しくそれを拭ってくれる。
「……きみとなら宇宙にだって飛んで行けそうだし、火星の裏側にだって触れられそう。現実的じゃないかもしれないけど。例えっていうか。つまり、そういうこと。分かる?」
そんなの。分かっているに決まってる。でもね、確かな言葉がほしいから、私はそれを言うことをしない。
「……ちゃんと言わないと分かんない」
「……星羅のことが好きだよ」
「名前で呼んでくれた……!」
「だって照れるじゃん、名前で呼ぶの」
「そんな理由で? 本当に!?」
「あー……、火星の裏側に隠れたい気分」
そこまで言うと、研磨くんはどすん、と体重ぜんぶをかけて顔を隠した。ちらりと見える耳が赤い。名前を呼んでくれなかった理由を知って、おかしくて笑ってしまう。うそ。本当にそんな理由だったなんて。
「……ね、私もそこに行くから、火星の裏側で抱きしめてくれる?」
「じゃあ、こうしよう。ここは宇宙。俺たちは今火星の裏側に着地したところ。目の前には青い地球みたいに綺麗なきみがいる。想像してみて」
「……うん、想像出来た。綺麗かどうかは知らないけど」
研磨くんが顔を上げる。その頬は真っ赤に染まっていて、まるで本物の火星みたいだ。ふたつの星が触れ合うことは無いけれど、私たちはこうしてくっつくことが出来る。
「好きだよ」
そう聞こえた瞬間、自然と目を瞑っていた。まぶたの奥には無数の星。唇に降ってきた熱に、溺れてしまいそうになる。
瞳を開けて見つめ合ったら、もう一度キスをされた。研磨くんの背中に手を回して、重力に身を委ねる。何度かキスを繰り返して、私たちは抱きしめ合った。
ーー例え俺が隣の星にいても、必ず見つけ出すよ。だって俺たちもう、火星の裏側にだって飛べるから。きみは『俺』を見てくれた。だから俺も、『きみ』を見つけ出せる。俺たちは離れ離れにはならないよ、絶対。
ーーきみは宇宙で一番綺麗な星。
ねぇ、研磨くん。好きだよ。大好きだよ。宇宙で一番大好き。
恋愛に興味もなかった私が、きみに出会って恋をして、きみも私に恋をした。それは、この星が生まれたことと同じくらいの奇跡。
ねぇ、このまま火星の裏側でふたりで暮らそうか?
そう聞いたら、研磨くんは「そろそろ地球に戻る」って笑って答えた。きみはもう大丈夫。大丈夫だよ。
手と手を握る。触れ合う皮膚は熱くて、溶けてしまいそうになる。
さぁ、一緒に地球に帰ろう。私はいつでもきみをみているからね。