あまくてにがくて青い5

〜2017 autumn〜

 目覚ましを何度か止めて、三回目のスヌーズで身体を起こす。コーヒーを淹れている間に顔を洗って、着ていた寝巻きを洗濯機に放り込んだ。洗濯物を回すのは夜でいい。狭いワンルームの部屋に戻って、テレビをつけた。その瞬間に飛び込んでくるのは今日も東京の天気で、いやでもあの人のいる場所を想像させられる。

「あっちは雨か……」

 窓から外を覗くと、こちらの天気はくもり空。少し肌寒くなりそうだな、とカーディガンをひっぱり出す。ここ数日で、コーヒーをホットに変えた。秋は人恋しくなる季節だ。そして、温もりを思い出す季節でもある。

 朝食を済ませると簡単なメイクを施して、玄関へと向かった。おしゃれでもなんでもないスニーカーに足をつっこんで、部屋をあとにする。自転車にまたがって10分もすれば、職場である介護施設に到着する。

 高校生の頃乗っていた錆びたママチャリにはもう乗っていない。ひとり暮らしをはじめた時に、実家に置いてきたからだ。今はきらきら光るシルバーのボディが、私の相棒だ。

「寒っ」

 まだ10月だというのに、吹いてくる風は冷たい。かと思えば夏日になる日もあるので、天気が読めなくて困ったものだ。

 秋の風はせつない。夏が終わったような、そんな感じがする。まあ、その通りなんだけど。

 そういえば、昔も同じことを思っていたな、と彼にかけた言葉を思い出した。

『なんだか秋の風ってせつないよね。夏が終わったって感じ』

 涼しい風が吹き込む彼の部屋で、私は確かにそう言った。彼は不思議そうな顔をしていた。もう三年が経つのに、今でも鮮明に思い出せるのはなぜだろう。

「……いつまで引きずってんのよ、ばか」

 自転車のペダルの回転が緩やかに変わっていく。職場の駐輪場に自転車を停めると、鍵をかけてコンクリート造りの建物へと向かった。

「名前ちゃん、今度合コン行かない?」

 女性の先輩にそう話しかけられたのは、ロッカーで着替えをしている最中だった。合コン。そういえば、そういう類のものには参加したことがない。参加したいかと聞かれれば、答えはノー一択だった。

「やめときます」

「なんでー? 彼氏いんの?」

「今はいないですけど……」

 私の顔を見た先輩は閃いたような顔をして、それからにやりと笑った。

「はーん、分かった。忘れられない男がいるんだ?」

「……っ」

「ほーら、図星。名前ちゃんかわいー」

 どうしてだか、違うとは言えなかった。忘れてる、なんて言ったら嘘になる。夏、秋、冬、春。季節が巡るたびに、私はきみといたあの日々を思い出す。

 私の心は今も、三年前のあの頃に縛られたままだ。自分から切り出したくせに。思い出すくらいなら、しがみついてしまえば良かったのに。けれどもあの頃の私には、どうしてもそれが出来なかった。

 東京が、地球の裏側くらい遠くに思えていたのだろう。もしかすると今も、そんな風に思っているのかもしれない。

 ねぇ、影山くん。もしもあの時私が手を掴んだままだったら、きみはどうしていた?

 ありもしない『もしも』を考えては、自分の馬鹿さに呆れてしまう。

 好きだったんだなぁ。本当に。

あまくてにがくて青い3

 高校最後の夏休みは、物凄いスピードで駆け抜けていった。たった週三、されど週三。私たちは係の仕事で会う度にたくさん話をした。

 影山くんはやはり口下手なようで、私から話しかけるのがほとんどで。部活の話とか、好きな食べ物の話とか、恋愛とは関係ない話ばかりだったんだけど。それで十分だった。だって、最初の日みたいなこと言われたら、身が持たないんだもの。

 影山くんはプロのバレーボールチームからお声かけがあったらしく、高校を卒業したらプロ入りするのがほぼ決定らしい。

 将来有望なセッターなんだって。全国に行ったんだって。可愛いマネージャーさんと一緒にいるところ見たよ。影山くんはそんな噂が飛び交う、私にはちょっと遠い存在だった。でも、好きになったんだから仕方がない。だから、簡単な委員の仕事でも飛び上がるくらいに嬉しかった。

「プロチームって、どこにあるの?」

「ホームが東京で、サブが仙台っす」

「じゃあ、影山くんは東京に行っちゃうの?」

「そーっすね」

「東京……、かぁ……」

 東京。新幹線で行ける距離だけれど、私たち高校生にとってはとても遠い。その距離を思うと、ついため息をこぼしてしまいそうになる。寂しいなぁ。

 熱風が吹いてくる教室の中で、べたつく汗と戦いながらシャーペンを滑らせる。いつからだろう。恋することがこんなに苦くてせつないものになったのは。けれども、甘くて嬉しいものでもある。

「……俺も書く」

「ありがと」

 影山くんの長い睫毛が下を向いて、顔にちいさな影をつくる。かっこいいなぁ、とただそんなことを思った。

 その日は体育館の点検日だとかで、影山くんの部活は休みだった。黙々とノートにペンを滑らせる彼が眩しくて、つい目を細めてしまう。ぬるい空気と、上昇する温度が、私の恋心を急速にあたためていく。ふいに顔を上げたら、影山くんと目が合った。

「苗字さん」

 そう呼びかけられて、どくん、と胸が高鳴った。影山くんの耳が少し赤い。それからたぶん、私の耳も赤くなってると思う。

 一瞬、沈黙が広がった。

 窓から吹くぬるい風と、はためくカーテン。トントン、とシャーペンの先でノートをたたく音がする。そこに書かれていた文字に、私は目を疑った。

『好きです』

 あんまり綺麗じゃない癖のある字で書かれた、影山くんの精一杯の言葉。震える指先で、私もシャーペンを走らせる。

『わたしも』

 その瞬間。ふっと影がおちてきて、彼の顔が近づいてくる。ああ、このひとのこと、私は勘違いしすぎてた。本当はばかみたいに純粋に、恋心に忠実なんだ。自分の心を、ごまかすことなんてしない。とても真っ直ぐなひと。

「まって、ここじゃ無理……っ」

 震える声で伝えた瞬間、手を握られた。

「日誌、途中で放り出していいっすかね?」

「いい……、と思う」

 私たちは机の上に日誌を開いたまま、教室の窓も開け放ったままで教室を飛び出した。影山くんにしっかりと握られた手をふり解けずに、彼について走る。夏休み、だれもいない校舎、それでもまだ、誰もいない場所を求めていた。

 走って、走って。校舎の裏の誰もいないところまで、上履きのままで。はやく、はやく、と私たちの心は焦るばかりだった。はやく、はやく、もっと触れ合いたいと。

 陽の当たらないその場所も、地面はじりじりと焼きついていて、私たちの顔を火照らせる。

 青い夏。三十五度超えの気温。灼熱の太陽。焦げたアスファルトの匂いと、焦燥感。はやく、はやく、と手を伸ばしたきみの夏服。

 きゅ、っとその裾を掴んだら、影山くんの顔が近づいてきた。

 唇と唇が触れる。かさついてるけど、少し湿っているそこは、あたたかくて熱い。私たちは校舎の裏で何度もキスをした。もっと、もっと、と瞳で伝えたら、また手を握られた。

 いつから私はこんなに欲に忠実になったんだろう。きっと、影山くんのせいだ。

 影山くんの提案に乗って、私たちは自転車置き場へと向かった。数台しか停まっていない寂しい夏休みのそこにある、私の赤色のママチャリ。影山くんが前に乗って、私がうしろ。錆びた匂いのする自転車は、ふたりの思い出になる。

 ねぇ私たちさ、たった三十分の委員の仕事も放り出して。きみの家まで走ったね。私の自転車でさ、ふたり乗りなんていけないことして。

 でもね、私たち。もっといけないこと、しようとしている。

あまくてにがくて青い2

 七月下旬。夏休み三日目。月曜日の午前十時、……まであと五分。今日の天気は晴れだ。楽しみすぎて早く学校に着いた私は、教室から窓の外を眺めた。第二体育館の方から、練習着姿の影山くんが校舎へと走ってくる。

 来た。

 手鏡を片手に、髪の毛が乱れていないかチェックして整える。ついでにリップを塗っておこう。目立ちすぎない程度に。

 慌てて鏡を鞄の中へとしまったところで、影山くんが教室に現れた。

「苗字さん、お待たせ」

「影山くん、おはよう」

「はよっす」

「水やり先にしておいたから、これから日誌つけよっか?」

「あざっす」

 そんなやり取りをして、私は日誌を開いた。七月◯日、月曜日、天気は晴れ。当番、影山・苗字。『影山』って本人の前で書くのがなんだか照れくさかったけど、頑張って出来るだけ綺麗な字を心がけた。

「苗字さん、字綺麗っすね」

「えっ、本当!?」

「影山って字、俺よりぜんぜん綺麗」

「あ、ありがとう……」

 影山くんが私の字に興味を持ってくれたことか嬉しくって、舞い上がってしまう自分がいる。興味を持ったのかだって分からない。ただ会話を探していただけかもしれない。ううん、でもきみは、女子とふたりきりになったからって無理矢理会話を探すひとじゃないよね。なんて、期待してしまう自分がいる。

 影山くんって、女の子に興味あるんだろうか。無さそうにしか見えないけど。彼が恋愛したら、どんな風なんだろう。ちょっと、いや、かなり興味がある。

「影山くんってさ……、彼女とかいるの?」

 気がついたら、声に出ていた。

「カノジョ?」

「あっ、いや、影山くんモテるからさ! いるんだろうな、って思って……」

「いないっすよ」

「でも、この子可愛いな、くらい思ったことあるでしょ?」

「……あー、それはある……」

「あるんだ……」

 そうなんだ。そうだよね。可愛い子なんていくらでもいるんだもん。思ったことくらいあるよね。そう自分を納得させつつも、ずとん、と重いものが心を支配していくのが分かった。

 思っていたよりも、この恋心は苦しさを伴うものらしい。

 影山くんの言葉を気にせずにいようと、シャーペンを走らせることに集中した。汗で紙と手がひっつく。ああ、べたべたするの、やだな。影山くんなんか、試合で汗かいててもかっこいいのに。

「……苗字さんとか」

「え?」

 なんのはなし?

 唐突に投げかけられた言葉に、目が点になる。影山くんは少々会話が苦手なようだ。主語と述語って知ってる? わたしが、どうしたの?

「苗字さんとかに、思う」

「は……」

「あー、忘れて下さい」

 わたしたち、さっき、なんの話をしてた?

 ……可愛いとか思うって、そういう話だよね? え、なに、いまの。

「あ。苗字さんにばっか書かせて俺何もしてねぇ」

「いっ、いいよ、簡単だし! もう書き終わったし!」

「あざす。じゃ、また水曜」

 そう言うと影山くんはひょいっと片手を挙げて去っていった。心臓がばくばくする。まるで坂道をかけ上ったあとみたいに。からだが熱くて苦しくて、きゅうってなって、どうしようもない。

 私、影山くんのこと勘違いしてた。女の子に興味なさそうだって。ストレートな言葉は言わないって、そう思ってた。

 その日から、影山くんと私の距離は爆速で縮まりはじめた。

あまくてにがくて青い1

 青い夏。三十五度超えの気温。灼熱の太陽。焦げたアスファルトの匂いと、焦燥感。はやく、はやく、と手を伸ばしたきみの夏服。

 ねぇ、影山くん。

 私たちあの夏、ひとには言えないことをしたね。

〜2014 summer〜

 高校三年、夏休み目前のことだった。

 クジ引きで大当たりを引き当てた時は、うわぁ……、と青ざめた。これが祭りの景品クジならば大いに喜んでいたところだが、そうではない。クラスで育てている植物の、夏休みの間の観察記録の当番。それを決めるためのクジで大当たりを引いてしまった私は、わなわなと身体を震わせた。高校最後の夏休み、週に三回学校に来て水やりと観察記録をつけなければならないのだから。

 けれどもそんなげんなりした気分は、次の瞬間に吹き飛んでしまった。

「男子の当番、影山か~!」

 クラスメイトの男子の声が、すっと耳を通り抜けていった。かげやま。かげやまくん。かげやまとびおくん。

 そう、一緒に当番になったのは、私が一方的に好意を寄せている彼だった。チャンスだ。そう思って話しかける声が、心なしか震えてしまう。

「かっ、影山くん、よろしくね」

 あ、噛んだ。私のバカ。

「俺、部活の合宿とか試合あるんで、来れない日あります」

「あ、うん。大丈夫だよ。そういう時は私ひとりでやるから」

「あざっす」

 今度は噛まずにちゃんと伝えることができて、ほっと胸を撫で下ろした。影山くんの目を見て、はっきりと言葉を口にする。

「じゃ、月水金でいいかな? 来るの」

「うっす。月水金っすね」

 なんで敬語? と思いながらも、影山くんと話せる事実が嬉しくてしょうがない。胸の奥がきゅうっと詰まって、どくどくと血が巡っていくのが分かる。

 まともに話したのは今日が初めてかもしれない。なのに好きになったのはなぜだろう。バレー部の試合をテレビで見た時から? 一年生の時に隣の席になったから? 消しゴムを拾ってくれたから? 三年間同じクラスだから?

 きっかけなんて分からないけれど、気がつけば目で追うようになっていた。好きなんだな、って自覚したのは本当に最近。だから今回の係は、本当に嬉しかった。

 高校最後の夏休み。好きなひとと、ふたりっきりの仕事。ふたりっきりの時間。少しでも仲良くなれたらいいな、なんてこの時はそんな風にしか思っていなくて。

 もっと、もっとと、欲張りになっていく私がいるなんて、思いもしなかった。

 夏休み目前、ホームルームの終了時刻、熱い風が窓から吹いてきみの目が細く弧を描く。夏がはじまる予感がした。

「じゃ、苗字さん、よろしく」

 そう言って影山くんが笑った。

 待っていたのは、あまくてにがくて青い夏。私はこの高校三年の夏を、忘れることができない。忘れられるはずなんてない。私たちはまだ子どもで、純粋で、ただひたすらにまっすぐで。恋心と欲に忠実だった。

 ねぇ、影山くん。あの頃に戻れるのならば……。私はきみの手を絶対に離さないよ。

研磨くんのお誕生日

 外を吹く風が涼しくなり、すっかり秋めいてきたこの頃。明日は休みだ。いつもの休日前と同じようにお泊まりの準備をして、研磨のうちへと急ぐ。途中で寄るのはスーパー。挽肉と玉ねぎと、それから彼の好物であるアップルパイの材料を買い込む。いつもの光景だけれど、今日は少し違った。そう、彼の誕生日だからだ。

 彼は毎年誕生日には生配信を行う。だから、絶対ジャマをしちゃいけない。普段は隣の部屋で、研磨の予備用のゲーム機で遊びながら配信が終わるのを待つのだけれど、これも今日は違った。ご馳走を作るためだ。

 正直料理は得意じゃないけれど、配信してる間にご飯を作って、デザートまで用意しちゃうんだから!

 研磨の仕事部屋から聞こえてくる声に心地良さを感じながら、張り切って料理を作る。ハンバーグはちょっと焦げてしまったし、アップルパイは形が崩れてしまったけれど、私にしては上出来だと思う。
 あとは配信の終わりを待つだけだ。

 そう思っていたその時、配信部屋から「今日は皆さんに紹介したい人がいます」と聞こえてきた。
 え? このうちに今誰か来てるの? 誰!?
「名前、こっち来て」
 研磨の仕事部屋の扉が開いて、おいでと手招きされる。エプロン付けたままだし、化粧は崩れているだろうし、変な汗がとまらない。
 え!? 紹介したい人ってもしかして……!?

『コヅケン誰〜? 彼女!?』
『おっ可愛い』
『女だ』
『これはまさか!?』

 そんなコメントが流れていたらしいけど、それを知るのはもちろんあとの話で。私は今とてもテンパっています。な、な、なんで私が生配信に出てるの!?

「俺の嫁」
「ひぇえ!?」

『おお〜!』
『コヅケン奥さんいたの!?』
『勝ち組じゃん!』

「正確には、これから嫁になる人だから」
「ひぇっ!? 何これドッキリ!?」
「うーん、ドッキリっていうより、サプライズ?」
「!?」
「名前、俺と結婚して?」
「……は、はい」

『おお〜!』
『おめでとう!!!!』
『まさかの公開プロポーズ!』

 まさかのまさか、私は生配信中に公開プロポーズをされてしまったのだ。「ドッキリ!? ドッキリ!?」と騒ぐ私に、研磨は「だから本当だって」と半ば呆れた顔をしている。そんな表情をみせながらも彼の口角はぐぐっと上がっていて、これが事実なんだなと思わされた。 

 その日SNSでは『公開プロポーズ』『コヅケン』『名前ちゃん』がトレンド入り。ニュースでも『KODZUKEN婚約!公開プロポーズ!』の記事が並んでいた。

 焦げたハンバーグの味も、崩れたアップルパイの味もよく分からなくなってしまったけれど。彼の誕生日は、忘れられない一日になったのでした。

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侑とショッピングモールデート

「げっ」

 彼氏ーー、侑のオフの日のことだった。わりと顔が知られている彼と、外でデートをすることは少ない。けれども今日は珍しく、彼から買い物に行こうと誘ってくれたのだ。

 楽しいはずの久々のデート。けれども侑は今、しかめっ面で目の前にいる人物を睨んでいる。

「なんでおんねん……」

「久々会うたのに、その言い方なんやねん」

 平日午前中のショッピングモール。休日と比べて人がまばらな時間帯に、私は初めてその人と対面した。私たちの目の前には、侑とそっくりな顔の男性が立っている。

 知っている。この人は侑の双子の兄弟の、治さんだ。

「侑の彼女さん?」

「あっ、はい! 苗字名前と申します」

「俺のことは知っとるよな? へぇ、かわええやん」

 治さんがそう言った瞬間、侑が彼のことをギロリと睨んだ。どうしてだか侑は顔をしかめていて、とってもふきげんそうである。

「俺おにぎり屋してるから、ふたりで食いにきてや」

「そうなんですか!? 是非行きたいです!」

「……名前。もう行こうや」

「えっ、久々に会ったんでしょ? いいの?」

「ええんや。ほなな!」

 侑は治さんに冷たい態度を取ると、私の手を掴んで歩きはじめてしまった。後ろを振り返ると、治さんの姿がどんどん小さくなる。仲良くないのかな? なんて思ってしまうくらいに、侑はイライラしているようだった。

「どうしてイライラしてるの?」

「イライラしてへん」

「……私なんかのこと、治さんに紹介したくなかった?」

「……! ちゃう!」

「そうじゃん! 私にずっと治さんのこと紹介しなかったし、お店してるのだって知らなかったとん!」

「~っ、あんなぁ!」

 その瞬間、ショッピングモールのど真ん中でぎゅっと抱きしめられた。突然のことにびっくりして、頭が回らなくなる。

 あれ!? 私たち、今ケンカしかけてなかったっけ!?

「だって、おんなし顔やん」

「?」

「名前がサムのこと好きになったら困る思うて」

「……!?」

「名前かわええし、会わせたくなかったんや」

「……全然違うじゃん。似てないよ。大体そんなので簡単に侑のことイヤにならないし」

「……ほんま?」

「うん」

 そう言ったら、侑はますます強い力で私を抱きしめて、「名前大好きやー!」と叫んだ。あれって宮選手じゃない!? と声が聞こえたけれど、彼にはそんなことは関係ないらしい。

 だから私も気にせずに、彼のことをぎゅっと抱きしめた。大好きだよ、侑。

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農家の北さん17

 すき、だいすき、あいしてる。

 抱きしめられたい、キスをしたい、抱き合っていたい。

 それが分かった今、素直にそれを伝えられる。そのことが単純に、とても嬉しい。嬉しくってしょうがない。

 ねぇ、信介さん。これからはずっと一緒にいようね。好きだよ。大好きだよ。

 なんて伝えたら、信介さんは照れて真っ赤になってしまった。この人、赤くなるんだ。可愛すぎでしょう。

 ねぇ、今度は私から抱きついてもいいかな。あなたはどんな顔をするのかな。そういうのも、いいな。

 そんなことを思いながら、ふたり笑い合った。

 それから数ヶ月が経った。

 青々とした海に面した白いチャペルには、讃美歌が響いている。足元に伸びたドレスの裾が眩しい。これを自分が着る日が来るだなんて、今この瞬間でも信じられないのだけれど。

 今、私はウェディングロードを、父親と手を組んで歩いている。白くたなびくプリンセスラインと、飾られた花たちから漂う香り。参列している人たちの顔。

 父親の手から、信介さんの手へとバトンタッチされて、私は彼の方に進んでいく。緊張で固まっていた顔を上げると、タキシードを着た信介さんが私の顔を見つめていた。それは、大好きなひとの、やさしい笑顔。

 信介さんが手を差し出して、私が手をとる。誓いの言葉を交わして、指輪を交換して。海をバックに交わす誓いのキスは、これまででいちばん優しいキスだった。真冬だというのに空は晴れていて、降り注ぐ陽があたたかい。鳴り響く讃美歌と、たくさんの笑顔たち。

 沢山の人々に見守られながら、私はこの人のお嫁さんになる。

 ねぇ、信介さん。出会ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。猛アタックしてくれてありがとう。これからどうぞよろしくお願いします。

 彼が笑って、私も笑って、みんなが笑う。手を取り合った先には、明るい未来が笑っているような気がした。

【了】

農家の北さん16

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農家の北さん15

 約束の日、私は朝早くからおにぎり宮さんの前にいた。到着すると既に◇◇先輩と宮さんはお店の前にいて、朝ごはんにと出来たてのおにぎりを渡してくれた。

 今日はお店はお休みらしいので、わざわざ私たちのために朝からご飯を炊いてくれたのだろう。これ、北さんのお米なんだよなぁ。そう思うと、胸の奥がきゅんと痛んだ。

 それから私たちは、宮さんの車を停めている駐車場へと移動して、本日の目的地へと出発した。私は後部座席で、先輩は助手席。先輩と宮さんが何やらいい感じで話していたので、先輩もやるじゃん、なんて思う。

 いいなぁ。付き合う前って楽しいんだよね。いや、付き合ってからも振り回されっぱなしだったけど、楽しかった。

 ああ、私、楽しかったんだなぁ。

 窓の外を見ていると、北さんとのドライブを思い出して胸の奥がせつなくなる。あの日海で告白されて、キスされたんだっけ。ドキドキして、どこかに飛んでいってしまいそうだなんて思ったな。

 いきなり抱きしめられたり、キスされたり、お酒飲まされて襲われたり。本当、心を乱されてばかりだったけれど。

 会いたいな。元気かなぁ。私のこと、思い出してくれてるのかな。……寂しいなぁ。

 そんなことを考えていると、外の景色が見慣れたそれになっていくことに気がついた。県道△□号線。あれ、この道って……。

「宮さん、この道……」

「あはは、分かってもうた?」

「~っ!」

 先輩が、後部座席の方を振り返りながら言う。

「〇〇ちゃんさ、もう自分の気持ち分かってるんじゃない?」

「……」

「今日、稲刈りの手伝いだから。頑張って。ね?」

「はい……」

 そう、たぶん私は自分の気持ちをもう分かっている。会ってしまえば、きっと確信に変わってしまうその気持ち。確かな答えがほしかった。絶対そうだって言いきれなかった。でも、この道を進んでいるだけで、その答えが絶対的なものへと変化していく。

 宮さんがハンドルを右に切る。初めて先輩と訪れたのは、夏のはじまりの日。青々としていた田園風景は実りの秋へと変わっている。初々しかった私のほのかな甘いきもちが、少しずつ実を結んでいったように。この景色も変わっている。

 田園風景の中を進んでいくと、たわわに実った稲穂の中で、大きく手を振るその人がみえた。

 ああ、もう。泣いちゃいそう。

「治、ミョウジさん、〇〇ちゃん!」

 宮さんが車の窓を開けると、届いてくるやさしい声。それが鼓膜に届いて、私の視界はぐにゃりと歪んだ。

 宮さんの車が、田んぼに横付けするようにして停まる。ふたりが車を降りたので、私もそうした。北さんの顔が、視界に飛び込んでくる。

 ああ、あなたの顔、ちゃんと見ていたいのに。なんで、どうして。涙がとまらないんだろう。

「〇〇ちゃん!? なんで泣いとるん!?」

「きたさ…っ…、えっぐ、ひっく」

「〇〇ちゃん!?」

「会いたかっ、会いたかったです…っ…」

 気がついたらそう言って、北さんに抱きついていた。

 ほら、想像通りだった。

 会ってしまえば確信に変わってしまったこの気持ち。はじめはつぼみだった私の小さな恋心。今は大きな愛となって、私の身体を包みこんでいる。

 わたし、このひとのことが、好き。大好き。世界で一番好き。

「きたさん…っ…、すき、すきです、だいすきです…っ…!」

「ん、知っとるよ」

「……!?」

「〇〇ちゃん俺のこと好きやて、分かっとったよ」

「ひえぇ……!?」

「だって〇〇ちゃん、好きでもない男に抱かれへんやろ?」

「うう……」

「なぁ、〇〇ちゃん」

「はい」

「俺のお嫁さんになって?」

「!?」

 さすがに少し驚いてしまったけれど、「……はい」と答えると、北さんは「よっしゃ!」と言って私を抱きしめた。田んぼの真ん中でぎゅうっと抱き寄せられて、唇にちゅっとキスをおとされる。

「~!?」

 ぱちぱちと拍手が聞こえてきて、宮さんと先輩がいたことを思い出す。ああ、もう。この人本当に。そういう人なんだなぁ。

「北さんが恋愛になるとこんなに積極的なんて、俺知りませんでしたわ」

 なぜか照れた様子でそう言う宮さんに、北さんが返す。

「治はもうちょっと積極的にならなアカンな」

「!?」

「ま、頑張り? 応援しとるよ」

 並んで立っている宮さんと先輩を見て、北さんがにやりと笑う。や、やっぱりこのふたり、そうですよね。いい感じですよね!?

 なんて思いながらも、人の恋愛を応援している余裕なんて今の私にはない。

 だって今、私、プロポーズされたんだから。

「〇〇ちゃん、ありがとうな」

「はい……」

「〇〇ちゃん、大好きやで」

 そう言って北さんは、また私の唇にキスをおとした。ぎゅっと抱きしめられて、私の身体がふわっと宙に浮く。そのままぐるぐると身体が回って、三六〇度田園風景が視界にうつる。そうしてまたぎゅっと抱きしめられたので、私もぎっと抱きしめ返した。

 そのあと私はドキドキしぱなっしだったけど、北さんはなに食わぬ顔で稲刈り作業をはじめた。そのうち北さんのご両親やおばあさん、親戚の方々なんかが登場して、いきなり婚約者として紹介をされて。わたわたしている間に、日が暮れる時間になっていた。

「じゃ、治、ミョウジさん、ありがとう。またな」

「あれ? 私は?」

「〇〇ちゃんは今日泊まっていくもんな?」

「ひええぇ!?」

 なんて驚いていたら、先輩に「よかったじゃん。ラブラブ出来るね」なんて言われて固まってしまった。

 はっ、ここで私がお泊まりしたら、先輩と宮さんふたりっきりになるんじゃ!? なんて気がついてしまって、北さんの誘いに乗ることにする。

 宮さんと先輩に手を振って、私たちは北さんのおうちへと帰った。

 北さんのおうちへとたどり着くと、すぐにキスが降ってきた。玄関先で汗だくのまま、土だらけになった格好のままで、深く深く口づけられる。私ももっとくっついていたくて、ぎゅううぅっと北さんに抱きついた。

「〇〇ちゃん、お風呂一緒に入ろか?」

「ひぇ!?」

「今度は一緒に入ろって言うたよな?」

「い、言いました、けど…っ…」

「じゃ、入ろ」

 そう言って私の服の中に手を入れてくる北さん。それだけで頭がくらくらしてくる。

「きたさ…ん…っ」

「〇〇ちゃんも北になるんやから、信介って呼んで?」

「しん、すけ、さん……?」

「さん付けも敬語も、そのうちやめてや?」

「はいぃ……」

 汗をたくさんかいたので、早くお風呂に入りたくてしょうがない。それよりも、早く信介さんに触れたくて、触れられたくてどうしようもなかった。

 お風呂が沸いたお知らせ音と同時に、私たちは浴室に向かった。ドキドキが凄かったけれど、それよりも触れられたい欲の方が強かった。  胸の奥は今日もまた、爆速で音を奏でていた。