暑い。暑すぎる。
空は快晴。風は生ぬるく、人々の歓声を運んでくる。それと共に聴こえてくるのは、私が楽しみにしていたバンドの演奏と、ボーカルの歌声だ。救護室で貰った氷水を額に当てながら、テントの中でひとりその歌声に耳をすませる。今頃仲間たちはみんな、前の方で楽しんでいるんだろうな。そう思うと、バテてしまった自分が情けなくてしょうがなく思えてくる。折角大好きな黒尾さんと、一緒にフェスに来られたのに。
そんなことを考えながら寝返りを打ったところで、テントの中に光が射し込むのを感じた。
「名前ちゃん、調子はどーですか?」
「黒尾さん!? みんなと一緒に行ったんじゃなかったんですか!?」
「んー? そろそろのんびり聴こうかなって思って。ん、顔色いいじゃん」
身体を起こすと、先程よりも頭がすっきりしていることに気がついた。火照ってはいるけれど。
「ハイ。コレお土産」
手渡されたのは、しゅわしゅわと泡が立ったレモネードだった。彼の手には、生ビールのカップ。手元にあった水はすでにお湯と化していたので、ありがたくてしょうがない。
「ありがとうございます」
「ビールは水分じゃないから、名前ちゃんはそっちね」
「もう干からびちゃいそうです」
「じゃ、乾杯」
「乾杯」
カップ同士を合わせると、レモネードの炭酸が鮮やかに弾けた。しゅわしゅわと湧き立つ泡は、止まることなく浮かび上がる私の恋心のようだ。口に含むと、ぴりっと喉の奥が焼けるように響く。BGMは片想いをうたった、せつない恋の歌。流れるように響く音が、私の胸の音と重なる。
「黒尾さんは優しいですね」
「卑怯な男だよ、俺は」
「卑怯?」
「好きな子がバテてるところにつけ入るような、そんな男」
「!?」
「さ、元気そうだし外で聴きましょーか? この曲好きでしょ」
今、なんと言われたのだろうか。黒尾さんがビールを片手に少し微笑んで、テントをはらりと開く。射し込む光は、私には眩しすぎた。もうちょっと、ふたりきりでいたい。夏の魔法は、私を少しだけ大胆にさせる。
「……もう少しここにいて下さい」
彼の腕を掴むと同時に伝わってくる熱。この熱は暑さのせい? それとも私のせい? 分からないけれど、黒尾さんの顔が真っ赤に染まるのを見て、後者であることを確信する。私も卑怯な女だ。
「ふたりきりでいたいから……」
きっと私も彼も、夏にのぼせてしまっている。片想いの曲が終わって、始まったのは永遠の愛を誓う歌。飲み干したレモネードのカップは、音も立てずに転がっていった。
北さんと単身移住者4
カーテンの隙間から覗く稲光と、轟く雷鳴で目が覚めた。またあいつの夢を見た気がする。好きだとか愛してるだとか言うだけ言っておいて、他の女を選んだあのクソ男の夢を。
外が薄暗いので早朝かと思いきや、時計は午前七時半。ぼんやりとした頭でリビングに移動し、テレビの電源をつける。関西地方のローカルニュース番組は専ら台風の情報を伝えていて、そこで初めて台風が思っていたよりも巨大だということを知った。昨日から風強かったもんなぁ。確かに、昨日草取りしてたら、刈った草ぜんぶ吹っ飛んでしまっていたかも。
雷の日はパソコン作業をすべからず。これは会社員だった頃、一足先に独立した先輩から教わった言葉だ。なので今日はお仕事は休み。昨日届いたばかりの家具たちを並べたり、部屋の片付けをしたりして過ごそう。まずは一杯のコーヒーからだ。目を覚まさなきゃ。
コーヒーメーカーを起動させながら、キッチンに置かれた段ボール箱の中を探ってみる。
『中身バラバラやんな? あれやと必要なもん見つけられへんで?』
見事に中身がバラバラなそれを見て、北くんの言葉を思い出す。確かに。キッチン用品とお風呂用品、なぜか玄関周りのものまで一緒に入っているし。これ、どこから片付けよう。
『せやけど、女の子はきっちりしてへん方が、可愛えなって思うわ』
『自分のこと言うてんねんけど』
芋づる式に北くんの言葉が蘇ってくる。確かにあの時、彼はそう言った。ンンンン!? あれ、一体何だったの!?
「知らん! あんなの社交辞令!」
段ボールを漁っていた手が止まる。漂ってくるコーヒーの香りは、朝のまったりタイムに最適なはずだ。それなのに私の心は全く穏やかじゃない。身体が熱いのは夏のせいだ。冷房効いてるけど。
イケメンだろうが何だろうが、私はもう恋なんてしない。男性に期待するものなんて何もない。これからおひとり様ライフを満喫するのだから。
カップにコーヒーを注いで、ひと口啜って心を落ち着ける。何かが吹っ飛んできたような音がしたのは、その時だった。
ゴン! バーン! バリバリ!
何!? 今の音!?
「ひええぇ」
玄関に置かれたサンダルに足を突っ込んで、恐る恐る外の様子を伺う。扉を開いた瞬間流れ込んできた強風に、思わず怯みそうになる。木、めっちゃ揺れ……、えええぇ!?
外からしか開けない、畑作業用の小さな納戸。外回りのものを仕舞うために作られたであろうそのスペースの、木製の扉がごっそりなくなっている。吹っ飛んで行ったであろう扉は、私の寝室の窓に直撃していた。
ヒッ。窓ガラス、割れてる!?
「えええ!? ってか寝室! 私の荷物!」
台風遅延のおかげでベッドの到着は遅れているし、チェストはまだ箱の中だ。荷物は段ボールの中だけど、布団は畳の上に敷きっぱなし。急いで寝室に戻ると、布団の上に散らばったガラスが目に入った。吹き込む風で、カーテンはバタバタと揺れている。
……ってか、雨入ってきてるし! 何これぇ! どーすればいいの!?
「えっと! 大家さんに電話!? きゃー! 充電切れてる! 充電器どこ!?」
確か寝る前に充電しようと、コードをさしていたはずだ。それなのに昨夜充電し忘れていた自分を責めたい。はっと顔を上げると、まさかの割れたガラスたちの真ん中に伸びる充電コードを見つけた。
んえええぇ!? 充電器、あれしかないのに!
完全にテンパってしまった自分の耳に、呼び鈴が届いたのはその時だった。ん? そら耳!? もしかしてベッドが届いたのかな!? いや、朝の八時に!? そりゃないでしょ! じゃあ、誰!?
「名前ちゃん、おるん?」
聞き覚えのある声に、心の奥がほっと温かくなるのを感じた。この声、北くん!? なんでここにいるのか分からないけど、神様ありがとう! 救済措置!
半泣きで玄関にダッシュした私を見て、北くんはふっと笑った。こっちは焦っているというのに、彼は穏やかな表情をしていて、私が脱ぎ捨てたサンダルを揃えている。
「玄関開けっぱなしやし、サンダル脱ぎっぱなしやで」
「そっ、それは! 納戸の扉吹っ飛んできたから!」
「ふっ、嘘やて。大変やな。納戸の扉ガタついとったな思うて、気になって見に来たんや」
「助けて! あれ、どうすればいいの!?」
テンパりすぎてタメ口で喋っちゃうけど、そんなの知らん! とにかくあの部屋をどうにかしてほしい!
すがるように泣きつくと、北くんは「安心しぃ」と笑って答えた。彼の脇には青いビニールシート、右手には工具箱のようなものが抱えられている。
「念のため持ってきてよかったわ」
「神様!?」
「すまんな、俺は人間やわ。怪我したらアカンから、あっちの部屋入ったらアカンで? 室内履き持ってきたから、これ履いて入ってええ?」
「お願いシマス!」
「新聞紙とビニル袋持っとる?」
「あります!」
そこから先は、北くんのテキパキした行動をただ見ているだけだった。割れた窓ガラスには外からビニールシートが張られ、割れたガラスは綺麗さっぱり片付けられていた。濡れた畳の上には新聞紙が敷かれている。布団だけは処分した方がいいとアドバイスを受けたけれど、元彼と寝ていた布団だから未練も何もなかった。
「あの、ありがとうございました」
「今日寝るとこあるん?」
「新しいベッドとマットレスが届く予定だけど、台風で配送が遅延してて」
「ほな、うち来る? 姉ちゃんが使うてた部屋空いてるし」
「ンッ!? ヒェ!?」
男の人の家に泊まる!? ですと!? ムリムリ! そんなのムリムリ!
「えっと、でも、その」
「安心しぃ、実家やから。猫も連れてきてええし、バアちゃんもおるで?」
「ゆみえさん!? 大好き!」
「バアちゃんも名前ちゃんのこと気に入ってたわ」
「本当!? ね、ちょっと待ってて! 準備する! あとコーヒー飲んでって! 淹れたてだから!」
「ふっ、騒がしいな」
そう言ってまた柔らかく笑う北くんが眩しい。ンンンン、やはりイケメン。でも騙されちゃだめよ、私! 男はみんなヤリ目なんだから!
まあ、この人からはそういう匂い一ミリも感じないんだけど。
「さ、こっちの部屋どうぞ!」
まだソファも置かれていない畳の部屋に、彼を招き入れる。昨日届いたローテーブルの上に、淹れたてのコーヒーを差し出した。北くんがそれをひと口含んで、それから私の方を見る。
「ありがとう。おいしいわ」
「でしょ!? ちょっといい豆なの」
「シンクに豆散らばっとったけどな?」
「ぎゃー! 見ないで!」
「ええやん。女の子はきっちりしてへん方がかわええって言うたやろ」
「かっ……!?」
またそんなこと言う! この人本当はチャラいんだ絶対! そうじゃないと、会って二回目の子にこんなこと言わないでしょ!
「雨、小降りになったら行こか」
びゅーびゅーと風の音がする。窓の向こうでは木々が形を変えるほどに揺れていて、大粒の雨が地面を叩きつけている。そこで初めて、北くんの着ているTシャツが濡れていることに気がついた。
「北くん、寒くない!? 着替え貸したいところなんだけど、あいにく私サイズのものしかなくって」
「ええよ、気にせんで。帰ったら着替えるわ」
「冷房上げようか! えっと、リモコン……」
窓の向こうがまた光る。空には閃光が走って、大きな雷鳴がまた轟いた。ひええぇ。雷、苦手なんだよね。
「リモコンあった!」
ぷつり。
え、私今冷房消したかな?
そう思ったのと、電気が消えたのは同時だった。え!? 何事!? えっ!? えっ!?
「停電やな」
「ひええええぇ!?」
「今どっかに落ちたな、それでやろ」
「えええぇ!? ひゃ!」
再び空が光り、今度はそれと同時に雷鳴が轟く。
「ぎゃー!」
薄暗くなった部屋にふたりきり。気のない男性にくっつくべきではない。そんなことは百も承知だけれど、今は例外だ。
だって、雷こわすぎ。
「怖い怖い怖い怖い」
「名前ちゃん、落ち着きぃ」
「むり! むり! 怖すぎる!」
「名前ちゃん」
「ひええぇ! また落ちた!」
「名前ちゃん!」
「ひゃい!?」
「……そんなひっつかれると、こっちも色々と無理なんやけど」
はっと顔を上げて、今自分が置かれている状況を理解した。目の前には北くんの顔があって、わ、イケメンだな、なんて考えてしまう。それはそうと! そうじゃなくって!
今私、北くんに抱きついている!?
「男をホイホイ上げるのはアカン言うたよな?」
「だ、だって今回は、窓が……!」
「名前ちゃんには俺が男に見えへんの?」
「う、み、みえます」
「ほんなら、こんな軽率にひっついたらアカンで」
「あ、ハイ」
「ま、取って食ったりせぇへんから、安心しぃ」
「ハイ」
これは恋じゃない。ドキドキしているのはきっと、無意識に抱きついてしまったからだ。意外と筋肉あるんだな、ガッシリしてるんだな、なんて考えてしまったのは、彼が異性であるから。ただそれだけ。それ以上も以下もない。だって私は恋なんかしないし、したいとも思っていないんだもの。
「さ、そろそろ行こか」
「ヨロシクオネガイシマス」
旅行カバンに荷物を詰め込んで、スポーツウェア姿のまま家をあとにする。北農園と書かれた軽パンの助手席に乗り込み、細い道を町の中心部の方へと進んだ。猫はまだ眠ったままだ。呑気なやつめ。
こんな状況なのに少しワクワクしている自分がいるのは、非日常に置かれているからだろう。きっとそう。そうに違いない。
これは、恋愛とは関係ない感情。私が彼に恋することなんてないと、神に誓える。心の奥に渦巻く何かを押し込めるように、愛猫を抱きしめた。
北さんと単身移住者3
好きだよ、ずっと一緒にいようね。
そう言った彼の温もりを、今でも覚えている。初めての旅行は沖縄。いっしょに選んだ琉球ガラスの風鈴は、鮮やかな瑠璃色だった。もう割ってしまったのに、他の風鈴を見るだけで思い出してしまう。なんだかなぁ。胸の奥が痛いや。
どうして今でも、夢を見るのだろう。もう過去の人なのに。
はっと目を覚ませば、飛び込んできたのは見慣れない天井。木目調のそれの中央で、消し忘れた電球がちかちかと点滅している。これは、入居前から付いていたものだ。LEDに替えよう。そんなことをぼんやりと考えながら、ひとつ伸びをして布団から這い出す。洗面所へと向かう途中で、床に置かれた段ボール箱にゴンとつまづいた。
痛い、小指打った。あのクソ男の夢を見たせいだ。向こうはもう、私のことなんて忘れてるんだろうなぁ。
朝の支度をさっさと済ませて、コーヒーを淹れる。頭は半分夢の中だ。朝は一杯のコーヒーがないと起きられない。豆から挽いた方がおいしいと教えてくれたのは元彼だった。
「あっ」
豆をコーヒーメーカーに入れるだけの単純な作業ですら、寝ぼけた頭ではこなせなくなってしまう。軽量スプーンからこぼれたコーヒー豆を、リノベ済みキッチンのシンクに盛大にぶちまけてしまった。一瞬にして周囲がコーヒー豆だらけになる。
んぁあ! もう! 私のブルーマウンテンが! この豆高いのに!
「はぁ……」
溜息をついたのと、呼び鈴が鳴ったのは同時だった。日曜日の午前九時。こんな時間に誰だよ。こちとらまだ目も覚めてないというのに。
「はーい!」
「おはようさーん! 澤田やけど!」
あんのジジイか。チッ。
ジジイだから朝早いのはしょうがない。きっと朝早くから起きて、時間を持て余しているのだろう。ビーサンに足を突っ込んで、玄関の引き戸をガラリと開ける。朝一発に見るのがこのジジイの顔か、と思いつつ開いた扉の向こうには、ジジイともうひとり、知らない年配の女性が立っていた。
「おはようございます」
「姉ちゃん畑する言うてたやろ? ゆみえちゃん連れてきたから、色々教わり」
「はぁ……」
ゆみえちゃん。確か畑に詳しい人を紹介するって言ってたな。どうやらこの女性がゆみえちゃんとやららしい。
「初めまして、苗字名前です」
「あらま、可愛らしい子やねぇ。北結仁依です。よろしゅうね」
「はい、よろしくお願いします」
ニコニコ笑顔の女性は、ジジイと違っていい人そうに見える。早速畑を見せてほしいと言われたので、私はジャージにサンダルのまま畑へと向かった。昨日来たばかりだから、手入れもなにもしてないんだけれど。
「あらま、これは草取りが必要やな」
「ですねぇ」
「今植えるならニンジンとかキャベツ、秋ジャガイモなんかもええよ」
「夏野菜じゃないんですか?」
「育つまでに時間かかるから、今植えるのは秋野菜なんよ」
「なるほど」
ゆみえさんは土を触ってみては、必要そうなものをメモしてくれているみたいだった。彼女の手元にあるメモ帳には、肥料だとか苗だとか、野菜の名前なんかが書かれている。うちの中から出てきた猫が、ゆみえさんの足元に絡みついた。ニャーニャー懐いている辺り、この人はやはりいい人みたいだ。そういえば、昨日の北くんって人が来ても愛猫は起きてこなかったな。あの人もいい人なんだろうか。
「台風来てるみたいやから、草取りは過ぎてからがええなぁ」
「そうなんですか? 今日刈ろうと思ってたのに」
「雨のあとの方が抜きやすいんよ」
「へぇ」
女同士のトークを繰り広げていたところに、割り込んできたのは例のジジイだった。お前、まだいたのかよ。
「ところで姉ちゃん、信ちゃんに会うたやろ? どや? 男前やろ」
信ちゃん? 誰だよ、それ。心当たりがなくて、首をかしげてみせる。「信ちゃん?」と問うてみたら、澤田のジイさんは得意げに口を開いた。
「ゆみえちゃんの孫や。昨日、カーテン付けてきた言うてたわ」
ゆみえちゃん。北ゆみえさん。北。……もしかして、北くん!?
「えっ!? あ、もしかして北くんって」
「そ、うちの孫」
「まあ、確かに男前でしたけど」
「どや? ゆみえちゃんも早うひ孫の顔見たいやろ? なんなら仲取り持つで?」
「結構です。結婚願望ないので」
ゆみえさんはいい人だし、北くんもまぁいい人なんだろうけど、生憎私にその願望はない。全ては澤田のジジイの願望でしかないのだ。丁重にお断りすると、澤田のジイさんは「ええと思うんやけどな」とブツブツこぼしていた。台風の予兆らしき風が吹いて木々を揺らす。澤田のジイさんの薄い髪の毛もゆらりと揺れている。
「そや、姉ちゃん地域おこしの委員会に入らんか? 信ちゃんもおるで」
「ハァ!?」
そろそろこいつ帰るかな、なんて思っていたのに、澤田のジイさんから飛び出た言葉に思わず本音の言葉が飛び出る。地域おこし委員会!? ナンジャソリャ!? えっ、何それなんでいきなり!? そこまでして私と信ちゃんをくっつけたいの!?
ゆみえさん、ヘルプ!
そう思ってゆみえさんの方を見ると、彼女は満面の笑でこう答えた。
「ええな! 移住の人の意見は貴重やで! 若い子の意見も聞きたいしな!」
「せやろ!? ここん出身の若いもんだけやと、意見も偏るしな!」
「名前ちゃん! 是非お願いします!」
キラキラした瞳でゆみえさんに見つめられたら、断ることなんて出来ない。うっ、ちょっと北くんに似てるかもしれない。いい人オーラ全開で見つめてくるゆみえさんに押されて、つい「はぁ……」なんて返事をしてしまう。
「決まりやな! 次の委員会は七日やから! 案内状出すわ!」
なんて澤田のジイさんが続けて、ゆみえさんには握手をされた。あれ、何これ。なんか面倒なことになってない!?
「あの、私まだ……」
「やー! 姉ちゃんみたいな子が来てくれたら安泰やわ!」
「若い女の子もおるから安心してな! 信介にも名前ちゃんのことよろしく言っておくから!」
「はぁ……」
どうやら二人とも、純粋な気持ちで私に地域おこし委員会に入ってほしいみたいだ。まぁ、仕事以外に予定もないし、いいんだけどさ。べつにいいんだけど! それと北くんの話は別だからね!
「で、信ちゃんどや?」
なんて言ってきた澤田さんに、「結構です!」ときっぱり返した。本当興味ないから! お断りだから!
ところがこの翌日、私はまたもや北くんと対面することとなる。今年一番の勢力を持つ台風が、関西地方に上陸した日のことだった。
可愛い後輩に先を越されて焦る夢主ちゃん(黒尾)
「あの、会うたびするのって変ですかね」
卒業以来何度か訪れていた体育館。その隅でスポーツドリンク補充の手伝いをしながら、私は思考を巡らせていた。
する? するって、もしかして、そういう系の話?
隣にいるのはふたつ年下の可愛い後輩マネージャー。小さくて可愛らしくって、そんな話はしませんって顔をしている彼女の口から、「する」とかいう言葉が出てくるとは思っていなかった。だから一瞬固まってしまったけれど、私が処女だと悟られるわけにはいかない。なぜなら自分は、いわゆる頼れる先輩キャラだからだ。
「えっと、するって……エッチのこと?」
「きゃー! そんなハッキリ言わないで下さいっ!」
「え、研磨とエッチしたの?」
「そ、そ、そりゃ、付き合ってますから」
「ちょっと〜、早く教えてよ〜」
んんんん!? んんんんんんん!?
性欲なんてありませんって顔をしている可愛い後輩その一と、そういう系の話は無理です! って顔をしている可愛い後輩その二が、あ、あ、会うたびしている……!? ですと!?
「そ、それで、会うたびって変ですかね……?」
「えっ!? あ、あ、うーん、いーんじゃない!?」
知らん! 知らんよ! だって私処女だもん! しかも片想いこじらせたゆえの処女だもん! でもそんなこと絶対に言えない! 黒尾のために大事に処女とってるなんて言えるはずがない!
「先輩は彼氏さんとする時、どーなんですか?」
「そーいうのは人によるものでしょ」
なんて、余裕ぶった表情で説いてみせる。私、彼氏いないどころか処女なんですけど! 経験ない歴イコール年齢なんですけど!
「さすが先輩! そうですよね! 周りと比較する必要なんてないですよね! あ、でも」
「ん?」
「きのう、黒尾さんに見られてしまって」
「ファ!? な、な、何を!?」
「その、研磨くんちで、してたら入ってきて」
「ヒェ!?」
「ごめん、また来るわって言って去っていったんですけど……、謝った方がいいんですかね? 黒尾さん、気にしてなさそうでしたけど……」
待て。待て待て待て待て。入ってきたの!? どんなパーソナルスペースだよ。……っていうか、黒尾、気にしてなさそうだったってそういうの慣れてるからかな? 絶対童貞じゃないよね。一番に卒業してますって顔してるし。処女って重いのかな。
「さ、さすがにそういう場面は経験ないな〜」
「先輩でもですか!?」
「人がいきなり入ってくるとかないでしょ〜! 気にしなくていいんじゃない!?」
「そうですよね! ありがとうございます」
後輩は満面の笑みで礼を言うと、彼氏の元へと駆けていった。いいなぁ。可愛いなぁ。……っていうかあの可愛いカップルが……、へぇ、へぇええぇ。や、焦ってないですよ!? 後輩が先に大人の階段昇ってたからって焦ってないですよ!? 大学生で処女だからって焦ってないですよ!?
……うそ。たぶん、かなり焦ってる。私。
とりあえず、顔出したんだし黒尾に挨拶してこよ。主将だし。まぁ、下心がないって言ったら嘘になるんだけど。
そうして向かった片想いの相手の元。そこには先客がいて、何やら相談を持ちかけているようだった。黒尾と話していたのは、私と入れ替わりで入ってきたハーフの長身イケメンだ。
何話してんだろ。背後から、こっそりと聞き耳を立ててしまう。しかし、聞こえてきた言葉は想像していなかった類のもので、思わず声を発しそうになってしまった。
「その、……黒尾さんって、彼女さんと初めてしたときどう誘いましたか?」
ハ!? この人何聞いてんのおおおおお!? 今部活の休憩時間! した時、ってそういう話ですよね!? 何なの! どいつもこいつも発情期なの!?
一方の黒尾は、ひょうひょうとした顔でオトナに返答をしている。
「こんなこと黒尾さんにしか相談できないんっすよ」
「そーいうことは自分で考えるのがオトナでしょーが」
「黒尾さん! さすがっす!」
そう答えたのを聞いて、心の奥が黒いもので埋めつくされていく。
黒尾、慣れてるのかな……。そう答えたってことは、経験あるってことだよね? しかも、ひとりやふたりじゃなさそうだし。
なんだかなぁ、もう。でもさ、これって、私みたいな処女でも相手にしてくれるかもしれないってこと!? もしかしてチャンスなのでは!?
っていうかね、四割くらいはもしかして両想いなんじゃ? と思ったことがあるのですよ。黒尾、私に優しいし。たぶん思わせぶりなんだと思うけど、四割、四割くらいはこれ両想いだよね? って思ったことがあるわけなの。これは、攻めるチャンスなのでは!?
「なーんの話してたの?」
去っていったリエーフくんを見送って、恐る恐る黒尾の元へと近寄る。黒尾は私の顔を見ると、ぺこりとお辞儀をして「名前さん、お疲れ様です」と言った。キュン。相変わらずカッコイイ。
「いっちょ前に主将してんじゃん〜! で? 彼女とする時どう誘ったの?」
「そんなこと聞いてどーすんですか」
「んー? 私が黒尾に襲われる時の参考にしようと思って」
わー! 言ってしまった! 言ってしまった! 黒尾はたぶん、これくらい余裕のある女の方が好き。でも騙すのはフェアじゃない。だから、ここは処女を武器に使うしかないと思うのです。処女は重荷でもあるけれど、武器にもなると思うから。
「いや、先輩の方が慣れてるでしょ」
「好きな人のためにとってる、って言ったら?」
「は」
「ごめん、引いた?」
あー、ちょっと攻めすぎたかな? けれども目の前の彼は、きょとんとした顔で私を見ている。あれ、こんな顔の黒尾初めて見るかも。
きっと彼は女慣れしているし、経験豊富だ。九割はそう思っていたけれど、もしかするとに賭けていた自分もいる。つまり。その。実はウブだといいなっていう私の願望。
「何を、って顔してるね」
「ちょっと、何言ってるのか理解できないですね」
「大学生で経験ないっておかしい? 黒尾のためにずっと処女でいるんだけど」
真っ赤に染まっていく彼の顔を見て、私は心の中でガッツポーズを決めた。嘘。本当に? そんなことってある?
「……俺も先輩のためにとってましたから」
「へ!?」
「今夜辺り、どーですか?」
まさかの期待通りすぎる展開に、もう余裕ぶることもできない。これ、何回も頭の中で妄想したのだ。嘘でしょ。夢でも見てるのかな、私。
熱を持った顔を、縦に振ることで答える。見たこともない顔をした黒尾と、真っ赤になっているであろう私。熱気のこもった体育館の中で、ふたりの関係性が変わったことに誰も気づいていないだろう。
たぶん、きっと。今夜私は、彼とひとつになる。
後輩たちに先を越されて焦る黒尾さん
ちょっと待て。待て待て待て待て。俺は今何を見ているのだろうか。暑さで呆けた頭を、ぐるぐるとフル回転させる。
えーっと、情報を整理しよう。部屋の冷房が効くのを待ちきれなかった俺は、隣に住む幼馴染の部屋を訪れたはずだ。玄関に女の子の靴があったことには気がついた。あー、マネ来てんのね。ジャマしちゃいけないかな。それくらいの気持ちは俺にもあったわけよ。
ところがですね、帰ろうとした俺に研磨の母ちゃんが声をかけてきたもんだから、安心したわけ。おばさんいるんじゃんって。
だから、こう。まさかそういうことをしているなんて、微塵にも思わなかった。だって、研磨とマネだし?
しかし開いたドアの先には、座ったまま向き合ってチュッチュしてるふたりがいたのだ。掛けられたタオルケットによりよく見えないが、床に投げられた彼の制服のズボンが全てを物語っている。
「……クロ、ノックくらいして」
「ごめん、また来るわ」
ええええぇ!? えええええええ!?
混乱した頭を抱えながら、階段をドスドスと降りる。「あら、もう帰るの?」とおばさんに声をかけられたけれど、「ハイ」としか言えなかった。
正直、先を越されるとは思っていなかった。最初に彼女が出来たのだって俺だし、ファーストキスだってたぶん俺が先。研磨にエロい知識を植えつけたのは俺だし、彼はそういう話をすると溜息をついて睨んできた。部内での猥談にだって入ってこなかったし、マネと付き合いはじめたっていうだけで奇跡だなんて思っていたのに。
まさかの、年下幼馴染が俺より先に大人の階段を昇っていただなんて。
いや、俺だって言い寄ってくる女の子のひとりやふたりや三人、いるんですよ? ただ最近はそういうの断ってるっていうだけで。まあ、その理由は単純で、俺に片想いの相手がいるっていうだけなんですけど。
あー。あーっ!
俺もしかして、……焦ってる?
モヤモヤしたまま訪れた翌日の部活タイム。俺は研磨とマネの顔を見ることができなかった。けれども自然に目に入ってしまうもので、それだけでまた焦るような気持ちが浮かび上がってくる。
そんな俺に声をかけてきたのは、後輩のリエーフだった。顔を赤らめて、デカい図体を丸めながら小さく口を開くリエーフ。何か相談でもあるのだろうか。
「黒尾さん、相談があるんすけど」
「あっ? あ、うん、ドーゾ」
「? なんかボーッとしてます?」
「や、べつに!? ドーゾドーゾなんでも聞いてちょーだい」
「その、……黒尾さんって、彼女さんと初めてしたときどう誘いましたか?」
「ハ!?」
「こんなこと黒尾さんにしか相談できないんっすよ」
な、ん、だ、っ、て!?
お前もか!? お前も先を越してしまうのか!?
なんて言えるはずもなく、「そーいうことは自分で考えるのがオトナでしょーが」なんて返してしまった。リエーフは、「黒尾さん! さすがっす!」なんて俺を称えている。
言えねー。童貞だなんて。
礼を言って去っていったリエーフと入れ替わるように、俺に近づいてきた人物がひとり。
「なーんの話してたの?」
今年の春卒業したばかりの、ひとつ年上の元マネージャー。つまり女子大生。その彼女が、スカートをひらひら揺らしながら近づいてくる。
そう、その彼女こそが俺の片想いの相手であり、俺を童貞に留めている原因でもあった。
「名前さん、お疲れ様です」
「いっちょ前に主将してんじゃん〜! で? 彼女とする時どう誘ったの?」
どうやら、先程の会話は彼女の耳に届いていたらしい。いや、俺のお初はあなたのためにとっているんですけど。
「そんなこと聞いてどーすんですか」
「んー? 私が黒尾に襲われる時の参考にしようと思って」
「いや、先輩の方が慣れてるでしょ」
「好きな人のためにとってる、って言ったら?」
「は」
「ごめん、引いた?」
何を言われたのか、一瞬理解できなかった。とってる? 何を? 何をとってるんですか? 想像がつかないんですけど。
「何を、って顔してるね」
「ちょっと、何言ってるのか理解できないですね」
「大学生で経験ないっておかしい? 黒尾のためにずっと処女でいるんだけど」
そこまでハッキリ言われて、ようやく彼女の言葉を理解した。ダッセー、本物の童貞じゃん。俺。ま、そーなんですけどね。
「……俺も先輩のためにとってましたから」
「へ!?」
「今夜辺り、どーですか?」
まさかの展開に、ニヤける口元を押さえるだけで精一杯だった。こくりと頷く彼女を見て確信した。どうやら今夜、俺は童貞を卒業するらしい。
熱のこもった体育館の中、たった今関係性の変わったふたりの存在に、だれも気づいていないだろう。
祝819夢書き1年!
お久しぶりです!なるみです!
私生活がバタバタしてて、さらに疲れやら暑さやらで体調崩す日が続いて、サイト放置しててごめんなさいー!
書きかけの中編や長編も放置していて本当ごめんなさい、すぎる!!!!子の夏休み中はバタバタですが、それを過ぎたら沢山更新したいと思っています。
それでですね、今日でなんと819夢を書き始めて1年が経ちました〜!わ〜!パチパチ。
同人歴は8年ほどなんですが、夢小説はROMだったので新しい世界でした。ROMで夢サイト漁っていたのも高校生の頃なんで本当に10年以上ぶりに夢小説漁って、あの頃に戻れたっていうか、私夢女だわ!って認識させられてっていうか!はい!本当に新鮮な一年でした。
まだまだ書きたい夢はたくさんあるので、どんどん書いていけたらいいなと思ってます!
これからもどうぞよろしくお願いいたします!
黒尾さんから見たふたり・夜編
幼馴染とその彼女が一線を超えたらしい。
誰に聞いたのかって? 研磨が俺に話すわけがないでしょ。とはいえ彼女の方から俺に報告してくるはずもない。つまり……。
雰囲気で分かってしまったんですよねぇ。なんっつーかこう、ボディタッチ多くない? みたいな、そんな距離感で話してたっけ? みたいな、余裕が垣間見えてるよね? みたいな。
何よりも、先に進んでいないことを悩んでいた彼女の表情が、晴れていることが何よりの証拠でしょ。
そういうことは聞かないのがオトナのマナーだと思う。でもね。でもですよ。研磨は俺の幼馴染なわけですよ。つまり、俺は彼といると中二くらいの頭に戻っちゃうんですよ。ねぇ、この中二感、どうしてくれるんですか研磨くん。
聞くなら今。今しかない。キョロキョロと周りを見回し、研磨の姿を探した。うん、キッチンにいる。みんなは鍋をつつくのに夢中になっているし、彼女の方は女子トークが盛り上がっているようだ。あー、もう無理。聞きますよ!? 俺は聞いちゃいますよ!?
俺は新しいビールを取りに行くフリをして、そっとキッチンへと向かった。冷蔵庫を漁っている研磨の後ろから、そっと声をかける。
「ねぇ、研磨くん」
「なに」
「上手くいったようで何より」
それだけ伝えただけなのに、ぎろりと睨まれた。なんで。
「きもちよかった?」
「またすぐそういうこと言う」
「だって気になるでしょ」
「幼馴染のそういう話聞いて楽しいわけ? クロは」
「めーっちゃ楽しい」
「……」
「っていうか、否定しないってことはしたんだ? オメデトウ」
またどうせ『うるさい』って睨まれるんでしょうね。分かってますよ、幼馴染の言動くらい。
ところが研磨は動きを止めて、頬を真っ赤にして固まってしまった。何かを思い出したかのように。冷蔵庫から、早く閉めろと音が鳴り始める。えっ、えっ、何この反応!? こんな研磨くん初めて見るんですけど。
ん、もしかして。この人たち……。
「……二回目のタイミングで、悩んでるとか?」
「聞こえない」
「ビンゴ!? 俺オトナだからこういうの分かっちゃうんだよね」
「オトナだったらそういうこと聞かないしうるさいし!」
「っは! あはは! ちょ、研磨くん真っ赤〜! え、オニーサンが教えてあげよーか?」
「知らない!」
研磨はバタンと冷蔵庫を閉めて、みんなの元へと戻っていった。耳まで真っ赤になった研磨を見て、リエーフが「研磨さん飲みすぎました?」なんて言っている。察してしまったらしい彼女だけが、研磨の方を見て顔を赤く染めた。
「じゃ、今日は早めにお開きにしましょーか」
あー。あー! あーー!!
もうこのふたり、じれったすぎでしょ。本当に。これは彼女の方にも一言入れ知恵しておかねばならない。
「ねぇ」
「クロさん」
「泊まっていくんでしょ?」
「えっ!? えっ!?」
「研磨くんが泊まってほしいって言ってたけど? じゃ、俺たちは片付けたら帰るからふたりの時間楽しんで」
そこまで伝えたところで、研磨に睨まれたのでそれ以上話すのはやめておいた。研磨くん、独占欲強いからね。
俺の言葉で真っ赤になってしまった彼女は、同じく真っ赤になったままの研磨と目を合わせて黙りこくっている。あー、俺、何見せられてんの。
ま、今夜はお熱い夜になることでしょ。さっさと帰りますかね。
そんなことを考えながら、俺は高速で皿を洗ったのだった。
北さん誕めっちゃ祝った
遅くなりましたが北さんお誕生日おめでとう~!
7月5日当日は最推しの誕生日を盛大に祝いました。はい。
もちろん豆腐ハンバーグは作ったし、妄想1本、長編開始、R-18を1本更新したし、デコチョコとケーキまで作りました~!
デコチョコ作るの趣味なんです。キュのキャラは初めて作ったので、また作りたいなと思いました。
北さんはチーズケーキ焼いたんですが、研磨くんの時はアップルパイかと思うとハードル高いですね。頑張ります!
R-18は支部とべったー、妄想はTwitterに載せてます。べったー申請の際は年齢表記お願いします!
Twitterもいつまで使えるか分からないので、短い妄想もどこかに移せたらいいなあ。
まあ、そんな感じで北さん29歳おめでとう~! これからも愛し続けます。
ビッチな女子大生とおにぎり屋の店長1
あんのクソ男、女をホテルに置き去りにして帰るなんてありえない! 6800円のきっちり割り勘分、3400円が置かれていたことだけはありがたい。……わけねぇだろ、ばーか。もう二度と会うもんか。
「すみません。もう閉店なんです」
ヤること済ませてお腹が空いた。そう思ってくぐったおにぎり屋ののれんの向こうに見えたのは、かなりのイケメンお兄さん。いい匂いが残っているというのに、閉店。はぁ? ていうか今何時? 首から下げたスマホをタップして、終電を逃したことを知る。
「? あの、閉店なんです」
「お兄さん、イケメンだね♡」
「はぁ……?」
「ねぇ、終電逃したから、泊めてくんない? もちろんご奉仕するよ?」
自分で言うのもなんだけど、顔は可愛い方だと思う。っていうか、夜のお誘いして断る男なんかいないし。
上目遣いでお兄さんの顔を見上げる。わ、背高い。スポーツでもしてたのかな? 筋肉質だし、これ絶対エッチ上手い人だ。これは今夜が楽しみだ。
なんてワクワクしていた私の額に、突如お見舞いされたデコピン。いった。え、何? 何されたの!?
「お姉さん、学生やろ?」
「◯◯大だけど?」
「むっちゃ頭ええやん! なんでそんななん?」
「そんななんって、何? お兄さんのお相手してあげるって言ってんの」
「自分大事にしぃや」
「わぁ、そんなこと言う人本当にいたんだ」
驚いた。百戦錬磨です、って顔をしているのに、まさかの真面目系? 童貞ですか? それより遊びすぎて落ち着いた系?
「タクシー代貸すから、帰りぃ」
「タク代くらい持ってるよ。帰りたくないの。別に待ってる人なんていないから。父親は飲んだくれてるし、母親は帰ってこないし」
「……入りぃ」
「は?」
「おにぎり二個でええ?」
お兄さんが看板をひっくり返し、のれんを店内に入れてから私を招き入れる。無理矢理座らされたのはカウンターの中央の席。戸惑っている間に、温かい味噌汁とおにぎりが二つ差し出された。
「おかかとうめ。これしかあらへんけど」
「うめぼしキライなんだけど」
「お子ちゃまなんやな」
はぁ!? 何こいつ。お兄さんを睨み上げつつ、おにぎりをひと口齧る。ふんわりと香るかつおぶしの匂いと、しっかりした白米の味。……なっにこれ! うっま!
「うっま!」
「せやろ? 味噌汁も飲んでみ」
「〜! っは、染みる! セックスよりきもちいいわ、コレ」
「何と比べてんねん」
「ねー、お兄さん、本当に私とヤんないの? 帰るとこないんだけど」
おにぎりの梅干しをほじくり出しながら、再びお兄さんの顔を見上げる。わぁお、やはりイケメン。こんなイケメン出会ったことないわ。
「それはアカンけど、泊めたるよ」
「いいの!?」
「帰りたくないです、って顔しとるし。そんかし俺はソファで寝るからな」
「お兄さん優しい〜!」
泊まってヤらないとかあるわけないでしょ。勝った。私の大勝利! イケメンも可愛い(自分で言っちゃう)女の子からのお誘いは、断れないでしょ。
はー、さっきの割り勘男下手くそだったし、これで気持ちが晴れそう! このお兄さんだったら絶対きもちよくしてくれる。イェイ。
……だなんて、思っていたんだけど。
「え、ちょ、寝てる!?」
「んー……」
「お兄さん起きてよ! 本当にヤんないの!?」
おにぎり屋さんから徒歩五分のデザイナーズマンション。その最上階にあるおしゃれな部屋の一角で、私は膝から崩れ落ちていた。
シャワーを浴びて戻ってきた時には、お兄さんはソファで爆睡していたのだから。
「え、ちょっと! めっちゃムラムラしてるんですけど!」
お兄さんからの返事はない。いびきなのか寝息なのか分からない音だけが返ってくる。まじか。そんな男、いるんか。
……なんか腹立ってきた。絶対コイツに私のこと抱かせてやる! 今日は無理だけど! 知らん! もう寝る!
モヤモヤしたままお兄さんのセミダブルベッドに寝転がる。ふかふかで気持ちよくって、あたたかい何かに包まれている不思議な気分だった。
うーん、あったかいお味噌汁。お米そのものの味が伝わってくるおにぎりと、ふんわりしたかつおぶし。梅干しは残したけど。……おいしかったな。あんなおいしいご飯食べたの、久々かもしれない。うーん、たぶん小学生ぶりくらい。母親がまだいた頃の話。
あー、またいい匂いがしてきた……。リアルな夢だな。
ぱちっと目が覚めると同時に、薄グレーの壁紙の天井が飛び込んでくる。ここはどこのホテルだ!? と飛び起きると同時に、漂ってきた『なんかいい匂い』にお腹がぐぅと悲鳴をあげる。
「何このいい匂い……」
昨日の出来事を思い出し、のそのそとキッチンの方へと歩みを進める。寝る前に冷蔵庫開けたから、たぶんこっちで合ってる。いい匂いがしてくるし。
「おはよう。寝られた?」
「まぁ。何の匂い?」
「朝飯や」
「朝ごはんとか食べないんだけど」
「そりゃアカン。ちゃんと食べんとおっぱい大きくならへんで?」
「ハァ!? 関係ないし!」
「食わへんの?」
「食う!!!!」
お兄さんの方へと近寄って、ガスコンロの上に置かれた鍋を覗き見る。なんかの汁、あと皿の上に卵焼き、ベーコン、ブロッコリー。オーブントースターの中には、オレンジ色に光る食パンが二枚。あー、またお腹空いてきたかも。
「おにぎりじゃないんだ」
「トーストも食べるで」
「ふーん。ま、どっちでもいいけど」
「自分、めちゃ細いな? ちゃんと食うてんの?」
「ひゃ!?」
いきなりぐいっと腰を引き寄せられて、お兄さんの顔が近づいてくる。キスされる!? なんて期待したのは一瞬で、二の腕と腰をふにふにと掴まれて、「ほっそ」とつぶやかれた。
ハァ!? ハァァア!? その顔ずっる!
っていうか、何ドキドキしてんの、私!
「……で、本当にヤんないの?」
「ん、せんよ?」
「はぁ? ピーー付いてる?」
「お姉さんみたいな可愛え子は、大事にしたいからな」
「ハァ!? ハァァァ!? 何言ってんの! ばっかじゃないの!」
ふふっと笑う彼の顔が見れなくて、顔をそむけた。何こいつ。本当何こいつ。なんでこんな、ドキドキすんの!? こんなの初めて。これじゃあ、まるで……。
「ん、朝飯」
「いただきます!」
「な、また店来てくれる?」
「なんで」
「お姉さんにまた会いたいもん」
ヤらないのに、なんで? 意味分かんない! この胸の高鳴りも意味が分かんない! 知らん! ばーか!
でもね、これだけは言える。私、完全に。
胃袋掴まれた。
北さんと単身移住者2
さて、どうするかな。
賃貸だけど好きにリノベーションしていいと言われている少し古い民家は、やはりところどころ傷んでいる。まずは掃除。おしゃれリノベは勉強しながら少しずつ進めていくとしよう。まずはカーテンをつけて、寝室を整えなければならない。それから、仕事部屋も。
ぐう。鳴ったお腹の音に、そういえばお昼がまだだったなと思い出す。謎にキッチンだけリノベーション済みだったおかげで、自炊には困りそうにない。和風の民家には似合わないIH調理器の前で、ラーメンの袋をバリバリと開けた。真夏だというのに、窓から吹き込む風が涼しい。前の持ち主が吊るしたままなのであろう風鈴が、カランと音を立てた。
元彼と、旅行先で風鈴づくりの体験をしたっけ。あの風鈴がどうなったのかを、忘れられるはずがない。浮気が分かったあの日に、割ってしまったのだから。
「ひゃ、麺伸びてる!」
新居での初ご飯は伸びたラーメン。しかも水の分量間違えた。まあ、誰に食べさせるわけじゃなちからいいんだけどね。
結局伸びたラーメンは半分残して、流し台に放置してしまった。休んでいる暇はない。これから夜までに、寝床を整えなければならないのだから。
スポーツブランドのウェアに着替えて、まずは拭き掃除から始める。廊下と3DKの部屋全てを拭きあげて、軽自動車に積んできた布団を寝室まで運んだ。ベッドはネットで頼んであるから、明日には届くだろう。ものはほとんど捨ててきた。新しく生まれ変わるのだから、必要なものはぜんぶ新しくしたい。
ちょっとだけ休憩しようと、居間の窓を開け放ったまま畳の上に寝転がる。い草の匂いが鼻をかすめて心地いい。うとうとと微睡みの渦に飲み込まれそうになる。あー、このまま眠っちゃおうかな。
「腹冷やすで? そんな寝方したら」
「!?」
え、え!? 何か聞こえた!?
さっきのジジイの声じゃない。もっと若い……、男性の声!?
ガバリと身体を起こすと、窓の向こう、縁側に膝をつくようにしてこちらを覗き込む若い男性の姿が目に入った。
ん? んんん!? どなた様!?
私今、狐にでもつままれているのでしょうか!?
「驚かせたな。すまん。俺澤田さんに言われて来ました、北信介言います」
「澤田……? あー、さっきのジ……、大家さんのご友人の!」
「ひとりで引っ越しの片付けせなあなんから、手伝って来いって……、聞いてへん?」
「へ!? は、はぁ……」
あんのジジイ。余計なことしやがって。
そう思いながら顔を上げると、北くんとやらと目が合った。うわお、かなりのイケメンだ。ふっと優しく微笑まれたものだから、うっかりときめいてしまいそうになる。
「あの、荷物ほとんど通販で頼んでるので、掃除くらいしかすることなくて……。大丈夫です。ひとりでも」
「カーテンは?」
「……あ! 忘れてた!」
「脚立持って来たから、上がってもええ?」
「ど、どーぞ……」
おっと、若イケメンを部屋に上げてしまった。北くんとやらが、「おじゃまします」と縁側から入ってくる。カーテンと留め具を手渡すと、パパッと手早くそれをつけていった。
『北農園』と書かれた作業着は随分と暑そうなのに、この人が着ると爽やかに見えるのはイケメンだからだろう。器用な指先は、土がこびりついた跡がついている。農家さん、なのかな?
マジマジと見つめているうちに、北くんはカーテンをつけ終わっていた。
「他の部屋のは?」
「あっ、こっちです! これ、カーテン……」
「可愛らしいなぁ」
可愛……!?
いや、いや、カーテンのことだから! 私のことじゃない。カーテンの柄のことだから! たぶん!
熱くなる頬を手で仰ぎながら、北くんを寝室に招く。そこでも手早くカーテンをつけていった北くん。そのまたお隣の仕事部屋の分まで、手早くカーテンの設置を完了させてくれた。
「荷物、ほんま少ないなぁ。ミニマリスト?
っちゅーの?」
「違います! 心機一転したくて……、新しいものに買い替えちゃおう、って」
「へぇ、ええやん」
そう言ってにこりと微笑まれたものだから、うっかりまたときめいてしまいそうになった。いや、ときめきました。すみません。
いや! でも! 一瞬だから! 一瞬ときめいただけだから!
絶対好きにならない! この人のことは!
「な、ひとつ、言うてもええ?」
「!? な、なんですか!?」
「流しのラーメン、片付けてもええ?」
「〜!?」
「気になんねん」
「きゃー! 自分で片付けます! 片付けるから!」
キッチン周りに放置していたビニル袋を、北くんがひとつ取り出して底に穴を開けていった。なるほど、汁切りしてるんだ。その機敏さに見とれている間に、北くんはラーメンの残飯を処理して、もう一枚のビニル袋で厳重に密封していった。すっご。テキパキしすぎでしょ、この人。
「それからな、ズボンの紐伸びすぎやで?
ゴムも緩んどる」
「……!? きゃー! ルームウェアのままだった! ごめんなさい! こんな格好で!」
「ビニル袋取る時段ボール見たけど、中身バラバラやんな? あれやと必要なもの見つけられへんで」
「うっ……、す、すみません」
えっ何この重圧!? 部活!? すっごい怖い女の先輩がこんな感じだった気がする。ま、彼女のことは尊敬してるし仲も良いんだけど。
圧のある正論パンチ。けれどもイヤな感じはしない何かがある。なんだ、コレ!?
「俺、自分がきっちりせぇへんと、身体むず痒くなんねん」
「……? はぁ」
「せやけど、女の子はきっちりしてへん方が、可愛えなって思うわ」
「はぁ……」
「自分のこと言うてんねんけど」
「はぁ……、ん? え? えええ!?」
何これ!? 何これ何これ!?
もしかして私、口説かれてる!?
や、そんなわけないでしょ、こんなイケメン。話出来すぎ。たぶんヤりたいだけ。絶対そう。男なんてみんな同じなんだから。
「ほな、俺は帰るわ。荷物も少ないみたいやし」
「あ、ありがとうございました」
「鍵かけるんやで? 田舎の男、可愛え子に慣れてへんから、襲われんようにな」
「かっ……!?」
可愛い!? また可愛いって言った!? 言ったよね!? 今度はカーテンの柄のことじゃない。だって今、カーテンの話はしていないし。
「俺以外の男、同じようにホイホイ上げんようにな」
ほな、また。そう言って北くんとやらは、車に乗って帰って行った。『北農園』と書いた軽バンが、ブォンと音を立てて坂道を下っていく。
なに、いまの。な、な、なんか、可愛いとか言われた!?
きっとあの人も、単身移住者が珍しいんだ。それと、ヤりたいだけ……、には見えなかったけれど。まあ、もう会うこともないかもしれないし、気にするのはやめた。私は一生独身を貫くのだから。そもそもあんなイケメン、きっと彼女がいるに違いない。
「あっ、鍵……!」
北くんに言われた通り、表側の窓を閉めて、玄関の鍵をかける。飼い猫は眠ったままだから中にいるし、戸締まりして問題ない。磨りガラスの引き戸は少しガタついているが、鍵はしっかりかかるようだ。こんな田舎の一番奥地に来る人なんて他にいないんだろうけど、北くんの言うことは聞いた方がいい気がした。
『自分のこと言うてんねんけど』
「わーっ!」
ふわりと揺れたドット柄のカーテンと、夏のにおい、蝉の声、四枚扉の大きな窓。流し台のラーメン。足元に置かれた段ボール。北くんの声が、顔が、はっきりと浮かび上がってくる。
ゴムの緩んだスポーツウェアにヘアバンドで掻き上げた髪、半分以上剥がれたペディキュアが目立つ素足なんていう、とても人には見せられない格好をしていたというのに。彼は私のことを可愛いと言った。社交辞令なのかもしれないけれど。
「知らん! 忘れる! 片付け!」
今恋愛をするなんていうことは、飛んで火に入る夏の虫。焼け焦げて、ぼろぼろになるに決まっているのだから。
もう恋なんてしない。
誰かに恋することなんてないだろうし、相手から来られても絶対に乗らない。仕事とちっぽけな趣味と、飼っている猫さえいればそれでいい。
この時の私は知らなかった。それが、運命が動き出した瞬間だったことを。