後輩たちに先を越されて焦る黒尾さん

 ちょっと待て。待て待て待て待て。俺は今何を見ているのだろうか。暑さで呆けた頭を、ぐるぐるとフル回転させる。

 えーっと、情報を整理しよう。部屋の冷房が効くのを待ちきれなかった俺は、隣に住む幼馴染の部屋を訪れたはずだ。玄関に女の子の靴があったことには気がついた。あー、マネ来てんのね。ジャマしちゃいけないかな。それくらいの気持ちは俺にもあったわけよ。

 ところがですね、帰ろうとした俺に研磨の母ちゃんが声をかけてきたもんだから、安心したわけ。おばさんいるんじゃんって。

 だから、こう。まさかそういうことをしているなんて、微塵にも思わなかった。だって、研磨とマネだし?

 しかし開いたドアの先には、座ったまま向き合ってチュッチュしてるふたりがいたのだ。掛けられたタオルケットによりよく見えないが、床に投げられた彼の制服のズボンが全てを物語っている。

「……クロ、ノックくらいして」

「ごめん、また来るわ」

 ええええぇ!? えええええええ!?

 混乱した頭を抱えながら、階段をドスドスと降りる。「あら、もう帰るの?」とおばさんに声をかけられたけれど、「ハイ」としか言えなかった。

 正直、先を越されるとは思っていなかった。最初に彼女が出来たのだって俺だし、ファーストキスだってたぶん俺が先。研磨にエロい知識を植えつけたのは俺だし、彼はそういう話をすると溜息をついて睨んできた。部内での猥談にだって入ってこなかったし、マネと付き合いはじめたっていうだけで奇跡だなんて思っていたのに。

 まさかの、年下幼馴染が俺より先に大人の階段を昇っていただなんて。

 いや、俺だって言い寄ってくる女の子のひとりやふたりや三人、いるんですよ? ただ最近はそういうの断ってるっていうだけで。まあ、その理由は単純で、俺に片想いの相手がいるっていうだけなんですけど。

 あー。あーっ!

 俺もしかして、……焦ってる?

 モヤモヤしたまま訪れた翌日の部活タイム。俺は研磨とマネの顔を見ることができなかった。けれども自然に目に入ってしまうもので、それだけでまた焦るような気持ちが浮かび上がってくる。

 そんな俺に声をかけてきたのは、後輩のリエーフだった。顔を赤らめて、デカい図体を丸めながら小さく口を開くリエーフ。何か相談でもあるのだろうか。

「黒尾さん、相談があるんすけど」

「あっ? あ、うん、ドーゾ」

「? なんかボーッとしてます?」

「や、べつに!? ドーゾドーゾなんでも聞いてちょーだい」

「その、……黒尾さんって、彼女さんと初めてしたときどう誘いましたか?」

「ハ!?」

「こんなこと黒尾さんにしか相談できないんっすよ」

 な、ん、だ、っ、て!?

 お前もか!? お前も先を越してしまうのか!?

 なんて言えるはずもなく、「そーいうことは自分で考えるのがオトナでしょーが」なんて返してしまった。リエーフは、「黒尾さん! さすがっす!」なんて俺を称えている。

 言えねー。童貞だなんて。

礼を言って去っていったリエーフと入れ替わるように、俺に近づいてきた人物がひとり。

「なーんの話してたの?」

 今年の春卒業したばかりの、ひとつ年上の元マネージャー。つまり女子大生。その彼女が、スカートをひらひら揺らしながら近づいてくる。

 そう、その彼女こそが俺の片想いの相手であり、俺を童貞に留めている原因でもあった。

「名前さん、お疲れ様です」

「いっちょ前に主将してんじゃん〜! で? 彼女とする時どう誘ったの?」

 どうやら、先程の会話は彼女の耳に届いていたらしい。いや、俺のお初はあなたのためにとっているんですけど。

「そんなこと聞いてどーすんですか」

「んー? 私が黒尾に襲われる時の参考にしようと思って」

「いや、先輩の方が慣れてるでしょ」

「好きな人のためにとってる、って言ったら?」

「は」

「ごめん、引いた?」

 何を言われたのか、一瞬理解できなかった。とってる? 何を? 何をとってるんですか? 想像がつかないんですけど。

「何を、って顔してるね」

「ちょっと、何言ってるのか理解できないですね」

「大学生で経験ないっておかしい? 黒尾のためにずっと処女でいるんだけど」

 そこまでハッキリ言われて、ようやく彼女の言葉を理解した。ダッセー、本物の童貞じゃん。俺。ま、そーなんですけどね。

「……俺も先輩のためにとってましたから」

「へ!?」

「今夜辺り、どーですか?」

 まさかの展開に、ニヤける口元を押さえるだけで精一杯だった。こくりと頷く彼女を見て確信した。どうやら今夜、俺は童貞を卒業するらしい。

 熱のこもった体育館の中、たった今関係性の変わったふたりの存在に、だれも気づいていないだろう。

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