北さんと単身移住者4

 カーテンの隙間から覗く稲光と、轟く雷鳴で目が覚めた。またあいつの夢を見た気がする。好きだとか愛してるだとか言うだけ言っておいて、他の女を選んだあのクソ男の夢を。

 外が薄暗いので早朝かと思いきや、時計は午前七時半。ぼんやりとした頭でリビングに移動し、テレビの電源をつける。関西地方のローカルニュース番組は専ら台風の情報を伝えていて、そこで初めて台風が思っていたよりも巨大だということを知った。昨日から風強かったもんなぁ。確かに、昨日草取りしてたら、刈った草ぜんぶ吹っ飛んでしまっていたかも。

 雷の日はパソコン作業をすべからず。これは会社員だった頃、一足先に独立した先輩から教わった言葉だ。なので今日はお仕事は休み。昨日届いたばかりの家具たちを並べたり、部屋の片付けをしたりして過ごそう。まずは一杯のコーヒーからだ。目を覚まさなきゃ。

 コーヒーメーカーを起動させながら、キッチンに置かれた段ボール箱の中を探ってみる。

『中身バラバラやんな? あれやと必要なもん見つけられへんで?』

 見事に中身がバラバラなそれを見て、北くんの言葉を思い出す。確かに。キッチン用品とお風呂用品、なぜか玄関周りのものまで一緒に入っているし。これ、どこから片付けよう。

『せやけど、女の子はきっちりしてへん方が、可愛えなって思うわ』

『自分のこと言うてんねんけど』

 芋づる式に北くんの言葉が蘇ってくる。確かにあの時、彼はそう言った。ンンンン!? あれ、一体何だったの!?

「知らん! あんなの社交辞令!」

 段ボールを漁っていた手が止まる。漂ってくるコーヒーの香りは、朝のまったりタイムに最適なはずだ。それなのに私の心は全く穏やかじゃない。身体が熱いのは夏のせいだ。冷房効いてるけど。

 イケメンだろうが何だろうが、私はもう恋なんてしない。男性に期待するものなんて何もない。これからおひとり様ライフを満喫するのだから。

 カップにコーヒーを注いで、ひと口啜って心を落ち着ける。何かが吹っ飛んできたような音がしたのは、その時だった。

 ゴン! バーン! バリバリ!

 何!? 今の音!?

「ひええぇ」

 玄関に置かれたサンダルに足を突っ込んで、恐る恐る外の様子を伺う。扉を開いた瞬間流れ込んできた強風に、思わず怯みそうになる。木、めっちゃ揺れ……、えええぇ!?

 外からしか開けない、畑作業用の小さな納戸。外回りのものを仕舞うために作られたであろうそのスペースの、木製の扉がごっそりなくなっている。吹っ飛んで行ったであろう扉は、私の寝室の窓に直撃していた。

 ヒッ。窓ガラス、割れてる!?

「えええ!? ってか寝室! 私の荷物!」

 台風遅延のおかげでベッドの到着は遅れているし、チェストはまだ箱の中だ。荷物は段ボールの中だけど、布団は畳の上に敷きっぱなし。急いで寝室に戻ると、布団の上に散らばったガラスが目に入った。吹き込む風で、カーテンはバタバタと揺れている。

 ……ってか、雨入ってきてるし! 何これぇ! どーすればいいの!?

「えっと! 大家さんに電話!? きゃー! 充電切れてる! 充電器どこ!?」

 確か寝る前に充電しようと、コードをさしていたはずだ。それなのに昨夜充電し忘れていた自分を責めたい。はっと顔を上げると、まさかの割れたガラスたちの真ん中に伸びる充電コードを見つけた。

 んえええぇ!? 充電器、あれしかないのに!

 完全にテンパってしまった自分の耳に、呼び鈴が届いたのはその時だった。ん? そら耳!? もしかしてベッドが届いたのかな!? いや、朝の八時に!? そりゃないでしょ! じゃあ、誰!?

「名前ちゃん、おるん?」

 聞き覚えのある声に、心の奥がほっと温かくなるのを感じた。この声、北くん!? なんでここにいるのか分からないけど、神様ありがとう! 救済措置!

 半泣きで玄関にダッシュした私を見て、北くんはふっと笑った。こっちは焦っているというのに、彼は穏やかな表情をしていて、私が脱ぎ捨てたサンダルを揃えている。

「玄関開けっぱなしやし、サンダル脱ぎっぱなしやで」

「そっ、それは! 納戸の扉吹っ飛んできたから!」

「ふっ、嘘やて。大変やな。納戸の扉ガタついとったな思うて、気になって見に来たんや」

「助けて! あれ、どうすればいいの!?」

 テンパりすぎてタメ口で喋っちゃうけど、そんなの知らん! とにかくあの部屋をどうにかしてほしい!

 すがるように泣きつくと、北くんは「安心しぃ」と笑って答えた。彼の脇には青いビニールシート、右手には工具箱のようなものが抱えられている。

「念のため持ってきてよかったわ」

「神様!?」

「すまんな、俺は人間やわ。怪我したらアカンから、あっちの部屋入ったらアカンで? 室内履き持ってきたから、これ履いて入ってええ?」

「お願いシマス!」

「新聞紙とビニル袋持っとる?」

「あります!」

 そこから先は、北くんのテキパキした行動をただ見ているだけだった。割れた窓ガラスには外からビニールシートが張られ、割れたガラスは綺麗さっぱり片付けられていた。濡れた畳の上には新聞紙が敷かれている。布団だけは処分した方がいいとアドバイスを受けたけれど、元彼と寝ていた布団だから未練も何もなかった。

「あの、ありがとうございました」

「今日寝るとこあるん?」

「新しいベッドとマットレスが届く予定だけど、台風で配送が遅延してて」

「ほな、うち来る? 姉ちゃんが使うてた部屋空いてるし」

「ンッ!? ヒェ!?」

 男の人の家に泊まる!? ですと!? ムリムリ! そんなのムリムリ!

「えっと、でも、その」

「安心しぃ、実家やから。猫も連れてきてええし、バアちゃんもおるで?」

「ゆみえさん!? 大好き!」

「バアちゃんも名前ちゃんのこと気に入ってたわ」

「本当!? ね、ちょっと待ってて! 準備する! あとコーヒー飲んでって! 淹れたてだから!」

「ふっ、騒がしいな」

 そう言ってまた柔らかく笑う北くんが眩しい。ンンンン、やはりイケメン。でも騙されちゃだめよ、私! 男はみんなヤリ目なんだから!

 まあ、この人からはそういう匂い一ミリも感じないんだけど。

「さ、こっちの部屋どうぞ!」

 まだソファも置かれていない畳の部屋に、彼を招き入れる。昨日届いたローテーブルの上に、淹れたてのコーヒーを差し出した。北くんがそれをひと口含んで、それから私の方を見る。

「ありがとう。おいしいわ」

「でしょ!? ちょっといい豆なの」

「シンクに豆散らばっとったけどな?」

「ぎゃー! 見ないで!」

「ええやん。女の子はきっちりしてへん方がかわええって言うたやろ」

「かっ……!?」

 またそんなこと言う! この人本当はチャラいんだ絶対! そうじゃないと、会って二回目の子にこんなこと言わないでしょ!

「雨、小降りになったら行こか」

 びゅーびゅーと風の音がする。窓の向こうでは木々が形を変えるほどに揺れていて、大粒の雨が地面を叩きつけている。そこで初めて、北くんの着ているTシャツが濡れていることに気がついた。

「北くん、寒くない!? 着替え貸したいところなんだけど、あいにく私サイズのものしかなくって」

「ええよ、気にせんで。帰ったら着替えるわ」

「冷房上げようか! えっと、リモコン……」

 窓の向こうがまた光る。空には閃光が走って、大きな雷鳴がまた轟いた。ひええぇ。雷、苦手なんだよね。

「リモコンあった!」

 ぷつり。

 え、私今冷房消したかな?

 そう思ったのと、電気が消えたのは同時だった。え!? 何事!? えっ!? えっ!?

「停電やな」

「ひええええぇ!?」

「今どっかに落ちたな、それでやろ」

「えええぇ!? ひゃ!」

 再び空が光り、今度はそれと同時に雷鳴が轟く。

「ぎゃー!」

 薄暗くなった部屋にふたりきり。気のない男性にくっつくべきではない。そんなことは百も承知だけれど、今は例外だ。

 だって、雷こわすぎ。

「怖い怖い怖い怖い」

「名前ちゃん、落ち着きぃ」

「むり! むり! 怖すぎる!」

「名前ちゃん」

「ひええぇ! また落ちた!」

「名前ちゃん!」

「ひゃい!?」

「……そんなひっつかれると、こっちも色々と無理なんやけど」

 はっと顔を上げて、今自分が置かれている状況を理解した。目の前には北くんの顔があって、わ、イケメンだな、なんて考えてしまう。それはそうと! そうじゃなくって!

 今私、北くんに抱きついている!?

「男をホイホイ上げるのはアカン言うたよな?」

「だ、だって今回は、窓が……!」

「名前ちゃんには俺が男に見えへんの?」

「う、み、みえます」

「ほんなら、こんな軽率にひっついたらアカンで」

「あ、ハイ」

「ま、取って食ったりせぇへんから、安心しぃ」

「ハイ」

 これは恋じゃない。ドキドキしているのはきっと、無意識に抱きついてしまったからだ。意外と筋肉あるんだな、ガッシリしてるんだな、なんて考えてしまったのは、彼が異性であるから。ただそれだけ。それ以上も以下もない。だって私は恋なんかしないし、したいとも思っていないんだもの。

「さ、そろそろ行こか」

「ヨロシクオネガイシマス」

 旅行カバンに荷物を詰め込んで、スポーツウェア姿のまま家をあとにする。北農園と書かれた軽パンの助手席に乗り込み、細い道を町の中心部の方へと進んだ。猫はまだ眠ったままだ。呑気なやつめ。

 こんな状況なのに少しワクワクしている自分がいるのは、非日常に置かれているからだろう。きっとそう。そうに違いない。

 これは、恋愛とは関係ない感情。私が彼に恋することなんてないと、神に誓える。心の奥に渦巻く何かを押し込めるように、愛猫を抱きしめた。