カテゴリー: long story

おにぎり屋の宮さん9

 連休の初日、私は後輩ちゃんに伝えた時間より早くに、おにぎり宮さんの前にいた。はぁ、宮さんに会うの緊張する。いや、今日は後輩ちゃんと北さんのためだもの! 先輩モードで行かなきゃ!

「おはようございます!」

 大きな声で挨拶しながら扉を開けると、宮さんは握りたてのおにぎりをパックに詰めているところだった。

「おはようございます。ミョウジさん、早いですね」

「少し早く着いちゃいました。それより、おにぎり握って下さったんですね。ありがとうございます」

「朝飯食う時間あらへんやろな思うてですね」

「私、手伝います!」

「ありがとうございます。ほな、こっちから回って入って下さい」

 店の奥へと進み、初めてキッチンに足を踏み入れる。手をアルコールジェルで消毒してから、ビニルに包まれたおにぎりをパックにひとつずつ詰めていった。

「……なんか、こうして並んでキッチンに立ってると不思議な気分です」

 私がそう言うと、宮さんはぽつりとひとり言のように放った。

「……なんか、夫婦みたいやな」

「えっ!?」

「あっ、すいません。気にせんといて下さい」

「……」

「……」

 沈黙が流れて、時間が経つのがやたらと遅く感じた。……宮さん、この前のキスのこと、どう考えてるんだろう。告白とかされたわけじゃないけど、そういう……ことだよね? 私たち今、どういう関係なの?

 関係性を言葉にできないのがもどかしくて、つい言葉が飛び出してくる。

「「あの……っ」」

 しかし、声を放ったのは宮さんも同時だった。またしーん、と静まり返り、身体がかあっと熱くなってくる。どきどきして、どうにかなってしまいそうだ。

 調理台の上で、指先と指先がこつんと触れる。そのまま宮さんに指を絡められて、ぎゅっと手を握られた。

 〜〜〜〜っ!!!!

 これってもう、そういうことだよね!?

 けれども宮さんは次の言葉をなかなか言ってくれなくて、私も聞き出せなくって。うじうじしている間に、私のスマホがブブッと音を鳴らした。

『先輩、今駅に着きました〜! すぐ着きます!』

「……〇〇ちゃん、もうすぐ着くそうです」

「そか。じゃ、今日は俺らが後輩さん応援しましょか」

 私がこくりと頷き、絡まっていた指が自然と解ける。おにぎりパックを袋に詰めて、ふたりで店の前へと出ていった。おにぎりのパックは温かいけど、それとは違う温もりが手に残っていた。

 後輩ちゃんと合流すると、私たちは宮さんの車が停まっている駐車場へと異動した。後輩ちゃんが後部座席に乗り込んだので、私は無意識に助手席の方へと乗り込んでしまう。あ、しまった。隣じゃん。そう思った時にはもうシートベルトを締めていて、車が出発しはじめていた。

「ミョウジさん、すんません。俺のおにぎりひとつ、取ってくれませんか?」

「何味にします?」

「ん〜、牛たまマヨかな」

「朝からガッツリですね」

「男なんてそんなもんですよ。ちゃんとミョウジさんたちのはあっさり系の入れてますんで」

 宮さんのおにぎり袋から牛たまマヨを取り出して、ラップを捲ってそれを宮さんの方へと差し出す。受け取って食べるとのかと思いきや、そのままあーんされて、おにぎりを落としそうになってしまった。

「あっ、これやとミョウジさんが食べられへんですね! 自分で食べます」

「じゃ、じゃー、いただきます……」

 宮さんにおにぎりを託して、私は自分のおにぎりの包みを開いた。おかかとうめの2種類のうち、おかかを選択する。かぷりと噛みついてみれば、やさしい味が口いっぱいに広がった。

「ん〜! おいし! やっぱり私大好きです!」

「ありがとうございます」

「……おにぎりが」

 大好きです! のあとにそう付け加えると、宮さんはふふっと笑った。嘘。本当は、宮さんのことが大好きって伝えたいのに。これでも私、結構ハッキリもの言うタイプなんだけどなぁ。恋愛になると、てんでダメダメだ。

 宮さんの車のオーディオからは、巷で話題のラブソングが流れていた。後輩ちゃんと北さんがデートしたときに聴いた曲を、北さんから聞き出してわざと流しているらしい。そう、これは後輩ちゃんのために流している曲。それでもせつない恋心をうたった歌詞に共感してしまい、つい自分と重ねてしまう。

 ねぇ、この恋の答えを知りたいの、なんて。そんな歌詞、私のための曲じゃん、と思った。

おにぎり屋の宮さん8

 それからの日々は、仕事が忙しすぎてバタバタと走り回っているだけだった。宮さんとは時々LINEでメッセージのやり取りをしたけれど、付き合おうとかそういう話にはならなくて。今の私たちの関係が一体何なのか、モヤモヤする日が続いていた。

 次の取材は新米が届いてからだ。それまでは会う予定もないので、余計にモヤモヤしてしまう。そうなんだよね。付き合おうって、言われていないんだなぁ。

 後輩ちゃんが抜け殻のようになっていたのは、ちょうどその頃のことだった。どうやら、北さんと会うのをやめたらしい。理由は、後輩ちゃんが北さんのことを好きなのか分からないうちに付き合って、身体の関係を持ってしまったからだという。彼に申し訳なくなって、しばらく会わないと決めたみたいだ。

「〇〇ちゃん、脱け殻みたいになってるよ?」

「せんぱいぃ……! わたし、どうすればいいんでしょう!?」

「北さんと会うのやめたっていうアレ?」

「あれから毎日北さんのこと考えちゃうし、なぜだか寂しいっていうか、北さんどうしてるかなとか……」

「でも、別れたわけじゃないんでしょう?」

「別れたわけじゃないけど、似たようなもんですよぉ。北さん、元気かなぁ。もう私のこと、どうでもよくなってるかもしれませんんん……」

「〇〇ちゃん、北さんのこと大好きじゃん……」

「え? なんて言いました? 聞こえなかったです」

 なんだこの子、北さんのこと大好きじゃん。んあ〜、じれったい!!!!

 後輩ちゃんや部下のことになると、世話焼きになってしまう自分がいる。あーもう、これ、協力してあげないと気がつかないんじゃない?

 その時、我ながらいい提案を思いついてしまった。これってもしや、とても素晴らしい作戦なのでは!?

「……〇〇ちゃんってちょっと天然なとこあるよね。……あ! ねぇ〇〇ちゃん、今度の最初の連休、暇?」

「暇人すぎて予定も何も入ってませんんん」

「ちょっと、待ってて。一件電話してくる」

 スマホを片手に席を立ち、小走りで廊下へと向かう。数回鳴ったコール音のあとに、やさしい声がきこえた。宮さんだ。

「ミョウジさん? どないしたんですか?」

「宮さんこんにちは! 急にすみません。今、ちょっとお電話大丈夫ですか?」

「ええですよ」

「今度の連休、北さんのところで稲刈りのお手伝いするって言われてましたよね!?」

「そうですよ。連休の初日です。毎年手伝うてるんで」

「それ、私と苗字も手伝いに行っていいですか!?」

 後輩ちゃんはきっと、北さんに会えば気持ちを確信するんじゃないかと思う。私には分かる。会ってしまえば、認めてしまえば加速していく気持ちを、私は知っているから。

 電話の向こうから、宮さんの優しい声が届く。

「もちろんです。……あ、もしかして、あれですか? 苗字さんと北さんが会うてへんっていう」

「聞いてましたか!」

「はい。そういうことなら、協力しますわ」

「ありがとうございます。また後ほどLINE送りますので……!」

 よし、これで後輩ちゃんと北さんが会うことになる!

 ……っていうかもしかして、これって私と宮さんも会っちゃうんだよね!? ええええ。どうしよ。どんな顔して会えばいいの!?

 恋する気持ちは止まらない。認めてしまえば加速していくし、近づくたびにもっと好きになる。会えば会うほど、その気持ちは膨らんでいくものだ。

 どうか後輩ちゃんと北さんが上手く行きますように。ついでに私と宮さんも何か進展がありますように!

 そんなことを毎日祈っているうちに、連休の初日が訪れていた。

おにぎり屋の宮さん7

 約束の月曜日が訪れた。

 今日は猛スピードで仕事を終わらせたから、ノー残業だ。急いで仕事をこなしてたら、後輩ちゃんに「先輩今日すごい! いつもよりさらにてきぱきしてますね!」なんて言われて、ついでに佐藤さんに「宮さんとデートなのよ」なんて言いふらされた。

「佐藤さんなんで分かるんですかぁ?」

「だって今日、スカートじゃん」

 はい、そうです。今日はパンツスーツじゃありません。まあ、オフィス着なんだけど。

「ミョウジ、頑張ってね〜!」

 けらけらと笑う佐藤さんの声がきこえる。でもね、今日の私は恋バナに構ってる暇なんてないの。そう、宮さんとご飯を食べに行くのだから。

 は〜っ、ここまでこぎつけるの長かった! 宮さん、チャラいのかと思いきや意外と慎重なんだもの。まあ、私に気があるのかは分からないけれど。仕事の付き合いで飲もう、ってだけかもしれないし。

 なんて言い訳をしながらも、退勤直後にメイクを直して休日モードの私になる。後輩ちゃんみたいなふわふわな服は似合わないから、シンプルな服装だけどスカートを選んでみた。宮さんも、私みたいなのの方がタイプって言ってたし! うん! 社交辞令かもしれないけど!

 そんなこんなで、宮さんと待ち合わせをしている駅前へと到着した。見回してみるけれど、宮さんはまだ来ていないようだ。コンパクトミラーを見て髪を整え直して、それを鞄の奥にしまう。ドキドキと速まる胸を撫でながら、宮さんを待った。見慣れた景色も、全てがきらきらと光ってみえるものだから不思議なものだ。

「ミョウジさん!」

 そう呼びかけられてはっと顔を上げると、宮さんが手を振りながらこっちに駆け寄ってくるのが見えた。

 わぁお。私服の宮さん、想像以上にイケメンすぎる。

「待たせてもーたかな?」

「いえ、私も今来たところです」

「ほな、行きましょか」

 まるでデートみたいなやりとりをしながら、ふたり並んで街を歩く。空は暗くなりはじめていて、夕焼けから夜に変わるグラデーションが綺麗だな、と思った。

「空、綺麗ですね」

「……ミョウジさん、俺が思った通りの人や」

「え? どういう意味ですか?」

「あのお茶の旨さが分かる人やから、自然の営みを尊ぶ人やなって」

「……それは宮さんの方ですよ」

「俺?」

「お米もお茶も、選ぶもの全て完璧なんですもん」

 ふふふ、と笑い合いながら、予約してくれていたお店へとたどり着く。「わざわざ予約してくれたんですね」と言うと宮さんは、「ここ、北さんと後輩さんが最初に来た店らしいですわ」と言った。

「そんなにおすすめだったんですか?」

「……いや、ゲン担ぎっちゅーか……」

「……!?」

「……聞かんかったことにして下さい」

 んんん!? ゲン担ぎ!?

 そ、そ、それはどういう意味なんでしょうか!?

 それから、私と宮さんは仕事の話や家族の話、バレーボールの話なんかをして盛り上がった。お店のご飯はとってもおいしかったけれど、宮さんのご飯の方がもっとおいしいな、なんて思った。

 それでもおいしいご飯にお酒は合うもので、二杯目、三杯目、と次々にお酒が進んでいった。

 ……そういえば後輩ちゃんは、お酒飲まされて酔わされて襲われたって言ってたっけ。……これ、チャンスなのでは!? よし、いつもビールばかりだから、甘ったるい酔いそうなの頼んじゃえ。

 ……なーんて考えは甘かった。そうなのです。私、お酒強いんでした。

「ミョウジさん、お酒強いんですね」

 なんて宮さんに言われてるし。そうです。お酒強いんです。ちょっとやそっとじゃ襲われません。

「あはは、可愛くないですよね」

 そんなふうにまた、可愛くない返事をしてしまう。だめだなぁ、本当。どうすれば後輩ちゃんみたいに、可愛く振る舞えるんだろう。

 宮さんに手を握られたのは、ネガティブ思考が巡りはじめたその時だった。

 え!? 私、手を握られてる!?

「……そんなことあらへん!」

「……えっ」

「ミョウジさんはかわええですよ」

「あの……、それは……」

「ミョウジさん、俺……」

「お客様〜! 飲み放題の終了時刻となりますがラストオーダーどうなさいますか!?」

 私と宮さんの間に割り込むように開いた個室のドア。店員さんがハキハキした声で注文を聞いてくる。

 なぜこのタイミング!?

 えええええええ!?

 ちょ、今、いい感じだったよね!?

「そろそろ帰りましょか……」

 宮さんがそう提案して、私も「そうですね」と答えていた。ふたり席を立ち上がり、会計へと進む。ご飯は宮さんが奢ると言ってくれたので、大人しくそれに甘えることにした。こうして何事もなく(?)、私たちの食事会は終わった。

「帰り、送って行きますよ」

「……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」

 そんなこんなで、結局うちまで宮さんが送ってくれることになったんだけれど。さっきの出来事があったせいで、帰り道はふたりとも黙ったままだった。まあ、駅からうちまで徒歩五分だから、たいした時間じゃないんだけれど。

「……送って下さってありがとうございます」

 そんな簡単な言葉しか言うことが出来ない自分がもどかしい。本当は帰ってほしくないし、帰りたくない。けれども、今私は仕事モードの会話をするだけで精一杯だった。時間が経つのはあっという間で、いつの間にか私のマンションの前にたどり着いている。

「それじゃあ、また……」

  そんな言葉を放ったその時。目の前にいる宮さんの顔が、真面目なそれに変わった。わ、背高いなぁ。

「……俺、ミョウジさんが分からへん」

「え?」

「ミョウジさん、俺のことどう思ってます?」

 え? えええええ!? どうって!?

 それって、そういう意味ですよね!?

「えっと……」

「ミョウジさんの気持ち知りたいです」

 これはチャンスだと思った。今なら、宮さんに気持ちを伝えるチャンスだと。けれども喉はカラカラに乾いているし、上手く言葉が出てきてくれない。小さな声で、精一杯の言葉を絞り出す。

「……み、みやさんになら、……なにかされてもいいです」

「それ、本気で言うてます?」

「よ、酔ってないですから……、ん…っ…」

 宮さんが帽子を外して、私の方に顔を近づけてくる。あ、と思った瞬間、唇と唇が触れ合った。

 ちゅ、っと一度キスをされて、もう一度んちゅっと唇を吸われる。二回目は長いキスだった。世界中の時間がとまってしまったんじゃないかって思うくらい、長くて甘くて、ほんのりアルコールの匂いのするキス。身体じゅうが火照って、熱を帯びている。宮さんの背中に手を回して、私も夢中になってそのキスに応えた。

「……ん、はぁ…っ…」

「……今日はこれだけにしときます」

「……っ」

「今度そんなかわええ格好してきたら、襲いますから」

 それじゃ、また。そう言って宮さんは、駅の方向へと帰っていく。私はしばらくその場から動けずにいた。

 み、宮さん、ずるいよそれは。

 その日見上げた空には、星がきらきらと瞬いていた。まるで浮かれてしまった私の心みたいだな、なんて、そんなことをただ思った。

おにぎり屋の宮さん6

〜side OSAMU〜

「完っ全に振られましたわ、俺……」

 次の月曜日。おにぎり宮が店休日のその日に、行きつけの居酒屋に北さんを呼び出した。理由はひとつ。恋愛が上手く行っている彼に、自分の恋の相談をしたかったからだ。

 目の前にいる北さんは、顔をしかめながら焼酎をひと口啜った。俺の方が体はデカいのに、どうにも威圧感があるのは変わらない。北さんは俺を憐れむような目で見ながら口を開いた。

「なんや、飯にも誘えんのか?」

「誘いましたよ。逃げるように帰られたんです」

「照れてただけとちゃう?」

「北さんはどうやって後輩ちゃんと上手く行ったんですか? 教えて下さいよ」

「んー、酒飲ませて酔わせて襲ったな」

「ちょ、北さんほんまに俺の知っとる北さんですか?」

「それはこっちのセリフや。お前ほんまに俺の知っとる治か? もっとチャラかったやろ」

「いつの話ですか」

「高校で二桁はヤっ……」

「ヤってませんて!」

 確かに高校の頃の自分はチャラかった。告られては付き合いを繰り返し、たびたび彼女が変わっていた自覚もある。すぐ手ぇ出しよったし。今のこんな腑抜けた面見たら、ツムにバカにされるんやろなぁ。

 それよりも、北さんとそういう話をするのは初めてな気がする。この前のLINEを見てしまったことは話題に出さない方がいいのだろうか。酒飲ませて襲ったっていうのは、その時のことなんだろうか。

「〇〇ちゃん、可愛かったなぁ」

「のろけですか?」

「あの子、いつもスカートやねん」

「そーですか。ミョウジさんはいつもパンツスーツですわ」

「あんなん、襲えって言ってるようなもんやろ。足出して。せやからな、ミョウジさんがスカート履いてきたらそん時や」

「酒飲ませて襲えと?」

「チャラい治くんならそれくらい出来るよなあ?」

 にやにやと笑う北さんに何も言えずにいると、スマホの通知がブブッと鳴った。ショートメッセージだ。差出人は……、ミョウジさんや!?

「っ、ミョウジさんからメールや!」

「まだLINEも交換してへんのか?」

「えっと、『この前はいきなり帰ってごめんなさい。今度ご飯ご一緒しましょう。いつがお店休みですか?』やて!」

「ええやん」

 急いで店休日の日程を送りつける俺を見て、北さんが爆笑している。爆笑している北さんなんてレアもんや、と思った。恋は人を変えてしまうというけれど、それは北さんだけじゃなくて俺もそうなんかもしれんな。こんな風に、恋愛に慎重になるのは初めてや。

 一目惚れやったんや。ほんま好きなんや。ミョウジさんのこと。

 結局その日は北さんに奢ってもらって、ほろ酔いで帰宅した。ミョウジさんとは二週間後の月曜に会うことになり、俺は気合いを入れて髪を切りに行った。

 ほんま、なんやねん俺。もっとチャラかったのにな。

 そんなことを思いながらもミョウジさんのことを考えると胸が高鳴って、スキップしてしまいそうなほどに浮かれていた。彼女との進展を願いながら。

おにぎり屋の宮さん5

 土曜日の朝、いつもの時間に起きなくてもいいのを言い訳に、私はベッドの上でだらだら過ごしていた。スマホでSNSをチェックしたり、動画を見たりしているうちに、刻々と時間は過ぎていく。

 ザ・独身女の過ごし方。うーん、そろそろコーヒーでも淹れようかな、なんて考えているときに、ふと後輩の〇〇ちゃんのことを思い出した。

 そういえば。

 後輩ちゃんと北さんがお付き合いすることになったらしい。……進展早いよね!? まあ、秒読みだったもんなぁ。

 一方の私は、あれから宮さんと取材で会ったものの、何の進展もない。私の方がタイプだって言ってくれたの、あれも社交辞令だったのかもしれないなぁ。宮さんってきっと、女ったらしなんだ。そうに違いない。じゃないと、私なんかのことキレイだとかタイプだとか言うはずがないんだから。昨日だって、宮さんのところに打ち合わせに行ったのに、なーんにもなかったし。

 そんなことを考えていると、昨日打ち合わせで使った手帳がどこにもないことに気がついた。昨日は直帰だったから鞄の中にあるはずなのに、入っていないのだ。

「……あれ? 私、手帳どこ置いた?」

 鞄から出したのかな? と思って辺りを見回したけれど、どこにもない。うーん、まさかこれは、宮さんのところに忘れてきた感じ?

 とりあえず電話して聞いてみよう。もう電話して大丈夫かな? お店、電話繋がるかな?

 お店の電話にかけてみたものの、やはり営業時間外で繋がらない。そういえば頂いた名刺に携帯の番号が書いてあったかも、と思い出して、そちらの番号をタップする。

 はぁ、何回話しても緊張する。私、宮さんのこと気にしすぎだよね!? 後輩ちゃんと違って、宮さんといい感じでもなんでもないのに。

 コール音が鳴る間、私はずっとドキドキしていた。数回鳴ったあとに、『もしもし』ときこえてくる優しい声。わ、携帯出た!

「えっと、朝早くからすみません! ミョウジです!」

『あー! ミョウジさん! もしかして手帳ですか?』

「! やっぱり宮さんのとこにありますか!?」

『店にありますよ』

「よかった~! あの、これから取りに伺っても……?」

『どぞ、仕込みで店におりますんで』

「すっ、すぐ行きます! 一時間くらいで着くと思いますので!」

 じゃあ、と電話を切って、ダッシュで着替えと化粧にとりかかる。休日だし、ちょっとめかしこんでもいいよね……? いつものパンツスーツはやめておくとして……、ワンピース……、は気合い入れすぎかな?

 色々考えた結果、サマーニットにジーンズという普通の格好になってしまった。化粧もいつもより少しだけ派手にしてみたけれど、派手のうちには入らないだろう。そうしてダッシュで家を出て、稲荷崎行きの電車に飛び乗った。

 それから数十分後、降り立った稲荷崎の駅。昨日会ったばかりだというのに、心臓がばくばくしてしょうがない。

 あーもう、宮さんのことめっちゃ気にしてるじゃん。私。

 店に着くのがなんだか怖くて、少しゆっくり歩いてみたけれど、徒歩数分のお店にはすぐに到着してしまった。すうっと深呼吸して、はーっとそれを吐き出す。それから右手に力を入れて、扉を思いきり開いた。

「お、おはよーございます……!」

「ミョウジさん! おはようございます。遠いとこお疲れ様です」

「すみません、土曜の朝から……」

「ええんですよ。これですよね? ミョウジさんの手帳」

 手に持ったままだったスマートフォンをカウンターの上に置き、両手で手帳を受け取る。受け取った瞬間、ほんの少しだけ指と指が触れ合って、どきんと心臓が跳ねた。わ、わ、手に触れてしまった! なんて、たったそれだけで心が浮わついてしまう自分が情けない。……やっぱり、好きなんだろうなぁ私。……宮さんのこと。

「ありがとうございます」

 お礼を言って手帳をしまいこんだその時、宮さんが紙袋を差し出してきた。中からはいい匂いが漂っている。これは、もしや……!?

「これ、よかったら持って帰って下さい」

「おにぎりですか!? ありがとうございます!」

「ええんですよ」

「私、大好きなんです!」

 そう言った瞬間、一瞬だけしーんとその場が静まり返った。あ。言い方、おかしかったかな? 何が好きかって、言ってないじゃん。バカ。

「み、み、宮さんの、おにぎりが……」

「は、は、そうですよね。おにぎり……」

「はい……。おにぎり……」

 なんだか照れくさくなって、二人して視線が下を向いてしまう。もう一度しーんと静まり返ったその時、カウンターに置いていた私のスマホがブブッと音を立てて鳴った。ふたりとも自然と、そっちの方に顔が向いてしまう。

 あ、後輩ちゃんからのLINE……。

 ……!?

『どうしよう、北さんとえっちしちゃいました』

 トップ画面に表示された最新メッセージに、目が点になってしまう。続けてもう一度、ブブッと通知音が鳴った。

『めちゃくちゃ良くって』

『三回も』

『私、どうすればいいんでしょう』

 !?

「……」

「……」

「……見ました?」

 私が小さな声で問うと、宮さんは小さく頷きながら「見えてもーたんです」と言った。

 この手の話、気まずすぎでは!?

「……な、なんて返事すればいいんでしょうかね? こういうとき……」

「……付き合うとるならええんやない? でええと思いますわ」

「で、で、ですよね」

 はは、ははは、と乾いた笑いが宙を泳ぐ。会話をどう続けたらいいのか分からなくて、またその場がしーん、と静まった。

 沈黙が何分にも何十分にも思える。気まずすぎるこの空間に居られなくて、そろそろ帰りますと言おうとしたその時だった。

「……ミョウジさん!」

 宮さんの手が、私の腕をがしりと掴んだのだ。一瞬何が起きたのか分からず、目が点になってしまう。ドキドキが溢れてどうしようもない。宮さんはじっと私の方を見て、それから口を開いた。

「え、っと、ミョウジさん」

「はいっ」

「ご、ごはん……」

「え?」

「こんど、飯、行きませんか?」

「ふっ、ふたりでですか?」

「はい、ふたりで」

 え、え、えええええ!? なにこれ! なにこれ! いま、何が起きているの!?

「えっ、えっと……っ」

 もちろん、と言おうとしたその時、裏口から「おはようございまーす!」と元気のいい声が響いてきた。バイトくんの声だ。やだ、私、いつまで居座ってるの!?

「あっ、わたし、そろそろ帰りますっ!」

 バイトくんが入ってきたのを見て、咄嗟に手を振り解いてぺこりとお辞儀をする。バッグに手帳とスマホを放り込み、急いで扉を開いて駆け出した。

 駅までダッシュで走り、神戸方面行きの列車に飛び乗る。おにぎり宮のお店が見えなくなったところで、私はやっと我に返った。

 あれ、さっきの返事、してない!?

 何してんの、私!!!!

 自分の行動を振り返ると、あまりにも滑稽で顔から火が出そうだ。いや、顔から火が出そうなのはそのせいだけじゃない。火照るこの身体だって、真夏のせいじゃない。宮さんのせいだ。

 認めてしまえば、もう戻れないと分かっていた。だから気持ちをごまかしていたし、彼が私なんかを相手にするわけがないって決めつけていた。

 でも、でもね。もう自分の気持ちに嘘はつけないんだ。

 好きだなぁ。宮さんのこと。大好きなんだ。

 その日電車から見た景色は、いつもより光っているように見えた。

おにぎり屋の宮さん4

 稲荷崎駅前の温度計は、三十八度を表示していた。体温よりも高い真夏日の気温に眩暈がする。今日はいつもより念入りにメイクをしてきた。先ほど塗り直した口紅が、この気温で溶けて落ちてしまいそうだ。メイク、崩れないといいな。

 後輩ちゃんをつれて、『おにぎり宮』への道を歩く。彼女もどこかそわそわしていて、初めての対談に緊張しているんだな、と分かった。私は他の意味で緊張しているのだけれど。

 店の前に着くと、先日と同じ『準備中』の文字が目に入った。漂ってくるお米の炊ける匂いに、つい目元を緩ませてしまう。さあ、ここからは仕事モードだ。仕事モードになるのよ、私!

「おはようございます! お世話になります」

 扉を開けると、カウンター席に座った北さんと、その隣に立っている宮さんの姿が目に入った。はぁあ、イケメン。目が癒される。……じゃない、仕事モード! 仕事モード!

「宮さん、北さん、今日はよろしくお願いします」

 かしこまって挨拶をすると、後輩ちゃんが私に続けて挨拶をした。

「初めまして。北さんの担当をしてます苗字〇〇と申します。本日はよろしくお願いします」

 わぁ、後輩ちゃんと宮さんご対面かぁ。まぁ、仕事だししょうがないよね。

 ぼんやりとふたりを眺めていると、宮さんはとんでもない言葉を口にした。

「へぇ。苗字さん、かわええ人やなぁ。よろしくお願いします」

「ひぇ!? は、はぁ……」

 !?

 可愛い!? 可愛いって言ったよね、今。

 ほら。この前私にキレイだって言ったのだって、社交辞令なんじゃん。少しだけど期待なんかして、ばかだなぁ。私。仕事相手なんだから、そんな、期待しちゃいけないよね。そう。仕事相手。仕事相手なんだ。

 けれども、心にぽっかりと穴が空いたような気分になってしまったのは間違いなかった。どすん、と胸の底が重くなる。

 ……なんなんだろう、この感じ。やだなぁ。

 しかしその気持ちは、次の瞬間、北さんのひと言でぶっ飛んでしまうこととなる。

「治」

「なんですか?」

「〇〇ちゃんは俺のやから、手出すなや?」

 んんんんんんん!?

 隣を見ると、真っ赤になった後輩ちゃんがわなわなと身体を震わせている。

 ええ!? 北さんナイス!!!!

 っていうかこのふたり、もう秒読みじゃん。羨ましいなぁ。ていうか、宮さんもびっくりしているし。

 北さんの言葉に驚いてしまったけれど、彼の「ほな、始めましょか」のひと言でその場が仕事の雰囲気に切り替わる。後輩ちゃんは一瞬固まってしまっていたけれど、どうにか頭を仕事モードに切り替えられたようだった。

 そのあとは、予定通り対談を進めて、この日の大きな仕事は完了した。

「それでは、本日の取材は以上です。ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました。ミョウジさん、これお土産です。お昼にでも食べて下さい」

 宮さんがお土産にとおにぎりを手渡してくれて、私はそれを受け取った。そういえば、ここのおにぎり食べるの初めてだな。

「ありがとうございます」

「あ、そうや。後輩さん」

 帰ろうとしたその時、宮さんが声をかけたのは私ではなく後輩ちゃんだった。小さな声で何やら話しているけれど、私にはその内容は聞こえない。

 なんだよぉ。宮さんも後輩ちゃんなんじゃん。

「ミョウジさん」

 なんだかふてくされたような気持ちでいると、宮さんは続けて私に声をかけてくれた。さっき渡された手さげ袋からは、おにぎりのいい匂いがする。後輩ちゃんは、なぜだか真っ赤になって走って店の外に出てしまった。ふたり、何を話してたんだろう。

「今、何話してたか気になりましたか?」

「えっ!? えっと、…っ…」

「北さんが後輩さんのこと本気やと思う、言うてただけですよ」

「はぁ……」

 それがどうしたの? なんで私にそんな話するの!?

「俺、可愛らしい感じの子よりも、ミョウジさんの方がタイプですから」

 ~!?

 なに、いまの!? いまの、なに!?

 なんて言われたの!?

「じゃ、次の取材よろしくお願いします」

「は、はぁ」

「ありがとうございました」

「アリガトウゴザイマシタ」

 私はお礼を言うと、急いで店の外に出た。後輩ちゃんは真っ赤になって固まっているし、私もたぶん同じ状況だし、わけが分からない。

 あれは、社交辞令なの!? 一体何なの!? なんで私にそんなこと言うの!?

 そのあと電車に乗っても身体は火照ったまんまで、私はそれを猛暑日のせいにした。会社に着いても、身体は熱いままだった。

おにぎり屋の宮さん3

 後輩ちゃんと北さんが、ふたりでご飯に行ったらしい。

 ……進展早くない!?

 私と宮さんが出会ったのと、後輩ちゃんと北さんが出会ったのは同じ時期だったはずだ。なのにこちらは何も無しで、後輩ちゃんはふたりでご飯。しかも家まで送ってもらったとか。それ以上は何もないとは言っていたけれど、それも怪しい。

 何、この差!?

 ていうか、私、宮さんのこと気にしてる!? ないない! 仕事相手だし! イケメンだからって、そんな狙ってないし!

 ……た、たぶん。

 熱くなった顔を手で仰ぎながら、〇〇ちゃんとの話に頭を切り替える。

 彼女に「次はいつ北さんに会うの?」と質問してみたら、まさかのまさか、墓穴を掘ってしまった。

「次は水曜に写真を撮りに行って簡単な取材をして、その次は◇◇先輩と一緒におにぎり宮さんでの対談ですね」

 おにぎり宮さん。

 宮さん。宮さん。

 わ、この可愛らしい後輩が、宮さんとご対面しちゃうの!?

「わ~、〇〇ちゃん宮さんに会っちゃうのか~!」

 気がついたら、そう叫んでいた。そう思ってしまったのだから仕方がない。だって、宮さんと後輩ちゃん、会わせたくないと思ってしまったんだもの。きっと宮さんも私みたいなパンツスーツ女より、後輩ちゃんみたいなゆるふわスカート女子の方が好きに決まっている。

「宮さんがどうかしたんですか?」

「……めっちゃイケメンなの」

 それだけ言うと、私は机に突っ伏せてしまった。数秒そうしたあと、デスク横の棚に並んだ地域情報誌のバックナンバーを取り出す。そして、『おにぎり宮』の掲載されたページをぱらりと捲った。

 後輩ちゃんが宮さんに惚れちゃうのを阻止せねばならない! なぜだかそう思っていた。

「ね、北さんとどっちがタイプ!?」

「た、確かに宮さんもイケメンですね」

「ね、ね、どっち!?」

「……どっちかと言うと北さんかなぁ」

「ほーら!そうなんじゃん!」

 北さんの方がタイプ、と聞いてホッとしてしまう自分がいる。あ~、もう。ほら、私、宮さんのこと気になってるんじゃん。ばかだなぁ。あんなイケメン、私のことなんか相手にしないに決まってるのに。

 はぁ、でも、宮さんのことはあまり気にしないようにしなきゃ。

 そう思いつつも毎日彼のことを考えて、そうしているうちに八月に入り、『おにぎり宮』での対談の日が訪れた。

おにぎり屋の宮さん2

 宮さんのおにぎり屋さんに出向く数日前、事件が起きた。

 先に北さんのところに後輩と一緒に挨拶に行ったのだけれど、なんと、後輩の〇〇ちゃんが北さんに気に入られてしまったのだ。先輩たちが何度誘っても1ミリも興味なさそうだった北さん。そんな彼が初めて出会った彼女をご飯に誘い、連絡先まで聞いてきたものだから、驚く他ない。

 凄いなぁ。後輩ちゃんっていくつだっけ? 24歳? 可愛らしい感じだし、男性にモテそうだもんな。

 私なんか今年で27になるのに、彼氏が出来る気配もない。前の彼氏と付き合ってたのっていつだっけ? と思い返してみると、四年は経っている事実に驚いてしまう。

 帰社して隣のデスクを見ると、ふわっとしたパフスリーブのトップスに、可愛らしいロングスカートを合わせている後輩ちゃんの姿が見えた。髪の毛を上でくるりとまとめ上げて、可愛い髪飾りでとめている。

 一方の私は、いつも似たようなパンツスーツだ。髪の毛なんて、無地のヘアゴムで一本結びだし。

 えーっと……、私って結構ヤバい!?

 ……なんて自覚はしていたものの、女子力を磨く時間なんてないくらい仕事が忙しくって。

 バタバタしている間に、宮さんのお店に行く日が訪れていた。

 稲荷崎方面へと向かう電車に揺られること二〇分。稲荷崎駅に私は降り立った。神戸からだと結構遠いんだよね。

 駅から歩いてすぐ、飲食店が並ぶ細い路地を三分ほど進んでいったところに、『おにぎり宮』はあった。看板の『準備中』の文字を確認して、まだ暖簾の上がっていないお店の扉を開く。扉を開いた瞬間漂ってきたお米の匂いに、つい涎が出そうになってしまった。

 あー、いい匂い。

 ……じゃなくって。挨拶! 挨拶しなきゃ!

 顔を上げたその瞬間、店主であろう男性の顔が目に飛び込んできた。その端正な顔立ちに、つい目を奪われてしまう。あれ、この人……、どこかで会ったことある?

「あ、ミョウジさんですか?」

「あっ、はい! 初めまして! 今度から宮さんの担当をさせていただきます、ミョウジ◇◇と申します。よろしくお願い致します」

「店主しとります、宮治です。よろしくお願いします」

 どうぞ座って下さい、と案内され、カウンター席に腰を下ろす。宮さんはお茶の入ったコップをひとつテーブルに置くと、隣に腰を下ろした。

「ありがとうございます」

「暑かったでしょう? どうぞ、冷えてますんで」

「じゃ、じゃあいただきます……」

 宮さんが出してくれたお茶をひと口啜ると、ほどよい苦味と冷たさが口内を刺激した。

……おいしい、このお茶。

「! おいしい!」

「でしょう? お茶にもこだわってますから」

 そう言って笑う宮さんの顔を間近で見て、つい胸がドキドキと高鳴ってしまう。こらこら、私。この前まで北さんイケメンとか言ってたじゃない。ミーハーは誰よ、まったく。仕事モード! 仕事モードに切り替えなきゃ!

「……えっと、それでは今後のスケジュールなどをお伝えしたいのですが」

「はい。お願いします」

「まず私が数回に分けてこちらに取材に伺います。一回の時間は三十分程度で済ませますので。途中で農家の北さんと、北さんの担当をしてる苗字とで対談が入ります」

 事務的な説明を淡々と進めて、頭を完全に仕事モードに切り替えた。よし、イケメン相手なんて慣れたものよ。

「ミョウジさんは、北さんの担当してはったんですよね?」

 ひと通り説明を終えると、宮さんから会話を投げかけられた。

 おっと、普通の会話。仕事モードが抜けそうになり、身体にぐっと力を入れる。やだ、この人、本当にイケメンだ。

「そうなんです。今回後輩の苗字が農村地区を担当することになって。担当替えですね」

「北さんは高校の先輩なんですよ」

「そうなんですか!? 今でもお付き合いがあるって素敵ですね」

「部活でだいぶ世話になりましたから」

「何部だったんですか?」

「バレーボールです。うちの兄弟、バレーボール選手なんですよ。ほら」

 宮さんはそう言うと、壁に飾られたサインを指した。ATSUMU MIYAと書かれたサインは、大事そうに上の方に飾られている。

 へぇ、すごい。兄弟さん、バレーボール選手なんだ。

「すごいですね! 試合見てみたいです」

「試合の日はここでテレビで応援しますんで、是非来て下さい」

「そうですね、是非」

 来て下さい、なんて言われると、誘われてるみたいでドキドキしてしまう自分がいる。社交辞令! ただの社交辞令だから!

「で、では次は7月△日の水曜日にこちらに伺います」

「はい、よろしくお願いします」

「こちらこそ、これからよろしくお願いします」

「……なぁ、ミョウジさん」

「はい?」

「ミョウジさんみたいなキレイな人が担当になってほんま嬉しいです」

「~!?」

「△日、待ってます」

「ひゃ、ひゃい……。よろしく、お願いします。で、では……、アリガトウゴザイマシタ……」

 キレイ!? キレイな人!?

 このパンツスーツ髪の毛一本結び独身女が!?

 も、もしかして宮さんってチャラいの!?

 私は速まる胸を抑えて、バタバタとお店を後にした。夏の空の下、駅まで数分の道のりを、パンプスを蹴りつけるようにして走り抜ける。ドキドキして、この場所にこれ以上いられないと思った。

 身体が燃えるように熱い。これはきっと、気温のせいだ。そう自分に言い聞かせて、神戸行きの列車に飛び乗った。

 電車の窓からは、一瞬だけ『おにぎり宮』の店舗が見えた。胸の高鳴りは一瞬だけではおさまらず、会社に着くまで続くのだった。

おにぎり屋の宮さん1

 次こそは。

 次こそは企画を通してみせる!

 そう意気込んで向かった先は、部長の席。企画書を手渡すと、部長はふむふむと頷きながら目を通しているようだった。残業して作ったこの企画書。書かれている『おにぎり×こだわり米』の文字に、つい顔がにやけてしまう。

 今回は自信があった。なんせ、イケメン店主さん×イケメン農家さんのコラボなんだから。

「うん。いい企画だと思うよ。じゃ、これで苗字ちゃんと一緒に進めてもらえるかな?」

「苗字とですか?」

「あの子新人だけど、もう入社して三ヶ月以上経つでしょ? そろそろ担当持たせてもいいと思うんだよね」

「はぁ……」

「ってことで、今度から苗字ちゃんが農村地区、きみが稲荷崎方面の担当ね」

「えっ!?」

「じゃ、よろしく~」

 農村地区は、これまで私が担当していた地域だ。っていうことは、つまり……。私、北さんの担当から外れるってこと!?

 ひそかにイケメンだと思ってたんだけどなぁ。ま、向こうにその気は1ミリもないんだけれど。

「〇〇ちゃん、ちょっといーい?」

 私はデスクに戻ると、四月に入社したばかりの後輩に声をかけた。この子、やる気あるしいい子なんだけど、ちょっと抜けてるとこあるんだよねぇ。真面目なタイプの北さんと上手くやれるかな? ちょっと心配だな。

「はぁい? どうかしましたか?」

「この企画、私と〇〇ちゃんのふたりでやるから。それで、〇〇ちゃん今度から農村地区担当ね。私が今担当してる地区」

「ひえぇ!? 私、担当持つんですか!?」

「うん! 頑張ってね!」

 そこまで話したところで、先輩の山田さんと佐藤さんが首を伸ばして話に入ってきた。

「なになにー? 今度は〇〇ちゃんが北さん担当!? いいなー!」

「えー、羨ましい~!」

 山田さんも佐藤さんも、かつて北さんにべた惚れだった過去がある。私が担当している北さんは、そのくらい爽やかイケメンなのだ。

 後輩ちゃんが、きょとんとした顔で「北さんって誰ですか?」と口にする。すると山田さんはご丁寧に一冊のフリーペーパーを持ち出して、それをぱらりと捲った。

「これこれ! この人! 若手農家さんなんだけど、めっちゃイケメンなの!」

「へぇ~、確かにイケメンですね」

「でしょでしょ!? 会った人みんな彼に惚れちゃうから~!」

 先輩たちは北さんの写真を見ると、きゃあきゃあとアイドルファンのように盛り上がりはじめた。ミーハーだなぁ、本当。私も北さんのことイケメンだと思っているし、人のこと言えないんだけれど。

「それで、ミョウジは宮さん担当するの?」

 北さんの話で盛り上がっていると、私が心から尊敬している村田先輩が声をかけてきた。今回の企画も、今おにぎり宮さんを担当している村田先輩が協力してくれて成り立っているようなものだ。

「はい。企画前の交渉、出向いて下さってありがとうございました。私はまだ宮さんには会ったことないんですけど」

「まだ会ったことなかったっけ? 宮さんもかなりのイケメンだよ!?」

「そうらしいですね。ちょっと楽しみです」

 そんな話をしていると、先輩方が今度は宮さんの話でキャアキャアと盛り上がりはじめた。

 宮さんかぁ。どんな人なんだろう。まあ、会ったところで地方誌のライターと仕事相手っていう関係なんだけれど。とりあえずは、会ってご挨拶をしなきゃ!

 私はその日のうちに宮さんに電話をかけて、挨拶と簡単な打ち合わせのアポを取った。電話口で聞いた声は、どこか懐かしくてあたたかい気がした。

あまくてにがくて青い19

 起きているときも、眠っているときも、どこにいたって彼女のことを思い出す。今にも雪が降りはじめそうな夜空、色を変えるイルミネーション、冷たい空気、冬のにおい。苗字さんのこと、拐いたい。そう言った日のこと。

 けれども現実は『思い出』よりも鮮明で強烈だ。空気感、匂い、彼女の涙ぐんだ声と変わらない顔。

 変わっていなかった。驚くほどに変わっていなかった。あの頃の俺は何を恐れていたんだと、過去の自分をぶん殴ってやりたいほどだ。変わることが怖かった。だからあの冬、拐ってしまいたいと思ったのに。

 きっと彼女は、新しい日々に飛び込んでいって、俺のことなんて忘れてしまうのだろう。そう思っていた。いや、思い込もうとしていた。

 けれども、現実はそうじゃない。記憶の中の彼女は泣いていて、今日見た彼女もまた泣いていた。三年ぶりに見た『彼女』は、どこまでも『彼女』だった。

「……かげやまくんが、かげやまくんだったから」

 そう言って涙をこぼす彼女は、どこまでも透明で綺麗で。このまま抱きつぶしてしまいたいとさえ思った。

 忘れられるはず、ねぇだろ。

「影山~、さっきの子本当にいとこなの? 全然似てなかったけど」

 ロッカールームで汗を拭いている時に話しかけてきたのは、いつもの同期だった。気さくでいい人だけれど、彼は少々人に踏み込みすぎるところがある。その質問に答えることをせず、黙って汗を拭く。

「……シャワー浴びてきます」

「元カノだ!」

 背を向けたあとにそう聞こえてきて、俺は無言でシャワー室へと向かった。無視かよ~、ガチ恋じゃん! と届く声を、閉まるドアが遮る。頭の中が、あの頃と今とでぐちゃぐちゃになっていた。

 最後に会ったのはいつだ? そうだ、卒業式だ。その前にふたりで会ったのはいつだ? ああ、あの日だ。

 春高で負けて帰ってきた翌日。冷たい空気が肺を満たした、あの冬の日。

 彼女はまた泣いた。俺はいつも、彼女を泣かせてしまう。

あまくてにがくて青い18

〜2017 Autumn〜

「ほら、ファンの子たちサイン貰いに行ってるよ!」

「いいって……! こんな顔じゃ会えないし」

「ガチ泣きするほど引きずってんでしょ? 今行かないでどーすんのよ!」

 サブホーム試合に勝利したアドラーズのメンバーたちが、観客席に近づきサインや握手などのファンサービスを行っている。もちろんその中には影山くんもいて、少年たちにサインを書いているところだった。

 キャーキャーと、ファンらしき若い女性たちが選手陣に詰め寄っている。星海選手がピースをすると、キャー! と歓声があがった。

 そんな中で私は、また隠れるようにしてその様子をうかがっている。すぐに帰ることが出来ないのは、さっき認めたばかりの恋心のせいだ。今さらどうこうなるなんて、あるはずがないのに。

「ほら、行こうよ〜!」

「無理! 無理すぎる!」

 友人に引っ張られ、一歩一歩選手陣の方に近づく。すぐそばに、影山くんがサインをしている姿が見えた。声をあげれば届きそうな距離に彼がいて、今すぐに逃げ出したくなってしまう。

 会えるはずがない。だって私たちは、もうサヨナラしたのだから。それなのに身体はそこから動けなくって、鼻の奥はまだつんとしている。また視界が歪んで、周りの景色がぼやけていくのが分かった。

 友人が私の腕を引っ張るその力が、ぐぐっと強くなる。

「ほら、そこにいるよ!」

「まじで無理だから……っ!」

「……あ、影山来た」

「え!?」

 顔を上げれば、体育館の照明が私の視界を遮った。あの夏の、強烈な光を思い出す。そう、あの頃、私は確かにきみと光の中にいた。

「おい」

 変わらない低い声が、鼓膜の奥にすっと届く。狂いそうなほどに愛おしかった、あの声。何度も私を呼んだ、あの声。……変わっていないんだ、ひとつも。

「何泣いてんだ」

「ひっ……」

 ぽたり、とまた涙が降ってくる。目の前をまっすぐ見れなくて、ぐるりと視線を動かした。みぎ、ひだり、それから正面。ようやく前を向くと、少し大人になった彼が私を見ていた。

「影山、知り合いなら入ってもらう?」

 関係者らしき人が、彼にそう声をかける。いいえ、いいです! と断ろうとした瞬間、「俺のいとこなんで、中連れて入っていいっすか?」と耳に届いた。嘘じゃん、そんなの。ファンの子に恨まれちゃうよ、私。

「よかったじゃん、また報告聞かせてね!」

「ちょ、待っ……!」

「行くぞ」

 影山くんに腕を引っ張られて、いつの間にかコートの中にいて。そのまま関係者入口の中へと連れて行かれて、観客たちの声が遠のいていった。

 待って。待って、待って。

 現実に身体も心も追いつかない。私の心は、あの頃に置き去りにされたままなのに。あの頃と現実がリンクする。今確かに、きみはここにいる。

 影山くんに引っ張られるがまま、中の関係者エリアの奥、人っけの少ない場所へとたどり着く。まだ真っ直ぐに彼の顔を見れない私の頬を、影山くんがむにゅっと掴んだ。

「どうしてここに?」

「……ひっく、えっ、ひっく……」

「なんでまた泣いてんだよ」

「……かつてのクラスメイトの勇姿を見に来ました」

「嘘だろ?」

「ひっ……、ひっく……」

「じゃーなんで泣くんだ」

「……かげやまくんが、かげやまくんだったから」

 蚊の鳴くような声でそうこぼすと、影山くんがぽんぽん、と私の頭を撫でた。丁寧に整えられた指先で、目尻をぐいっと拭ってくれる。

「俺も、お前がお前で安心してる」

「ひっく、うぇぇん……」

「俺、人の気持ちなんて分かる人間じゃないけど」

 『名前』の考えてることなら分かる。そう言われた。

 名前、と聞こえて、はっと顔を上げる。彼が私を下の名で呼んだのはあの頃、一度だけだった。驚いて顔を上げると影山くんは少し照れたような顔をして、片手に持っていたマジックペンで私の腕に何かを書いた。080から始まる11桁のそれは、電話番号だろうか。

「◇◇ホテル」

「へ?」

「今夜八時、◇◇ホテルのロビーまで来てほしい」

「えっと」

「書いたの、俺の番号」

 信じられない、と思った。こんなこと、あり得ないと思っていたのに。

 涙が一気に引いていって、身体が熱くなる。影山くんは、やっぱり影山くんのままだ。あの頃恋心に忠実だったのは、若さのせいだけじゃない。きっと彼は、そんな性格なんだろう。

「……分かった」

 それだけ答えると、影山くんは黙ったまま関係者出入口まで送ってくれた。私はまだ信じられなくて、ぼーっとした頭で帰路についた。

 あの大勢の中から、私を見つけてくれた。私のことなんて忘れてると思ってた。過去は過去だって、終わったことだってそう思ってた。なのに影山くんはちっとも変わっていなくって、影山くんが影山くんのままで。私も私のままだった。

 ねぇ、影山くん。わたし、諦めなくてもいいのかな?

 そのあと見た空は、来る前よりも澄みきってみえた。