おにぎり屋の宮さん5

 土曜日の朝、いつもの時間に起きなくてもいいのを言い訳に、私はベッドの上でだらだら過ごしていた。スマホでSNSをチェックしたり、動画を見たりしているうちに、刻々と時間は過ぎていく。

 ザ・独身女の過ごし方。うーん、そろそろコーヒーでも淹れようかな、なんて考えているときに、ふと後輩の〇〇ちゃんのことを思い出した。

 そういえば。

 後輩ちゃんと北さんがお付き合いすることになったらしい。……進展早いよね!? まあ、秒読みだったもんなぁ。

 一方の私は、あれから宮さんと取材で会ったものの、何の進展もない。私の方がタイプだって言ってくれたの、あれも社交辞令だったのかもしれないなぁ。宮さんってきっと、女ったらしなんだ。そうに違いない。じゃないと、私なんかのことキレイだとかタイプだとか言うはずがないんだから。昨日だって、宮さんのところに打ち合わせに行ったのに、なーんにもなかったし。

 そんなことを考えていると、昨日打ち合わせで使った手帳がどこにもないことに気がついた。昨日は直帰だったから鞄の中にあるはずなのに、入っていないのだ。

「……あれ? 私、手帳どこ置いた?」

 鞄から出したのかな? と思って辺りを見回したけれど、どこにもない。うーん、まさかこれは、宮さんのところに忘れてきた感じ?

 とりあえず電話して聞いてみよう。もう電話して大丈夫かな? お店、電話繋がるかな?

 お店の電話にかけてみたものの、やはり営業時間外で繋がらない。そういえば頂いた名刺に携帯の番号が書いてあったかも、と思い出して、そちらの番号をタップする。

 はぁ、何回話しても緊張する。私、宮さんのこと気にしすぎだよね!? 後輩ちゃんと違って、宮さんといい感じでもなんでもないのに。

 コール音が鳴る間、私はずっとドキドキしていた。数回鳴ったあとに、『もしもし』ときこえてくる優しい声。わ、携帯出た!

「えっと、朝早くからすみません! ミョウジです!」

『あー! ミョウジさん! もしかして手帳ですか?』

「! やっぱり宮さんのとこにありますか!?」

『店にありますよ』

「よかった~! あの、これから取りに伺っても……?」

『どぞ、仕込みで店におりますんで』

「すっ、すぐ行きます! 一時間くらいで着くと思いますので!」

 じゃあ、と電話を切って、ダッシュで着替えと化粧にとりかかる。休日だし、ちょっとめかしこんでもいいよね……? いつものパンツスーツはやめておくとして……、ワンピース……、は気合い入れすぎかな?

 色々考えた結果、サマーニットにジーンズという普通の格好になってしまった。化粧もいつもより少しだけ派手にしてみたけれど、派手のうちには入らないだろう。そうしてダッシュで家を出て、稲荷崎行きの電車に飛び乗った。

 それから数十分後、降り立った稲荷崎の駅。昨日会ったばかりだというのに、心臓がばくばくしてしょうがない。

 あーもう、宮さんのことめっちゃ気にしてるじゃん。私。

 店に着くのがなんだか怖くて、少しゆっくり歩いてみたけれど、徒歩数分のお店にはすぐに到着してしまった。すうっと深呼吸して、はーっとそれを吐き出す。それから右手に力を入れて、扉を思いきり開いた。

「お、おはよーございます……!」

「ミョウジさん! おはようございます。遠いとこお疲れ様です」

「すみません、土曜の朝から……」

「ええんですよ。これですよね? ミョウジさんの手帳」

 手に持ったままだったスマートフォンをカウンターの上に置き、両手で手帳を受け取る。受け取った瞬間、ほんの少しだけ指と指が触れ合って、どきんと心臓が跳ねた。わ、わ、手に触れてしまった! なんて、たったそれだけで心が浮わついてしまう自分が情けない。……やっぱり、好きなんだろうなぁ私。……宮さんのこと。

「ありがとうございます」

 お礼を言って手帳をしまいこんだその時、宮さんが紙袋を差し出してきた。中からはいい匂いが漂っている。これは、もしや……!?

「これ、よかったら持って帰って下さい」

「おにぎりですか!? ありがとうございます!」

「ええんですよ」

「私、大好きなんです!」

 そう言った瞬間、一瞬だけしーんとその場が静まり返った。あ。言い方、おかしかったかな? 何が好きかって、言ってないじゃん。バカ。

「み、み、宮さんの、おにぎりが……」

「は、は、そうですよね。おにぎり……」

「はい……。おにぎり……」

 なんだか照れくさくなって、二人して視線が下を向いてしまう。もう一度しーんと静まり返ったその時、カウンターに置いていた私のスマホがブブッと音を立てて鳴った。ふたりとも自然と、そっちの方に顔が向いてしまう。

 あ、後輩ちゃんからのLINE……。

 ……!?

『どうしよう、北さんとえっちしちゃいました』

 トップ画面に表示された最新メッセージに、目が点になってしまう。続けてもう一度、ブブッと通知音が鳴った。

『めちゃくちゃ良くって』

『三回も』

『私、どうすればいいんでしょう』

 !?

「……」

「……」

「……見ました?」

 私が小さな声で問うと、宮さんは小さく頷きながら「見えてもーたんです」と言った。

 この手の話、気まずすぎでは!?

「……な、なんて返事すればいいんでしょうかね? こういうとき……」

「……付き合うとるならええんやない? でええと思いますわ」

「で、で、ですよね」

 はは、ははは、と乾いた笑いが宙を泳ぐ。会話をどう続けたらいいのか分からなくて、またその場がしーん、と静まった。

 沈黙が何分にも何十分にも思える。気まずすぎるこの空間に居られなくて、そろそろ帰りますと言おうとしたその時だった。

「……ミョウジさん!」

 宮さんの手が、私の腕をがしりと掴んだのだ。一瞬何が起きたのか分からず、目が点になってしまう。ドキドキが溢れてどうしようもない。宮さんはじっと私の方を見て、それから口を開いた。

「え、っと、ミョウジさん」

「はいっ」

「ご、ごはん……」

「え?」

「こんど、飯、行きませんか?」

「ふっ、ふたりでですか?」

「はい、ふたりで」

 え、え、えええええ!? なにこれ! なにこれ! いま、何が起きているの!?

「えっ、えっと……っ」

 もちろん、と言おうとしたその時、裏口から「おはようございまーす!」と元気のいい声が響いてきた。バイトくんの声だ。やだ、私、いつまで居座ってるの!?

「あっ、わたし、そろそろ帰りますっ!」

 バイトくんが入ってきたのを見て、咄嗟に手を振り解いてぺこりとお辞儀をする。バッグに手帳とスマホを放り込み、急いで扉を開いて駆け出した。

 駅までダッシュで走り、神戸方面行きの列車に飛び乗る。おにぎり宮のお店が見えなくなったところで、私はやっと我に返った。

 あれ、さっきの返事、してない!?

 何してんの、私!!!!

 自分の行動を振り返ると、あまりにも滑稽で顔から火が出そうだ。いや、顔から火が出そうなのはそのせいだけじゃない。火照るこの身体だって、真夏のせいじゃない。宮さんのせいだ。

 認めてしまえば、もう戻れないと分かっていた。だから気持ちをごまかしていたし、彼が私なんかを相手にするわけがないって決めつけていた。

 でも、でもね。もう自分の気持ちに嘘はつけないんだ。

 好きだなぁ。宮さんのこと。大好きなんだ。

 その日電車から見た景色は、いつもより光っているように見えた。