〜2017 Autumn〜
「ほら、ファンの子たちサイン貰いに行ってるよ!」
「いいって……! こんな顔じゃ会えないし」
「ガチ泣きするほど引きずってんでしょ? 今行かないでどーすんのよ!」
サブホーム試合に勝利したアドラーズのメンバーたちが、観客席に近づきサインや握手などのファンサービスを行っている。もちろんその中には影山くんもいて、少年たちにサインを書いているところだった。
キャーキャーと、ファンらしき若い女性たちが選手陣に詰め寄っている。星海選手がピースをすると、キャー! と歓声があがった。
そんな中で私は、また隠れるようにしてその様子をうかがっている。すぐに帰ることが出来ないのは、さっき認めたばかりの恋心のせいだ。今さらどうこうなるなんて、あるはずがないのに。
「ほら、行こうよ〜!」
「無理! 無理すぎる!」
友人に引っ張られ、一歩一歩選手陣の方に近づく。すぐそばに、影山くんがサインをしている姿が見えた。声をあげれば届きそうな距離に彼がいて、今すぐに逃げ出したくなってしまう。
会えるはずがない。だって私たちは、もうサヨナラしたのだから。それなのに身体はそこから動けなくって、鼻の奥はまだつんとしている。また視界が歪んで、周りの景色がぼやけていくのが分かった。
友人が私の腕を引っ張るその力が、ぐぐっと強くなる。
「ほら、そこにいるよ!」
「まじで無理だから……っ!」
「……あ、影山来た」
「え!?」
顔を上げれば、体育館の照明が私の視界を遮った。あの夏の、強烈な光を思い出す。そう、あの頃、私は確かにきみと光の中にいた。
「おい」
変わらない低い声が、鼓膜の奥にすっと届く。狂いそうなほどに愛おしかった、あの声。何度も私を呼んだ、あの声。……変わっていないんだ、ひとつも。
「何泣いてんだ」
「ひっ……」
ぽたり、とまた涙が降ってくる。目の前をまっすぐ見れなくて、ぐるりと視線を動かした。みぎ、ひだり、それから正面。ようやく前を向くと、少し大人になった彼が私を見ていた。
「影山、知り合いなら入ってもらう?」
関係者らしき人が、彼にそう声をかける。いいえ、いいです! と断ろうとした瞬間、「俺のいとこなんで、中連れて入っていいっすか?」と耳に届いた。嘘じゃん、そんなの。ファンの子に恨まれちゃうよ、私。
「よかったじゃん、また報告聞かせてね!」
「ちょ、待っ……!」
「行くぞ」
影山くんに腕を引っ張られて、いつの間にかコートの中にいて。そのまま関係者入口の中へと連れて行かれて、観客たちの声が遠のいていった。
待って。待って、待って。
現実に身体も心も追いつかない。私の心は、あの頃に置き去りにされたままなのに。あの頃と現実がリンクする。今確かに、きみはここにいる。
影山くんに引っ張られるがまま、中の関係者エリアの奥、人っけの少ない場所へとたどり着く。まだ真っ直ぐに彼の顔を見れない私の頬を、影山くんがむにゅっと掴んだ。
「どうしてここに?」
「……ひっく、えっ、ひっく……」
「なんでまた泣いてんだよ」
「……かつてのクラスメイトの勇姿を見に来ました」
「嘘だろ?」
「ひっ……、ひっく……」
「じゃーなんで泣くんだ」
「……かげやまくんが、かげやまくんだったから」
蚊の鳴くような声でそうこぼすと、影山くんがぽんぽん、と私の頭を撫でた。丁寧に整えられた指先で、目尻をぐいっと拭ってくれる。
「俺も、お前がお前で安心してる」
「ひっく、うぇぇん……」
「俺、人の気持ちなんて分かる人間じゃないけど」
『名前』の考えてることなら分かる。そう言われた。
名前、と聞こえて、はっと顔を上げる。彼が私を下の名で呼んだのはあの頃、一度だけだった。驚いて顔を上げると影山くんは少し照れたような顔をして、片手に持っていたマジックペンで私の腕に何かを書いた。080から始まる11桁のそれは、電話番号だろうか。
「◇◇ホテル」
「へ?」
「今夜八時、◇◇ホテルのロビーまで来てほしい」
「えっと」
「書いたの、俺の番号」
信じられない、と思った。こんなこと、あり得ないと思っていたのに。
涙が一気に引いていって、身体が熱くなる。影山くんは、やっぱり影山くんのままだ。あの頃恋心に忠実だったのは、若さのせいだけじゃない。きっと彼は、そんな性格なんだろう。
「……分かった」
それだけ答えると、影山くんは黙ったまま関係者出入口まで送ってくれた。私はまだ信じられなくて、ぼーっとした頭で帰路についた。
あの大勢の中から、私を見つけてくれた。私のことなんて忘れてると思ってた。過去は過去だって、終わったことだってそう思ってた。なのに影山くんはちっとも変わっていなくって、影山くんが影山くんのままで。私も私のままだった。
ねぇ、影山くん。わたし、諦めなくてもいいのかな?
そのあと見た空は、来る前よりも澄みきってみえた。