宮さんのおにぎり屋さんに出向く数日前、事件が起きた。
先に北さんのところに後輩と一緒に挨拶に行ったのだけれど、なんと、後輩の〇〇ちゃんが北さんに気に入られてしまったのだ。先輩たちが何度誘っても1ミリも興味なさそうだった北さん。そんな彼が初めて出会った彼女をご飯に誘い、連絡先まで聞いてきたものだから、驚く他ない。
凄いなぁ。後輩ちゃんっていくつだっけ? 24歳? 可愛らしい感じだし、男性にモテそうだもんな。
私なんか今年で27になるのに、彼氏が出来る気配もない。前の彼氏と付き合ってたのっていつだっけ? と思い返してみると、四年は経っている事実に驚いてしまう。
帰社して隣のデスクを見ると、ふわっとしたパフスリーブのトップスに、可愛らしいロングスカートを合わせている後輩ちゃんの姿が見えた。髪の毛を上でくるりとまとめ上げて、可愛い髪飾りでとめている。
一方の私は、いつも似たようなパンツスーツだ。髪の毛なんて、無地のヘアゴムで一本結びだし。
えーっと……、私って結構ヤバい!?
……なんて自覚はしていたものの、女子力を磨く時間なんてないくらい仕事が忙しくって。
バタバタしている間に、宮さんのお店に行く日が訪れていた。
稲荷崎方面へと向かう電車に揺られること二〇分。稲荷崎駅に私は降り立った。神戸からだと結構遠いんだよね。
駅から歩いてすぐ、飲食店が並ぶ細い路地を三分ほど進んでいったところに、『おにぎり宮』はあった。看板の『準備中』の文字を確認して、まだ暖簾の上がっていないお店の扉を開く。扉を開いた瞬間漂ってきたお米の匂いに、つい涎が出そうになってしまった。
あー、いい匂い。
……じゃなくって。挨拶! 挨拶しなきゃ!
顔を上げたその瞬間、店主であろう男性の顔が目に飛び込んできた。その端正な顔立ちに、つい目を奪われてしまう。あれ、この人……、どこかで会ったことある?
「あ、ミョウジさんですか?」
「あっ、はい! 初めまして! 今度から宮さんの担当をさせていただきます、ミョウジ◇◇と申します。よろしくお願い致します」
「店主しとります、宮治です。よろしくお願いします」
どうぞ座って下さい、と案内され、カウンター席に腰を下ろす。宮さんはお茶の入ったコップをひとつテーブルに置くと、隣に腰を下ろした。
「ありがとうございます」
「暑かったでしょう? どうぞ、冷えてますんで」
「じゃ、じゃあいただきます……」
宮さんが出してくれたお茶をひと口啜ると、ほどよい苦味と冷たさが口内を刺激した。
……おいしい、このお茶。
「! おいしい!」
「でしょう? お茶にもこだわってますから」
そう言って笑う宮さんの顔を間近で見て、つい胸がドキドキと高鳴ってしまう。こらこら、私。この前まで北さんイケメンとか言ってたじゃない。ミーハーは誰よ、まったく。仕事モード! 仕事モードに切り替えなきゃ!
「……えっと、それでは今後のスケジュールなどをお伝えしたいのですが」
「はい。お願いします」
「まず私が数回に分けてこちらに取材に伺います。一回の時間は三十分程度で済ませますので。途中で農家の北さんと、北さんの担当をしてる苗字とで対談が入ります」
事務的な説明を淡々と進めて、頭を完全に仕事モードに切り替えた。よし、イケメン相手なんて慣れたものよ。
「ミョウジさんは、北さんの担当してはったんですよね?」
ひと通り説明を終えると、宮さんから会話を投げかけられた。
おっと、普通の会話。仕事モードが抜けそうになり、身体にぐっと力を入れる。やだ、この人、本当にイケメンだ。
「そうなんです。今回後輩の苗字が農村地区を担当することになって。担当替えですね」
「北さんは高校の先輩なんですよ」
「そうなんですか!? 今でもお付き合いがあるって素敵ですね」
「部活でだいぶ世話になりましたから」
「何部だったんですか?」
「バレーボールです。うちの兄弟、バレーボール選手なんですよ。ほら」
宮さんはそう言うと、壁に飾られたサインを指した。ATSUMU MIYAと書かれたサインは、大事そうに上の方に飾られている。
へぇ、すごい。兄弟さん、バレーボール選手なんだ。
「すごいですね! 試合見てみたいです」
「試合の日はここでテレビで応援しますんで、是非来て下さい」
「そうですね、是非」
来て下さい、なんて言われると、誘われてるみたいでドキドキしてしまう自分がいる。社交辞令! ただの社交辞令だから!
「で、では次は7月△日の水曜日にこちらに伺います」
「はい、よろしくお願いします」
「こちらこそ、これからよろしくお願いします」
「……なぁ、ミョウジさん」
「はい?」
「ミョウジさんみたいなキレイな人が担当になってほんま嬉しいです」
「~!?」
「△日、待ってます」
「ひゃ、ひゃい……。よろしく、お願いします。で、では……、アリガトウゴザイマシタ……」
キレイ!? キレイな人!?
このパンツスーツ髪の毛一本結び独身女が!?
も、もしかして宮さんってチャラいの!?
私は速まる胸を抑えて、バタバタとお店を後にした。夏の空の下、駅まで数分の道のりを、パンプスを蹴りつけるようにして走り抜ける。ドキドキして、この場所にこれ以上いられないと思った。
身体が燃えるように熱い。これはきっと、気温のせいだ。そう自分に言い聞かせて、神戸行きの列車に飛び乗った。
電車の窓からは、一瞬だけ『おにぎり宮』の店舗が見えた。胸の高鳴りは一瞬だけではおさまらず、会社に着くまで続くのだった。