おにぎり屋の宮さん14

 そんな感じで新しい日々が始まり、秋は深まっていった。治くんとは毎日連絡を取り合ったし、お店が休みの日には必ず会ってデートをして、それなりに順調に過ごしていると思う。

 けれどもそんな日々にも波風は立つもので。私たちの間に荒波が立ったのは、そんなある日のことだった。

 付き合いたてのラブラブな時期は不意に会いたくなるもので、会いに行っちゃおうかな、なんていきなり思いついたりもするものだ。

 とある平日、稲荷崎地区の他のお店の取材に行った帰りに、私はそれを思い立った。

ちょっと顔を見たいだけ。お店のジャマはしない。私も外回り中なんだし。ちょっとだけ。ほんの少しだけだから。

 そんなこんなでいきなり訪れた『おにぎり宮』の店の前。今は昼と夜の間の準備時間中のようで、中からはお米の炊けるいい匂いが漂ってくる。忙しいだろうから五分だけ。ちょっと顔を見るだけ。

 そう思ってガラリと扉を開いた瞬間、見えた光景は予想だにしないものだった。

「も〜♡ 宮さんってば♡」

「――ちゃんがかわええこと言うからやろ?」

「だってぇ〜」

 カウンター席に座ってイチャイチャする一組の男女。少しギャルっぽくて私より若いだろう女の子が、男性の身体にぴとりとくっついている。女の子の肩に回されたのはがっしりした腕。男性の方の顔を見ると、はた、と目が合った。無造作な黒髪と、整った顔立ち。それは間違いなく治くんだった。

 しーん、と場が静まり返り、時間がとまったかのように感じる。

「治く……ん?」

「……! 違っ……!」

「……最低! この浮気男!」

 持っていたコンビニの袋を床に叩きつけて、ピシャリと扉を閉め店をあとにする。駅の方へと駆けながら、涙がポロポロとこぼれてくるのが分かった。

 なに、なに、なんなの!?

 私、宮さんの恋人になったんだよね!?

 そういえば、好きだとは言われたけど付き合おうとは言われてないかも!?

 ……え、もしかして私の方が浮気相手!?

「最低男ー!!!!!」

 そう叫ぶ私の目からは、次々と涙が溢れていた。なんなのよ、本気なのに。本気で好きなのに。

 それからどう会社まで戻ったのか、よく覚えていない。会社に着く頃には、周りから見ても泣いたことがすぐ分かるくらいに目が真っ赤になっていた。

おにぎり屋の宮さん13

 チュンチュンと小鳥のさえずる声で目が覚めた。うーん、と眠い目をこすりながら伸びをする。目を開いた瞬間うつし出されたのは見慣れない天井で、昨日の出来事を思い出した。はっ、と隣を向けば、裸のままで眠っている宮さんの姿。えっと、昨日の夜……。

 北さんのところで農作業をしたあと、宮さんがひとり暮らしをしているマンションに来た。玄関先で抱きしめられて、そのままキスをして。それから……。

 脳裏に浮かぶのは生々しい夜の記憶で、思い出すだけで顔がかあっと熱くなってくる。……したんだよね、昨日。あんな顔の宮さん、初めて見たな。……ていうか私も裸のままだし。着替えなきゃ。

 そろりとベッドから降り、脱ぎ捨てられた服を拾い集める。放り投げられた生々しすぎる残骸たちを目に入れないようにして、皺になった服を伸ばした。

 その瞬間、後ろからぎゅっと抱きしめられて、ぼーっとした頭に血が巡りはじめる。また身体がかあっと熱くなって、どうしようもないくらいに緊張している自分がいた。

「◇◇ちゃん、おはよ」

「おはよう……、ございます」

「その敬語やめよか? 同い年やし」

「……わ、わかった」

「宮さんもやめてな?」

「……お、お、おさむくん?」

「◇◇ちゃん、もっかいしたい」

「ん」

 ずるずる流されるようにキスをして、もう一度布団の中に潜り込む。二人とも稲刈りのせいで筋肉痛になってしまったみたいで、互いに笑い合った。宮さんの身体はやっぱり大きくて温かくて、触れてるとどきどきした。慣れるのかなぁ。これ。

 そんなこんなで無事(?)恋人同士になれた私たち。結局その日は一日中イチャイチャして過ごしたのだった。……そして。

 まあ、みんなに聞かれないわけないよね。

 週明けに出勤すると、後輩ちゃんがニマニマした顔で待っていた。さあ、お話して下さいと言わんばかりに。

「先輩っ! どうなりましたか!?」

「……どっ、どうって、なっ、何がっ?」

「◇◇先輩噛み噛みですよっ! 何がって宮さんとのことですよっ」

「そっ、そういう〇〇ちゃんはどうだったのよ? 北さんと」

 ごまかすように質問で返したら、後輩ちゃんは真っ赤になってうつむいてしまった。どうやら上手くいってくれたみたいでホッとする。

「えっと、次の休みにうちの両親に挨拶しに来てくれることになりました」

「おっ、すごいじゃん!」

「それからその次の休みに式場の見学を……」

「式場!?」

 はーっ、やっぱりこのふたり進展するのが早すぎるのよね。でも比較しちゃいけない。このふたりが異常に早いだけだから。

「それで、先輩は? どうなったんですか?」

 きらきらした瞳で見上げられたら、答えないわけにはいかない。私はふぅ、とひとつ溜息をつくと、宮さんとの関係を口にした。

「ま、まぁ、……つ、付き合うことに、なりました」

「ひゃあ!? すごい! おめでとうございます!」

「おめでとうは〇〇ちゃんの方でしょ」

「それで? ちゅーしました? えっちは?」

「〜っ!!!!」

 後輩ちゃんの声が大きすぎたのか、先輩たちが「何!? 何!? 何の話!?」なんて言って寄ってきている。治くんのことを話したら面倒なことになるので、「〇〇ちゃん北さんと結婚するらしいですよ」と先に言っておいた。ごめんね、後輩ちゃん。きゃーきゃーと先輩たちに質問攻めされる後輩ちゃんを背に、さっさと逃げ出して、私はおにぎり×こだわり米の文書を作成した。

おにぎり屋の宮さん11

 そのあとは北さんのご両親や親戚の方々が手伝いにいらして、後輩ちゃんの紹介なんかしはじめて。そうしたら北さんのおばあちゃんに、「こっちは治ちゃんの彼女さん?」なんて聞かれたので咳き込んでしまった。宮さんがなんと答えたかというと、「これからです」のひと言。そのひと言だけで私は胸がきゅんとなって、どうにかなってしまいそうだった。

 そうこうしているうちに、あっという間に訪れた夕暮れ。そろそろおいとまします、と北さんに挨拶すると、北さんは「治、ミョウジさん、ありがとう。またな」とお礼のお米を渡してくれた。

「あれ? 私は?」と、北さんの隣で固まっている後輩ちゃん。北さんは、「○○ちゃんは今日泊まっていくもんな?」と言ってにやりと笑っている。

「よかったじゃん。ラブラブ出来るね」

 まだ先輩モードを保っておかねば! と思いながらそう伝えると、後輩ちゃんはますます顔を赤らめて固まってしまった。ちょっとからかいすぎたかな?

 宮さんの車に乗り込んで、窓を開けて後輩ちゃんと北さんに手を振る。ふたりの姿が段々小さくなって見えなくなった頃、ふーっと安心して溜息をこぼした。

「どうにか、上手く行きましたね。宮さん、ありがとうございました」

「こちらこそです。先輩の一大事でしたから」

 あ、そういえば……。今、ふたりっきりなんだ。

 そのことに気がついて、不自然に黙ってしまう。オーディオからは行きがけに聴いたラブソング。ねぇ、この恋の答えを知りたいの。そんな歌詞が聞こえて、顔を上げてはいられなくなった。

「……ミョウジさんは、答え合わせしたいですか?」

 窓の外には、黄金に光る田園風景。それが少しずつ小さくなっていく。

 こたえあわせ。こたえあわせって、恋愛の、ってことだよね。そんなの、したいに決まってる。

 無言でこくり、と頷くと、宮さんはふーっと息を吐いて、左手でぱちんと自らの頬を叩いた。

「俺、ほんまミョウジさんのことになるとダサいねん」

「……そんなこと、ないですよ」

「ミョウジさん」

「はい」

「……好きです」

 伝えてほしいことがある。知りたいのはあなたの気持ち。イヤなんて言わないから、はっきり言葉で伝えてほしい。その願いが今叶って、私は知らないうちに泣いていた。

「……っ、ぐすっ」

「どないしたんですか!?」

「嬉しくて……」

「言うの遅くなってすみません」

「……今日、〇〇ちゃんと北さんの応援するはずだったのに、ずっと宮さんのこと考えてました」

「ほんまに?」

「こんなダメダメな先輩でも、いいですか?」

「そんなん嬉しすぎるやろ? 今すぐ抱きしめたいわ」

「……わたしも好きです」

 山道に入っていた車が、登坂用に広くなったスペースへと潜り込む。車のスピードが緩やかになって、ハザードランプが点灯した。ゆっくりと踏まれるブレーキと、停まった瞬間に近づいてきた宮さんの顔。ぎゅっと抱き寄せられて、唇に温もりが触れた。わたしたちの周りだけ湿度が高くなって、真夏に戻ってしまったみたいだ。

「みやさ…んっ…」

「好きや」

「…っ…、は…っ…」

「好きや好きや好きや」

 唇に何度も触れる熱。宮さんの唇は熱くって、きっと私の唇も熱くって。ざらついた舌が口内に入ってきて、粘膜をなぞられた。

「俺んち……、行きましょか?」

 それが何を示しているのか分かっていて、こくりと頷いた。オーディオの曲が変わる。次に流れ始めた曲は、永遠の愛を誓ったウェディングソングだった。

おにぎり屋の宮さん10

 しばらく道なりに走っていくと、目の前の景色が変わりはじめた。きらきらと光るたんぼが広がる、数ヶ月前まで私が担当していた地域だ。前回後輩ちゃんと来た時は青々とした田んぼが広がっていたけれど、今は育った稲穂が広がっていて、あの担当変えからもう数ヶ月経ったんだなと思わされる。ふと後部座席の方を見ると、後輩ちゃんがはっとした顔で、「宮さん、この道……」とこぼした。

「あはは、分かってもうた?」

 せつないような、どこか寂しそうな顔をしている後輩ちゃん。そんな彼女の頬が、次第に赤らんでいく。さぁ、今は先輩モード。今日は私と宮さんの日じゃなくって、後輩ちゃんと北さんの日なんだから。

 後部座席の方を振り返りながら、アドバイスをするように後輩ちゃんに語りかけてみる。

「〇〇ちゃんさ、もう自分の気持ち分かってるんじゃない?」

「……」

「今日、稲刈りの手伝いだから。頑張って。ね?」

「はい……」

 本当は、後輩にアドバイス出来るような素敵な先輩なんかじゃない。好きです! のあとにおにぎりが……、なんて言ってしまうくらい、意気地なしの私。稲刈りが終わったら、もっとちゃんと自分の気持ちを伝えたいな。それから、宮さんにも。この関係に名前をつけてもらわなくちゃいけない。とにかく今は、後輩ちゃんの幸せを祈るだけだから。

 宮さんがハンドルを右に切る。田園風景の中を進んでいくと、北さんが大きく手を振っているのが見えた。後輩ちゃんが泣きそうな顔をするものだから、私と宮さんは顔を見合わせて笑った。

「治、ミョウジさん、〇〇ちゃん!」

 宮さんが窓を開けると、北さんの声が飛び込んできた。後輩ちゃんの目からぽろぽろと涙がこぼれる。宮さんが車を田んぼに横付けするように停めて、宮さんからの合図で私と彼は同時に車を降りた。少し遅れて、後輩ちゃんがゆっくりと車から降りてくる。

「〇〇ちゃん!? なんで泣いとるん!?」

「きたさ…っ…、えっぐ、ひっく」

「〇〇ちゃん!?」

「会いたかっ、会いたかったです…っ…」

 後輩ちゃんが、北さんの胸に飛び込む。北さんは、後輩ちゃんをぎゅっと抱きしめて、その頭を撫でていた。宮さんと目を合わせて、車の影に隠れる私たち。宮さんとふたりで隠れていると、なんだか共通の秘密を持ったみたいで胸の奥がドキドキと高鳴った。

 田んぼの真ん中に、後輩ちゃんの声が響く。

「きたさん…っ…、すき、すきです、だいすきです…っ…!」

「ん、知っとるよ」

「……!?」

「〇〇ちゃん俺のこと好きって、分かっとったよ」

「ひえぇ……!?」

「だって〇〇ちゃん、好きでもない男に抱かれんやろ?」

「うう……」

「なぁ、〇〇ちゃん」

「はい」

「俺のお嫁さんになって?」

「!?」

 思いも寄らぬ言葉が聞こえて、宮さんとふたりはっと顔を見合わせる。宮さんは目を丸くしていて、「……俺も見習わなアカンな」と言った。見習うって、私との関係のことなのでしょうか?

「……そうですよ、宮さん慎重すぎ」

「えっ!? ほんまにそう思うてます?」

「……もっとチャラいかと思ってました」

「……ミョウジさんには、チャラくなりきれへんねん」

「もっとチャラくなっても……、いいですよ?」

 どくどくと胸が高鳴る。いつもより少し大胆なセリフを吐けるのは、今しがた生のプロポーズを聞いてしまったからだろうか。

 宮さんの指先と、私の指先が触れる。今朝みたいに、もう一度……。

 そう思ったその時、後輩ちゃんの声が「はい」と聞こえた。それがプロポーズへの返事だと把握して、ガタっと立ち上がり車の影からふたりを覗き見る。

 顔を上げれば、田んぼの真ん中でキスをしている後輩ちゃんと北さんの姿。思わずかーっと顔が赤くなってしまう。隣を見たら、宮さんも顔を赤くしてふたりを見守っていた。

 人のキスシーンなんて結婚式以外で見ることはないので、ドキドキしてしょうがない。どう振る舞えばいいか困っていると、宮さんがパチパチと拍手をしはじめた。私もつられて手を叩く。ふたりがこちらを向いたので、私たちは隠れていた場所からふたりの元へと歩み寄った。

「北さんが恋愛になるとこんなに積極的なんて、俺知りませんでしたわ」

 宮さんが北さんに声をかける。その顔はやっぱり赤らんでいて、どこか照れているようだった。

「治はもうちょっと積極的にならなアカンな」

「!?」

「ま、頑張り? 応援しとるよ」

 北さんはそう言うと、私と宮さんの顔を交互に見比べて、にやりと笑った。全て見透かされている気がして、かあっと身体が熱くなる。宮さんの方を見たら、赤くなった顔を手で覆いながら「今こっち見んといて下さい」と言われた。

 うん、私も今こっちを見ないでほしいな。だってたぶん、私も顔が真っ赤だと思うから。

おにぎり屋の宮さん9

 連休の初日、私は後輩ちゃんに伝えた時間より早くに、おにぎり宮さんの前にいた。はぁ、宮さんに会うの緊張する。いや、今日は後輩ちゃんと北さんのためだもの! 先輩モードで行かなきゃ!

「おはようございます!」

 大きな声で挨拶しながら扉を開けると、宮さんは握りたてのおにぎりをパックに詰めているところだった。

「おはようございます。ミョウジさん、早いですね」

「少し早く着いちゃいました。それより、おにぎり握って下さったんですね。ありがとうございます」

「朝飯食う時間あらへんやろな思うてですね」

「私、手伝います!」

「ありがとうございます。ほな、こっちから回って入って下さい」

 店の奥へと進み、初めてキッチンに足を踏み入れる。手をアルコールジェルで消毒してから、ビニルに包まれたおにぎりをパックにひとつずつ詰めていった。

「……なんか、こうして並んでキッチンに立ってると不思議な気分です」

 私がそう言うと、宮さんはぽつりとひとり言のように放った。

「……なんか、夫婦みたいやな」

「えっ!?」

「あっ、すいません。気にせんといて下さい」

「……」

「……」

 沈黙が流れて、時間が経つのがやたらと遅く感じた。……宮さん、この前のキスのこと、どう考えてるんだろう。告白とかされたわけじゃないけど、そういう……ことだよね? 私たち今、どういう関係なの?

 関係性を言葉にできないのがもどかしくて、つい言葉が飛び出してくる。

「「あの……っ」」

 しかし、声を放ったのは宮さんも同時だった。またしーん、と静まり返り、身体がかあっと熱くなってくる。どきどきして、どうにかなってしまいそうだ。

 調理台の上で、指先と指先がこつんと触れる。そのまま宮さんに指を絡められて、ぎゅっと手を握られた。

 〜〜〜〜っ!!!!

 これってもう、そういうことだよね!?

 けれども宮さんは次の言葉をなかなか言ってくれなくて、私も聞き出せなくって。うじうじしている間に、私のスマホがブブッと音を鳴らした。

『先輩、今駅に着きました〜! すぐ着きます!』

「……〇〇ちゃん、もうすぐ着くそうです」

「そか。じゃ、今日は俺らが後輩さん応援しましょか」

 私がこくりと頷き、絡まっていた指が自然と解ける。おにぎりパックを袋に詰めて、ふたりで店の前へと出ていった。おにぎりのパックは温かいけど、それとは違う温もりが手に残っていた。

 後輩ちゃんと合流すると、私たちは宮さんの車が停まっている駐車場へと異動した。後輩ちゃんが後部座席に乗り込んだので、私は無意識に助手席の方へと乗り込んでしまう。あ、しまった。隣じゃん。そう思った時にはもうシートベルトを締めていて、車が出発しはじめていた。

「ミョウジさん、すんません。俺のおにぎりひとつ、取ってくれませんか?」

「何味にします?」

「ん〜、牛たまマヨかな」

「朝からガッツリですね」

「男なんてそんなもんですよ。ちゃんとミョウジさんたちのはあっさり系の入れてますんで」

 宮さんのおにぎり袋から牛たまマヨを取り出して、ラップを捲ってそれを宮さんの方へと差し出す。受け取って食べるとのかと思いきや、そのままあーんされて、おにぎりを落としそうになってしまった。

「あっ、これやとミョウジさんが食べられへんですね! 自分で食べます」

「じゃ、じゃー、いただきます……」

 宮さんにおにぎりを託して、私は自分のおにぎりの包みを開いた。おかかとうめの2種類のうち、おかかを選択する。かぷりと噛みついてみれば、やさしい味が口いっぱいに広がった。

「ん〜! おいし! やっぱり私大好きです!」

「ありがとうございます」

「……おにぎりが」

 大好きです! のあとにそう付け加えると、宮さんはふふっと笑った。嘘。本当は、宮さんのことが大好きって伝えたいのに。これでも私、結構ハッキリもの言うタイプなんだけどなぁ。恋愛になると、てんでダメダメだ。

 宮さんの車のオーディオからは、巷で話題のラブソングが流れていた。後輩ちゃんと北さんがデートしたときに聴いた曲を、北さんから聞き出してわざと流しているらしい。そう、これは後輩ちゃんのために流している曲。それでもせつない恋心をうたった歌詞に共感してしまい、つい自分と重ねてしまう。

 ねぇ、この恋の答えを知りたいの、なんて。そんな歌詞、私のための曲じゃん、と思った。

おにぎり屋の宮さん8

 それからの日々は、仕事が忙しすぎてバタバタと走り回っているだけだった。宮さんとは時々LINEでメッセージのやり取りをしたけれど、付き合おうとかそういう話にはならなくて。今の私たちの関係が一体何なのか、モヤモヤする日が続いていた。

 次の取材は新米が届いてからだ。それまでは会う予定もないので、余計にモヤモヤしてしまう。そうなんだよね。付き合おうって、言われていないんだなぁ。

 後輩ちゃんが抜け殻のようになっていたのは、ちょうどその頃のことだった。どうやら、北さんと会うのをやめたらしい。理由は、後輩ちゃんが北さんのことを好きなのか分からないうちに付き合って、身体の関係を持ってしまったからだという。彼に申し訳なくなって、しばらく会わないと決めたみたいだ。

「〇〇ちゃん、脱け殻みたいになってるよ?」

「せんぱいぃ……! わたし、どうすればいいんでしょう!?」

「北さんと会うのやめたっていうアレ?」

「あれから毎日北さんのこと考えちゃうし、なぜだか寂しいっていうか、北さんどうしてるかなとか……」

「でも、別れたわけじゃないんでしょう?」

「別れたわけじゃないけど、似たようなもんですよぉ。北さん、元気かなぁ。もう私のこと、どうでもよくなってるかもしれませんんん……」

「〇〇ちゃん、北さんのこと大好きじゃん……」

「え? なんて言いました? 聞こえなかったです」

 なんだこの子、北さんのこと大好きじゃん。んあ〜、じれったい!!!!

 後輩ちゃんや部下のことになると、世話焼きになってしまう自分がいる。あーもう、これ、協力してあげないと気がつかないんじゃない?

 その時、我ながらいい提案を思いついてしまった。これってもしや、とても素晴らしい作戦なのでは!?

「……〇〇ちゃんってちょっと天然なとこあるよね。……あ! ねぇ〇〇ちゃん、今度の最初の連休、暇?」

「暇人すぎて予定も何も入ってませんんん」

「ちょっと、待ってて。一件電話してくる」

 スマホを片手に席を立ち、小走りで廊下へと向かう。数回鳴ったコール音のあとに、やさしい声がきこえた。宮さんだ。

「ミョウジさん? どないしたんですか?」

「宮さんこんにちは! 急にすみません。今、ちょっとお電話大丈夫ですか?」

「ええですよ」

「今度の連休、北さんのところで稲刈りのお手伝いするって言われてましたよね!?」

「そうですよ。連休の初日です。毎年手伝うてるんで」

「それ、私と苗字も手伝いに行っていいですか!?」

 後輩ちゃんはきっと、北さんに会えば気持ちを確信するんじゃないかと思う。私には分かる。会ってしまえば、認めてしまえば加速していく気持ちを、私は知っているから。

 電話の向こうから、宮さんの優しい声が届く。

「もちろんです。……あ、もしかして、あれですか? 苗字さんと北さんが会うてへんっていう」

「聞いてましたか!」

「はい。そういうことなら、協力しますわ」

「ありがとうございます。また後ほどLINE送りますので……!」

 よし、これで後輩ちゃんと北さんが会うことになる!

 ……っていうかもしかして、これって私と宮さんも会っちゃうんだよね!? ええええ。どうしよ。どんな顔して会えばいいの!?

 恋する気持ちは止まらない。認めてしまえば加速していくし、近づくたびにもっと好きになる。会えば会うほど、その気持ちは膨らんでいくものだ。

 どうか後輩ちゃんと北さんが上手く行きますように。ついでに私と宮さんも何か進展がありますように!

 そんなことを毎日祈っているうちに、連休の初日が訪れていた。

おにぎり屋の宮さん7

 約束の月曜日が訪れた。

 今日は猛スピードで仕事を終わらせたから、ノー残業だ。急いで仕事をこなしてたら、後輩ちゃんに「先輩今日すごい! いつもよりさらにてきぱきしてますね!」なんて言われて、ついでに佐藤さんに「宮さんとデートなのよ」なんて言いふらされた。

「佐藤さんなんで分かるんですかぁ?」

「だって今日、スカートじゃん」

 はい、そうです。今日はパンツスーツじゃありません。まあ、オフィス着なんだけど。

「ミョウジ、頑張ってね〜!」

 けらけらと笑う佐藤さんの声がきこえる。でもね、今日の私は恋バナに構ってる暇なんてないの。そう、宮さんとご飯を食べに行くのだから。

 は〜っ、ここまでこぎつけるの長かった! 宮さん、チャラいのかと思いきや意外と慎重なんだもの。まあ、私に気があるのかは分からないけれど。仕事の付き合いで飲もう、ってだけかもしれないし。

 なんて言い訳をしながらも、退勤直後にメイクを直して休日モードの私になる。後輩ちゃんみたいなふわふわな服は似合わないから、シンプルな服装だけどスカートを選んでみた。宮さんも、私みたいなのの方がタイプって言ってたし! うん! 社交辞令かもしれないけど!

 そんなこんなで、宮さんと待ち合わせをしている駅前へと到着した。見回してみるけれど、宮さんはまだ来ていないようだ。コンパクトミラーを見て髪を整え直して、それを鞄の奥にしまう。ドキドキと速まる胸を撫でながら、宮さんを待った。見慣れた景色も、全てがきらきらと光ってみえるものだから不思議なものだ。

「ミョウジさん!」

 そう呼びかけられてはっと顔を上げると、宮さんが手を振りながらこっちに駆け寄ってくるのが見えた。

 わぁお。私服の宮さん、想像以上にイケメンすぎる。

「待たせてもーたかな?」

「いえ、私も今来たところです」

「ほな、行きましょか」

 まるでデートみたいなやりとりをしながら、ふたり並んで街を歩く。空は暗くなりはじめていて、夕焼けから夜に変わるグラデーションが綺麗だな、と思った。

「空、綺麗ですね」

「……ミョウジさん、俺が思った通りの人や」

「え? どういう意味ですか?」

「あのお茶の旨さが分かる人やから、自然の営みを尊ぶ人やなって」

「……それは宮さんの方ですよ」

「俺?」

「お米もお茶も、選ぶもの全て完璧なんですもん」

 ふふふ、と笑い合いながら、予約してくれていたお店へとたどり着く。「わざわざ予約してくれたんですね」と言うと宮さんは、「ここ、北さんと後輩さんが最初に来た店らしいですわ」と言った。

「そんなにおすすめだったんですか?」

「……いや、ゲン担ぎっちゅーか……」

「……!?」

「……聞かんかったことにして下さい」

 んんん!? ゲン担ぎ!?

 そ、そ、それはどういう意味なんでしょうか!?

 それから、私と宮さんは仕事の話や家族の話、バレーボールの話なんかをして盛り上がった。お店のご飯はとってもおいしかったけれど、宮さんのご飯の方がもっとおいしいな、なんて思った。

 それでもおいしいご飯にお酒は合うもので、二杯目、三杯目、と次々にお酒が進んでいった。

 ……そういえば後輩ちゃんは、お酒飲まされて酔わされて襲われたって言ってたっけ。……これ、チャンスなのでは!? よし、いつもビールばかりだから、甘ったるい酔いそうなの頼んじゃえ。

 ……なーんて考えは甘かった。そうなのです。私、お酒強いんでした。

「ミョウジさん、お酒強いんですね」

 なんて宮さんに言われてるし。そうです。お酒強いんです。ちょっとやそっとじゃ襲われません。

「あはは、可愛くないですよね」

 そんなふうにまた、可愛くない返事をしてしまう。だめだなぁ、本当。どうすれば後輩ちゃんみたいに、可愛く振る舞えるんだろう。

 宮さんに手を握られたのは、ネガティブ思考が巡りはじめたその時だった。

 え!? 私、手を握られてる!?

「……そんなことあらへん!」

「……えっ」

「ミョウジさんはかわええですよ」

「あの……、それは……」

「ミョウジさん、俺……」

「お客様〜! 飲み放題の終了時刻となりますがラストオーダーどうなさいますか!?」

 私と宮さんの間に割り込むように開いた個室のドア。店員さんがハキハキした声で注文を聞いてくる。

 なぜこのタイミング!?

 えええええええ!?

 ちょ、今、いい感じだったよね!?

「そろそろ帰りましょか……」

 宮さんがそう提案して、私も「そうですね」と答えていた。ふたり席を立ち上がり、会計へと進む。ご飯は宮さんが奢ると言ってくれたので、大人しくそれに甘えることにした。こうして何事もなく(?)、私たちの食事会は終わった。

「帰り、送って行きますよ」

「……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」

 そんなこんなで、結局うちまで宮さんが送ってくれることになったんだけれど。さっきの出来事があったせいで、帰り道はふたりとも黙ったままだった。まあ、駅からうちまで徒歩五分だから、たいした時間じゃないんだけれど。

「……送って下さってありがとうございます」

 そんな簡単な言葉しか言うことが出来ない自分がもどかしい。本当は帰ってほしくないし、帰りたくない。けれども、今私は仕事モードの会話をするだけで精一杯だった。時間が経つのはあっという間で、いつの間にか私のマンションの前にたどり着いている。

「それじゃあ、また……」

  そんな言葉を放ったその時。目の前にいる宮さんの顔が、真面目なそれに変わった。わ、背高いなぁ。

「……俺、ミョウジさんが分からへん」

「え?」

「ミョウジさん、俺のことどう思ってます?」

 え? えええええ!? どうって!?

 それって、そういう意味ですよね!?

「えっと……」

「ミョウジさんの気持ち知りたいです」

 これはチャンスだと思った。今なら、宮さんに気持ちを伝えるチャンスだと。けれども喉はカラカラに乾いているし、上手く言葉が出てきてくれない。小さな声で、精一杯の言葉を絞り出す。

「……み、みやさんになら、……なにかされてもいいです」

「それ、本気で言うてます?」

「よ、酔ってないですから……、ん…っ…」

 宮さんが帽子を外して、私の方に顔を近づけてくる。あ、と思った瞬間、唇と唇が触れ合った。

 ちゅ、っと一度キスをされて、もう一度んちゅっと唇を吸われる。二回目は長いキスだった。世界中の時間がとまってしまったんじゃないかって思うくらい、長くて甘くて、ほんのりアルコールの匂いのするキス。身体じゅうが火照って、熱を帯びている。宮さんの背中に手を回して、私も夢中になってそのキスに応えた。

「……ん、はぁ…っ…」

「……今日はこれだけにしときます」

「……っ」

「今度そんなかわええ格好してきたら、襲いますから」

 それじゃ、また。そう言って宮さんは、駅の方向へと帰っていく。私はしばらくその場から動けずにいた。

 み、宮さん、ずるいよそれは。

 その日見上げた空には、星がきらきらと瞬いていた。まるで浮かれてしまった私の心みたいだな、なんて、そんなことをただ思った。

おにぎり屋の宮さん6

〜side OSAMU〜

「完っ全に振られましたわ、俺……」

 次の月曜日。おにぎり宮が店休日のその日に、行きつけの居酒屋に北さんを呼び出した。理由はひとつ。恋愛が上手く行っている彼に、自分の恋の相談をしたかったからだ。

 目の前にいる北さんは、顔をしかめながら焼酎をひと口啜った。俺の方が体はデカいのに、どうにも威圧感があるのは変わらない。北さんは俺を憐れむような目で見ながら口を開いた。

「なんや、飯にも誘えんのか?」

「誘いましたよ。逃げるように帰られたんです」

「照れてただけとちゃう?」

「北さんはどうやって後輩ちゃんと上手く行ったんですか? 教えて下さいよ」

「んー、酒飲ませて酔わせて襲ったな」

「ちょ、北さんほんまに俺の知っとる北さんですか?」

「それはこっちのセリフや。お前ほんまに俺の知っとる治か? もっとチャラかったやろ」

「いつの話ですか」

「高校で二桁はヤっ……」

「ヤってませんて!」

 確かに高校の頃の自分はチャラかった。告られては付き合いを繰り返し、たびたび彼女が変わっていた自覚もある。すぐ手ぇ出しよったし。今のこんな腑抜けた面見たら、ツムにバカにされるんやろなぁ。

 それよりも、北さんとそういう話をするのは初めてな気がする。この前のLINEを見てしまったことは話題に出さない方がいいのだろうか。酒飲ませて襲ったっていうのは、その時のことなんだろうか。

「〇〇ちゃん、可愛かったなぁ」

「のろけですか?」

「あの子、いつもスカートやねん」

「そーですか。ミョウジさんはいつもパンツスーツですわ」

「あんなん、襲えって言ってるようなもんやろ。足出して。せやからな、ミョウジさんがスカート履いてきたらそん時や」

「酒飲ませて襲えと?」

「チャラい治くんならそれくらい出来るよなあ?」

 にやにやと笑う北さんに何も言えずにいると、スマホの通知がブブッと鳴った。ショートメッセージだ。差出人は……、ミョウジさんや!?

「っ、ミョウジさんからメールや!」

「まだLINEも交換してへんのか?」

「えっと、『この前はいきなり帰ってごめんなさい。今度ご飯ご一緒しましょう。いつがお店休みですか?』やて!」

「ええやん」

 急いで店休日の日程を送りつける俺を見て、北さんが爆笑している。爆笑している北さんなんてレアもんや、と思った。恋は人を変えてしまうというけれど、それは北さんだけじゃなくて俺もそうなんかもしれんな。こんな風に、恋愛に慎重になるのは初めてや。

 一目惚れやったんや。ほんま好きなんや。ミョウジさんのこと。

 結局その日は北さんに奢ってもらって、ほろ酔いで帰宅した。ミョウジさんとは二週間後の月曜に会うことになり、俺は気合いを入れて髪を切りに行った。

 ほんま、なんやねん俺。もっとチャラかったのにな。

 そんなことを思いながらもミョウジさんのことを考えると胸が高鳴って、スキップしてしまいそうなほどに浮かれていた。彼女との進展を願いながら。

おにぎり屋の宮さん5

 土曜日の朝、いつもの時間に起きなくてもいいのを言い訳に、私はベッドの上でだらだら過ごしていた。スマホでSNSをチェックしたり、動画を見たりしているうちに、刻々と時間は過ぎていく。

 ザ・独身女の過ごし方。うーん、そろそろコーヒーでも淹れようかな、なんて考えているときに、ふと後輩の〇〇ちゃんのことを思い出した。

 そういえば。

 後輩ちゃんと北さんがお付き合いすることになったらしい。……進展早いよね!? まあ、秒読みだったもんなぁ。

 一方の私は、あれから宮さんと取材で会ったものの、何の進展もない。私の方がタイプだって言ってくれたの、あれも社交辞令だったのかもしれないなぁ。宮さんってきっと、女ったらしなんだ。そうに違いない。じゃないと、私なんかのことキレイだとかタイプだとか言うはずがないんだから。昨日だって、宮さんのところに打ち合わせに行ったのに、なーんにもなかったし。

 そんなことを考えていると、昨日打ち合わせで使った手帳がどこにもないことに気がついた。昨日は直帰だったから鞄の中にあるはずなのに、入っていないのだ。

「……あれ? 私、手帳どこ置いた?」

 鞄から出したのかな? と思って辺りを見回したけれど、どこにもない。うーん、まさかこれは、宮さんのところに忘れてきた感じ?

 とりあえず電話して聞いてみよう。もう電話して大丈夫かな? お店、電話繋がるかな?

 お店の電話にかけてみたものの、やはり営業時間外で繋がらない。そういえば頂いた名刺に携帯の番号が書いてあったかも、と思い出して、そちらの番号をタップする。

 はぁ、何回話しても緊張する。私、宮さんのこと気にしすぎだよね!? 後輩ちゃんと違って、宮さんといい感じでもなんでもないのに。

 コール音が鳴る間、私はずっとドキドキしていた。数回鳴ったあとに、『もしもし』ときこえてくる優しい声。わ、携帯出た!

「えっと、朝早くからすみません! ミョウジです!」

『あー! ミョウジさん! もしかして手帳ですか?』

「! やっぱり宮さんのとこにありますか!?」

『店にありますよ』

「よかった~! あの、これから取りに伺っても……?」

『どぞ、仕込みで店におりますんで』

「すっ、すぐ行きます! 一時間くらいで着くと思いますので!」

 じゃあ、と電話を切って、ダッシュで着替えと化粧にとりかかる。休日だし、ちょっとめかしこんでもいいよね……? いつものパンツスーツはやめておくとして……、ワンピース……、は気合い入れすぎかな?

 色々考えた結果、サマーニットにジーンズという普通の格好になってしまった。化粧もいつもより少しだけ派手にしてみたけれど、派手のうちには入らないだろう。そうしてダッシュで家を出て、稲荷崎行きの電車に飛び乗った。

 それから数十分後、降り立った稲荷崎の駅。昨日会ったばかりだというのに、心臓がばくばくしてしょうがない。

 あーもう、宮さんのことめっちゃ気にしてるじゃん。私。

 店に着くのがなんだか怖くて、少しゆっくり歩いてみたけれど、徒歩数分のお店にはすぐに到着してしまった。すうっと深呼吸して、はーっとそれを吐き出す。それから右手に力を入れて、扉を思いきり開いた。

「お、おはよーございます……!」

「ミョウジさん! おはようございます。遠いとこお疲れ様です」

「すみません、土曜の朝から……」

「ええんですよ。これですよね? ミョウジさんの手帳」

 手に持ったままだったスマートフォンをカウンターの上に置き、両手で手帳を受け取る。受け取った瞬間、ほんの少しだけ指と指が触れ合って、どきんと心臓が跳ねた。わ、わ、手に触れてしまった! なんて、たったそれだけで心が浮わついてしまう自分が情けない。……やっぱり、好きなんだろうなぁ私。……宮さんのこと。

「ありがとうございます」

 お礼を言って手帳をしまいこんだその時、宮さんが紙袋を差し出してきた。中からはいい匂いが漂っている。これは、もしや……!?

「これ、よかったら持って帰って下さい」

「おにぎりですか!? ありがとうございます!」

「ええんですよ」

「私、大好きなんです!」

 そう言った瞬間、一瞬だけしーんとその場が静まり返った。あ。言い方、おかしかったかな? 何が好きかって、言ってないじゃん。バカ。

「み、み、宮さんの、おにぎりが……」

「は、は、そうですよね。おにぎり……」

「はい……。おにぎり……」

 なんだか照れくさくなって、二人して視線が下を向いてしまう。もう一度しーんと静まり返ったその時、カウンターに置いていた私のスマホがブブッと音を立てて鳴った。ふたりとも自然と、そっちの方に顔が向いてしまう。

 あ、後輩ちゃんからのLINE……。

 ……!?

『どうしよう、北さんとえっちしちゃいました』

 トップ画面に表示された最新メッセージに、目が点になってしまう。続けてもう一度、ブブッと通知音が鳴った。

『めちゃくちゃ良くって』

『三回も』

『私、どうすればいいんでしょう』

 !?

「……」

「……」

「……見ました?」

 私が小さな声で問うと、宮さんは小さく頷きながら「見えてもーたんです」と言った。

 この手の話、気まずすぎでは!?

「……な、なんて返事すればいいんでしょうかね? こういうとき……」

「……付き合うとるならええんやない? でええと思いますわ」

「で、で、ですよね」

 はは、ははは、と乾いた笑いが宙を泳ぐ。会話をどう続けたらいいのか分からなくて、またその場がしーん、と静まった。

 沈黙が何分にも何十分にも思える。気まずすぎるこの空間に居られなくて、そろそろ帰りますと言おうとしたその時だった。

「……ミョウジさん!」

 宮さんの手が、私の腕をがしりと掴んだのだ。一瞬何が起きたのか分からず、目が点になってしまう。ドキドキが溢れてどうしようもない。宮さんはじっと私の方を見て、それから口を開いた。

「え、っと、ミョウジさん」

「はいっ」

「ご、ごはん……」

「え?」

「こんど、飯、行きませんか?」

「ふっ、ふたりでですか?」

「はい、ふたりで」

 え、え、えええええ!? なにこれ! なにこれ! いま、何が起きているの!?

「えっ、えっと……っ」

 もちろん、と言おうとしたその時、裏口から「おはようございまーす!」と元気のいい声が響いてきた。バイトくんの声だ。やだ、私、いつまで居座ってるの!?

「あっ、わたし、そろそろ帰りますっ!」

 バイトくんが入ってきたのを見て、咄嗟に手を振り解いてぺこりとお辞儀をする。バッグに手帳とスマホを放り込み、急いで扉を開いて駆け出した。

 駅までダッシュで走り、神戸方面行きの列車に飛び乗る。おにぎり宮のお店が見えなくなったところで、私はやっと我に返った。

 あれ、さっきの返事、してない!?

 何してんの、私!!!!

 自分の行動を振り返ると、あまりにも滑稽で顔から火が出そうだ。いや、顔から火が出そうなのはそのせいだけじゃない。火照るこの身体だって、真夏のせいじゃない。宮さんのせいだ。

 認めてしまえば、もう戻れないと分かっていた。だから気持ちをごまかしていたし、彼が私なんかを相手にするわけがないって決めつけていた。

 でも、でもね。もう自分の気持ちに嘘はつけないんだ。

 好きだなぁ。宮さんのこと。大好きなんだ。

 その日電車から見た景色は、いつもより光っているように見えた。