カテゴリー: long story
あまくてにがくて青い22
〜2017 autumn〜
時間が経つのが、こんなに長く感じたのはいつぶりだろう。高校生の頃、合宿に行った彼が早く帰ってこないかと、そわそわしながら待っていた甘酸っぱい記憶が蘇る。
腕時計の針が、八時ちょうどを指す。私は高鳴る胸を抑えながら、ホテルのロビーへと足を踏み入れた。県内ではわりと有名な、少し高級感のあるホテル。きょろきょろと周りを見ているとちょうどエレベーターから降りてきた影山くんと目が合った。
あの頃よりも少し大人びて見えるけれど、やはり影山くんは影山くんだ。変わっていない。変わっていないんだ。
「本当に来た……」
私を見て驚いた顔をした影山くんが、そう零す。『本当に来た』って、きみが誘ったくせに。
「……影山くんが、来てって言ったんでしょ?」
「……」
数秒間の沈黙に、ふふっと笑いが込み上げる。口下手なところも、変わっていないんだなぁ。本当に。
「……ご飯でも、行きますか?」
「……俺の部屋、来い」
「えっ?」
「飯なら食った」
「私はまだだよ」
「俺は食った」
数年ぶりに会った元恋人に『部屋に来い』なんて言われたら、冷静でいられるはずなんてない。バクバクしていた心臓の音はもっと速くなって、初めて彼と身体を重ねたあの夏を思い出した。ああ、私生きてるんだなぁ。こんなにも、心臓の音がうるさくてしょうがない。
戸惑っているうちに、右腕をぐいっと掴まれる。腕を握られたまま、影山くんはエレベーターの方へと歩きはじめた。ぐんぐんと進むものだから、自然と私の足も前に出る。ぽちっと押された上昇ボタン。数秒ののち、エレベーターの扉がゆっくりと開く。けれども私には、全てが何倍もの速さに思えていた。
影山くんの片手に握られたキーの番号は1407。エレベーターに引っ張り込まれ、彼は14階のボタンを押す。ぐんぐんと上昇していくエレベーターは、あっという間に14階へと到着した。
「ちょ、待って…っ…、影山くん……!」
「待たねぇ」
「だってこんなの……」
私が望んでた通りすぎて、また怖くなっちゃうじゃない。
続きの言葉を飲み込んで、彼のあとをついて廊下を進む。彼が1407の部屋にキーをかざすと、ドアのカギがガチャリと音を立てて開いた。
「名前……っ」
その瞬間。
途端に強く抱きしめられて、全身の力が抜けていった。ふっと顔を上げれば、唇に熱が降ってくる。あの頃と変わらない温もりと、ちょっと強引なキス。三十五度超えの熱を吸ったアスファルトから逃げるように、校舎の影で交わした初めてのキスを思い出す。
錆びた自転車と夏の匂い、秋の匂い、冬の匂い。自転車置き場で待ち合わせたこと。焦って身体を重ねたあの日。冬が来なければいいのにと言った日。私を拐いたいと言ってくれたこと。泣きながら抱き合った影山くんの部屋。揺れるカーテン。ぴったりとくっついた時の温度。何もかもが、鮮やかに浮かび上がる。
そして今、ここにあるのは思い出じゃない。現実だ。
「……ずっと後悔してた。遠距離恋愛くらい頑張れよって」
「……私もだよ」
「離れることが怖かった。会えなくなることが不安だった。俺には無理だって思ってた」
「影山くんがこんなに喋るの、不思議」
「一世一代の大告白してるからな」
「ノートに書いたアレより?」
「ああ」
「そっか……」
ぎゅっと抱きしめられた温もりを受けとめて、私も影山くんの背中に手を回す。自転車でのふたり乗りを思い出す、大きな背中だ。変わっていない。ひとつも変わっていない。大好きな彼に今、抱きしめられている。
「俺、イタリアに渡ろうと思ってる」
「……え?」
「海外でプレーすることが夢だった」
「そう……、なんだ」
「名前について来てほしい」
「ひぇ!?」
話の展開が早すぎてついていけない。まだキスの余韻が抜けないというのに、彼はもう次の話をしている。
ふっ、と見上げたら、影山くんと目が合った。これまでにないくらい真剣な顔で、そう、例えるなら私を拐いたいと言ってくれた時みたいな真面目な顔をして、彼はこう言った。
「結婚して下さい」
いきなり結婚だなんて、ぶっとんでるな、本当に。
自然と涙が溢れる。影山くんには泣かされっぱなしだったけれど、今のは違う。だって、嬉しい方の涙だから。
「……はい」
目の前の影山くんがガッツポーズをして、私を抱きかかえる。そのままシングルベッドに着地して、私たちはまたキスをした。
「名前のことが好きだ。今も、昔もずっと」
「……私も。ずっと好きだったよ」
再び唇と唇が触れ合って、徐々にそれが深くなっていく。唇で啄むようなキスをして、それから舌を絡め合った。
あの頃は大人のまねごとのようなキスを、何度も繰り返していたよね。でもね、もう私たちは子どもじゃない。大人になったんだ。
あまくてにがくて青い21
今日何かが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。ドキドキする胸を抑えながら、私はホテルの前に立っていた。
7時55分。待ち合わせまでの五分間で、過去の記憶を呼び覚ます。最後に彼と会った日のことを。
〜2015 Spring〜
最後の春高のあと、影山くんの部屋で抱き合ってから、私たちは会わなくなった。学校は自由登校期間に入り、彼は大学生やプロチームとの練習に混じったりトレーニングをしたりと忙しそうだった。
元々少なかったメッセージのやりとりは、更に減っていった。いずれ離れると思うと連絡を増やすのが怖かったし、離れがたくなると思った。
彼がどう思っていたのかは分からない。新しい日々への対応で、いっぱいいっぱいだったのかもしれない。私よりも少しだけ早く、影山くんは新しい生活をスタートしていたのだから。
二月に入ると、私は別れを確信するようになっていた。連絡が少なくなったことと、会わなくなったことは、その確信をより強固なものにした。私は何かをごまかすように、アルバイトのシフトを増やして毎日忙しく過ごした。そうすれば、彼のことを考えていられないと思ったのだ。
そうしてバタバタと過ごしているうちに、いつの間にか卒業式の日が訪れていた。
卒業の日は旅立ちにふさわしい快晴で、空は春のそれに近づいていた。東北の三月はまだ寒い。東京はどうなんだろう、と彼が向かう街のことを思った。でもそんなことを考えていても仕方がないなと、頭の中の思考を押し込める。まだつぼみにもなっていない桜の枝を見て、恋を知る前の私に戻ろうと、そんな決意を胸に抱いた。つぼみにすらなる前の、彼を知らなかった頃の私。会わなくなればきっと、その頃に戻れるはずだから。
「ちょっと話、いいかな……?」
それぞれ部活の追い出し会を済ませ、友達と写真を撮り合って、高校最後の時間をいっぱい笑って過ごした。全部を終わらせる決意を固めて、私は勇気を振り絞った。
みんなが名残惜しみながらも散り散りになって、帰っていった頃。私はいつもの自転車置き場に影山くんを呼び出した。彼は「俺も話そうと思ってた」と言った。吹く風は冷たかったけれど、春の匂いがした。三年前、きみの存在を知った季節の匂いだ。
最初に自転車置き場を訪れた時とは違って、手は繋がなかった。今日は自転車で来なかったから、錆びたママチャリもここにはない。数台の自転車がとまるこの場所で、影山くんは黙って私の顔を見つめていた。
錆びた自転車は、いつも季節の匂いを連れてくる。けれどももう、二人乗りをすることもない。今日は自転車はないけれど季節の匂いがして、ああ、きみが新しい季節を連れてきてくれてたんだなと、働かない頭でそんなことを考えた。
私の方から、口を開く。泣かないようにするので精一杯だった。声は震えていたと思う。増やさないようにつとめていた思い出たちが、頭の中をかけ巡っていった。
きみと出逢った春、花火を見た夏、写真を撮った秋、それから『苗字さんのこと、拐いたい』と言ってくれた冬のこと。鮮やかに染まった季節たちが、今、完全に思い出になる。
「もう、お別れなのかな?」
過去一番の大きな質問に、影山くんが答える。
「……そっすね」
「じゃ、ちゃんと別れよう?」
最後に握手、ね?
そう言って握ったきみの手は思ったよりも大きくて、冷たかった。影山くんの心があったかいことも、自分の気持ちに真っ直ぐなことも、私は知っている。こんなにも真っ直ぐなきみが、さよならを選ぶのなら……、そういうことだ。つまり、それが正解なんだろう。
「バイバイ」
最後は精一杯笑って、さよならの言葉を告げた。彼に背を向けて、コンクリートの上を何歩か進んでから、空を見上げて思いきり泣いた。影山くんに届かないように。
三月の晴れた空は、涙で滲んでよく見えなかった。
おにぎり屋の宮さん18
讃美歌に包まれたチャペルの中で、後輩ちゃんが真っ白なウェディングドレスに包まれて歩いてくる。後輩ちゃん、綺麗だなぁ。プリンセスラインのドレスがよく似合っている。後輩ちゃんのお父さんは既に鼻が真っ赤になっていて、見ているこっちまで泣けてきた。
お父さんが北さんにバトンタッチして、ふたりが手を取り合う。誓いの言葉。指輪の交換。それから、誓いのキス。
青い海を背景にキスを交わすふたりの姿は神秘的で、結婚っていいなぁ、なんてぼんやりと考えた。
結婚。したいのかな、私。いいなぁって思うってことは、したいんだろうな。でも相手は治くんしか考えられない。やっぱり好きなんだなぁ。好きすぎるんだ。治くんのこと。
式が済み、披露宴が始まると、新郎思い出の写真にたびたび治くんが登場した。ふふっ、髪の毛銀色じゃん。やんちゃしてたんだなぁ。侑さんもセットで登場しているけれど、やっぱり二人は似ていても違う。全然違う二人なんだなぁって、思わされる。
ああ、なんであんな一瞬で判断してしまったんだろう。って今更後悔しても過去は過去。とにかく今日は謝ろう。謝り倒そう。それしかないと思うの。
『それではデザートビュッフェをご用意してますのでご自由にお楽しみ下さい』
そんなアナウンスが流れて、先輩たちは吸い寄せられるようにケーキの元へと走っていった。今だ! そう思ったのは向こうも同じだったようで、はた、と目が合う。
ふふっと笑い合って、ケーキを遠目に治くんのそばに寄っていった。
「「あの……」」
声が重なり、ふふふっと笑ってしまう。前にもこんなことあったな、なんて思っていたら、治くんが「前にもこんなことあったな」と言いはじめたものだからびっくりした。
「……私も今同じこと考えてた」
「ほんまに!?」
「……早とちりしてごめんね」
「最低な浮気男やと思うた?」
「ごめん、思った。でもね。それよりも会いたかった」
そう返すと、治くんはかあっと顔を赤らめた。うそ、照れてる? そんな治くんが可愛すぎて、私から手をきゅっと握った。
「会いたくて会いたくてしょうがなかったよ?」
「あ〜、もうアカン……! 今すぐ抱きつぶしたいわ!」
「……帰ってからね?」
「えっ!?」
「ずっと返事もしてなくてごめんね。ばかだなぁ私。こんなばかな女だけど、これからも付き合ってくれる?」
「当たり前や!!!!」
遠くの方で、治くんの友達や先輩たちが新郎新婦を取り囲んでいる。仲間に囲まれる二人はとても幸せそうで、あたたかい雰囲気に包まれていた。
「いいなぁ、結婚」
「えっ!? ◇◇ちゃん、結婚とか憧れるん!?」
「そりゃあね。いいなぁって。思うよ……?」
「……じゃあ、する?」
「え?」
「結婚……」
「まって、むり」
「え!? 無理なん!?」
「違うの! 嬉しすぎてしんどい無理、キャパオーバーです! って意味!」
「なんやそれ」なんて言って笑う治くんはやっぱり大きくて、触れた手は温かくて、どきどきした。
「……よろしくお願いします」
「へ!? 何が!?」
「……結婚! そっちから言ったんでしょう!?」
「へ!? ほんまに!? ええん!?」
「嘘なんてつかないよ」
ああ、身体が熱いや。人の結婚式で、何話してるんだろうね、私たち。
私さ、後輩ちゃんと北さんの応援してるつもりだったんだよ? でもさ。キューピッドは彼女と北さんだったのかもね。
「ケーキ取り行こか?」
「うん」
青い海を見つめながら、ビュッフェのケーキを選ぶ私たち。治くんは食べ物ならなんでも好きみたいで、全種類をお皿に載せていた。
そんな姿が可愛くって、つい笑ってしまう。知るたびに好きになっていくよ。治くんのこと。
「そういえばさ、〇〇ちゃんと北さん『ちゃんと御殿』建てるらしいよ?」
「ほんまに!? 新婚でふたりきりやのに一軒家てスゴいな!?」
「もうすぐお子さん生まれるしいいんじゃない?」
「ハァ!? それ聞いてへん! 進展早すぎやろほんま!!!!」
「だよねぇ。びっくりさせられっぱなしだよ、本当」
そんな話をしながら選んだのは、すっぱいベリーがたくさん乗ったショートケーキ。恋はたっぷりの生クリームのように甘い。けれども甘い中に放り投げられたからこそ、少しの酸っぱさが強く感じるものだ。
「ねぇ、治くん」
「?」
「大好きよ」
「〜っ! 俺も大好きや!!!!」
自分主役とちゃうねん! と侑さんが治くんにツッコミを入れる。みんなが笑って、北さんと後輩ちゃんも笑って、治くんも笑って、私も笑った。みんなが笑顔になる素敵な日に、私はプロポーズをされた。
治くん、出会ってくれてありがとう。私を好きになってくれてありがとう。いっぱい幸せにしてね? 私も幸せにするからね。
繋がれた手は、大きくてあたたかくて。うん。ドキドキした。
きっと、いつになってもドキドキさせられるんだろうなぁ。そんなことを想いながら、私は遠くに見える海を見つめた。
それから。
リモートワークを続けてくれた後輩ちゃんは産休に入り、私は新たに入ってきた新人ちゃんの指導社員についた。相変わらずバタバタしているけれど、バタバタしているのは仕事のせいだけじゃない。治くんとの結婚式の準備に追われているからだ。
「なんか先輩幸せそうですね」
新人ちゃんにそう言われたものだから、大きな声で「うん!」と答えておいた。幸せだよ。今、すごく。
きみに出会ったのは偶然かもしれない。担当替えがなかったら出会っていなかっただろうし、話すこともなかったと思う。後輩ちゃんと北さんがくっついてなかったら、治くんとふたりきりになることもなかった。
全ては偶然、そして必然。
『今日、久々飯行こか?』
治くんからのメッセージに、喜んだ顔のスタンプを送り返す。あー、幸せだな。今、本当に幸せ。
私、もうすぐ宮になります。
おにぎり屋の宮さん17
その日は、ハレの日にふさわしい晴天だった。海の見えるチャペルが有名なその式場に、先輩たちと一緒に足を踏み入れる。通された待合フロアからも青々とした海が見えて、水面がきらきらと光っていた。
まだ、来てないのかな。
きょろきょろと周りを見回して、手で髪を整え直す。最後に会ったのがあんな形だったことよりも、今の自分の見た目が気になってしょうがなかった。
美容院に行ったし、マツエクにも行ったし、ネイルにも行った。あんな浮気男、と思う気持ちよりも、もう一回素直に話せたらと期待する気持ちの方が強かった。
先輩たちのあとをついて、受付でご祝儀を手渡す。後輩ちゃんの友人らしき女の子が手渡してくれた席次表を、フロアの隅でこそこそと開いた。
新郎後輩・宮治。うん、いるよね。いるに決まってるよね。いないわけがないよね。
ぼんやりと席次表を眺めていると、彼の名前の隣に、もうひとつ似たような名前が記載されていることに気がついた。
新郎後輩・宮侑。
おにぎり宮に置いてあったサインを思い出す。そういえば、ご兄弟がバレーボールの選手だって言っていたっけ。
待って? ご兄弟も北さんの後輩?
ってことは、えっと、治くんが北さんのひとつ年下だから……。ん? ご兄弟って、弟なのかな? 年子? うーん……。
そんなことをだらだらと考えていた時だった。「◇◇ちゃん!」と大きな声が聞こえ、はっ、と顔を上げる。そこにいたのは、スーツ姿の治くん。……と、その隣にそっくりな顔の金髪男性が立っていた。
「おっ、治くん……!?」
「久しぶりやな……」
一瞬場がしーんと静まって、隣の男性が「あーっ! もう! なんやねんサム! じれったいんやアホ!」と叫んだ。えっと、この人はたぶん……。
「◇◇ちゃん。紹介するな。俺の双子の兄弟の侑」
「えっ!?」
「兄弟おる言うてたやろ? ちなみに一卵性や」
「双子だとは聞いてない……」
「せやな……」
「ちょ、ちょっと待って! じゃあ、あの時見たのは……」
「侑と彼女やな」
「でも髪の色……!」
「なんやイベントのために黒くしとったんやて」
まさか。まさかの彼氏とその兄弟を見間違えてしまうなんて! 穴があったら入りたい。ていうか謝り倒したい。
「ごっ、ご、ごめんなさ……!」
「◇◇ちゃんのせいやあらへん! 俺が言うてへんやったから!」
「でも……、私が……」
「ミョウジちゃーん! 式始まっちゃうよー!」
先輩から声をかけられ、はっと顔をあげる。治くんはじっと私を見つめて、「あとで話そか」と優しく笑った。
ああ、やっぱり好きだなぁ、って思わされる。式場に向かう途中、治くんと侑さんを見比べたけれど、今の私には全然違って見えた。治くんがいい。治くんじゃないといやだ。同じ顔の兄弟がいたって、それは変わらない。あの優しい声に、温度に、恋愛になると臆病なところに、恋をしたんだから。
あとできちんと話そう。そして、ちゃんと謝るんだ。
そう決めて、チャペルの中へと足を踏み入れた。
おにぎり屋の宮さん16
『◇◇ちゃん、誤解やねん。一度会って話そ』
あれから二週間。
治くんから毎日のようにメッセージが来ているけれど、私はそれを無視し続けた。だって、あんなの。しかも昼間っから若い女と。許せるわけがない。
けれども治くんのことを好きだという気持ちは積み重なるばかりで、毎日治くんのことを想っては溜息をついている。
はぁ、会いたいなぁ。会いたくて会いたくてしょうがない。
いつもの昼休み、ランチルームの隅でお弁当箱を片付けた私は、一枚のハガキを手にとった。後輩ちゃんから渡された結婚式の招待状の、返信用のハガキだ。
「行ったら会っちゃうよなぁ……」
けれども、私は彼女の指導社員だし、行かない選択肢などない。出席にマルを付けて、おめでとう! とお祝いのメッセージを書いた。
結婚したら農村地区に行ってしまう後輩ちゃんは、今後はリモートワーク中心になるらしい。便利な時代になったなぁと思うと同時に、会えないのって寂しいよね、と思った。
それは、彼女に対してだけじゃない。治くんに対しても、会えない寂しさを感じていた。
ああ、会いたいな。会ったら、どんな顔すればいいのかな。
結局バタバタしている間におにぎり×こだわり米の原稿は完成し、仕事で治くんに会う前に、北さんと後輩ちゃんの結婚式の日が来てしまった。
おにぎり屋の宮さん15
〜side OSAMU〜
『◇◇ちゃん、誤解やねん。一度会って話そ』
既読になったりならなかったりするメッセージは、俺からの一方的なものだった。彼女からの返事は来ない。同じ内容のメッセージを送り続けて早や二週間。俺は閉店後の店内のカウンターに突っ伏して、はぁ、と深い溜息をついた。
「せやからごめんってなんべんも言っとるやん」
頭上から降ってくるのは、自分とよく似た声。ぎろりと睨みつけながら上を向けば、同じ顔をした兄弟が手を合わせて謝っていた。
「よりによって何であの時黒髪やねん……」
「あれな、メテオアタックって漫画とのコラボ試合があってな! キャラと同じ髪色にしてん」
「あの子とはどうなってん?」
「おかげさまでラブラブやで?」
ええな、侑は俺と違ってぐいぐい行くからな。そう思った。
◇◇ちゃんのことになると自分でもびっくりするくらい臆病で、情けなくて、積極的になれない俺がいた。目の前にいる兄弟とは顔は同じだけれど、そういうところは全然違う。俺が勇気振り絞って告白した子やぞ、とは言えなかった。お前昔はチャラかったやん、と笑われるのが目に見えているからだ。
「彼女から返事来ぃひんの?」
「……おん」
「あちゃー、すまんな」
「随分と他人事やな」
「仕事で会うんとちゃうん?」
「あー……、その前に北さんの結婚式で会うな」
「ほんま!? 俺も会えるやん」
「ツムも一緒に謝れや?」
「髪黒にしてこか?」
「やめれや」
ビールをひと口飲んで、またカウンターに突っ伏す。口の中に苦味が広がって、今の俺の心みたいだな、と思った。彼女のことを想いながら、ただ酒をあおることしかできなかった。
おにぎり屋の宮さん14
そんな感じで新しい日々が始まり、秋は深まっていった。治くんとは毎日連絡を取り合ったし、お店が休みの日には必ず会ってデートをして、それなりに順調に過ごしていると思う。
けれどもそんな日々にも波風は立つもので。私たちの間に荒波が立ったのは、そんなある日のことだった。
付き合いたてのラブラブな時期は不意に会いたくなるもので、会いに行っちゃおうかな、なんていきなり思いついたりもするものだ。
とある平日、稲荷崎地区の他のお店の取材に行った帰りに、私はそれを思い立った。
ちょっと顔を見たいだけ。お店のジャマはしない。私も外回り中なんだし。ちょっとだけ。ほんの少しだけだから。
そんなこんなでいきなり訪れた『おにぎり宮』の店の前。今は昼と夜の間の準備時間中のようで、中からはお米の炊けるいい匂いが漂ってくる。忙しいだろうから五分だけ。ちょっと顔を見るだけ。
そう思ってガラリと扉を開いた瞬間、見えた光景は予想だにしないものだった。
「も〜♡ 宮さんってば♡」
「――ちゃんがかわええこと言うからやろ?」
「だってぇ〜」
カウンター席に座ってイチャイチャする一組の男女。少しギャルっぽくて私より若いだろう女の子が、男性の身体にぴとりとくっついている。女の子の肩に回されたのはがっしりした腕。男性の方の顔を見ると、はた、と目が合った。無造作な黒髪と、整った顔立ち。それは間違いなく治くんだった。
しーん、と場が静まり返り、時間がとまったかのように感じる。
「治く……ん?」
「……! 違っ……!」
「……最低! この浮気男!」
持っていたコンビニの袋を床に叩きつけて、ピシャリと扉を閉め店をあとにする。駅の方へと駆けながら、涙がポロポロとこぼれてくるのが分かった。
なに、なに、なんなの!?
私、宮さんの恋人になったんだよね!?
そういえば、好きだとは言われたけど付き合おうとは言われてないかも!?
……え、もしかして私の方が浮気相手!?
「最低男ー!!!!!」
そう叫ぶ私の目からは、次々と涙が溢れていた。なんなのよ、本気なのに。本気で好きなのに。
それからどう会社まで戻ったのか、よく覚えていない。会社に着く頃には、周りから見ても泣いたことがすぐ分かるくらいに目が真っ赤になっていた。
おにぎり屋の宮さん13
チュンチュンと小鳥のさえずる声で目が覚めた。うーん、と眠い目をこすりながら伸びをする。目を開いた瞬間うつし出されたのは見慣れない天井で、昨日の出来事を思い出した。はっ、と隣を向けば、裸のままで眠っている宮さんの姿。えっと、昨日の夜……。
北さんのところで農作業をしたあと、宮さんがひとり暮らしをしているマンションに来た。玄関先で抱きしめられて、そのままキスをして。それから……。
脳裏に浮かぶのは生々しい夜の記憶で、思い出すだけで顔がかあっと熱くなってくる。……したんだよね、昨日。あんな顔の宮さん、初めて見たな。……ていうか私も裸のままだし。着替えなきゃ。
そろりとベッドから降り、脱ぎ捨てられた服を拾い集める。放り投げられた生々しすぎる残骸たちを目に入れないようにして、皺になった服を伸ばした。
その瞬間、後ろからぎゅっと抱きしめられて、ぼーっとした頭に血が巡りはじめる。また身体がかあっと熱くなって、どうしようもないくらいに緊張している自分がいた。
「◇◇ちゃん、おはよ」
「おはよう……、ございます」
「その敬語やめよか? 同い年やし」
「……わ、わかった」
「宮さんもやめてな?」
「……お、お、おさむくん?」
「◇◇ちゃん、もっかいしたい」
「ん」
ずるずる流されるようにキスをして、もう一度布団の中に潜り込む。二人とも稲刈りのせいで筋肉痛になってしまったみたいで、互いに笑い合った。宮さんの身体はやっぱり大きくて温かくて、触れてるとどきどきした。慣れるのかなぁ。これ。
そんなこんなで無事(?)恋人同士になれた私たち。結局その日は一日中イチャイチャして過ごしたのだった。……そして。
まあ、みんなに聞かれないわけないよね。
週明けに出勤すると、後輩ちゃんがニマニマした顔で待っていた。さあ、お話して下さいと言わんばかりに。
「先輩っ! どうなりましたか!?」
「……どっ、どうって、なっ、何がっ?」
「◇◇先輩噛み噛みですよっ! 何がって宮さんとのことですよっ」
「そっ、そういう〇〇ちゃんはどうだったのよ? 北さんと」
ごまかすように質問で返したら、後輩ちゃんは真っ赤になってうつむいてしまった。どうやら上手くいってくれたみたいでホッとする。
「えっと、次の休みにうちの両親に挨拶しに来てくれることになりました」
「おっ、すごいじゃん!」
「それからその次の休みに式場の見学を……」
「式場!?」
はーっ、やっぱりこのふたり進展するのが早すぎるのよね。でも比較しちゃいけない。このふたりが異常に早いだけだから。
「それで、先輩は? どうなったんですか?」
きらきらした瞳で見上げられたら、答えないわけにはいかない。私はふぅ、とひとつ溜息をつくと、宮さんとの関係を口にした。
「ま、まぁ、……つ、付き合うことに、なりました」
「ひゃあ!? すごい! おめでとうございます!」
「おめでとうは〇〇ちゃんの方でしょ」
「それで? ちゅーしました? えっちは?」
「〜っ!!!!」
後輩ちゃんの声が大きすぎたのか、先輩たちが「何!? 何!? 何の話!?」なんて言って寄ってきている。治くんのことを話したら面倒なことになるので、「〇〇ちゃん北さんと結婚するらしいですよ」と先に言っておいた。ごめんね、後輩ちゃん。きゃーきゃーと先輩たちに質問攻めされる後輩ちゃんを背に、さっさと逃げ出して、私はおにぎり×こだわり米の文書を作成した。
おにぎり屋の宮さん12
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おにぎり屋の宮さん11
そのあとは北さんのご両親や親戚の方々が手伝いにいらして、後輩ちゃんの紹介なんかしはじめて。そうしたら北さんのおばあちゃんに、「こっちは治ちゃんの彼女さん?」なんて聞かれたので咳き込んでしまった。宮さんがなんと答えたかというと、「これからです」のひと言。そのひと言だけで私は胸がきゅんとなって、どうにかなってしまいそうだった。
そうこうしているうちに、あっという間に訪れた夕暮れ。そろそろおいとまします、と北さんに挨拶すると、北さんは「治、ミョウジさん、ありがとう。またな」とお礼のお米を渡してくれた。
「あれ? 私は?」と、北さんの隣で固まっている後輩ちゃん。北さんは、「○○ちゃんは今日泊まっていくもんな?」と言ってにやりと笑っている。
「よかったじゃん。ラブラブ出来るね」
まだ先輩モードを保っておかねば! と思いながらそう伝えると、後輩ちゃんはますます顔を赤らめて固まってしまった。ちょっとからかいすぎたかな?
宮さんの車に乗り込んで、窓を開けて後輩ちゃんと北さんに手を振る。ふたりの姿が段々小さくなって見えなくなった頃、ふーっと安心して溜息をこぼした。
「どうにか、上手く行きましたね。宮さん、ありがとうございました」
「こちらこそです。先輩の一大事でしたから」
あ、そういえば……。今、ふたりっきりなんだ。
そのことに気がついて、不自然に黙ってしまう。オーディオからは行きがけに聴いたラブソング。ねぇ、この恋の答えを知りたいの。そんな歌詞が聞こえて、顔を上げてはいられなくなった。
「……ミョウジさんは、答え合わせしたいですか?」
窓の外には、黄金に光る田園風景。それが少しずつ小さくなっていく。
こたえあわせ。こたえあわせって、恋愛の、ってことだよね。そんなの、したいに決まってる。
無言でこくり、と頷くと、宮さんはふーっと息を吐いて、左手でぱちんと自らの頬を叩いた。
「俺、ほんまミョウジさんのことになるとダサいねん」
「……そんなこと、ないですよ」
「ミョウジさん」
「はい」
「……好きです」
伝えてほしいことがある。知りたいのはあなたの気持ち。イヤなんて言わないから、はっきり言葉で伝えてほしい。その願いが今叶って、私は知らないうちに泣いていた。
「……っ、ぐすっ」
「どないしたんですか!?」
「嬉しくて……」
「言うの遅くなってすみません」
「……今日、〇〇ちゃんと北さんの応援するはずだったのに、ずっと宮さんのこと考えてました」
「ほんまに?」
「こんなダメダメな先輩でも、いいですか?」
「そんなん嬉しすぎるやろ? 今すぐ抱きしめたいわ」
「……わたしも好きです」
山道に入っていた車が、登坂用に広くなったスペースへと潜り込む。車のスピードが緩やかになって、ハザードランプが点灯した。ゆっくりと踏まれるブレーキと、停まった瞬間に近づいてきた宮さんの顔。ぎゅっと抱き寄せられて、唇に温もりが触れた。わたしたちの周りだけ湿度が高くなって、真夏に戻ってしまったみたいだ。
「みやさ…んっ…」
「好きや」
「…っ…、は…っ…」
「好きや好きや好きや」
唇に何度も触れる熱。宮さんの唇は熱くって、きっと私の唇も熱くって。ざらついた舌が口内に入ってきて、粘膜をなぞられた。
「俺んち……、行きましょか?」
それが何を示しているのか分かっていて、こくりと頷いた。オーディオの曲が変わる。次に流れ始めた曲は、永遠の愛を誓ったウェディングソングだった。
おにぎり屋の宮さん10
しばらく道なりに走っていくと、目の前の景色が変わりはじめた。きらきらと光るたんぼが広がる、数ヶ月前まで私が担当していた地域だ。前回後輩ちゃんと来た時は青々とした田んぼが広がっていたけれど、今は育った稲穂が広がっていて、あの担当変えからもう数ヶ月経ったんだなと思わされる。ふと後部座席の方を見ると、後輩ちゃんがはっとした顔で、「宮さん、この道……」とこぼした。
「あはは、分かってもうた?」
せつないような、どこか寂しそうな顔をしている後輩ちゃん。そんな彼女の頬が、次第に赤らんでいく。さぁ、今は先輩モード。今日は私と宮さんの日じゃなくって、後輩ちゃんと北さんの日なんだから。
後部座席の方を振り返りながら、アドバイスをするように後輩ちゃんに語りかけてみる。
「〇〇ちゃんさ、もう自分の気持ち分かってるんじゃない?」
「……」
「今日、稲刈りの手伝いだから。頑張って。ね?」
「はい……」
本当は、後輩にアドバイス出来るような素敵な先輩なんかじゃない。好きです! のあとにおにぎりが……、なんて言ってしまうくらい、意気地なしの私。稲刈りが終わったら、もっとちゃんと自分の気持ちを伝えたいな。それから、宮さんにも。この関係に名前をつけてもらわなくちゃいけない。とにかく今は、後輩ちゃんの幸せを祈るだけだから。
宮さんがハンドルを右に切る。田園風景の中を進んでいくと、北さんが大きく手を振っているのが見えた。後輩ちゃんが泣きそうな顔をするものだから、私と宮さんは顔を見合わせて笑った。
「治、ミョウジさん、〇〇ちゃん!」
宮さんが窓を開けると、北さんの声が飛び込んできた。後輩ちゃんの目からぽろぽろと涙がこぼれる。宮さんが車を田んぼに横付けするように停めて、宮さんからの合図で私と彼は同時に車を降りた。少し遅れて、後輩ちゃんがゆっくりと車から降りてくる。
「〇〇ちゃん!? なんで泣いとるん!?」
「きたさ…っ…、えっぐ、ひっく」
「〇〇ちゃん!?」
「会いたかっ、会いたかったです…っ…」
後輩ちゃんが、北さんの胸に飛び込む。北さんは、後輩ちゃんをぎゅっと抱きしめて、その頭を撫でていた。宮さんと目を合わせて、車の影に隠れる私たち。宮さんとふたりで隠れていると、なんだか共通の秘密を持ったみたいで胸の奥がドキドキと高鳴った。
田んぼの真ん中に、後輩ちゃんの声が響く。
「きたさん…っ…、すき、すきです、だいすきです…っ…!」
「ん、知っとるよ」
「……!?」
「〇〇ちゃん俺のこと好きって、分かっとったよ」
「ひえぇ……!?」
「だって〇〇ちゃん、好きでもない男に抱かれんやろ?」
「うう……」
「なぁ、〇〇ちゃん」
「はい」
「俺のお嫁さんになって?」
「!?」
思いも寄らぬ言葉が聞こえて、宮さんとふたりはっと顔を見合わせる。宮さんは目を丸くしていて、「……俺も見習わなアカンな」と言った。見習うって、私との関係のことなのでしょうか?
「……そうですよ、宮さん慎重すぎ」
「えっ!? ほんまにそう思うてます?」
「……もっとチャラいかと思ってました」
「……ミョウジさんには、チャラくなりきれへんねん」
「もっとチャラくなっても……、いいですよ?」
どくどくと胸が高鳴る。いつもより少し大胆なセリフを吐けるのは、今しがた生のプロポーズを聞いてしまったからだろうか。
宮さんの指先と、私の指先が触れる。今朝みたいに、もう一度……。
そう思ったその時、後輩ちゃんの声が「はい」と聞こえた。それがプロポーズへの返事だと把握して、ガタっと立ち上がり車の影からふたりを覗き見る。
顔を上げれば、田んぼの真ん中でキスをしている後輩ちゃんと北さんの姿。思わずかーっと顔が赤くなってしまう。隣を見たら、宮さんも顔を赤くしてふたりを見守っていた。
人のキスシーンなんて結婚式以外で見ることはないので、ドキドキしてしょうがない。どう振る舞えばいいか困っていると、宮さんがパチパチと拍手をしはじめた。私もつられて手を叩く。ふたりがこちらを向いたので、私たちは隠れていた場所からふたりの元へと歩み寄った。
「北さんが恋愛になるとこんなに積極的なんて、俺知りませんでしたわ」
宮さんが北さんに声をかける。その顔はやっぱり赤らんでいて、どこか照れているようだった。
「治はもうちょっと積極的にならなアカンな」
「!?」
「ま、頑張り? 応援しとるよ」
北さんはそう言うと、私と宮さんの顔を交互に見比べて、にやりと笑った。全て見透かされている気がして、かあっと身体が熱くなる。宮さんの方を見たら、赤くなった顔を手で覆いながら「今こっち見んといて下さい」と言われた。
うん、私も今こっちを見ないでほしいな。だってたぶん、私も顔が真っ赤だと思うから。