〜2017 autumn〜
時間が経つのが、こんなに長く感じたのはいつぶりだろう。高校生の頃、合宿に行った彼が早く帰ってこないかと、そわそわしながら待っていた甘酸っぱい記憶が蘇る。
腕時計の針が、八時ちょうどを指す。私は高鳴る胸を抑えながら、ホテルのロビーへと足を踏み入れた。県内ではわりと有名な、少し高級感のあるホテル。きょろきょろと周りを見ているとちょうどエレベーターから降りてきた影山くんと目が合った。
あの頃よりも少し大人びて見えるけれど、やはり影山くんは影山くんだ。変わっていない。変わっていないんだ。
「本当に来た……」
私を見て驚いた顔をした影山くんが、そう零す。『本当に来た』って、きみが誘ったくせに。
「……影山くんが、来てって言ったんでしょ?」
「……」
数秒間の沈黙に、ふふっと笑いが込み上げる。口下手なところも、変わっていないんだなぁ。本当に。
「……ご飯でも、行きますか?」
「……俺の部屋、来い」
「えっ?」
「飯なら食った」
「私はまだだよ」
「俺は食った」
数年ぶりに会った元恋人に『部屋に来い』なんて言われたら、冷静でいられるはずなんてない。バクバクしていた心臓の音はもっと速くなって、初めて彼と身体を重ねたあの夏を思い出した。ああ、私生きてるんだなぁ。こんなにも、心臓の音がうるさくてしょうがない。
戸惑っているうちに、右腕をぐいっと掴まれる。腕を握られたまま、影山くんはエレベーターの方へと歩きはじめた。ぐんぐんと進むものだから、自然と私の足も前に出る。ぽちっと押された上昇ボタン。数秒ののち、エレベーターの扉がゆっくりと開く。けれども私には、全てが何倍もの速さに思えていた。
影山くんの片手に握られたキーの番号は1407。エレベーターに引っ張り込まれ、彼は14階のボタンを押す。ぐんぐんと上昇していくエレベーターは、あっという間に14階へと到着した。
「ちょ、待って…っ…、影山くん……!」
「待たねぇ」
「だってこんなの……」
私が望んでた通りすぎて、また怖くなっちゃうじゃない。
続きの言葉を飲み込んで、彼のあとをついて廊下を進む。彼が1407の部屋にキーをかざすと、ドアのカギがガチャリと音を立てて開いた。
「名前……っ」
その瞬間。
途端に強く抱きしめられて、全身の力が抜けていった。ふっと顔を上げれば、唇に熱が降ってくる。あの頃と変わらない温もりと、ちょっと強引なキス。三十五度超えの熱を吸ったアスファルトから逃げるように、校舎の影で交わした初めてのキスを思い出す。
錆びた自転車と夏の匂い、秋の匂い、冬の匂い。自転車置き場で待ち合わせたこと。焦って身体を重ねたあの日。冬が来なければいいのにと言った日。私を拐いたいと言ってくれたこと。泣きながら抱き合った影山くんの部屋。揺れるカーテン。ぴったりとくっついた時の温度。何もかもが、鮮やかに浮かび上がる。
そして今、ここにあるのは思い出じゃない。現実だ。
「……ずっと後悔してた。遠距離恋愛くらい頑張れよって」
「……私もだよ」
「離れることが怖かった。会えなくなることが不安だった。俺には無理だって思ってた」
「影山くんがこんなに喋るの、不思議」
「一世一代の大告白してるからな」
「ノートに書いたアレより?」
「ああ」
「そっか……」
ぎゅっと抱きしめられた温もりを受けとめて、私も影山くんの背中に手を回す。自転車でのふたり乗りを思い出す、大きな背中だ。変わっていない。ひとつも変わっていない。大好きな彼に今、抱きしめられている。
「俺、イタリアに渡ろうと思ってる」
「……え?」
「海外でプレーすることが夢だった」
「そう……、なんだ」
「名前について来てほしい」
「ひぇ!?」
話の展開が早すぎてついていけない。まだキスの余韻が抜けないというのに、彼はもう次の話をしている。
ふっ、と見上げたら、影山くんと目が合った。これまでにないくらい真剣な顔で、そう、例えるなら私を拐いたいと言ってくれた時みたいな真面目な顔をして、彼はこう言った。
「結婚して下さい」
いきなり結婚だなんて、ぶっとんでるな、本当に。
自然と涙が溢れる。影山くんには泣かされっぱなしだったけれど、今のは違う。だって、嬉しい方の涙だから。
「……はい」
目の前の影山くんがガッツポーズをして、私を抱きかかえる。そのままシングルベッドに着地して、私たちはまたキスをした。
「名前のことが好きだ。今も、昔もずっと」
「……私も。ずっと好きだったよ」
再び唇と唇が触れ合って、徐々にそれが深くなっていく。唇で啄むようなキスをして、それから舌を絡め合った。
あの頃は大人のまねごとのようなキスを、何度も繰り返していたよね。でもね、もう私たちは子どもじゃない。大人になったんだ。