午後五時、窓の向こうのオレンジが、夜に混ざって溶けていくみたいだ。それをぼんやりと見つめながら、今訪れた状況にとてもぼんやりとはしていられないと気がついてしまう。頭の中を整理したい。
どうしよう。侑の家で宅飲みをすることになった。ふたりきりで。
『ごめん! バイト入ってもうた!』
『ごめん! 残業になってもうた!』
スマートフォンに表示された友人二人からのメッセージ。それを見た時は、今日の飲みは無しかぁ、と落胆したものだった。侑……、片想いをしている彼も来るはずだったからだ。しかしその数分後、侑から届いた個人メッセージにより、私の気持ちは大きく揺さぶられることとなる。
『ふたりで飲もか?』
それが届いた時の私の動揺っぷりは、側から人が見ていたならば指を指して笑われていただろう。一周回ってぼんやりと空を眺めてしまうくらいに、私の感情はかき乱された。本当、どうすればいいの。
まあ、私と侑の仲だし? 高校からの腐れ縁みたいなもんだし? ふたりきりでも間違いは起こらない。それでも万が一に備えてお気に入りの下着を身につけてしまう辺り、大変ばかばかしいと思う。さらに買ったばかりのワンピースに袖を通した辺りにはもう、その滑稽さに自分で笑ってしまったほどだ。……何もないだろうけど。
『これから行きます』
やたらとよそよそしい文章を送りつけて、玄関に鍵をかける。ガチャリと回ったキーの音は、私の恋心を解放させていくようだった。
◇
午後五時。窓の向こう、弧を描いた飛行機雲がオレンジと青の境界線をぼやけさせる。柄にもなく空を見つめてしまう辺り、自分は大変動揺しているようだ。頭の中を整理したい。
どないしよ。俺の家に名前が来る。
『ごめん! バイト入ってもうた!』
『ごめん! 残業になってもうた!』
スマートフォンに連続して届いた友人二人からのメッセージ。それを見た時は、名前との飲みが無しになったのかと落胆した。自分が名前にずっと片想いをしているからだ。けれどもここで諦めたら男は廃る。なんや、ふたりきりで飲めばええやん。そう思いついた時は天才かと思った。誘うのは緊張したけれど、後悔無し。だってこれは、チャンスなのかもしれないのだから。
『ふたりで飲もか』のメッセージに『OK』と返事が来た時の動揺っぷりは、なかなか酷かったと思う。兄弟が見ていたならば、指を指して笑われていたに違いない。一周回って空を見つめてしまうくらい、情緒がかき乱されていた。ほんま、どないしよ。
まあ、俺と名前の仲やし? 高校からの腐れ縁みたいなもんやし? ふたりきりでも間違いは起こらない。それでも万が一に備えて男のエチケットを買ってきたり、変な毛が床に落ちていないか念入りにチェックした。さらに風呂掃除まで始めた辺りには、あまりの滑稽さに自分で笑ってしまったほどだ。……何もあらへんやろ。
『これから行きます』
どこかぎこちないメッセージが届いた頃には、心ここにあらず状態。何もあらへん! そう思った自分だったけれど、何もない状態を保つことはかなりの苦行であることを、この後知ることとなる。
◇
乾杯、の声が重なる。グラスの向こうに見えるアルコール9%のロング缶を見つめながら、最初のひと口を豪快に飲み込んだ。度数の高いお酒を選んだのは、緊張を紛らわせるためだ。
……どうしよう、侑の部屋にふたりきりだ。想像以上に小綺麗でシンプルな、侑らしくないワンルーム。その隅に置かれたベッドの存在が気になってしょうがない。いや、何もない! 何もないから!
「名前って酒強いんやな」
「えっ!? そうかな!?」
「それ度数高いやん」
「あはは! これ、飲みやすくて軽く酔えちゃうから好きなんだよね」
もっと可愛らしいお酒を選ぶべきだったのだろうか。度数の高いそれをぐびぐびと飲みながら、いや、今さら女の子らしくしたって、と開き直っている自分がいた。彼にとって私が恋愛対象じゃないなんてことは、とうに分かっている。ただの友達だからこそ、こんなふうに二人きりで宅飲み出来るんだろうし。
「侑は彼女とかいないの?」
9%のアルコールは、気分をほどよく上昇させる。変な質問をした、と気づいた時には、しかめ面をした侑がこちらを見ていた。
「俺に彼女おらへんの知って聞いたな?」
「いやいや、あの宮侑選手だからいい子のひとりやふたりいるでしょ?」
「ええ子……、か」
「いるの!?」
「まぁ、おるっちゃおるな」
「そうなんだ……」
彼女はいないけれどいい子はいるって、交際寸前とかそういう感じなのだろうか。そっか。そうなんだ。
分かっちゃいたけれど、直接本人の口から聞くとこうもキツいものだとは思っていなかった。ロング缶をぐびぐびと飲み干し、次の缶をプシュっと開ける。次第に歪みはじめる視界と、連勤明けの体にしみるアルコール成分。眠気を口実に、隣に座る侑の肩に体重を預けた。
このまま、襲われてもいいのに。そんなことを思いながら。
◇
ど、ど、どないしよ! ほんまどないしよ!
えっと、今置かれている状況を理解したい。……名前が俺の肩にもたれかかって寝とる!
乾杯をした直後は普通だった。けれども俺が『ええ子がおる』と伝えた頃から名前のピッチが速まりはじめ、いきなり体重をかけられたと思ったらすやすやと寝息を立てて眠っていたのだ。
アカン、こんなの興奮せん男おらへんやろ。好きな子に肩もたれかかられて、可愛い顔して無防備に寝顔を見せられて。正直今すぐ襲いたくてしょうがない。
「名前」
小声でそっとその名を呼んでみる。すると名前は「う〜ん……」と可愛い声をこぼして、もっと俺の方に体重をかけた。やばい、ほんま今すぐに襲いそうや。
そもそも、名前は俺に気がないと思う。ここで襲ってしまえば、友人の宮選手に襲われましたとか言って週刊誌のネタにされかねない。まぁ、名前はマスコミにネタ売ったりはしないだろうけど。
「……好きやで」
聞こえていないのをいいことに、そんなことをつい呟いてしまう。あー、俺ほんまチキンすぎやろ。アカンわ。ダサすぎやで。シラフの時に言えや。
手、握ってもええやろか。
俺の膝に置かれた小さな手を握る勇気すらなく、ただこの状況に悶えるのだった。
◇
「……好きやで」
ぼんやりと濁った意識の中で、愛しい声が低く響く。あれ、今何してるんだっけ。眠ってた? 今聞こえたの侑の声……? そっか、侑のおうちで二人で宅飲みしてたんだ。
ん……?
好きやで……!?
え、ちょっと待って! 待って待って!
侑にはいい子がいて、私なんか眼中にない。完全に私の片想い。フラれる目前。そんな状況だったはずだ。けれども今、その彼から『好きやで』とこぼされた気がする。はて、酔って耳までおかしくなってしまったのだろうか。
「……好きや」
もう一度小さく聞こえて、完全に酔いがどこかに飛んでいってしまう。え!? 何これ!? 今の私に言ったよね!?
これは、チャンスなのかもしれない。侑の服の裾を、震えた手でそっと握った。
どうか、このまま襲ってくれ。
◇
「……好きや」
一度溢れた想いは、二度目の言葉となって宙を泳いだ。アホやろ俺。酔って相手が寝ているタイミングでしか言えないなんて、情けないにも程がある。けれども一度言葉にしてしまえば、アホみたいに何度でも伝えたくなってしまう自分がここにいた。言葉にしなければ、このまま襲ってしまいそうで怖かった。あー、アカン。ほんま襲いそうや。
このまま名前をベッドに寝かせて、俺は違う場所にいた方がいいんじゃないか。そんなことをぐるぐると考える。しかし次の瞬間、服を掴まれた感触に理性というものはどこかに消えてしまった。と、思う。ぎゅ。寝ているはずの名前の手に、力が込められている。
お、起きてへんよな? ベッドに移そかな?
そう思って少し体をよじったら、もう一度ぎゅっと服を握られる感触と、伝わる体温。もう、どうにかなってしまいそうだ。
「名前、だいぶ酔ったやろ? 寝よか?」
絞り出した声は震えていたかもしれない。糸一本で繋がれているかいないかの理性は、完全に消えてしまいそうだ。
「酔って、ない、よ?」
ぱちりと開いた目に、視線を絡めとられる。酔ってへん。……酔ってへん。つまり、さっきの告白、聞いとった?
「襲ってもいいよ」
なんてぎゅっと抱きしめられたらもう、選択肢はひとつしか存在しない。彼女の体を抱き寄せて、両腕にぎゅっと力を込める。
あーもう、こんなん襲うしかないやろ。