「名前はおれのだから」
キャー! という悲鳴だとか、ヒュー! という冷やかしだとか、孤爪せんぱいぃぃ! という咽び泣く声だとか、爆笑する男子バレー部とそのOBたちの声だとか。あらゆる音の中で宙に浮き上がった身体は、千切れそうなくらいに熱い。
どうしてこうなったんだっけ。ここ数分間の記憶を呼び覚まし、ああ、そういうことかと察してしまう。
これは、彼の独占欲と支配欲のあらわれだ。
◇
お気に入りの浴衣の上から、丁寧に帯が巻かれていく。紺色の生地に散った花びらは、華やかさには欠けるけれど大人っぽさを演出してくれる。これはこの日のために選んだものだ。
音駒祭当日。我が茶道部の部室は朝から忙しく、家元の先生まで駆けつけて着付を手伝ってくれていた。掛け持ちのためほとんど部に顔を出していない幽霊部員の私ですら、今日はきちんと頭数に入れられている。まあ作法なんてうろ覚えだから、私は呼び込み要員なんだけど。
音楽室や美術室なんかがある北棟二階の一番奥、とても分かりづらい場所に和室は存在している。私が呼ばれた目的はひとつ、そこで行われるお茶会に人を呼び込むことだ。茶道部は毎年これに苦戦していた。だからこそ、今年は私みたいな幽霊部員も人数に加えて、呼び込みに力を入れるよう! ということらしい。
「名前その浴衣めっちゃ可愛いじゃん! 大人っぽいっていうか、色っぽい?」
「本当似合ってる! 名前って和装似合うんだね!」
多くの部員たちは大会なんかで浴衣を着ることがあるけれど、私の浴衣姿を披露するのは初めてだ。今、私がやたらと褒められているのは珍しさゆえだろう。普段は、たまに来てお菓子食べて帰っていくだけの人だし。それから、馬子にも衣装、とかきっとそんな感じ。あと呼び込みをちゃんとしてほしい圧。
「名前、髪の毛結ってあげるよ」
「じゃ私メイクする!」
「ワァ〜イ! 部長ちゃん副部長ちゃん、ありがとう!」
「本当可愛すぎるんだもん! 彼氏なんか出来ちゃうかもよ〜?」
なんて笑う部員たちの言葉を聞いて、思わず目が泳いでしまう。彼氏。彼氏……、いるんだなぁ。けれども私はそれを口にすることはしない。研磨くん、……その彼氏とやらに、絶対に誰にも言わないでと口止めされているのだから。
研磨くんに告白をオッケーされた時は驚いた。そういうの、全然興味なさそうだったし。ただしお付き合いを始めるにあたって付けられた条件が、この交際を口外しないこと。目立つのがイヤだとかいう変な理由を聞かされた時は、ちょっと一瞬考えた。だって、一緒に手繋いで帰ったり出来ないっていうことじゃん!? まあ、その条件を飲んだわけなんだけど。
予想通りデートは学校からかなり遠い場所orお互いの自宅の二択。おうちでは手も繋いでくれるしチューだってしてくれるけど、付き合ってる半年が経った頃、私はもうみんなに彼氏自慢をしたくてしょうがなくなっていた。なぜなら、春高出場をきっかけに、研磨くんが爆モテしてしまったからだ。
『ねぇ、そろそろみんなに言ってもいいんじゃない?』
そう提案するたびに、『何それ別れ話?』なんて言われるものだから、あー、本気で目立つのイヤなんだなって把握した。だから学校では極力接触しないようにしている。だって別れたくないし。
だから! 例え今私が浴衣を着て髪をあげてメイクをしていようとも! 彼に堂々と会いに行くことは出来ないのだ! や、そもそも研磨くんサボって帰ってそうだし!
「ほーら完成! きゃ〜! 名前絶対爆モテじゃん!」
「かっわ! モテ確定でしょ!」
「はいはい、ちゃんと宣伝してきますから! じゃ、行ってきまーす!」
『茶道部お茶会はこちら! 来てね! 和菓子もあるよ!』と書かれた看板を持ち、体育館に向かう。文化祭開始直後のステージ上で行われるPRタイムに、この浴衣姿で登場しなければならないからだ。
何も考えずに行ったこのPRタイムで、予想外の出来事が起こることをこの時の私はまだ知らないのだった。
◇
各クラスのPRが済み、運動部の派手なPRタイムが終わった頃には観客たちは少し飽きているようだった。文化部のPRタイムなんて、誰も興味がないと思う。このあとから始まる、ファッションショーやバンド演奏なんかを目的に座っているに過ぎない。だからこそ緊張せず、自然体でPRに挑める自分がここにいる。
『次は茶道部のPR、よろしくお願いします!』
司会のアナウンスと同時にステージの上に一歩踏み出す。はんなりと、おしとかやに、ヤマトナデシコを意識して!
……うーん、私には無理!
「みなさんおはようございます! 茶道部です! 北棟二階に和室があるのをご存知ですか!? 本日はそこでお茶会を開催しています! おいしい和菓子もあるので是非遊びに来て下さいね♡」
なーんて少し棒読みになりつつ適当に挨拶をしていると、会場がざわつき始めたことに気がついた。女子の、「名前ー! 可愛いー!」と叫ぶ声に混じって、男子の騒ぎ声が聞こえてくる。
「あれ苗字? あいつ茶道部なの?」
「え、ってかめっちゃ可愛くね?」
「色っぺ〜! うなじとかなんかエロいよな!」
「やば、俺告ろっかな」
「はぁ? 抜けがけすんなよ! 俺のだし!」
「や、俺の!」
「じゃ、一斉に告って誰が彼氏になれるか賭ける?」
なんだか褒めちぎられている気がするけど、これは浴衣の力が十割だと思う。モテたことなんてないし、この状況が飲み込めなさすぎてどうすればいいのか分からない。これ、もうPR終えていいの?
「せーの、で叫ぼうぜ!」
「「「「苗字さーん!」」」」
ひえええぇ! やめてくれええええぇ! なんか予想外に変な目立ち方してる! 無理! 逃げたい!
『はーい、そこの男の子たちちょっと静かにしましょ……』
司会者がやんわりと止めに入ったその時、ひとりの男子生徒が「ちょっとマイクちょーだい」と横入りするのが目に入った。
ん?
んんん!?
え!? 研磨くん!?
そう、まさかのマイクを持って壇上に上がってきたのは彼氏の研磨くんだった。こんな賑やかな場所にいたの!? っていうかここで何してんの!?
戸惑っていた次の瞬間、マイクを通したでっかい声が体育館じゅうに響いた。
「名前は俺のだから」
途端に静まる体育館。その間およそ十秒。しーんとなったのち、ワー! と歓声があがる。
「え? 苗字って孤爪の彼女……?」
「そうだけどそれが?」
マイクを司会者に返した研磨くんが、私をぐぐっと抱え上げる。足が宙に浮いて、目線が彼と同じ高さになった。
「気抜きすぎ」
耳元でそう言われたらもう顔が爆発しそうに熱くなる。私は研磨くんに抱っこされたまま、ステージの裏へと連れて行かれてしまった。キャー! ギャー! とさまざまな叫び声で体育館は埋め尽くされている。
「研磨くん!? 何事!?」
「そういうことだけど」
「みんなに知られていいの?」
「いいんじゃない? もうどうにでもなればいい。名前取られるくらいなら、目立つ方がマシ」
「目立ちすぎなのでは!?」
「本当はキスでもしてやろうかと思ったけど」
「……それはふたりの時でオネガイシマス」
「じゃ、ふたりっきりになる?」
なんて、ふっと微笑まれたからもう本当に爆発しちゃいそうになる。「うん」と答えたら、抱っこされたまま連れ去られた。鳴り止まない歓声が遠のいていくのを感じながら、研磨くんの背中にぎゅっとしがみついた。
ふたりの行方は、誰も知らない。