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農家の北さん14

「〇〇ちゃん、脱け殻みたいになってるよ?」

 そう話しかけてきた◇◇先輩に泣きついたのは、北さんと会わなくなって二週間が経ったお昼休みのことだった。あれから、彼とは連絡も取っていない。

 仕事中はバタバタしていて少しは忘れられたけれど、北さんのところで撮った写真が出てきたり、北さんフォルダが目に入ってきたりで、結局完全に頭から消去できていない。それどころか、寂しさが襲ってきてしまう。

「せんぱいぃ……! わたし、どうすればいいんでしょう!?」

「北さんと会うのやめたっていうアレ?」

「あれから毎日北さんのこと考えちゃうし、なぜだか寂しいっていうか、北さんどうしてるかなとか……」

「……」

「でも、別れたわけじゃないんでしょう?」

「別れたわけじゃないけど、似たようなもんですよぉ。北さん、元気かなぁ。もう私のこと、どうでもよくなってるかもしれませんんん……」

「〇〇ちゃん、北さんのこと大好きじゃん……」

「え? なんて言いました? 聞こえなかったです」

「……〇〇ちゃんってちょっと天然なとこあるよね。……あ! ねぇ〇〇ちゃん、今度の最初の連休、暇?」

「暇人すぎて予定も何も入ってませんんん」

「ちょっと、待ってて。一件電話してくる」

 ◇◇先輩はそう言うと、どこかに電話をかけながら席を立った。一体どこに電話をかけているのだろう。そうして数分後、戻ってきた先輩は、私にこう言ったのだった。

「18日、朝8時、おにぎり宮さん集合ね!」

「宮さん? どうして……」

「ちょっと手伝ってほしいことがあるの! 作業できるラフな格好で来てね!」

「はぁ……」

 先輩と宮さんによる策略に飲まれているとは知らないまま、私はこくりと頷いた。スケジュール帳の18日のところに『宮さん8時』と書いて、パタリと閉じる。

 それにしても、8時ってずいぶん早いなぁ。何の手伝いだろう。

 そう疑問に思いながらも、また仕事でバタバタする日々が続いて、いつの間にか約束の日が訪れていた。

農家の北さん13

 チュンチュンと小鳥のさえずる声で目が覚める。開けていく視界にうつるのは、昨日の夜私たちが脱ぎ捨てた服たちと、丸まったティッシュの残骸で。それがやけに生々しくって、冷えていた身体が急激に熱を帯びていくのが分かった。

 ああ、また流されちゃった。

「〇〇ちゃん、おはよ」

「おはようございます……」

「なんや、元気ないな?」

 上半身裸のままで私のベッドに寝そべっている北さんを、ちらりと横目で見る。私は急いで下着を身につけて、新しい服に着替えた。

「〇〇ちゃん、もう着替えたん? まだ七時やで?」

「……」

「朝はもう、せぇへんの?」

「しません…っ…!」

「〇〇ちゃん疲れた? ごめんな、がっついて」

「……もう、しませんから」

「〇〇ちゃん?」

「私もう、北さんとそういうことしませんから…っ…」

 ここははっきりと伝えなくちゃいけない。この気持ちが何なのか分からないまま、ずるずると身体の関係を続けるわけにはいかないのだから。

 私の様子がおかしいと分かったのか、北さんの顔が真面目なそれになる。

「〇〇ちゃん、どしたん? 話してみ?」

 そう優しく言われたら、自然と涙がこぼれてきた。止めようとするけれど、ぽろぽろと溢れて止まらない。な、なんで泣いてるんだろう、私。

「な…っ…、どないしたん!?」

「ひっ、えっ、ひっく」

「俺にアカンとこあったなら言うて」

「北さんのせいじゃないんです…っ…」

「じゃあ、なんで……」

「いけないと思うんです……」

 北さんが私のそばに来て、指で涙を拭ってくれる。その温もりが優しくて、ますます涙が溢れてきた。北さんの指が、私の涙で濡れていく。

「わ、わたし、北さんのこと……どう思ってるのか分からないのに、そ、そういうことして……」

「ん」

「申し訳ないし、ますます自分の気持ちが分からなくなって…っ…」

「うん」

「いけないと思ったんです……」

「そか。ありがとな、話してくれて」

「……」

 北さんがそう言って、もう一度私の目元を拭ってくれる。そして私の目を見て、予想もしていなかった言葉を口にした。

「じゃ、しばらく会うのやめるか?」

「え……?」

「言うても、九月の連休辺りには収穫に入っとるから、仕事で会うやろけど」

「……」

「しばらく会わへんやったら、『気持ち』いうのも分かるんちゃう?」

「……」

 寂しい、と思ってしまったのはなぜだろう。けれどもそれが正しいことのような気がして、私はいつものように「分かりました」と彼の提案に乗ることしかできなかった。胸の奥が不気味な音を立てる。

「ほな、また仕事で会おうな」

 そう言って北さんは帰って行ったけれど、昨日の服や歯ブラシは置かれたままで、彼の存在をいやでも思い出してしまった。

 仕事で会うのは、九月の下旬。まだ一ヶ月も先のことだ。

 胸の奥にぽっかりと穴が空いたような気持ちになるのがどうしてだか分からずに、私は脱け殻のような日々を過ごした。

農家の北さん12

 それから私たちは街をぶらぶらしたり、ショッピングをしたり、色々うろついてるうちに夜になって、外で夕飯を食べて帰った。もちろんお酒は飲んでいない。北さんは一杯だけ飲んでいたけど。

 うちに帰り着いた頃には足がくたくたに疲れていて、眠気がどっと襲ってきた。これは、とても夜のイチャイチャは出来ないくらい北さんも疲れてるのでは!? なんて、またそういうことを考えてしまう。

 今日は絶対、しないんだから!

「〇〇ちゃんの部屋、可愛らしいなぁ」

「散らかっててすみません」

「どこが散らかっとるん? 〇〇ちゃんらしい部屋やん」

「もの多いし……。片付けないとなぁって思ってるんです」

「〇〇ちゃん、先風呂入る?」

「お風呂…っ…!?」

「いっしょ、入ろか?」

「いえっ! ひとりで入れますからっ! 北さんお先にどーぞっ!」

「じゃ、今度はふたりで入ろな?」

 はっ、いけない! いけない!

 また北さんに流されかけてる自分がいる。お風呂上がったら、きっと触れられるんだろうなぁ。どう断ろう。断りきれるのだろうか。

 だって、私はまだ北さんのこと好きなのか分からないんだもの。そんな気持ちなのに深い関係になったらいけない。北さんにも申し訳ないし、自分の気持ちがますます分からなくなる。

 そんなことを考えている間に、北さんはささっとお風呂から上がっていた。私も急いでお風呂に入って、念のためムダ毛チェックなんかをしてから、ばーっとシャワーを浴びてお風呂から上がった。

 お風呂から上がると、洗面所に見慣れないものが置いてあるのが目に入った。私のピンク色の歯ブラシの横に立てられた、水色の歯ブラシ。

 し、し、侵食されてる!?

「〇〇ちゃん。俺の着とった服と下着、洗濯機に放り投げたけど、置いとってええ?」

「ひぇ!?」

「今度来た時の着替え用」

「は、はぁ……」

「9月10月は忙しくなるし、あんまし来られへんかもしれんけど」

「そ、そうですか……」

「〇〇ちゃん、おいで」

 狭いワンルームの隅に置かれたベッドに、北さんが腰をおろす。ひょいひょいと手招きされたら、自然と足がそちらへと向かった。

 北さんの隣に腰をおろすと、そっと腕を回された。ぎゅーっと抱きしめられて、私はまた心臓がばくばくしはじめるのを感じる。

 流されない。絶対流されないんだから。

「〇〇ちゃん」

 北さんの指が、私の唇に触れる。目と目が合って、しまった、と思った。なんで目を合わせてしまったんだろう。

 唇が唇に吸い込まれていく。ちゅ、っとリップ音が鳴って、はむ、っと唇を食べられた。自然と唇が開いて、舌先が触れ合う。北さんの手が、私のお腹をするりと撫でた。

「だっ、だめ…っ…」

「あかんの? 俺、したくてしゃーないねんけど」

「えっと」

「あ、出来ひん日?」

「違……、ぁ」

 その手があったか、と思った時には既に遅し。違う、なんて口走ってしまったから、もう嘘はつけない。

「じゃ、ええやん、な?」

「ま…っ…、ひゃぁ、っ」

「〇〇ちゃん、好きやで」

 私は言わない。絶対好きだなんて言わない。

 だって、分からないんだもん。

 北さんは絶対『好き』って言わせる、なんて言ってたけれど。こんな未知の感情に名前をつけられる日なんて、来るとは思えない。

 これまでしてきた『恋愛』だと思ってきたものとは、なんだか全然違うんだもん。身体が熱を帯びて、飛んでいってしまいそうな気持ち。

 この気持ちは、一体なんなんだろう。

 結局その夜はドロドロになるまで何度も抱かれてしまって。また流されてるじゃん、私、なんて思った。

 朝になっても身体は熱いままで、心臓は心ドキドキしたままで。本当に変になっちゃったのかなって心配になった。

 ねぇ、北さん、でもね。

 やっぱり、このままじゃいけないと思うんです。

農家の北さん11

 今日は絶対流されない。北さんのペースに飲まれない。お酒にも飲まれない。さて、策士な北さんにどう立ち向かおう。

 軽く化粧をして、普段ほとんど履かないジーパンに足を通す。スカートばっか履いてるからすぐ触れるで? なんて言われたら、もうスカートなんて履けない。

 いつもはふわふわした服装が多いけど、今日はラフなTシャツにした。このTシャツ、近所用なんだけどな。とてもデート用じゃない。

 ちょうど準備が完了した頃に、北さんから到着したとメッセージが届いた。期待なんてしていないのに、それだけでドキドキそわそわしてしまう自分がいる。

 アパートの前に出ると北さんの車が横付けされていたので、最寄りのコインパーキングまで案内するため助手席へと乗り込んだ。

「〇〇ちゃん、おはよう」

「おはようございます」

「ええかげん敬語やめてええのに」

「つい、癖で」

 北さんの顔を見るとこの前の夜を思い出して、身体がかあっと熱くなった。彼の裸が浮かんできて、ぶんぶんと頭を振る。あの手に触れられたんだなぁとか、あの唇で愛撫されたんだなぁとか、いやらしいことを思い浮かべてしまう自分がイヤになってしまう。すうっと深呼吸して、頭を健全デートモードに切り替えた。

 車を停めた私たちは、玄関に北さんの荷物を置いて街へと出かけることにした。玄関に入った瞬間襲われたらどうしよう、なんて思ったけど、襲われなかったのでとりあえずは良しとする。

 それから私たちは中華街で食べ歩きをしたり、異人館の方をぶらぶら歩いたりして観光地デートを楽しんだ。

「ちょい休憩しよか?」

「あ、そこスタバありますよ」

「おお、神戸っぽいスタバや!」

「観光客向けですね」

「〇〇ちゃんこの辺来たことあるん?」

「先輩と取材で来ました。スタバは飲んでないけど」

「じゃ、入ろか」

 本当、恋人同士なんだなぁ、私たち。こうして会話をしていると、普通のカップルだ。

 北さんのあとをついて店内に入り、レジで飲み物を注文する。北さんは普通のドリップコーヒーを頼んで、私は季節のフラペチーノを頼んだ。

「〇〇ちゃん甘いの好きなん?」

「はい、大好きです!」

「へぇ。せやからちゃんとお肉ついとるんやな」

「そ、そんな太ってましたか!?」

「んー? 柔らかい身体やなぁって」

「~ッ!」

 あの夜を思い出すような言葉がぽっと出てきて、また身体が熱くなった。フラペチーノの容器を頬に当てて、無理矢理その熱を冷ます。容器にマジックで書かれた『Thanks♡』のハートマークが、今デートをしているという現実を突きつけてきて、頭がくらくらした。

「なぁ、〇〇ちゃん、ひと口ちょーだい」

「どうぞ」

「うまっ!」

「でしょ!? おいしいですよね!」

「間接キスやな」

 ああ、もう。この人って本当に。

 口の中が甘ったるいのは、フラペチーノのせいなのか、間接キスのせいなのか分からない。きっとあとで本物のキスをされるんだろうな、なんて想像してしまって、私はまたフラペチーノの容器で顔を冷やした。

 今日は絶対流されない。キスまではしても、その先には進めさせない。お酒は飲まないし飲まれない。策士北さんに騙されないし、触れさせない。  そんな固い決意をしながら、さっき彼が口をつけたストローで、甘い液体を飲み干した。

農家の北さん10

 溺れるように彼に抱かれて、それから数時間。

 すっかり冷めてしまった天ぷらの存在も忘れて、私は裸のまま彼のベッドで眠りこけていた。

 はっと目覚めた時には夜も遅い時間で、隣を見たら同じく裸のまま眠っている北さんがいて。

 記憶を手繰り寄せると、蘇ってくる生々しい出来事たち。一歩進んでしまったという事実が、私を混乱させている。

 ど、ど、どうしよう。してしまった。さ、さ、三回も。

 とりあえず脱ぎ捨てていたものを身につけて、これからどうしようかと考える。お酒、もう抜けたかな。

「〇〇ちゃん、起きたん?」

 さっきまで私を可愛がってくれていた声でそう呼びかけられて、はっ、と顔を上げる。私、この人としたんだ。そう思うとまた身体がかあっと熱くなって、爆発してしまうかと思った。

「ご、ごめんなさい。私、眠ってたみたいで…っ…」

「ええよ。それより、お腹すいたやろ? 天ぷら揚げ直そか?」

「一緒にやります」

 なに食わぬ顔で服を着て、なに食わぬ顔で天ぷらを揚げ直す北さん。そのあと食べたご飯はおいしかったけれど、頭がぐるぐるしていてよく覚えていない。

 翌日休みだった私は結局泊まっていくことになり、彼の隣でひと晩過ごした。もちろん、朝になったらすぐ帰ったんだけれど。

 帰り際にはまたキスをされて、「今度、〇〇ちゃんち泊まりに行かせてな?」なんて言われてしまった。

 帰宅早々、私が連絡したのは◇◇先輩だった。だって、誰かに相談しないとこれからどうすればいいのか分からなかったから。

 私は北さんのことが本当に好きなのか分からない。けれども、触れられてイヤじゃないし、心地いいとすら思える。だからこそ、好きなのか分からないのに近づいていいのか悩んでしまう。前に進むのが早すぎて、心が身体に追いつかないのだ。

『どうしよう、北さんとえっちしちゃいました』

『めちゃくちゃ良くって』

『三回も』

『私、どうすればいいんでしょう』

 なんて連続で先輩にメッセージを送ったら、『付き合ってるならいいんじゃない?笑』と返ってきた。

 そういうものなのかなぁ?

 だって私、北さんのこと好きなのか分からないのに。身体の関係になって、あんな風に乱されて。どきどきしているこの気持ちが、恋なのか、そうじゃないのかすら分からない。ただ緊張しているだけなのかもしれない。

 そんなことをぐるぐると考えてるうちに、北さんからメッセージが届いた。

『次の週末、〇〇ちゃんち泊まりに行ってもええ?』

『分かりました』

『神戸の方あんまし行かへんから、観光地デートしよな』

 ほら、また。断れない私がいる。私ってこんなに優柔不断で流される女だったっけ? 確かに、きっぱり断るタイプじゃないけれど。

 そんなこんなでまた日常に戻って、バタバタした平日を過ごしている間に、いつの間にか週末が訪れていた。