カテゴリー: long story

農家の北さん2

「どうなってんの!? 一体」

 帰りの車内では、想像通り先輩からの質問攻めトークが炸裂していた。青々とした田んぼに囲まれた道を、軽自動車はのろのろと走っていく。

「し、知りませんよぉ。ご飯に誘われただけです~」

「だから、それが凄いのよ! あの北さんだよ!? 山田さんとか佐藤さんとか、何回もこっちから誘ってるけどかわされてたんだからね!?」

「はぁ……」

「は~、北さん、〇〇ちゃんみたいな子がタイプなのか~」

「そんなんじゃないですって」

 そんなんじゃない、たぶん。気に入った発言だって、仕事相手としてって意味なんだと思う。ご飯もコミュニケーションのためだと考えれば、不思議ではない。

「ご飯、絶対行くんだよ!?」

「はぁ……」

「どうなったか教えてね!」

 結局その日は帰ってから写真をまとめたり、企画を詰めていったりとバタバタしていて、ご飯の約束のことはすっかり頭から抜けていた。新人だもの。浮わついた気分でいる暇なんて、私にはない。

 そうこうしているうちに夜になり、フラフラになって帰宅しベッドに着地した頃、ようやく社用スマホの通知が光っていることに気がついた。相手の名前を見た瞬間、変な緊張感が身体を駆け巡る。

「きっ、北さんからだ!」

 どっどっと胸の奥が音を立てるのが分かる。北さん、何の用事だろう。今日のお礼かな?

 そんなことを考えながら、スマホをタップする。表示されたメッセージは、私が想像していた文章にプラスアルファが乗せられたものだった。

『今日はお疲れ様です。ありがとう。これからよろしくお願いします。ほんで、〇〇ちゃん。今週末ご飯行かへん?』

 来た、ご飯の誘い。会社に帰ってから山田先輩と佐藤先輩も加わって、絶対断るなと念押しされたことを思い出す。

『北さん、こんばんは。お疲れ様です。本日はありがとうございました。ご飯、是非ご一緒しましょう』

 少し硬めの文章で返事を打ち、メッセージを送信する。きっと、深い意味はない。これから大きな企画を担当するんだもの。親睦を深めましょうって、きっとそういう意味だと思う。すっかりちゃん付けで呼ばれているけれど。

 この時私は知らなかった。『真面目でお堅い』北さんからの猛アタックは、予想以上のものになることを。

農家の北さん1

 先輩が運転する軽自動車の助手席で、私はフリーペーパーを捲っていた。県内で『ちゃんと』というお米を作っている若手農家さんが特集されていて、そのお顔は随分と端正だ。

「その北さんって人、めっちゃいい人だよ。かなり真面目そうな感じだけど」

「この爽やかな笑顔の人が真面目なんですか?」

「真面目っていうか、お堅い?」

 美人な上に敏腕ライターである先輩は、そう言うとハンドルを右に切った。たちまち広がる田園風景に、思わずわぁ、と叫びそうになる。

 高校入学と同時に、親の都合で東京から兵庫に移り早や九年。大学を卒業したあと社畜になっていた私は、今年の三月にその会社を辞めた。今は再就職して、兵庫の地方誌やフリーペーパーを発行している小さな出版社で働いている。これでも一応ライター職だけれど、まだまだ新米。今日はこれから私が担当する地域に、先輩がついて回ってくれることになっている。

「でも本当、イケメンですね。この人」

「でしょ!? 私も何回惚れかけたことか! この人に会ったらみんな、好きになっちゃうんだよね! うちの会社でも山田さんとか、佐藤さんとかもね、」

「それで、誰かと付き合ったんですか?」

「いや、それがね。あまり女の人に興味なさそうっていうか……。こっちから気のあるそぶり見せても、さらっとかわされるっていうか……」

「なるほど……」

 そこまで話したところで、車は和風の一軒家に到着した。表札には『北』と書いてある。どうやら今日の目的地に着いたらしい。家の目の前には青々とした田んぼが広がっていて、夏だというのに心地いい風が通り抜けていった。神戸とは随分気温が違うようだ。

「こんにちはー! △△出版のミョウジです!」

 先輩が呼び鈴を鳴らしながらそう叫ぶと、少し経ってひとりの男性が出てきた。あ、この人、さっきフリーペーパーの写真で見た人だ。まあ、この人に会いに来たんだから当たり前なんだけど。

「あぁ、ミョウジさん。遠いとこありがとうございます」

 そう言うと彼――、北さんはちらりと私の方を見た。数秒目が合って、その瞳に吸い込まれそうになってしまう。どくり、と胸の奥がおかしな音を立てて、ばくばくと胸の鼓動が速くなった。緊張しているせいだ、たぶん。

「あ、こっちは新人の苗字です。今度からこの辺の地域を担当することになるので、北さんともよく会うことになるかと思います」

「そか。よろしゅうな、苗字さん」

「苗字〇〇ともうします! よっ、よろしくお願いします!」

「〇〇ちゃんって、かわええ名前やな」

「……!?」

「ま、上がって下さい」

 可愛い。……可愛い。

 いや、今褒められたのは名前だから! ちゃん付けされたのは気にしないことにしよう。そうしよう。それにしても、この人が本当に『真面目でお堅い北さん』なんだろうか。

 先輩が「失礼します」と靴を脱いで上がったので、私も「失礼します」と靴を脱ぐ。足先が廊下に触れると、火照っていた身体もすっと冷めていった。

 それから先輩とふたり客間に通されて、今度の地方誌で特集する『おにぎり×こだわり米』のコンセプトなんかを説明した。こうして話していると、北さんは確かにいい人だけれど、噂通り真面目でお堅そうな雰囲気の人のようだ。その分仕事も進めやすく、私にとっては初めての大きな企画なのに緊張感が解けていくのが分かる。私は『おにぎり×こだわり米』の企画が上手くいくような予感を抱いた。

 続けて、今後の大まかなスケジュールについて北さんに伝える。細かい取材はこれから数回に分けて、私が行っていくことになる。◇◇先輩はおにぎり屋さんの方に取材に行くらしい。今日は簡単な打ち合わせをして、最後にこの時期の田んぼの写真の撮影を終えて、私たちは帰路につくことになった。

「それじゃあ、今度からは苗字が来ますので、よろしくお願いします」

 先輩がそう言うと、北さんは私の方をじっと見つめて爽やかに笑った。

 わ、あのフリーペーパーの、爽やかな笑顔だ。

「なぁ、苗字さん」

「はい?」

「今度、飯でもどうですか?」

「へ……? えっと、打ち合わせですか?」

「まあ、そういうことにしといてもええですよ」

「はぁ……」

「仕事用のでかまわへんから、連絡先交換しときましょ」

 美人かつ敏腕ライターである◇◇先輩が、隣で目を丸くしている。お堅い。女性に興味なさそう。気のあるそぶりを見せてもかわされる。

 この人が? 本当に?

 連絡先なら先ほど名刺を渡したんだけどなぁ。

 そう思ったけれど、仕事の付き合いもあるので、とりあえずスマホを差し出し連絡先を交換する。先輩が「じゃ、車エンジンかけてくるね。北さん、ありがとうございました」とお辞儀をして、先に車の方へと駆けていった。

 北さんとバチッと目が合う。にこりと微笑まれて、私の身体は急激に熱くなってしまった。

「〇〇ちゃん」

「はいっ!?」

「俺、〇〇ちゃんのこと気に入ってもうたみたいやわ」

――☆□△~!?

 これから北さんからの猛アタックが始まるとは知らずに、私は急いでお礼を言うと走って車へと駆けた。

これが、私と北さんの出会いだった。