あまくてにがくて青い13

〜2014 autumn〜

 秋の涼しい風が頬をくすぐる頃のことだった。

 春高予選も終え、無事に出場を決めたあと俺を待っていたのはテスト期間だった。テスト期間中は、原則部活は休みになる。テスト前最後の授業を終え、廊下に出たところで目が合ったのはチームメイトの山口だった。

「影山」

「おう」

「日向と一緒にコソ練とかしてないよね?」

「してねーよ」

「テストは大丈夫そう? 今日みんなで一緒に勉強する?」

「や、先約ある」

「あ、彼女か」

 いいなぁ、と言われたらなんだか照れくさくなって顔をそむけた。窓から吹き込む風が心地いい。俺に『彼女』が出来たというのは、ふたり乗りを見かけたらしいクラスメイトから一気に広まり、学校全体にすぐに知れ渡ってしまった。『彼女』の方は女子に取り囲まれて大変そうだったけれど。最近は俺たちがふたりでいることに、周りも慣れてきたようだ。

 山口に、「じゃ」と挨拶をして教室の方をふり返る。下校の支度を終え出てきた彼女に「影山くん、お待たせ!」と声をかけられたら、自然と頬が緩むのが分かった。

「今日は一緒に勉強って約束、覚えてる?」

「覚えてる」

「じゃ、行こっか」

「ん」

 自然に絡まる指と指が熱い。夏が終わってしまっても、彼女に触れると熱くてしょうがなかった。手を繋いでいるところをクラスメイトに見られて、「ひゅー、ラブラブ!」と声をかけられる。俺は平気だったけど、苗字さんは真っ赤になっていた。

 校舎の裏手、冷たい風が吹き抜ける場所にある自転車置き場まで、ふたり手を繋いだまま歩いた。ガシャン、と音を立てる彼女の錆びた自転車に、今日も俺が跨がる。苗字さんが荷台に座ってぎゅっと俺にしがみついて、背中があったかくなるのを感じた。

 苗字さんのことを好きになったのはいつからか分からない。一年生の時に隣の席になったから? 消しゴムを拾ってあげた時に可愛いと思ったから? 三年間同じクラスだから?

 分からないけれど、自覚したのはたぶん、あの夏休みの係で一緒になった時だと思う。可愛いなって思って、気がついたらそれを言葉にしていた。

 錆びた自転車は、秋の匂いをつれて走っていく。走って、走って、走って。このまま苗字さんをどこかにさらってしまえたらな、と思った。

 春になれば、俺たちは離ればなれだ。俺の夢に近づくその時、彼女は隣にはいない。そんなのはいやだけれど、どうすればいいのか分からなかった。遠距離恋愛できる自信もないけれど、別れる勇気もない。季節が移ろいでいるのを感じるたびに、時間がとまってほしいとさえ思った。

 自転車はいつの間にか道を進んでいて、あっという間に俺の家についた。今日も両親は仕事でうちにはいない。家の鍵を開けて、彼女を部屋に招く。あの夏と違って、窓を開ければ部屋はたちまち涼しくなった。

「なんだか秋の風ってせつないよね」

 俺にはよく分からなかった。夏が終わったって感じがする、と苗字さんは言っていた。

「さ、勉強しよっか」

 苗字さんが俺の部屋のローテーブルの上に、ノートを広げる。彼女の書いた丁寧な字がやたらと眩しかった。短いスカートから覗く白い太腿が、艶やかで愛おしい。

 すっとそこに手を伸ばすと、「だめだよ」と言われた。

「今日はできない日」

「……触っただけだろ」

「お触りもだーめ」

 そのかわり、ね。

 そう言って彼女が、目を閉じて唇を寄せてくる。激しく抱いてしまいたくてしょうがなかったけど、彼女の仕草が可愛くて俺も唇を寄せた。一度、軽く触れるだけのキスをする。苗字さんの唇からは、はちみつみたいな匂いがした。

「冬が来なければいいのにね」

 彼女が言う。俺もそうだと思った。

「私、テスト終わったらバイト始めるんだ」

「……そう」

「会える時間、減っちゃうね」

「ああ」

 苗字さんは、俺との思い出が増えることに戸惑いを覚えているように見えた。俺は他人の気持ちなんて察することができるほど、出来た人間じゃないけれど。苗字さんの考えていることは、なぜかよく分かった。たぶん、俺も同じ気持ちだからだ。

「影山くん」

 もう一回。そう言われて、今度は強く唇を押しつける。彼女は、バレーボール以外で、もっともっとと先を求める唯一の異性だった。そんな人は、たぶんこの先に現れる気がしない。

 時間が経つことが怖い。大人になることが怖い。彼女と違う道に進むことが怖い。

 大人のまねごとのようなキスを繰り返しながら、そんなことを思った。