九月下旬に行われた体育祭の頃には、みんなの前で影山くんと話すことにもだいぶ慣れていた。二人乗りを見かけた誰かが噂を広めたらしく、私たちの仲はあっという間に周知されてしまったからだ。今や私は、誰から見ても『影山くんの彼女』になっていた。
夏のような暑さの日はたまにあるけれど、それでも秋の涼しさを感じる日も増えてきた。季節が過ぎるのは早い。思っていたよりもその日が来るのが早いんじゃないかって、そんなことを考えては首を横に振ってみせた。春はまだ遠い。遠いんだ。
思い出が増えるのは怖いことだ。けれども私たちは、恋心と欲に従うことを止められなかった。夏休みと同じように彼の部活終わりに一緒に帰って、毎日のようにキスをしたし、時々身体を重ねた。
彼と触れ合うと、時が過ぎるのを忘れられた。現実から遠いところにいられた。
それでもまだ。思い出を作ることが怖かった。
「ねー、名前。今日の体育祭、影山と写真撮ってあげよっか?」
体育祭が始まる少し前、着替えを済ませて髪を結っていた私に話しかけてきたのは、友人の△△だった。
写真。……写真かぁ。
私はあまり乗り気がしなかった。写真なんて残してしまえば、彼が東京に行ったあと寂しくなってしまうに違いない。そう思ったからだ。
「うーん。時間あったらね」
「あんたさぁ、影山モテるんだからもっと彼女アピールしなよ? この前なんて一年の子に告られてたよ?」
「えっ? そうなの?」
「聞いてない? 結構可愛い子だったよ」
△△はそう言うと、マジックを取り出して私の腕にキュッキュッと何かを書きはじめた。急に何か書かれたのでびっくりしたけれど、書かれた『とびお♡』の文字にはもっとびっくりした。
「ほら、これくらいしなきゃ」
「ちょ! これは無理だって!」
無理! 無理! と叫びながら、着替えに使われている空き教室を出る。腕を隠しながら校庭に向かうと、腕に『名前♡』と書かれた影山くんがそこにいた。きっと、誰か友達に書かれたのだろう。
「……うっす」
「そ、それ……」
「あー……、クラスのやつに書かれた」
「私も。……お揃いだね」
なんだかくすぐったい気持ちに包まれて、これはこれでいいかもしれない、と思った。だって、いくら油性マジックだからって、洗えば落ちてしまうのだから。これは、記憶の中にしか残らない。写真とは違って。
「日向〜! こっち向いて!」
「ひゅー! いいねいいね! ピースしてよ」
聞こえてきた声に顔をあげると、視線の先に影山くんのチームメイトの日向くんがいるのが見えた。親しい様子の女の子と、ツーショット写真を撮っている。ふたりとも満面の笑みで、とても楽しそうに見えた。
彼女、さん……、なのかな?
「あいつ、彼女出来たらしー」
「そうなの?」
「ブラジル行くのにどーすんだろな」
影山くんは遠くを見つめながら、ぽつりとそうこぼした。彼の腕に書かれた私の名前が、やたらと目につく。なんだか不安な気持ちが襲ってきて、私は影山くんの手をぎゅっと握った。
ーーねぇ、私たちはどうするのかな?
そう聞きたかったけれど、とても聞く勇気なんてなかった。今の私にとっては、東京はブラジルくらい遠い場所だ。春になったら、どうなっちゃうのかな。不安が不安を呼んで、影山くんの手を握る力が強くなっていく。
「……い、一年の子に、告られたんだって?」
「……断った」
「聞いてない」
「断ったし」
「教えてほしかった」
ぶすくれた私の頬を、影山くんがぷにっと突く。そのまま頬をびよんと引っ張られて、「なぁ、写真撮るか」と言葉を投げかけられた。
「へっ……!?」
「……写真。イヤならいい」
「いっ、イヤじゃないよ。……撮る!」
思い出が増えるのが怖かった。それでも写真を残してしまったのは、いつか思い出になったその時に、寄りかかれるものがほしかったからなのかもしれない。私の心の、支えになるもの。
友人の△△が駆け寄ってきて、カメラを構えてシャッターを下ろす。カシャリ、と音がした瞬間、私と彼の一瞬は形となった。
「これ、データでも送るねー」
「ありがとう……」
思い出が増えるのは怖いことだ。
けれども、嬉しいと思うのもまた事実だった。
嬉しい。楽しい。もっと一緒にいたい。くっついていたい。手を繋ぎたい。キスがしたい。抱き合っていたい。
溢れていく欲を止める術など知らずに、恐怖心と恋心のはざまで、揺れる心に戸惑うばかりだ。
後日、現像した写真を彼に渡して、データをメッセージで送っておいた。形に残ることの残酷さを、この時の私はまだ知らなかった。甘かったんだなぁ、本当に。
春はまだ遠い。大丈夫。きっと、大丈夫。そう自分に言い聞かせながら、撮った写真を何度も眺めた。
そうしている間に、季節はすっかり秋になっていた。