火星の裏側で抱きしめて8

スピカⅡ

 玄関先であかねちゃんを見送った頃には、空は暗くなり始めていた。空には一番星がきらりと光っている。今日は気温が高いから半袖を着てきたけれど、外は少し肌寒い。あかねちゃんの姿が完全に見えなくなった頃、研磨くんが口を開いた。

「あかねと何喋ってたの?」

「えっ!? いや、その、大学の話とかバレーの話とか……、色々。でも良かった。私友達少ないから、いい友達になれそう」

「友達いるじゃん。大学で見かけたけど」

「あー……、うん。見たんだ」

 確かに、友達はいる。けれども、本当に心のうちを話せるかと聞かれたらそうとは言えない。だから、あかねちゃんみたいな子と出逢えたことにホッとしている自分がいた。

「あかねと、『火星の裏側』の話とかしてないよね?」

「!? してないよ!?」

「よかった。あれは俺と『青い星』さんだけの秘密だから」

 突然切り出された『火星の裏側』さんの話題に、ドッドッと胸が高鳴る。同時に、また『青い星さん』と呼ばれてしまったことにモヤモヤしてしまう自分もいた。けれども、今はドキドキの方が大きい。『火星の裏側』さんと共有の秘密を持っているのだから。

「今日、配信するけど、あっち」

「本当!?」

「聴いていく?」

 仕事モードがすっかり抜けた研磨くんにそう聞かれて、大声で「うん!」と叫んでいた。先ほどまでの肌寒さはどこかに飛んでしまって、夏になったかのように身体が熱い。研磨くんといると、よく思うことがある。私、火星の裏側まで飛べちゃいそうだなって。なぜなのか、到底分かるはずもないのだけれど。

「じゃ、準備したら出かけるからついてきて」

「えっ? 外で配信するの?」

「うん。いい場所あるから。電波は微妙だけど」

 寒いからこれ着て、と赤色のパーカーを手渡されて、それに袖を通した。私が着るとぶかぶかで、まるで寝巻きみたいなサイズ感になって。研磨くんって男の子なんだなぁ、って当たり前のことを思った。

 研磨くんの準備を待って、ふたりで外に出る。空は先程よりも藍色に染まっていて、夜の訪れを知った。今夜も星がよく見える。

「うしろ、乗って」

 研磨くんが、玄関脇にとめられていた自転車を動かしながらそう言う。ふたり乗りなんて、友達ともしたことがない。

「ふたり乗り、したことない」

「真面目なんだ」

「真面目って言われるの好きじゃない」

「褒めてるつもりだけど」

 研磨くんが自転車に跨ったので、私も荷台に腰をおろす。「重いからね」と言ったら、「知ってる」とからかわれた。

「行くよ」

 そう聞こえて、ペダルがカラカラと回り始める。私の周りの景色が急速に色をつけて、目が回りそうな早さで動きはじめた。風が、草のにおいを連れてくる。研磨くんの髪が風に吹かれてさらさらと揺れて、私の髪も同じように揺れた。

「ちゃんと掴まってて」

 腕をぐいっと引き寄せられて、研磨くんに抱きつくような格好になる。なにこれ。まるで、恋人同士みたいな、そんな距離感。きみと私の距離は、惑星ひとつ分離れているはずなのに。心臓の音が聞こえそうなくらい、今は近くにいる。

「いま見えてる一番星は金星。宵の明星。いちばん明るい女神星」

「その声、ずるい」

「聞こえない」

「なんでもない!」

 研磨くんが、『火星の裏側』の声で囁く。ずるい。本当にその声、ずるい。研磨くんに対しての気持ちは分からないけれど、『火星の裏側』さんに抱く憧れが、私の心をぎゅっと掴む。

「あ、飛行機」

 研磨くんがそう言った瞬間、飛行機が流星のように飛んでいった。日は完全に沈み、夜のにおいが私たちを包む。視界をさえぎるものは何もない。

「上り坂重い……、降りて」

「聞こえない」

「それ、ずるい」

 なんて、さっきと逆のやり取りをされたから、聞こえてたんじゃんって思った。

 あー、本当にもう。隣の星まで飛べちゃいそうだよ。