フルムーンには敵わないⅠ
ーーこと座のベガは織姫星。青い一等星。夏の大三角を結んだ先にある彦星は、わし座の一等星アルタイル。出逢ったふたりは恋をした。
ーー今年の七夕は晴れるかな?
はっ、と目を覚ますと、見慣れない天井が視界に広がった。きょろきょろと辺りを見渡す。壁に掛けられている男性もののジャケット、和室に似つかわしくない奇妙な形の照明。どうやら私はベッドの上に寝ていて、普段私が寝ているものよりも少し広いと気がつく。
目をこすりながら、昨日の記憶を呼び覚ます。えっと、どうしてこんなところにいるんだっけ?
昨日は確か研磨くんのうちに来て、一緒に配信を聴いて……、そのまま眠くなってきて……。
『地球すごい綺麗』
そこまで思い出したところで研磨くんの声が蘇ってきて、身体が爆発するかと思った。かあっと体温が上昇していくのが分かる。
きのうの、あれは何だったの?
研磨くんに手を握られて、顔を見つめられながら言われたことば。あれは何!? 一体何なの!? やっぱりコヅケンってチャラいんじゃないの!?
とにかく、この場所を脱出せねば。『あんま男の部屋にホイホイ入んない方がいいよ?』と言われたことを思い返して、もそもそと布団から抜け出した。衣服の乱れはない。そのことにホッとしつつ、部屋の扉を開いた。
とりあえず、研磨くんに帰りますと伝えなければならない。作業部屋にいるのかな、勝手に開けていいのかなと戸惑っていると、玄関の扉がガラガラと開く音がした。上がってきたのはもちろん家主の研磨くん。玄関の方にひょこっと顔を出すと、「起きたんだ」とクールな表情で話しかけられた。
「お、おはよう。あの、昨日は……」
「寝てたから、連れてっただけ」
「ありがとう。重かったよね」
「うん。俺体力ないし」
そう言う彼が身につけているのは赤色のジャージで、少し額に汗をかいている。じろじろと見つめていると、研磨くんははぁ、と溜息をつきながら答えた。
「ウォーキング。在宅仕事だと体鈍るし、運動しないと頭働かないから」
「へぇ」
運動なんてしそうにないのに意外だな。体力がないのを強調するわりには、しっかり運動しているんだ。っていうより……、昨日と態度違う!?
「あの、わたし朝イチ講義だから帰るね」
「うん、お疲れ」
「おじゃましました……」
研磨くんはそっけない態度で、後ろを向いたままゆるく手を振った。丸まった背中が作業部屋へと消えていく。私はそれを見届けてから、研磨くんのうちを後にした。
……んー。んんん!? 今の研磨くんって仕事モードだよね!? じゃあ、『火星の裏側』の時の彼って一体何者!? 本当に同じ人物なの!?
手を握られて見つめられたというのに、そんなことは覚えていないかのような態度で接されてしまった。なんだか心の奥がずん、と重くなる。そんな気持ちになるのは、きっと急にクールな態度をとられたからだろう。
けれども私の心は昨日(性格に言えば今日)の夜置き去りにされたままで、まぶたを閉じれば星空が浮かんでくる。まだ、ドキドキしている。当たり前だ。憧れの『火星の裏側』さんの配信を、真横で聴けたのだから。
電車に揺られながら夜の出来事を思い出しているうちに、大学の最寄駅に着いていた。
◇
「星羅、コヅケンと一緒に歩いてたって本当!?」
大学に着いて友人に会うなり、ぶっ飛んだ質問が降ってきた。飲んでいたカフェオレを思わず吹き出しそうになってしまうほどに、私は動揺していた。研磨くんといっしょに歩いたのは水曜日。木・金・日と研磨くんの家に行って、今日は月曜日。まだ一週間も経っていないというのに、というか一回しか一緒に歩いていないのに、どうして噂になっているのだろう。有名人の持つ力は半端ない。
「えっ、なんで……!」
「さよちゃんが見たって言ってた! 他ゼミの子も見かけたみたいだし、どーなってんの!?」
友人の言葉に、周りに座っていた他の友人たちも詰め寄ってくる。質問攻めにあってしまった私は、正直に答える他なかった。
「……あー、なんかね、動画の手伝いのバイト? することになった」
「ハァ!? 何それ羨ましすぎるんだけど!?」
「何がどうしてそうなったの!?」
「ってことはコヅケンの家に行ったってこと!? ふたりきり!? なんかあった!?」
みんなが前のめりになりながら、質問を投げかけてくる。なんかあった!? の質問にむせそうになりながら、「何もないよ」と答えた。
きっと友人たちの言う『何か』と、私の中の『何か』は全く違うものだ。手を繋いで見つめられたくらい、年相応の大学生である友人たちには『何もない』に等しいのだから。
「星羅真面目だもんな〜!」
「でもさ、今のうちに処女捨てといた方がいいよ!? その辺の男でさ!」
友人のひと言に、次は本当にごほごほとむせてしまう。カフェオレが気管に入りそうになって、喉の奥が痺れた。
「ちょ、声大きいって」
「だってさ、いざコヅケンとヤることになるとするじゃん!? バージンは重いよ!」
「それね! だって相手有名人じゃん? 絶対慣れてるって」
「だからそんなんじゃないから」
「星羅本当に真面目〜!」
友人たちはこの手の話題が大好きなようで、オブラート無しで大声で話す。正直そういう話は苦手な方なので、モヤモヤした気持ちでいっぱいになった。どうしてこう、ヤる……、とかそういう方向に持っていくんだろう。私たちは、そういう関係じゃないのに。
『たまにあるんだよね、女の子から襲われそうになるの』
ふと、研磨くんが言っていたことを思い出す。襲われそうになって、そのあとどうなったんだろう。私にその気がなくて安心だと言っていたし、何も無かったのかもしれない。まあ、本当のところは分からないけれど。
でも、研磨くんがそういうのに流される人だったら、なんだかいやだな。なぜだかそういう気持ちがふっと湧き出てきて、はっ、と我に返る。いや、違う。たぶん、『火星の裏側』さんに憧れているから、そういう風に思うのだろう。研磨くんがどうであれ、私には関係のないことだ。
心の中に渦巻くモヤモヤしたものを押し込めるようにしながら、シャーペンを手に取る。ルーズリーフを一枚取り出して、これから始まる講義に集中することにした。隣ではまだ友人たちがコヅケン談義に花を咲かせている。
コヅケンかぁ。火星の裏側さん。孤爪研磨。けんま。けんまくん。
『地球すごい綺麗』
「わーっ!!!!!」
その瞬間、いきなり夜の出来事を思い出してしまって、気がついたら叫んでいた。ストローを刺したミルクティーが、傾いて少しこぼれる。乳白色に近いそれはまるで天の川。こと座のベガは織姫星。青い一等星。研磨くんの声が、顔が、瞳が鮮明に浮かび上がってくる。
「星羅どした!?」
「ミルクティー溢れてるし!」
「珍し! やっぱ何かあったんじゃなーい?」
ポケットティッシュを取り出して、溢れたミルクティーを拭きながら、「違うから!」と言い訳がましく返す。これ、余計に怪しいじゃん。
火照った顔を手でペチペチと叩いて、冷静さを取り戻そうとつとめる。けれども数秒後、『研磨くん』からのメッセージの通知音でその努力は無駄となってしまった。
『水曜1コマ目のあと、図書館3階のあの場所ね』
どうやら、次に彼に会うのは二日後のことらしい。たったそれだけの約束なのに、身体の芯から熱が湧き上がってくる。その理由も分からないまま、火照る身体を冷まそうと努力するのだった。