スターダストミッドナイトランⅢ
スターダストミッドナイトラン。日本神話とギリシャ神話を織り交ぜた独自のストーリーを展開する、最新のゲーム。研磨くんに借りたそれの一章をクリアする頃、約束の日が訪れていた。
「おじゃまします」
研磨くんのうちの最寄駅で電車を降りて、真っ暗な夜道を歩いて到着した。研磨くんは「迎えに行くつもりだったのに」と少し焦った様子で、それが意外で笑ってしまったんだけれど。
「ま、無事に着いたならいいや。今度から先に連絡して」
「はーい。この辺、星がよく見えるんだね」
「田舎だからね。予定、真夜中だからゲーム進める?」
「おじゃまします。うーん、今日は一章クリアしたから、ストーリーまとめたいかも」
そんな会話を繰り広げながら、靴を脱いで彼のうちに上がる。玄関の床が、ギシリと音を立てた。
「……またホイホイ夜中に男のうちに来た」
「研磨くんが来てって言った」
「ま、そーだけど。……二時から配信するから」
「二時? そんな時間にゲーム配信?」
「そっちじゃない」
研磨くんが顔を上げて、いつもの不敵な笑みをみせる。次に鼓膜に届いた言葉は、私の心を潤わせるには充分すぎた。
「今日は、『火星の裏側』」
心臓がどくどくと脈打つのを感じる。『火星の裏側』。その言葉を聞いただけで、呼吸が乱れそうになるほどにおかしな気持ちになる。この気持ちはきっと、ただのあこがれ。
速まる胸を抑えて、配信までの時間ゲーム考察をまとめて過ごした。
◇
瞳を開けば満天の星空。どうしてだか今私は、研磨くんとふたりで芝生の上に寝転がっている。
「ハロー、火星の裏側です!夜なのにハローは変かな。今夜はこと座流星群だね。きみの住んでる街の天気はどう?こちらは晴れ、視界良好。天体望遠鏡も用意したよ」
約一時間前、研磨くんのうちのお庭に天体望遠鏡を立てて、上弦の月が沈むのを見届けた。天候は晴れ。月は沈んで、遮るものは何もない。絶好の星座観察日和だ。
研磨くんのスマートフォンが、生配信画面に切り替わっている。『コヅケン』の動画を見てみたけれど、『火星の裏側』の時は少しだけ声を変えているようだっだ。優しく届く柔らかい声が、深夜二時の空気を澄んだものに変える。どきどきしていた。きっと今、憧れの『火星の裏側』さんの配信を本人の隣で聞いているからだろう。
「ピークは3時。月がないから条件サイコーだね。日本列島って長いからさ、月の見える位置とかも違うのかな。こっちは一時頃に月が沈んだんだけど。あ、西の民さんこんばんは! コメントありがとう。九州なんだね。そっちは曇りなんだ。雲、晴れるといいね。ペルセウスさん、ありがとう! 北海道なんだね」
研磨くんの声を聴きながら、芝生に寝そべったまま夜空を見つめる。彼が火星にまつわる話なんかをしている間、私は黙って流れ星を待っていた。
日付が変わって4月23日。深夜2時15分。真上を見上げているので方角なんて分からない。宇宙に放り込まれたような空間の中で、隣にいる研磨くんの手がこつんと当たる。ドキドキしているのは『火星の裏側』さんの生配信のせいだ。見た目よりごつごつした手をしているんだな、意外だな。そんなことを考えていると、夜空に一本の筋が流れるのが見えた。続けてもう一本、細い線が流れる。
「……っ!」
声を上げそうになったその瞬間。研磨くんの手が私の唇を覆った。『静かに』っと人差し指を立てられて、今が配信中であることを思い出す。研磨くんの手が直接唇に触れて、流れ星を見たことよりもそっちに心が持って行かれてしまう。心臓が口から飛び出してしまいそうだ。例えるならそう、このまま火星の裏側まで飛んでいってしまいそうなくらいに、ドキドキしている。
「今日は青い星さん来ないね」
研磨くんが、またにやりと笑いながら私の方を見る。私の横に置かれたスマホの画面を、彼がトントンと叩く。また目配せされて、口パクで『早く』と促された。
『こんばんは。私は東京です。流れ星見えました』
急いでスマホを手に取り、動画をミュートにしてコメントを打ち込む。最新コメントに『青い星』からのメッセージが表示されて、研磨くんの顔が満足そうなそれに変わった。
「青い星さん来てくれると思った! いつもありがとう! 東京なんだ、俺もわりと近くにいるよ」
わりとって、隣にいるじゃん。そう思って研磨くんの方を見れば、目が合ってふっと柔らかく笑われた。
このひと、こんな風にも笑うんだ。いつもの企んでいるような顔じゃない。柔らかで、優しい雰囲気の表情をしている。
このひとは、『火星の裏側』さんなんだろうか。それとも、孤爪研磨? コヅケンじゃないよね、今は。分からない。分からないけれど、私の気分は高揚していた。この星の重力にさからって、ふわふわと浮いてしまえそうな気持ちにさえなる。初めてだ。こんな感情を抱くのは、生まれて初めてだからなんと表現したらいいのか分からない。けれども、ドキドキしているということだけは分かった。
「こういう時にさ、誰かといっしょに星空眺めてさ、時間を共有出来たらいいよね。友達だったりとか、恋人だったりとか。もし光の速さで飛べるなら、きみはどの星に行きたい? 俺は火星かな。赤い惑星ってのがロマンあるし」
そう言う研磨くんの隣で、スマホをタップしてコメントを打ち込む。時刻はピークの三時に近づいている。いつの間にそんなに時間が経ったのだろう。体感時間は何百分の一だ。
『一番好きな星は火星ですか?』
私がそう質問すると、研磨くんはうーん、と深く考えるような仕草をみせて答えた。優しい声がまた鼓膜に届く。
「うーん、前はそうだったけど最近は違うかも」
時計が午前三時をさす。空には無数の流れ星。その絶景に思わず息を飲んでしまう。お互い初めて見る流れ星は、思っていたものの何百倍も綺麗だ。体感時間が何百分の一で、流れ星は思っていたよりも何百倍も綺麗で、身体は重力に逆らってしまいそうで。本当に宇宙空間に飛び立ってしまいそうだ。感覚が狂ってしまう。
「俺たちが住んでるこの星って本当は一番綺麗なんじゃないかって、最近思った。宇宙に行けるのならさ、俺はこの青い星を見たいよ。住んでるのに見れないって酷だよね」
研磨くんの手が、また私の右手に当たる。皮膚と皮膚が一瞬触れ合っただけかと思えば、指先を探るように彼の手が伸びてきて、指を絡め取られた。ぎゅっと手を握られて、わけが分からなくなる。身体が爆発して消えちゃいそうだ。研磨くんの方が見れない。それでも気になってちらりと横目で見たら、研磨くんは反対側を向いていて表情が分からなかった。
「今誰かが隣にいるなら、手を繋いでみてほしい。このひと時がもっと素敵なものになると思うんだ。寝転がってみて? すご、俺いま、宇宙のなかにいる」
うん、私もいま、同じことを考えていた。私たち、宇宙のなかにいる。
南の民さん『地球は見えましたか?』
オリンポスさん『地球みえたー?』
コメントが次々と更新されていく。それを追うことも出来なくなって、左手に握っていた私のスマホの明かりが消えた。研磨くんの顔が、こっちを向く。
「うん、地球すごい綺麗」
いま、研磨くんは星空を見ていない。私の瞳をじっと見つめて、そんなことを言ってのける。なにこれ。なにこれ。地球って『青い星』のこと? そんな解釈、自己都合すぎる?
分からない。彼が何を考えているのか分からない。『火星の裏側』さんなのか『研磨くん』なのかすら分からない。どきどきしている理由も分からない。分からなさすぎて、本当にもう。この身体の熱だけで、本物の火星の裏側に触れられそう。
「あ、流れ星」
こと座流星群だから、こと座の話をするよ。こと座のベガは織姫星。青い一等星。
そんな話が始まって、その柔らかい声のトーンに意識が持っていかれるのを感じた。まどろみの中に引きずり込まれていく。
『きみの好きな星は何?』
以前ならば、迷わずに地球と答えていた。宇宙で一番綺麗な星なのだから。けれども、今は即答することが出来ない。すっとまぶたを閉じても、浮かぶのは満天の星空。
まぶたの裏に、真っ赤な星が浮かんだ。