スターダストミッドナイトランⅡ
星の数ほど人がいる中で、巡り会える確率はどのくらいなんだろう。何億分の一、いや、何十億分の一。きっと、それくらいの確率なんだと思う。その中で、チャンネル登録者数がそんなに多くはない『火星の裏側』さんを知り、校内で姿を見かけない有名人『コヅケン』さんと出会った。そして今、私は混乱している。コヅケンさんが火星の裏側さんで、火星の裏側さんがコヅケンさんだったのだから。
『それじゃ、今日からよろしく。青い星さん』
あのあと交わした言葉はたったそれだけ。なぜ私が『青い星』だと分かったのか、どうしてコヅケンさんは『火星の裏側』として活動しているのか。聞きたいことは山ほどあったけれど言葉にならなかったし、向こうからもそれを話そうとはしなかった。
思考というものは、時に人の行動を足止めしてしまう。電車を乗り換えて、また乗り換えをして、彼のうちの最寄駅に着くまでの間、私たちはずっと黙っていた。
「最寄駅着いた。こっから少し歩くから。俺は自転車あるけど」
「本……、ずっと持ってくれてありがとうございます」
「別に……、これくらいいいし。嘘。俺本当体力ないんだよね」
「持ちます!」
「いいよ。カゴに乗せる」
自転車を押しながら歩くコヅケンさんの後ろについて、一本道を歩く。辺りを見渡すと山がそびえ、畑が広がっているのが目に入った。土の中から顔を覗かせている玉ねぎの列、収穫したばかりであろうそれを吊るしている民家。数週間前に見頃を終えた桜の木は、鮮やかな緑色の葉に包まれている。
んんん? ここ、東京都だよね? なんていうか、有名配信者が住むのってもっと……。
「ヒルズとかに住んでると思った?」
「……う」
「よく言われるから」
穏やかな田舎道に、新緑がよく映える。しばらく道なりに進んで脇道にそれたところに、その家はあった。立派な和風の一軒家だ。隣の家からは数メートル離れていて、ぽつんと一軒だけ存在している。築年数はそれなりに経っていそうだけれど、綺麗に手入れされているようだ。
「……ご実家ですか?」
「ひとり暮らしだけど? 実家は大学近いから、たまに泊まってる」
「ひとりで一軒家に?」
「それもよく言われる」
コヅケンさんは小さく笑うと、玄関の鍵を回して扉を開いた。ふわり、となんだか懐かしい香りが漂ってくる。靴を脱いだコヅケンさんに「上がって」と促されて、私も靴を脱いだ。
「おじゃまします……」
「ねぇ」
「はい?」
「あんま男の部屋にホイホイ入んない方がいいよ」
「はぁ……?」
入んない方がいいよ、って。そっちから連れてきたんだし、そっちから上がってって言ったのに。不思議に思ったのが伝わったのか、彼は私の顔を見るとまた小さく笑った。
「……きみって純粋だね。ま、その方が俺も安心だけど」
「?」
「たまにあるんだ。女の子の方から襲われそうになるの」
そう言われて初めて、彼がどうして『ホイホイ入んない方がいいよ』と伝えたのかを理解した。自分が酷く幼く思えて、かあっと身体じゅうに熱がこもる。友人たちの赤裸々な話を聞かされているから、それなりの知識は持っているはずだった。まぁ、男性経験どころか誰かとお付き合いしたこともないのだけれど。
「じゃ、作業部屋行こっか」
「広いですよね。部屋いくつあるんですか?」
「居間とゲーム配信部屋と、作業部屋と寝室。四つかな」
「すご。うち四人家族だけど同じですよ」
「基本在宅だからさ。部屋分けてないと私生活とごちゃ混ぜになるから」
私生活と仕事がごちゃ混ぜになったらいけないのだろうか。アルバイトすらしたことがない私には、その境界線のことが分からない。学生が本業の私は自室でだって勉強するし、学校にいても家族のメッセージのやり取りをすることはある。彼ほど有名になれば、本物の自分が分からなくなったりするのかもしれない。
そんなことを考えながら、コヅケンさんのあとをついて作業部屋へと向かった。
◇
コヅケンさんの作業部屋は六畳ほどの和室で、長めのデスクにチェアが二脚置かれていた。ひとり暮らしなのになんで二脚あるんですか? と聞いたら、仕事相手と対面で打ち合わせする時なんかに便利だからだそうだ。結局そのほとんどがオンラインで行われているらしいけれど。
大きな本棚にはあまり本が並べられていなくて、何かのゲームのフィギュアらしきものがぽつぽつと置かれている。ゲーム関係の本の他にも『セッターの極意』なんて本が混ざっていて、これもゲームに使うのかな? なんて思った。
「じゃ、まずアルバイトについて説明するけど」
「えっ、お手伝いってアルバイトなんですか?」
「無償じゃさせられないでしょ。これ契約書。読んでサインしてて」
「はぁ……」
コヅケンさんはそう言うとどこかに消えて、数分後にふたり分のコーヒーを持って戻ってきた。星型の氷が、カランと音を立てる。ぐるぐると波紋を成すブラックコーヒーは、本で見た宇宙空間のようだ。
「ありがとうございます」
「ブラックでいい?」
「はい。氷……、可愛いですね。星が好きなんですか?」
「まあ、そんな感じ」
『火星の裏側』さんのことをもっと聞きたかったけれど、コヅケンさんの態度がクールになったような気がしてやめておいた。もしかして、仕事スイッチ入ってる感じ? 『火星の裏側』さんのことを切り出した時とは、顔つきも雰囲気も随分と違ってみえる。
ねぇ、どうしてあなたは『火星の裏側』の顔を持っているの? どうして私のことが『青い星』だって分かったの?
『火星の裏側』さんのことを聞き出したいけれど、とてもそんな雰囲気ではない。コヅケンさんはチェアに腰掛けると、コーヒーを一口飲んでから口を開いた。
「サイン、ありがと。今回さ、このゲームの考察動画の依頼が来て。そういう知識ないし断ってたんだけど突発企画ってことで了承した」
「スターダストミッドナイトラン?」
「知らない? 新作なんだけど」
「すみません。ゲームとか詳しくなくって」
「うん、とりあえず一回はプレイしてみてほしいかな。これがゲームの公式HP。日本神話とギリシャ神話を混ぜたような設定みたい」
パソコンを操作するコヅケンさんの方に、自然と椅子を寄せる。HPの説明文を見ようと顔を近づけたら、彼のさらさらの髪がちくりと私の頬に触れた。ふわり、と石鹸のようないい匂いが鼻をくすぐる。
……近くで見ると本当にイケメンだな。みんなが騒ぐのもまぁ分かるかもしれない。瞳なんか、外国人みたいだし。
「……この辺とか、さっき俺が選んだ本に載ってると思うんだけど」
「あっ、ハイ! このふたりは夫婦の神様なんですけど、エピソードがあって……」
「そう、そういうの分かんないから。きみを選んでよかった」
コヅケンさんがもう一度コーヒーをひと口啜って、にやりと笑う。ああ、この笑い方。何かを企んでいるような、全てを見透かされてるような、そんな瞳。この瞳をされると、どんな顔をすればいいのか分からなくなる。
「えっと、ユーチューバーって依頼とか来るんですね! 好きなことしてるのかと思ってました」
「まあ基本好きなことしてるけどね。登録者増えたら事務所と契約する人もいるし、俺の場合は会社設立してる。名が売れるほど広告塔としてクライアントさんからこれ使ってほしいとか依頼が来るってわけ」
「へぇ……、大変なんですね」
「編集とかの作業もあるしね。俺も手回らない時外部に依頼するし」
正直、こういう人たちは好きなことだけして運良く稼げてるだけで、大した苦労はしていないんだと思っていた。承認欲求の塊なんじゃないかとか、そういうふうに思ったこともある。けれども彼の話を聞いていると、一筋縄ではいかないようだ。
「楽に稼いでるとか思ってた?」
「……!」
「まあ、そういう偏見持つ人は多いよね。言われ慣れてるし。でも、きみみたいなのはきらいじゃないよ」
目と目が合う。鋭い瞳に見つめられて、心の中を全て読まれているような気がした。心臓がばくばくと音を立てる。それは私が抱いていた偏見を見透かされていたことに対するものじゃない。それとは別の何かが、胸の奥にたしかに存在している。そんな気がした。
コヅケンさんが、また口を開く。
「きみはどうして俺についてきたの?」
きらきらと光る瞳は、夜空に輝く星みたいだ。黙っていると、目を奪われてしまう。その瞳にとらえられたら、逃れられない気がした。何からか分からないけれど。胸の音が、光のようなスピードで加速していくのが分かる。
「分からないけれど……、何だか胸の奥がそわそわしたので」
「いいね。そういうの、きらいじゃない。ひとつだけいい?」
「はい?」
「……敬語やめて」
そう言ってコヅケンさんがまたにやりと笑った。ああ、まただ。今私の頭、宇宙空間の真ん中にいるみたいだ。
どくり、どくりと脈が跳ねる。胸の奥はまたおかしな音を爆速で奏でていた。
◇
敬語をやめて、と言われて一時間。私はカタコトの言葉を使い、彼のことを『研磨くん』と呼ぶようになっていた。『研磨さん』と読んでみたら、そういうのやめて、って言われたからなんだけれど。
あれから、ゲームの公式HPとプレイ画面を見ながら、登場人物と設定を把握する作業を進めていった。しかし今、私は作業部屋に置かれたソファの背もたれに体重を預けて、ぐったりしている。ゲーム画像の3Dに酔ってしまった私を見かねて、研磨くんが休憩を入れてくれたのだ。
「休憩はこまめに取った方が効率いいよ。俺はタイマー使ってる。はい、水」
「ありがとう……。画面に慣れてないから……」
「3D酔いする人って本当にいるんだね。俺も徹夜とかすると熱出るけど。大丈夫?」
「……もう大丈夫みたい」
コップに注がれた水を一杯飲み干して、それをローテーブルの上に置く。冷たい水を飲んだおかげか、少しだけ気分がすっきりしていくのが分かった。
研磨くんが、私の顔色をうかがうようにして口を開く。先程までのクールな態度とは少し違ってみえた。
「民俗学専攻ってことは、日本文化学科だよね?」
「そうだけど?」
「今日手に持ってた星座と神話の本、関係ないんじゃない?」
そう言われて、どくん、とまた胸の奥が跳ねるのを感じた。今日星座と神話の本を手に取ったのは、ゆうべ聴いた配信のせいだ。
「……『火星の裏側』さんのせい」
「きみって、きっと『コヅケン』に興味ない方の人間だよね? 『火星の裏側』が俺でがっかりした?」
「! ……そんなこと!」
そんなことない。そう言おうとしたけれど、続きを発する前にやめておいた。研磨くんが、何かを閃いたような顔をしたからだ。
「そうだ、22日の夜、暇?」
「……今のところ暇だけど」
「じゃ、うちに来て。いいもの見せてあげる。あー……、聴かせてあげるの方が正しいかも」
研磨くんが、また何かを企んだような顔をする。身体の芯が熱い。研磨くんの瞳でじっと見つめられると、そこから目を離せなかった。まるで何かに、縛りつけられているみたいに。
「あったかい格好で来て。徹夜するし。この辺冷えるから」
「徹夜すると熱が出るんじゃないの?」
「うん、熱出るかもね」
ぐるぐると思考が回る。一体この人は、何を考えているのだろう。分からないけれど、それを知りたい、もっと『孤爪研磨』という人を知りたいと思ってしまった。
約束は数日後の夜、彼はその日に私に何かを見せたいという。どうしてだか、昼間聞かれたことを思い出す。
『きみの好きな星は何?』
柔らかいトーンの声が、脳の奥で弾けた。