火星の裏側で抱きしめて1

 例え俺が隣の星にいても、必ず見つけ出すよ。だって俺たちもう、火星の裏側にだって飛べるから。きみは『俺』を見てくれた。だから俺も、『きみ』を見つけ出せる。俺たちは離れ離れにはならないよ、絶対。きみは宇宙で一番綺麗な星。

スターダストミッドナイトランⅠ

ーーこんばんは、『火星の裏側』へようこそ! リスナーのみんなありがとう! もうじきこと座流星群みたいなんだけど、みんなの住む街からは見えるのかな? 流れ星、見たことないんだよね。そんな俺だけど、今日は星座の話をするよ。きみの好きな星は何?

 音楽はあまり聞かない。お笑い番組も見ないし、みんなが見ている動画も見ない。ゲーム実況なんてもってのほか。おすすめ動画にすら出てこない。そんな私が唯一楽しみにしているのが、不定期で星の話なんかを配信している『火星の裏側』さんのチャンネルだ。動画配信なんだけれど、フリー素材らしき星空の画像がうつっているだけで、声だけで配信している。まるでラジオを聞いているような、やさしい声と雰囲気がお気に入りだ。そんな彼の声を聞きながら、私は今日も眠りにつこうとしている。水曜日は朝イチの講義が入っている。そのあとは暇だから、図書館でレポートの準備でもしよう。

ーー以上、『火星の裏側』でした! みんなありがとう! いい夢見てね。

 『青い星』という名のハンドルネームも、すっかり常連になってしまった。配信が閉じる間際、『ありがとうございました』とコメントを打ち込む。スマホを充電器に差し込んで、部屋の灯りを消した。

 その日、知るはずもない『彼』の夢を見た。

「コヅケンの配信見た?」

「見た見た〜! ゲーム分からんけどさ、イケメンだよね」

「あのゲーム弟がしてるんだけど、コヅケンしてるから私もしてみたんだ〜」

「コヅケンと言えば、水曜の仏語1にいるらしいよ」

「仏語1!? 四年なのに? あの人何学部なの!?」

「謎なんだよね〜! 水曜いるってことは、今日来てるってこと!?」

「マジ!? 探しに行かない!?」

 朝イチの講義が始まる前、友人たちが『コヅケン』とやらの話で盛り上がっていた。どうやら有名人らしく、この大学の四年生だという。何でも楽しめる大学生にとっては、恰好のネタになるわけだ。

「星羅はコヅケン興味ないの?」

「うーん、動画とか見ないし分かんない」

「星羅真面目だからな〜!」

 学生の本分は勉強だと思うのだけれど、真面目で何がいけないのだろう。周りの大学生たちの授業態度はひどいもので、勉強そっちのけで遊んでばかりいる。けれども大学で変わり者扱いされるのは、そちらでなく私のような人物らしい。

 大学内に有名人がいる。それがどうかした? 私には興味ない。みんなが言う『コヅケン』だって、きっとチャラチャラして遊んでばかりいる男なんだろう。必須科目である第二外国語を、四年生で履修しているような人なのだから。

「このあと講義入ってないからさ、コヅケン探しに行かない!?」

「行く行く〜!」

「星羅は?」

 そう問われて、「図書館行くから」ときっぱり断る。『図書館』というワードを聞いただけで、「星羅、本当に真面目〜!」と笑われるのだから意味が分からない。友人たちは講義中ずっとイヤホンをつけて、コヅケンの過去動画を見ているようだった。

 知らない有名ゲーム実況者より、『火星の裏側』さんの方がよっぽどいいや。そんなことを思いながら、朝イチの講義を終え、友人たちにバイバイする。

『こんばんは、火星の裏側です!』

 鼓膜にこびりついた優しい声のことを思いながら、図書館への道を急いだ。

 うちの大学の図書館は広い。マンモス大学だからあらゆる学部の資料が揃っているし、外部からの利用者もいるそうだ。けれども、学生たちが図書館を利用しているかと聞かれれば、答えはノーだと思う。広い図書館の三階の奥、昔の文字で書かれた専門書のエリアなんて訪れるのは、私くらいだろう。日本文化論のレポートで必要な、古事記や風土記なんかの文献。有名なそれらの本よりももっと専門的な、誰も見ないような本を検索して指定されたエリアへと向かう。三階からはしご階段を登った先にある、四階といっていいのか分からないその場所に辿り着くと、見知らぬ男子学生が立っていた。

 こんな場所、私以外に来る人いたんだ。そう思い、ついジロジロとその人を見てしまう。もちろん、無意識にだ。

「写真? 握手? どっちも断ってるから」

 いきなり届いた声に、びくりと身体が跳ねる。いま、この人私に話しかけたんだよね? 他に人、いないし。

「えっ? 握手……?」

「……もしかして、本当に調べ物で来たの?」

「えっと……、調べ物以外でこんなとこ来ませんよね?」

 そう返すと、彼は驚いた表情で私の全身を見つめているようだった。私が手元に抱えた一冊の本は、レポートには関係ない星座と神話のお話だ。

「じゃあ、ゲームしてる人? 神話系の資料なら俺が先に読みたいんだけど」

「あなたも民俗学専攻ですか?」

「経済学部だけど。俺のこと知らないの?」

「すみません。知りません」

「ふーん、きみって面白い」

 何が面白いんだろう。分からないけれど、いやな気分にはならなかった。真面目だとはよく言われるけれど、面白いなんて言われるのは初めてだ。

「ね、民俗学専攻ならさ、考察動画作るの手伝ってくんない?」

「動画……?」

「あ、他にバイトしてるの?」

「してないですけど……」

「じゃ、ちょうどいいじゃん。俺コミュ障だから。人探し苦手なんだよね。ていうか女の子苦手。でもきみなら任せられそう」

「ちょ、あなた誰なんですか? 話をする前にまずは名乗るものでしょう?」

 そう言うと、彼は少し申し訳なさそうな顔をして「ごめん」と謝った。その三文字がひどくやさしく聞こえて、『火星の裏側』さんのことを思い出す。もしかして、この人が……、なんて淡い期待を抱いた頃に、聞き覚えのある名前が鼓膜に届いた。

「孤爪研磨」

 こづめ……、けんま?

「コヅケンって言ったら分かる?」

「あーっ!」

 こづけん。コヅケン。KODZUKEN。まさかのまさか、大学一の有名人がこの人だというのだろうか。友人たちが探しに行ったその人物が、まさかのこんなところにいるだなんて。

「学校……、来てたんですね」

「第二外国語だけだけどね。履修するの忘れてて、絶対落とせないんだけど」

「それはコヅケンさんがいけませんね」

「わあ、正論言うね」

 それにしても……、この人考察動画とか作るんだ。好きなゲームでただ遊んで、それで稼いでるだけの軽い人だと思っていたのに。

「じゃ、校内目立つからさ、俺んち来て」

「えっ、ちょ!」

「本、先に読んでいいから」

 コヅケンさんに手を掴まれて、ぎゅっと手を握られる。一瞬何が起きたのか分からなかったけれど、握手を求められていたんだとその握り方で気がついた。このひと、私が思っていたようなチャラい男じゃないのかもしれない。

「きみのなまえも、聞いていい?」

「……青い星」

 私がそう答えると、コヅケンさんは一瞬動きをとめて、「それ本名じゃないでしょ」と笑った。

「……青井星羅と申します」

「あー、なるほど。いいね。可愛い名前」

 可愛い名前。うん、やはりこの人チャラいのかもしれない。コミュ障とか言ってるけど。本当にコミュ障ならば初対面でこんなに話さないし、そもそもゲーム実況なんて出来ないと思う。

「じゃ、その本借りたら行こっか」

「えっ、ちょっと、待って」

「あ、この後も講義?」

「……違いますけど」

「じゃ、いいね」

 そうして私とコヅケンさんの奇妙な日々が始まった。変装したコヅケンさんについてささっとキャンパスを離れ、微妙な距離を開けて駅へと向かう。トートバッグに入れた本は五冊、その重力に腕が痺れそうになる。空は快晴で、今夜は私の住む都会でも星が見えるかもしれないな、なんて思った。

 そんなことを考えていると、ふっと腕が軽くなるのを感じた。本五冊分の重力が、どこかに消えてしまったみたいだ。顔を上げればめがねをかけたコヅケンさんが、私のトートバッグを持ち上げている。

「体力ないけど、これくらい持つし」

「……ありがとうございます」

「ひとつ聞きたいんだけど」

「?」

「きみの好きな星は何?」

 その瞬間、周りの景色が鮮やかに染まって、頭の中に夜空が広がった。この声を、知っている。この優しい声を、私は繰り返し聞いたことがある。

ーーこんばんは、『火星の裏側』へようこそ! リスナーのみんなありがとう! もうじきこと座流星群みたいなんだけど、みんなの住む街からは見えるのかな? 流れ星、見たことないんだよね。そんな俺だけど、今日は星座の話をするよ。

ーーきみの好きな星は何?

「……火星の裏側さん?」

「わ、ビンゴだ! 青い星さん」

「え、コヅケンさんが……? 火星の裏側さん?」

「いつもありがとう。あっちのリスナーさんの名前は覚えてる。……それで、きみの好きな星は何?」

「……地球?」

「そうだと思った」

 恋のはじまりがどういうものかを、私は知らない。恋なんてしたこともないし、興味もなかったからだ。けれども。もし、恋の始まりが存在するのならば、きっと遠い宇宙で輝いている星たちみたいに、私をときめかせるものなんだと、そんなふうに思う。

 今この時が『それ』なのかは、今はまだ分からないけれど。宇宙で一番綺麗な青い星の中で、私たちは出逢った。

 星と星が引き寄せられるように、出逢ってしまったんだ。