あまくてにがくて青い7

 花火大会の日も俺は一日中部活で、終わった頃には外は暗くなりはじめていた。花火が打ち上がるのは午後八時。あと一時間しかないと把握して、今日の自主練は止めにしておいた。明日朝早く来て、その分たくさん練習すればいい。

 自分の自転車に跨り、ブレーキをかけながら学校の坂を降りて、大きな県道に出る。街の風景をぐんぐん追い越して、花火大会の会場へと急いだ。景色が変わるたびに、人の群れが増えていく。浴衣姿の集団を見かけて、彼女の浴衣姿を想像した。

 早く、会いたい。誰かに対してこんな風に思うのは初めてだった。例えるならそう、日向とどっちが早く体育館に着くかで競い合っていた時のような、心の底から湧き上がる何かを放出している、そんな気分。いや、それとも少し違うかもしれない。上手く説明できないけれど、説明なんて必要なかった。俺が苗字さんを好きだという事実があれば、それでいいと思った。

 花火大会の会場に着いて、駐輪場に自転車をとめる。会場となっている河川敷へと続く緩やかな坂の途中に、苗字さんを見つけた。

「影山くん」

 纏わりつくような湿度と、人の波。暑さで汗をかいて、身体じゅうがべたつく。それでも、彼女に触れたいと思った。

「変かな?」

 白いうなじと、後ろでまとめ上げられた髪。首筋に何か塗っているのだろうか、きらきらと光っている。名前も知らない花の絵が描かれた紺色の浴衣は、彼女の顔をさらに彩っていく。よく見たら化粧もしているのだろう。変なわけ、ねぇだろ。

「可愛い」

 気がついたら、そんなことを口走っていた。彼女の頬が赤く染まっていくのを見て、あっ、と我に返る。そんなの照れくさくてしょうがなかったけれど、身体は勝手に動いてしまうもので、苗字さんの手を掴んでいた。

「腹減った」

「練習お疲れ様」

「あざす」

「何か買いに行こっか」

 好きな人といると、どうしてこんなにも時間が経つのが早いんだろう。部活終わりに急いで来た俺には時間がなさすぎて、ありつけたのはかき氷ひとつだった。青いシロップのかけられた、山盛りの氷。初めてキスをした日に見た、夏の青空のような、鮮やかなブルー。俺たちはひとつのスプーンで、それを一緒に食べた。

「これ、何味なんだろうな?」

「ね。甘くて、ちょっとだけ苦いような気もして。それでいて青いんだよね」

「苗字さん、舌青い」

「影山くんだって青い」

 普通の高校生が経験する青春なんて、自分には無関係だと思い込んでいた。それなのに今のこの時間は、なんだか胸がぎゅっと押し潰されるように、楽しくてせつない。あまくて、苦くて、それでいて青い。初恋は、鮮やかなブルーに染まったかき氷みたいだ。

「あっちの階段のとこ、座ろ?」

「っす」

 連日続く熱帯夜のせいで、ブルーの氷は段々と溶けていく。俺の体温も上昇して、このまま溶けてひとつになればいいのに、と思った。

 来年の花火を、彼女は誰と見るのだろうか。そんなことが頭をよぎったけれど、すぐに考えるのをやめた。一瞬浮かび上がった苛立ちのようなものに、気がつかないふりをする。深呼吸をして目を開くと、屋台の照明たちがふっと消えた。

「あ、花火はじまるよ」

 いつの間にか真っ暗になっていた空に、バーン、と打ち上がる大きな花の輪。次々と色を変える花火たちが、彼女の顔を照らす。

 キスがしたい。そう思って、花火に照らされた彼女の顔に近づいた。色をまとっていた彼女の光る顔に、影がおちる。塞いだ唇は、あまくて少しだけ苦くて、そして青かった。

「……見られちゃうよ」

「みんな空見てんだろ」

「影山くんって、意外と大胆だよね」

「してぇと思ったからした」

「嬉しいよ。私しか知らない影山くんを見られるの」

「あざす」

「……これもさ、このまま思い出になるのかな?」

 その言葉の最後の方は、花火の音にかき消されてよく聞こえなかった。打ち上がった青色の花火が、彼女の顔を照らす。今すぐに彼女を抱きしめたくなった。

 彼女の瞳にうつるのは、花火じゃなくって俺で。俺の瞳にうつるのも、花火じゃなくって彼女だった。食べかけの青いかき氷は、すっかり溶けて液状になっている。コンクリートの階段は昼間の熱を纏ったままで、俺たちの重なった手をさらに熱くした。

「苗字さん、花火終わったら俺んち……」

「遅くなりすぎないなら、いいよ」

「親、たぶんまだ帰ってねーから」

「ん」

 夏休みが始まる前まで、ただのクラスメイトだったのにな。二年とちょっとの間ずっと。顔と名前しか知らないけれど、可愛いな、と思えるそんな存在。小さなつぼみだった彼女の存在は、大きくなりすぎていて、俺はそのことに戸惑った。

 俺は彼女に触れたい。

 俺は彼女と手を繋ぎたい。

 俺は彼女にキスをしたい。

 俺は彼女を抱き潰してしまいたい。

 液体になってしまった青いかき氷を、ごくりと飲み干して、花火のフィナーレを見届けないまま立ち上がる。ぎゅっと手を繋いで、駐輪場までの道を歩いた。

 いつもは苗字さんの錆びたママチャリ。今日は俺の自転車。彼女を自転車のうしろに乗せて、夜の街を駆ける。背景にはまた、色鮮やかな花火たち。綺麗な景色だったけれど、彼女の方が綺麗だと思った。

『このまま、思い出になるのかな?』

 彼女は確かに、そう言った気がする。

 思い出を作ろうなんて、これっぽっちも思っていなかった。だってまだ、季節は夏なのだから。

 苗字さん、進路変えねぇのかな。なんて、そんな自分勝手なことを考えて、頭の隅に追いやる。苗字さんは絶対に、俺にバレーボールを辞めろなんて言わないのだから。

 自転車は夏の夜の熱い風を纏って、ぐんぐんと進んでいく。バーン、と音が鳴って、青色の花火がまた俺たちを照らした。