恋なんて知らない。どういうものか想像もつかないし、恋愛している自分が想像できない。けれども物語の中に出てくる女の子たちを見ていると、どんなものなのか興味くらいはある。いつかわたしもそれを経験するのかな。そんなのきっと、遠い未来の話。そう思っていた。
「おれ名前さんに興味あるのかも」
「ふーん、可愛いね」
「そういうふうにしか見てないけど?」
けれどもねぇ、今目の前で笑っているこの顔はなに?
孤爪くんはいつもわたしを混乱させる。
◇
「名前ってどんな男の子と恋愛するんだろうね」
新しい季節のはじまりは、なんだかきらびやかに見える。わたしのすこし前を歩く親友の、髪の色がほんのり変わったことに気がついた。ほんのり混ざった桃色は、この季節に合わせたものなのだろう。綺麗だな。わたしなんて、寝癖ついたままなのに。
「あーちゃん髪色変えた? 似合ってる!」
「変えたけど、聞いてる? 今名前が恋するならって話してたんだけど」
「ごめんごめん。聞いてたよ。わたしが恋愛するとこ想像できちゃうの?」
「できないけど気になるじゃん? 新しいクラスにかっこいい男の子いるかもよ〜?」
「それよりもあーちゃんとクラス違うの確実だから不安だよ〜! ちゃんとやれるかなぁ」
「大丈夫! 名前は抜けてるけど愛嬌あるからすぐ友達作れるよ!」
「う〜!」
幼馴染のあーちゃんとは家が隣同士で、学校もずっといっしょ。しっかり者のあーちゃんは、よくわたしの世話を焼いてくれた。いや、現在進行形だと思う。そんな彼女に恋人ができたことは、わたしの世界をほんのすこし広げさせた。恋愛って、どういう感じなんだろうって。
「じゃ、彼氏待ってるからここで! また学校でね!」
「うん! またね!」
最寄駅まで迎えに来てくれる彼氏さんの存在が、ちょっと羨ましい気もするけれど。でも今すぐ彼氏がほしいかと聞かれたら、答えはノーだと思う。連絡とかまめに取り合うのは、めんどくさい気もするし。
買ったばかりのスマホをタップして、小説投稿サイトのトップページを開く。恋愛小説のランキングを覗くと、追いかけていた作品が更新されていて胸が躍った。
今は、物語の中くらいがちょうどいいや。まあ、みんなわたしのことなんて恋愛対象に入っていないのだろうけど。
放課後が待ちきれず、更新されている作品をスクロールして読み進める。読んでいてきゅんきゅんするとか、そういうのは分かるんだけど、現実世界ではまだその感情に出会ったことがない。
もしそんな出会いがあったなら、物語の中みたいに世界はきらきら光ってみえるのかな?
例えば今ホームに入ってきた電車の扉が開いたとき、素敵な男の子がそこに立っていたら……。
「ぎぇ」
プシューと開いたドアの音。満員に近い車内の、ドアのすぐそばに立っていた金髪に驚いてつい変な声が出てしまう。同じ学校の制服を着たその男の子と一瞬目が合って、互いにふいっとそらした。
びっっっくりした! 人がいた! だって髪の毛金髪プリンだし。何者? 同じ学校だよね? なんで金髪なんだろう。
男の子が立っていたらなんて考えて、本当に立っていたから驚かないわけがない。素敵かどうかは分からないけど。
そんなことを考えているうちに車内に押し込まれ、なぜだか隣同士になってしまっているし。気になってちらりと視線を向けたら、スマホを弄っているのが目に入った。あ、おんなじ機種だ。
スマホを見たことで読みかけだった小説の存在を思い出し、また画面をスクロールする。一分後には隣に立っている男の子の存在なんてわすれて、すっかり物語の世界に夢中になっていた。
「降りないの?」
「はへ?」
「音駒でしょ? 着いたけど……」
「降ります! 降ります!」
金髪プリンの男の子のおかげで、電車を乗り過ごさずに済んだ。今日から三年生だもの。新学期早々に遅刻なんて目立ってしまうから絶対に避けたいところだ。
……と思ったんだけど、わたし新しいクラス何組なの? 新しい昇降口ってどこ?
だーれーかー!
◇
「おはなちゃん遅刻だ!」
「マジか! 一発目から遅刻とかさすがおはなちゃん!」
「目立ってるぞ〜!」
小一から定着しているあだ名はおはなちゃん。あーちゃん以外は、だーれもわたしのことを本名で呼ばない。小学校の入学式で転んでしまい、お花柄のパンツが丸見えになったからこのあだ名がついたというのは、誰も覚えていないでいてほしい真実だ。
三年生の昇降口を探して十数分、たどり着いたときには既にチャイムがなり終えた後で、張り出されていたはずの名簿すら剥がされていた。ひとつずつ「わたしのクラスどこですか」と聞いて回り、そうしてこの三年七組にたどり着くに至った。
ぐぬぬ。目立たないぞと決めたばかりなのに!
「おはなちゃん席こっちだよー」
「ありがとう!」
急ぎ足で案内された席へと向かい、鞄を机に置く。……つもりだったがまさかの足がもつれて鞄と共に顔面着地、転げた反動で跳ねた身体が、隣の席にゴーンと衝突する。
痛い……! じゃなくて!
「ひええぇごめんなさ……」
顔を上げたその先にいたのは今朝の金髪プリン。すこし開いた窓から吹く風が、彼のさらさらの髪を揺らしている。
「ふっ……、何それ可愛い」
えっ?
なにいまの?
可愛いって言った?
それはぼそりと、しかし確実に、わたしにだけ届くような声で放たれた。……のだと思う。
「わ、今おはなちゃん孤爪くんにぶつかったけど大丈夫だったかな?」
「孤爪くんって春高では目立ってたけど、ちょっとミステリアスだし謎だよね」
「ていうかさすがおはなちゃん! ウケる!」
「おはなちゃんは恋愛対象じゃないよな」
「うん、なんか動物? 宇宙人?」
ああ、また謎珍獣扱いされてる。三年生になって生まれ変わろうと思ったのに。
なんて普段なら考えているんだろうけど、今届いた言葉のせいで、まわりの言葉なんて吹き飛んでしまっている。
金髪プリンくんの方を見上げたら、彼は口角だけでふっと笑った。
「名前さん、だいじょうぶ?」
届いた声にはっとなり、きょろきょろと辺りを見回す。今届いた声の主は、目の前のプリンくん。孤爪くん? って言われてたっけ?
その彼がわたしの方を見て、「名前さん?」と首をかしげている。
「え? わたし?」
「他に誰がいんの」
「だって、みんなから苗字ですら呼ばれたことないのに」
「苗字さんは他にもいるし、分かりづらいから。だいじょうぶ?」
「あ、そか。じゃない! ごめんね、ぶつかって! 大丈夫!」
「いいよ、面白かったし。それに」
「?」
そこまで言うと孤爪くんはまたゆるく笑って、だれにも聞こえないような声で言った。
「あだ名で呼ばれるの、思い出したくないんじゃないの?」
!?
このひと、お花パンツのこと知ってる!?
なんで!? え、もしかして同じ小学校!?
でも電車! まさかとなりの駅? 校区内。まってまってまって。
「名前さんかわいーね」
高校三年。あだ名呼びからの解放かと思いきや、まさかの彼はあだ名のルーツを知っていた。しかも可愛いを連発。なにこれこんなの知らない。何!? 何なのこれ!?
こんなの、もう孤爪くんを避けるしかないのでは!? 防御壁を作るべきでは!?
胸の奥がドキドキしているのは、過去を暴かれたせい。そういうことにしておこうと思う。
これがただの序章であることを、わたしはまだ知らない。