農家の北さん8

「付き合うことになったの!? よかったじゃん!」

 月曜日、私を待っていたのはまたもや先輩たちからの質問攻めだった。先輩たち、絶対楽しんでいる。そう思うけれど、社内で一番後輩の私は、その質問に答えるしかないのだ。

「よかった……、んですかねぇ?」

「で、えっちした!?」

「してませんっ! してないですっ!」

「ちゅーは?」

「……」

「したんだ♡」

「~っ!」

「次はいつ会うの?」

「来週、仕事で北さんのところに行きます」

「ほぉ~ん、楽しみだね♡」

「仕事ですからっ!」

 そう、次のデートの約束はしていないけれど、来週仕事で会うことになっている。唇にはまだキスの余韻が残ったままなのに、一体どんな顔をして会えばいいんだろう。

 北さんのことを考えるとドキドキして、ばくばくして、身体じゅうが熱くなっていく。

 その理由も分からずもがいているうちに、次の取材の日が訪れていた。

「では、夏の時期の取材は今回で終了となります。次は収穫の様子なのでだいぶ先になりますね。新米楽しみにしてます」

 取材の日、かしこまってそう言った私に対して、北さんは「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言ってくれた。仕事で接する時はお仕事モードで真面目に受け答えしてくれるのはありがたい。だって、この前のデートの時みたいにぐいぐい来られたら、身が持たないんだもの。

「では、私はこれで」

 しかし、私がそう言って帰ろうとした瞬間、彼の仕事モードは解除されてしまったようだ。ぱし、と腕を握られてひき止められる。北さんの顔を見上げたら、彼は何か企んだような顔で私の目を見て笑った。

「もう夕方やけど、まだ仕事残っとるん?」

「いえ。今日は直帰です。この時間だから、そのまま帰っていいって……」

「じゃ、うちで夕飯食べていかへん?」

「夕飯? ご飯作れるんですか?」

「うちの米、旨いで?」

「この前宮さんにおにぎり貰ったから知ってます」

 宮さんの名前を出した途端、彼の顔が一瞬曇る。流すような目で見下ろされたあと、北さんの口が開いた。

「ふーん、この前治と何喋ってたん?」

「えっ……と、き、き、北さんが…っ…、わたしのこと、本気だと思うって……言われて」

「そりゃー大当たりやな」

「~!」

「で、食べて行くん?」

「夕飯だけですよ?」

「他に何があるん?」

「~っ!」

 もう、本当に私って北さんに流されっぱなしだし、北さんのペースに乗せられすぎだ。夕飯の他に何かがある、なんてちょっとでも想像してしまった自分が情けない。熱くなった身体は、たぶんこの猛暑のせいだ。もう夕方だけれど。ここ、山からの風が涼しいけれど。冷房も入っているけれど。

 それから私は台所に立って、北さんの料理を手伝った。彼の方が手際がいいのがなんだか悔しい。北さんは手伝わなくていいって言ってくれたけれど、一応か、か、彼女なんだし。手伝わないわけにもいかないな、って思った。

 彼は白ご飯を炊飯器でなく土鍋で炊くらしい。じゃーなんで炊飯器持ってるんですか? って聞いたら、ここは元々叔父さん一家の家で、彼らが海外転勤でいない間北さんが管理してるのだと教えてくれた。

「叔父さん方、どこの国に行かれてるんですか?」

「東南アジア。シンガポールやで」

「それで北さんがこの家に?」

「そや。家賃タダにするかわりに、掃除とかよろしくってな」

「じゃあ、今はひとり暮らしなんですね」

「ん、せやから、ふたりきりやな」

「!?」

 北さんはまた私を困らせるような発言をして、平然とした顔で天ぷらを揚げている。おいしそうな色の夏野菜たちが揚がっていく様子を見て、私、この油より体温高いかも、なんて思った。

「さ、揚がったで」

 お客さんは座った座った、と居間のテーブルに招かれて、すとんと腰をおろす。揚げたての夏野菜と鶏肉の天ぷら、残りものらしいおひたし、サラダ、自慢の白ご飯が並べられて、ぺこぺこだったお腹が鳴りそうになるのを感じた。

「いただきます」

「いただきます」

「〇〇ちゃん、水」

「ありがとうございます」

 水の入ったグラスを受け取り、北さんのグラスと乾杯をする。揚げたての野菜、おいしそうだな。そんなことを考えながらも、喉が渇いたのでまずは水を口に含む。

 えいっ、一気に飲んじゃえ。

「……っ!?」

 あれ!?

 こ、これ、水じゃない!?

「き、きたさんっ、これ!」

「ん、焼酎」

「な、なんで…っ…」

「これで帰られへんな?」

「代行呼びますから…っ…」

「こっから神戸まで? いくらかかるん?」

「で、電車で帰るのでタクシーを…っ…」

「駅までもだいぶあるで?」

 なぁ、〇〇ちゃん。

 北さんが私の隣に来て、身体を寄せてくる。耳元で囁かれて、また身体がかあっと熱くなるのを感じた。耳たぶにちゅ、っとキスをされて、それが唇に降りてくる。キスされる。そう思った瞬間、かぷりと唇に噛みつかれた。

「んん…っ…、ふ」

 お酒を少し飲んだだけなのに、力が入らない。本当、弱いんだよなぁ、私。それどころじゃない。今、私たぶん、襲われてる!?

 息ができなくてぷはっ、と口を開けた瞬間に入ってくる舌に、歯列をなぞられる。北さんの手が服の隙間から入ってきて、背中をするっと撫でられた。

「天ぷら、冷めちゃいます、からぁ…っ…」

「せやな」

「…っ…」

「〇〇ちゃん、あっちの部屋、行こか?」

 ああ、もう。まただ。

 また私、北さんに流されてる。

 けれども頭はふわふわしてるし、身体に力は入らない。それに。イヤだと思わない自分の存在が一番未知で恐怖だ。北さんのことは、全然怖くないのに。

 いやじゃない。だから、抵抗できない。流されて、次へ次へと進んでしまう。

 もう戻れない場所に来てるんじゃないかってことを、ぼーっとした頭の奥で考えていた。