リップを変えてみた。制汗剤の匂いも変えた。夏だから爽やかに、けれども適度に女の子らしさは残して、主張しすぎないように。恋は女の子を、魔法のように変える。まあ、男の子の方は少しの変化には気づかないものなんだけど。
「今日暑いね」
「せやな」
なんて会話は、普通のカップルそのもの。繋いだ手は互いに汗ばんでいて、雨上がりの空には虹が弧を描いている。乾きはじめたアスファルトに並ぶ影はふたつ。見慣れたバス停が近づいてきて、ああ、今日もここまでだ、と思った。
「気ぃつけて帰りぃ」
「うん」
ほら、また。
今日も北くんはキスをしてくれない。
付き合いはじめて一年と少し。告白してオッケーを貰えた時はびっくりして泣いてしまったっけ。手を繋いだのは、それから少ししてのこと。一般的なカップルならば、もうキスをしていてもおかしくない。
けれども彼は私の唇に触れてくれないのだ。リップを変えたのは三回目。色々作戦を練ってはいるものの、今日も負けのようだ。
「あ、あのね、北くん……」
思いきって彼の制服の裾を掴む。整えられた夏服の生地が少しくしゃりと歪んで、それだけで彼のものになれたような心地に包まれた。これだけで満足。そう、これだけで。
「なんや?」
「えっと……、帰るの寂しいなって思って……」
「バス、次四十分後やろ? 帰りぃ」
「ですよね……」
真っ直ぐに伸びた道路の先、ふたつ手前の赤信号に停まるバスの姿が見える。もう一度。もう一度だけと、北くんの夏服の裾をぎゅっと握り直した。頭上から、ふーっと息を吐く音がきこえる。ああ私、呆れられたのかな。
「これで勘弁しときぃ」
え? と思って見上げた視線の先に、目を細めた北くんの顔がうつる。近づく。鼻先が触れる。唇を指でなぞられる。
あ。来る。
そう思った瞬間、自然と目を瞑っていた。委員会終わりで時間がずれたおかげで、バス停には誰もいない。そうだね、きみは人のいるところじゃ絶対にこんなことしない。
唇と唇が触れる。初めてのそれは、熱くて、湿っぽくて、はちみつリップの味がした。
「……北くんって、キスとかしないと思った」
「俺かて男やし、……そういうの、したいに決まっとるやろ」
「そういうの、ってキスのこと?」
ふと沸いた疑問を言葉にしたら、北くんはずるい顔をして。
「さぁ、どうやろな」
そう言って笑った。
到着したバスに押し込められ、北くんに見送られる。その顔は私より何歩も先を行く余裕のある顔で、私はただ顔を熱くすることしかできなかった。
北くん、その言葉はずるいよ。