雨に混じった雪が舞っているのが見える。窓の向こうは曇天で、寮の中にも冷たい空気が流れ込んでいた。デコレーションする為に溶かしたチョコレートも、この寒さですぐに固まってしまう。
「あ〜! もう! また固まった!」
バレンタインを前日に控えたこの日、私は女子寮の共用キッチンでチョコレートを溶かしていた。奮発して買った苺をチョコレートでコーティングして、その上からホワイトチョコで模様を書いていく。なんて、凝ったことをしようとしたせいでかなり時間を要してしまったのだけれど。
「出来た!」
頑張った甲斐があって、どうにか目的のものは完成した。あーん、と口を開き、ひとつだけ味見してみる。うん、おいしい。
「名前! それ誰にあげるの? ミャーツム? ミャーサム? それとも銀島くん? 男バレでしょ?」
「わっ! 違う! 違うからっ!」
そんな質問をしてきたのは、同じ吹奏楽部の友人だった。うちの高校は吹奏楽が盛んだ。なので、私を含め県外からここに進学する人も多い。この友人もそのひとりで、寂しい寮生活を楽しくしてくれる仲間だ。
「あ〜、分かった! 角名だ!」
「……」
「同じ寮生だもんね〜! 頑張れ!」
「ありがと」
どうやら私の気持ちは、この友人には丸分かりだったらしい。まあ、男バレの方ばかり見てるもんな。
けれども肝心の角名にはその気持ちは伝わっていないようで、私は頭を抱えていた。それから二十四時間後、私は彼を目の前にして溜息をつくに至る。
◇
「ねぇ、それ誰に渡せばいいの? 侑? それとも治? もしかして銀だったりする?」
二月半ば、世の中の恋人たちが浮かれるその日、私は好きな人を目の前にして固まっていた。
彼ーー、角名とは同じ寮生ということもあり、時々ファミレスでご飯を一緒に食べる仲だ。寮のご飯はおいしいけれど、たまには濃いものが食べたくなる。そういう時にどちらかがどちらかを誘って、このファミレスを訪れるのだ。
しかし、今日は少し違った。いつものように私が角名をファミレスに呼び出したのだけれど、それには目的があった。そう、ずっと片想いしている角名に、バレンタインのチョコレートを渡すためだ。
けれども彼は、不思議そうな顔をしてそんな質問をしてのける。机の上に置かれたチョコレートの袋が、自分宛てだとは微塵も思っていないようだ。
「名前の好きな人、うちの部でしょ? いつも見てるし」
「……それは正解」
「俺をここに呼び出したってことは、それを誰かに渡してほしいってことだよね?」
「半分正解」
「半分? それ買ったの? 手作り?」
「……手作りってどう思う?」
「手作りなんだ! 俺はいいと思うけど」
だから、渡したいのはその俺なんだって! そう言いたいけれど、緊張のあまり言葉が声にならない。普段のお礼だって、義理だって言えばいいだけなのに、その言葉すら出てこない。まあ、義理じゃないんだけれど。
「……やっぱいいや。私にはそれ渡す勇気ないみたい」
「えっ、勿体ないじゃん。折角作ったんでしょ?」
「持って帰って食べるよ。それよりさ、ご飯食べよう? 何か頼もうよ」
「じゃあ、それ俺にちょうだい」
「えっ?」
「ご飯食べた後って甘いのほしくなるじゃん」
「ああ、そういうこと……。いいよ。角名にあげる」
こうして私は想いを伝えられないまま、チョコレートをあげることだけに成功した。まあ、これでいいのかもな、なんてそう思う。私には気持ちを伝える勇気なんて、到底ないのだから。
そのあとはいつも通り一緒に夜ご飯を食べて、ふたりで寮まで帰ることになった。
◇
夜にはまた気温がぐっと下がると、天気予報のお姉さんが言っていた。ファミレスを出ると予報通り空気が冷えていて、息を吐けば白い気体がもくもくと上がっていった。もしかしたら、今年最後の雪になるかもしれないな。そんなことを考えながら、寮までの道を角名とふたり歩く。
いつもは喋りながら帰るのだけれど、どうしてだか今日の彼は静かだ。私が渡したチョコレートの袋をぶら下げて、黙ったまま夜道を歩いている。
「寒いね」
そう言ったら、角名は少し小さな声で「うん」とだけ呟いた。
寮へと続く裏通りを、ふたり黙ったまま進む。しばらく行くと本当に雪がちらつきはじめて、これ、恋人同士ならすごくロマンチックなシチュエーションだな、なんて思った。
けれども私たちは、恋人同士じゃない。私に少しでも勇気があれば、何かが変わったかもしれないのに。そんな勇気も持ち合わせていない。はらはらと舞ってはすぐに溶けていく雪のように、この恋心も溶けて消えちゃえばいいのにな。そうすれば楽になれるのに。そんな到底叶わないことを、ぼんやりと考えてしまう。
そんなの、無理に決まっている。だってこうして歩いているだけでも、好きが溢れてくるのに。ああ、やっぱり好きだなぁ。好きなんだ。
「名前」
角名にそう呼びかけられたのは、女子寮の裏手までたどり着いた時だった。はっ、と我に返り、角名の顔を見上げる。暗くて表情がよく分からないけれど、真面目な顔をしているような気がした。
雪が舞う。冷たい風が頬を刺す。街灯はきらめいて、僅かに私たちを照らしてくれる。角名の唇が、ゆっくりと開いた。
「ねぇ、これさ、本当は誰にあげたかったの?」
何を聞かれているのだろう。誰にあげたかったのかなんて、言えるはずもない。だって角名は、そのチョコレートが自分に向けられたものだと知らないのだから。
「……教えなきゃいけない?」
「うん。俺がさ、なんでこんなこと聞いてるか分かる?」
「……分かんない」
分からない。分かるはずもない。ただの好奇心? チョコ貰って帰ったら寮のみんなに聞かれるから? 彼の意図が分からぬまま、首を横に振る。彼の口からとんでもない言葉が発せられたのは、まばたきをした一瞬のことだった。私のみじかい睫毛の上に、細やかな雪が積もって溶けていく。角名の顔が、より一層真面目なそれになった。
「これ貰う相手にめちゃくちゃ嫉妬してるから」
「え?」
いま、なにを言われたのだろう。
嫉妬? 角名が? 誰に?
「だから、これ貰うはずだった相手に嫉妬してんの」
「角名が?」
「他に誰がいんの」
「……角名だよ。それ渡すはずだった相手」
「は!? 俺!?」
「他に誰がいるの」
「ちょっと待って。整理したいんだけど。……俺が名前のこと好きで、名前も俺のこと好きってことで合ってる?」
「ちょ、ちょっと待って! 私が角名のこと好き、は合ってる! でも……」
そこまで言ったところで、ふっと影がおちてきた。白く舞い散る雪を背景に、角名の顔がゆっくりと近づいてくる。あ、と思ったその瞬間、唇と唇が触れた。それはほんの一瞬。雪が降っては溶けるその様のような、ささやかな触れ合いだった。
「〜!」
「俺は好きだよ、名前のこと」
「嘘……」
「なんで嘘つく必要あんの」
もう一度、角名の顔が近づいてくる。今度はさっきと違う、少し長いキス。こうしていると冷たかったはずの身体も、じんわりと温まってくる。あー、私、叶ったんだなぁ。叶ったんだよ。奇跡なのかな。
しばらくそうしていたら、雪はやんでしまったのだけれど。私の恋心は溶けないままだな。むしろ積もる一方だ、なんて思った。けれども今度は一方的な恋じゃない。ふたり同じ気持ちでいられるから。
ねぇ、角名。大好きだよ。
今度は大きな声で、はっきりとそう伝えた。
※ワーパレお借りしました。影/唇/黙/裏 Thanks by 憂様
キャラリクありがとうございます!