びゅうっと冷たい風が通り抜けて、私の髪を乱す。折角早起きしてブローしたのにな、なんて考えながら、手櫛で髪を整え直した。
通学路の遊歩道には赤く色づいた梅の花たちが、もうすぐ訪れる春を心待ちにしているかのように空を見上げている。赤く色づいたのは、梅の花だけじゃない。私の頬と、私の心。それから、今手に持っている紙袋の色。
真っ赤な袋の中には、今日これから『彼』に渡す大事なものが入っている。『彼』なんていっても付き合っているわけじゃないし、完全な片想いなんだけれど。
「苗字、おはよ!」
いつもと同じ時間に学校へとたどり着き、いつもと同じように彼ーー、古森に声をかけられる。私が古森に合わせてこの時間に来ていることなんて、彼は知るはずもないのだろう。
「おはよう、古森」
「今日さ、何の日か知ってる!?」
「……知らない」
「バレンタインっていうんだけど!」
「へぇ、そーなんだ」
「絶賛募集中!」
「おめでたい頭だね」
……私のバカ。今のは渡すチャンスだったのに、古森を前にするとどうしても可愛くなれない。今だってほら、素直とは程遠い場所にいる。
チョコレートの話をするのがなんだかむず痒くって、話題を切り替えふたり並んで教室へと向かった。
教室に着くと、古森のところへ女子たちが群がってきた。けれどもそのお目当ては大半が彼じゃない。
「古森〜! これ、佐久早くんにお願い!」
「はい、ついでに古森の分も! あんたのは義理ね!」
「古森、私も佐久早くんに渡してほしいんだけど」
そう、彼女たちのお目当ては彼のいとこの佐久早くんだ。とはいっても古森は気さくで明るい人気者なので、お礼にと義理チョコを沢山渡されているのが毎年の光景なんだけれど。毎年の光景を知っている私は、中学生の頃から古森にチョコを渡せずにいる。一体何年目なんだよ、この片想い。本当にもう、情けないな。
席につき、窓の外を眺める。冬の空は青く高く澄みきっていて、校庭ではまた梅の花が頬を染めていた。きっとあの花は、あたたかい春に恋をしているんだろうな、なんて似合わないことを考える。私と同じ。春に、恋をしているんだ。
そうこうしているうちに訪れた放課後。生徒たちが次々と帰っていき、古森もスポーツバッグを片手に席を立った。私の机の横には、真っ赤な紙袋がかけられたままだ。
ああ、また渡せなかったなぁ。
古森が私の方に近づいてきたのは、そう思っていたその時だった。片手にはスポーツバッグ、もう片方の手には佐久早くん宛ての大量の紙袋が下げられている。
え、古森、こっちに来てる? なんで?
「ねぇ、それ」
「へっ!? な、なに!?」
「その紙袋、渡すんだよね?」
「えっ……!? ……えっと」
「聖臣に」
「はっ!?」
「だって苗字、いつも聖臣のこと見てるじゃん。中学の頃からでしょ。毎年持ってきてるみたいだし?」
まさかのまさか、盛大な勘違いをされているようで、頭の中が真っ白になる。これはチャンス?
それとも諦めろっていうこと? もしも神様がいるのならば、それだけでも教えて欲しい。そうすれば、私は素直になれるのに。
ああ。私は、満開にはなれない。
「古森のばか! 鈍感!」
気がついたら、そう叫んで彼に紙袋を投げつけていた。教室に残っていた数人の視線が突き刺さる。鈍感、だなんて。そんなこと言ってしまったら、私の気持ち丸わかりじゃん。
この恋は、咲き誇る前に散ってしまうのかな。長い冬だった。春はもう来ない。
視界の奥が歪んで、涙が飛び散る。鞄も置いたまま教室を飛び出し、逃げるように走り出していた。
「待ってよ!」
嘘、追いかけられてる!?
逃げる私の速度よりも早いそれで、古森が駆け寄ってくる。こんな時なのに、「苗字!」と呼ぶ声が愛おしい。そんな声で呼ばれたらさ、寒い冬でも狂い咲いてしまいそうだよ。
「好きだ!!!!」
廊下を突き進み、角を曲がり、階段を駆け降りている途中で後ろからそう叫ばれた。今聞こえた言葉が自分に向けられたものだと気がつくまで数秒。その数秒の間に、何を考えただろう。たぶん、何も考えていなかった。ぜんぶ吹き飛んでしまったから。
「追いついた」
「……古森、足速すぎ」
「……俺さ、ずっと聖臣に嫉妬してた。苗字が聖臣のこと好きだと思ってたから」
「……違うし」
「勘違いだったら申し訳ないんだけど。……もしかしてこれ、俺に?」
踊り場のステンドグラスが、光を浴びてきらきらと光っている。神様がもしもいるのならば、今この瞬間だけでも勇気を下さい。素直にさせて下さい。春が来なくてもいいから。
「……そーだよ」
「すっごい嬉しいんだけど?」
「……さっき、好きって言ってくれたの?」
「うん! 俺、苗字のこと好きだから」
「……も」
「え?」
「私も好き、って言ったの!」
精一杯の気持ちを伝えたら、古森は「やば、ちょー嬉しい」と言って私に抱きついた。体温が急上昇していくのが分かる。ここで初めて気がついたんだけれど、あの大量の紙袋は教室に置いてきて、私のチョコレートだけ持ってきてくれたんだな。そんな小さなことが嬉しくて、また涙が溢れてきた。
「えっ!? 泣いてんの!?」
「だって、ずっと好きだったから」
「言っとくけど、俺も中学の時から好きだから」
「えっ!? ええっ!?」
「今日から、苗字は俺の彼女だね」
「〜!」
彼の手元には真っ赤な紙袋。渡せなかった数年分の想いが込められた、私からのチョコレートだ。抱きしめられた体温が心地いい。私は古森の背に手を回して、ぎゅっと抱きついた。
神様はいたのかって? それは分からない。勇気を出したのは自分なのだから。
数日後、通学路の遊歩道には梅の花がぽつぽつと花を咲かせていた。ぬるい風が頬を撫でて、私の髪をなびかせる。繋がれた手はあたたかく、それはまるで、待ちわびた春のようだ。春はここにあったのだ。
「名前、どーかした?」
「うーん、好きだなあって思って」
「どうしたの? 素直になって」
「素直になったのよ私は」
古森がさらっと「俺も好き」と言いながら、手を握る力を強めてくる。身体が沸騰しそうなほどに体温が上昇して、夏が来てしまったんじゃないかな、と思った。
ねぇ、古森。大好きだよ。今はもうそれを伝えることが出来る。『好き』の気持ちを噛みしめながら、私はぎゅっと手を握り返した。
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