女として生まれたからと言って、料理が得意なわけではない。下手なわけでもないけれど、出来れば人には食べさせたくないと思うレベル。母や友人には『普通においしいよ?』と言われるけれど、私はそうは思っていない。だって私の彼は、食のプロなのだから。
だからこそ、今聞こえた言葉を疑う他なかった。
「せやなぁ、一回でええから弁当作ってほしいなぁ」
もう一度、同じ言葉が降ってくる。定休日デートの帰り、ぽかぽかとあたたかい春の夜道が、一瞬にして真冬に戻ったかと思った。一体、何の冗談を聞かされているのだろう。
ひきつった顔をしているであろう私と対照的に、隣を歩く治くんは満面の笑みをこぼしている。
治くん手作りの逆チョコを貰ったのが、一ヶ月前のバレンタインデーのこと。ホワイトデーのお返しは何がいいかな? と聞いたところ、まさかの言葉を頂戴してしまったのだ。返事をする声も、つい震えてしまう。
「えっ? 私、料理得意じゃないよ?」
「名前ちゃんの作る料理、食うたことあらへんもん」
「だって治くんの作る料理の方が絶対おいしいじゃん」
「……せやなぁ、ご飯はおにぎりがええな」
そこは否定しないんだ、と思いつつも、そのあとに続いた言葉に声が出なくなる。おにぎりがいい。今、そう聞こえたのだろうか。おにぎり。……おにぎり。おにぎりこそ、彼の一番得意な料理だというのに。
「えっ、ごめん! 聞こえなかった」
「おにぎり! おにぎりがええ!」
「……せいぜい塩むすびだよ?」
「ええん!? 楽しみやわ」
「本当期待しないでね! 下手だから!」
「むっちゃ期待しとる」
治くんはそう言って立ち止まると、ひとつキスを落として帰っていった。はらりと春の花が舞い落ちて、地面にぺとりと張りつく。生ぬるい風が、去っていく彼の髪を揺らした。
あー、これ、ガチで期待されてるのだ。どうしよ、本当。スキップしながら夜道を行く治くんの背中を、ただ見つめることしか出来なかった。
『おにぎり 作り方 おいしい』
『お弁当 おかず 簡単』
『おにぎり ラッピング おしゃれ』
期待しないでねと言ったけれど、それなりに見た目や味を気にはするもので。スマホの検索履歴は、見事にそういうキーワードだらけになっていた。毎日のように試作を重ね、なんとか人に出せるレベルのものは作れるようになった。まあ、相手がおにぎり屋の店主となれば話は別なんだけれど。
そうして迎えた当日、私は開店前の『おにぎり宮』を訪れていた。仕事は有給を取って、朝から三回作り直しただなんてとても言えやしない。
「本当に期待しないでね」
「名前ちゃんの手作り弁当や! 開けてもええ!?」
「……どーぞ」
普段私が使っているお弁当箱と、100円ショップグッズで包装されたおにぎり。治くんはお弁当箱をぱかりと開けると、最上級の笑顔で口を開いた。
「いただきます!」
「えっ!? 今から食べるの!?」
「お昼には店開けるからな」
「えっ待って目の前で食べられるのなんだか照れるんだけど!」
「ええやんええやん」
少し粉をふいた唐揚げと、焼いただけのウィンナー。甘くなりすぎた卵焼き。茹ですぎてくたくたになったブロッコリー。それから、治くんが握るのよりもずっと下手な握り方のおにぎり。
治くんが箸を手に取るって、ニコニコしながらおかずをひとつずつ口に入れていく。それからおにぎりの包装をぺろんと巡り、はむっと噛みついた。
「ん〜! ええ塩かげん!」
「しょっぱくない!?」
「おいしい」
「本当に!?」
「俺な、最後に食うメシ何にするか言われたらほんまに迷うんやけど」
「うん?」
「名前ちゃんの作ったメシやて今なら言えるわ」
とんだ爆弾発言を投下されて、頬がかあっと熱くなっていく。「さっ、仕込み仕込み〜」と言いながら前掛けをつける治くんは、随分と満足そうな顔をしている。私だけが照れていて、治くんの方が一歩上手な気がして、本当にずるい。ずるすぎるよ、治くん。
そんなことを考えていると、治くんが私の顔を見つめながら新たな爆弾を投下してきた。その頬はほんのりと色づいているように見える。
「……なぁ、なんでおにぎりがええ言うたか分かる?」
「どうして?」
「……将来俺の隣で手伝ってもらわなアカンからな」
「!?」
それって、そういう意味? そう聞こうとするけれど、言葉が声にならない。将来隣で、って。そういう意味ですよね!?
わなわなと震えていると、治くんは馴染みの帽子をひょいっと外して、私の唇に唇を重ねた。一度触れるだけの軽いキスだけれど、そのあとそのままじっと見つめられて動けなくなってしまう。こんなに真面目な顔の治くん、見るの初めてかもしれない。
「そういう意味やから」
「〜!」
「今日、夜行くからな」
「う、うん」
「覚悟しとき」
そう言って仕事に戻る治くんの背中は、この前の夜見たそれよりも随分と逞しい。鼻歌を歌う彼の背を見つめながら、私は火照りすぎた身体を冷ますことも出来なかった。
そんな、春のお話。